「時間」と「心」が活動テーマ、文筆業・藤沢優月です。
ひとつ前の、続きです。
–
生きてゆくことは、誰かに、代わりに備えてもらうことではない。
用語を使うなら、この状態を、「依存」という。
「けっきょく、誰かが助けてくれるだろう」
「いざとなったら、指示してもらえるだろう」
「難しいことは、頭のいい人が、代わりに考えてくれる」
「その時になったら、私は、誰かの指示に従えばいい」
「いちばん、説得力のありそうな、誰かの指示に」
これでは、自分の命は守れない。
「依存」に自覚的でないことは、言葉を変えれば、「いつでも死ねる」危険な状態。
–
というのも、この段になったら、声をかけてくれる「オオカミ少年」たちも、いないかもしれない。
オオカミ少年だって、自分の命を守るための、退避の最中かも。
何度、
「5キロ先まで、オオカミが迫っている」
と知らせても、真剣にとりあってもらえない。
でも、オオカミは刻々、近づいている。
オオカミの群れに襲われ、共倒れになることはできない。 だから、話を取り合ってくれない人たちのことは、あきらめるしかない。
期待していた、
「誰かが、助けてくれる」
「言っても、声をかけてくれるだろう」
「指示してくれるだろう」
いざとなった時、当てにした人たちは、もはや、いないかも。
–
「依存」は、非常に危険な状態。
命が守れない。自由と自立が、守れない。
これは、大変なこと。
一貫して、「依存」的な生き方の危険性がテーマである、ONSA のプログラム。
だから、この秋もワークショップは、真剣に活動中。
重ねて、オオカミの群れが、目視で確認できる頃には、時すでに遅しですから。
学び、備え、自立を守る。
付け焼き刃ではできないことだからこそ、プログラムを通じ、1つずつ学びを重ねます。
興味をお持ちのあなたのご参加も、もちろん、お待ちします。
自分の中の力。
それだけが、どのような状況でも唯一、頼りになる力。
誰の命も人生も、健やかに守られることを祈っています。