ちょっと、命のことを |「後悔」という、力強いパワー[1]

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「時間」と「心」が活動テーマ、文筆業・藤沢優月です。


タイトルが、腑に落ちないかもしれません。


というのも、
「後悔」という言葉。
これは通常、好かれていない言葉かもしれない。


でも、こうも考えられると思いませんか?


「命があるから、後悔できる」
「今、生きているからこそ、『あの時』を振り返れる」

「命を失ってしまったら」
「そもそも、後悔自体が、できない」






あらためましてですが、少し前まで、もしかしたら私(著者)のことを、こんなふうに感じていたかも。

「著者さん、おかしくなってしまった?」
「先鋭化してしまった?」

もちろん、私に対してだけではなく、同じようなことを言う人たちに対して。



でも、状況が追いついてみれば、そんなことはないとわかる。

走り回る救急車。
あきらかに、すれ違う回数が増えた。
たとえば、3年前の日常の感覚とは、桁違いの回数。


体調不良の波、死の波……。

3年前、
「そうなると言われていた」
これが今や、具体的事実として、眼に見えるようになってきた。
ただ、それだけ。






個人的に、すでに、後悔すらできない状態の人を、何人も知っています。
だから、もし今、
「あの時、ああしていたらよかったのに」
こんなふうに、後悔できているとしたら……。


その後悔は、『尊い後悔』とも言える。
生きているからこそ、後悔もまた、存在するわけですし。


だからこそ、こうも言える。

何かを悔い、悔しく思っているのなら……。
同じことを、二度と、引き起こさないようにしなくては。


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