ちょっと、命のことを | 悲観的になるのではなく、現実的になることの意味[2]

時間と心がテーマ、藤沢優月(文筆業)です。
続きです。
今現在、ワークショップ等で、この問題について、一緒に考えている「お仲間さん」。
決して、あきらめないことにしましょう。
同時にですが、以前から、口を酸っぱくして言っている通りですが……。
これは「依存」の問題。
言葉を変えれば、
「この状況を何とかしてくれるのは、誰ですか?」
「政府ですか? 影響力のある人ですか?」
「誰の責任なのですか?」
こう考えてしまう、という問題。
「そのような『誰か』は、いない」
「何とかするのは、自分しかいない」
「自分を守れるのは、自分しかいない」
現在進行形の状況。
それは、このことを文字通り、自分で行動してゆかなければならないという問題。
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悲観的になるのをやめて、代わりに、現実的になりたいです。
そうして、着々と、現実に対処してゆきたい。
悲観的になることは、ある種のメロドラマと同じ。
耽溺しているうちに、時間が、どんどん過ぎてしまう。
その時間は、状況への対処に使える、現実の時間であるのに。
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それでは、お互い今日も、勇敢に進むことにしましょう。
少しの時間でも、現実対処に充てたいですから。
そうしてまた、ワークショップ等でお会いします。
今日も、あなたにとり、実りある1日でありますように。
また、メッセージを書きにきます。