ちょっと、命のことを | どんどん現実になってきた。必要な手段を講じたい[2]

時間と心がテーマ、藤沢優月(文筆業)です。
ひとつ前の、記事の続きとなります。
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言論統制が、本格的にはじまってきた以上、今後、都合の良い情報ばかり、流れるようになるでしょう。
(重ねて、フォローされている方は認識していると思いますが、法案も可決になりますね)
逆に言えば、あなたや私が安全に生きてゆく上で、真に必要な情報へのアクセスが、難しくなるでしょう。
これはもう、以前より、分かっていたこと。
そして、note サービス、ブログ、メールマガジン。
とれる手段すべてをとって、再三にわたり、伝えてきたことでもあります。
でも、こうも言えると思うのです。
「人には、自由がある」
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一生懸命に伝えても、それを、受け取るか受け取らないかは、その方次第。
絶対に、強要はできない。
誰もが自分で、自分の生き方に、責任を持ってゆく。
そして、そこには、「自分が見たいものを見る」「見たくないものは見ない」という、選択の自由もあると思うのです。
だから、ここから先は強烈に、命運が分かれてゆくフェーズになると思う。
これはもう、仕方のないこと。
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……さて。
私ども、ONSA(弊社)に集っている面々は、学び続けます。
今週末(3月23日)の「『心』と『身体』の勉強会」のテーマは、ずばり「戦争」です。
ひとつ前の例に戻ります。
「準備したほうがいい」と話していたフェーズと、いよいよ状況が、目に見えるようになってきたフェーズ。
そのあいだには、2年と3ヶ月の、時間の差がありました。
だから、今から、準備をはじめるのです。
そして、準備のいちばん目は、知識を学ぶことから。
ちなみに、準備とは、それが現実にならないことを祈りながら、行うもの。
「万一、そうなったら大変なので、一応」
そして、
「なんだ、現実にならなかったじゃないか」
これで、いいもの。
でも……。
万一それが、現実になってしまったら、文字どおり、命を分けるもの。
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さてさて、それでは粛々と、準備を重ねてゆきましょう。
学びましょう。
そのようなわけで、また、メッセージを書きにきます。
あなた様も、どうぞご自愛ください。