日々是好日 | 他人の命の神聖な権利に、無許可で手を伸ばしてしてくる人たち
ひたすら、この理由なのですが、書籍2冊が重なっていたのが、やっと目処。
もう、話したいことがいっぱいあって、たくさん語ります。
本の方はといえば、もうすぐ、お手元にお届けできます。
もうちょっと、楽しみに待っていてくださいね。
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標題の件ですが、言いたいことがいろいろあり、正直、頭にきています。
……とはいえ、私(著者)は、もともと温厚な性格。
温厚じゃなかったら、いろいろある出版業界、20年余もノートラブルで仕事を進められない。
その自分をして、本当に、頭にくる。
やっと、「頭にくる」と言える状況が整ったので、シェアさせてください。
話は少し戻りまして、この春、いわゆる「『自分の命を、自分で守る』勉強会」を告知しました。
その後、少しだけ、インターバルを置きました。
結果、やや少々人数(数人ぐらい)のメールマガジンからの離脱があり、後、通常運転に戻っています。
この話を、聞きたくない人もいると思うのです。
「とにかく、ネガティブなことは、聞きたくない」
こういう方も、いらっしゃると思う。そして、その選択を止めないです。
何を選ぶかは、まったくの自由選択。
自分の選んだもので、自分の人生が、作られてゆくから。
いっぽうで、たとえ分の悪いことでも、正直に聞きたいという人も、多いと思う。
ONSA の記事をあてにしてくださる方は、どちらかというと、こっちが多数派。
もちろん私も、こっち派。 でも、ぐいぐいと押し付けることはしたくないですから、少し、インターバルを置きました。
状況変化に慣れる一拍を置くことは、時に、大事ですね。
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今や私たちは、価値観の選択を、突きつけられていると思う。
今までは、どれだけ価値観が異なっても、異なる者同士、同居の余地があった。
それが、本来の「生きる」ということだと思う。
私たちは、それぞれ皆、違う人間。
価値観も違うし、生きる上での、選択も違う。……そして、それでいい。
今までは、生きる上で、このルールが有効でした。
ですが、これからは多分、この区分けが、どんどんセンシティブになってゆくのだと思う。
なにせ、命に関わる領域に、話が入ってきているから。
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というのも、大変不本意なことに、いつの世も、
「他人の命の神聖な権利に、無許可で手を伸ばしてしてくる人たち」 というのが、いますね。
ONSA WORKSHOP や Dream Quest WORKSHOP に集って、必死で、自分の権利を回復している人たち。
私も含め、ここに集っている人たちは、いわば身内である、
「他人の命の神聖な権利に、無許可で手を伸ばしてしてくる人たち」
に、権利を侵害された。
そして今、この権利侵害が、公共の単位で展開しはじめている。
これが、今回の騒動の中核だと、私は思っています。
「他人の命の神聖な権利に、無許可で手を伸ばしてしてくる人たち」
その人たちには、きっと、理解できないのでしょうね。
命は、その個人に宛てられた、神聖な権利。
だから、他人が勝手に踏みづけにしたり、「処分」したりなど、絶対にしてはいけないと。
あざ笑うかのように、世界中で、権利の踏みづけが横行しています。
だからこそ、ぶれてはいけない。
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このことについては、多々主張したいです。
ですので、どんどん、主張してゆきます。
いずれにせよ言えることは、いわゆる「共依存」という状態で生きるのは、絶対にダメ。
「自分以外の誰か、権威」に重きを置いて、自分の人生を決めるやり方。
それは、今や、「命の終わり」に直結してしまうから。
「共依存」の人は、まずは、共依存の習慣から、必死で脱すること。
自分の権利を、自分で守ってゆく習慣に、変えること。
このことを、全身の細胞で、学習してゆくこと。
(必死で、ワークショップやってください。……本当に)
自分の命の権利を、甘い判断で、うっかり譲り渡したら、終わりなんだよ。 (↑ ここ大事)
なぜなら、譲り渡された方は、その重みなんて、わかっちゃいない。
だから、平気で要求してくるし、平気で、害そうとしてくるわけですから。
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生きている限り、日々、勉強です。
自分の人生を決めるのは、自分だから。
誰かに “乗っかって”、生きることなんてできない。
誰もが、「自分の命」という神聖な権利を、自分で守ってゆかないとならないです。
それでは、また。
また、メッセージを書きにきますね。