「時間」と「心」が活動テーマ、文筆業・藤沢優月です。
続きです。
(ひとつ前の記事ですが)これって別に、「ケチ」とかいうことではないですよね。
なぜなら、時間は、命。
ある人の時間が、差し出されるということ。
それは、命が差し出されることと同じ。
その人は、自分の命の一部を削って、時間を差し出してくれている。
そのような大切なものを、おいそれと、無制限・無分別に、差し出し続けられるわけがない。
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命の重みに、本当に、気づいている人たち。
その人たちは今、次のフェーズに、行動を移行しているでしょう。
つまりですが、自分の命を、最大限に守ること。
そして、自分の大切な人たちの命もまた、共に守り合うフェーズです。
もはや、議論や学習の段階は、とっくに過ぎた。
今はもう、具体的な行動レベルの段階。
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もしですが、あなたがこのフェーズに乗り遅れているとしたら、今は、このようなことをする段階だと、私は思います。
それは、お金を払うこと。
お金を払い、学んで、命の守り方を教えてもらうこと。
つまり、学習すること。
払うお金は、誰かに、命の時間を差し出してもらう対価。
今はもう、こういう交換でしか、ものごとが成り立たないフェーズだと思う。
もっと言えば、それでも学べることは、大変なラッキー。
命を守る、具体的な動作に入っている人たち。
誰しも、今は自分のことで手一杯。
そのような現状で、誰かに何かを差し出せる人は、じゅうぶん、ハートの温かい人じゃないかな。
だって、自分のための行動に充てる時間を削ってまで、智慧や知識を、他者に差し出しているのだから。
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あなたも私も、現実に、適切に目がひらかれますように。
必要な行動を求めて、前進することができますように。
そう祈りながら、情報を投稿させていただきました。
それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。