恐れ入ります。
あまりに頭に来ておりまして、タイトルに、角が生じてしまいました。
ですが、もしもあなたや、あなたの大切な人が万一、同じ目にあったなら……。
これぐらいの角では、済まなくなると思う。
人間としての心に訴えるのは、ずるいよ、と言うかもしれない。
でも、心があるからこそ、こんなことは許されないと、個人的に感じます。
詳しくは、4月14日配信の、note 記事をご覧ください。
「偽情報」に関する記事です。
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個人的に、人には、選択の自由があると考えています。
だから、たとえばですが、
「見たくない」
「直面したくない」
というのは、ありだと思っています。
もちろん、勇気を出して直視したほうが、人生、命拾いをすることが多い。
直面しないことで、失うものは、大きいのだから。
でも、
「失いたくない」
「でも、直視したくない」
こんな、虫のいい考えは、ないとして……。
失うリスクを承知でなお、「直面したくない」という選択肢もある。
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ですがこの話は、それと次元が全く違っていて、私は個人的に、容認できない。
理由は、事実を捻じ曲げようとしている、その姿勢について。
「見る」「見ない」は、個人の自由。
存在するものに対して、目を閉じるのも自由。
でも、存在する事実を、捻じ曲げること。
それはもはや、「うそつきは、ドロボウのはじまり」同然の行為。
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note 記事に掲載した、いわゆる「JAL123墜落事件」。
同記事内で、2点、書籍をご紹介しています。
ちなみに、これらご紹介した書籍は、著者の欧州引越荷物の中にも入っています。
大切に、持ってきました。
著書中、ご遺族の方の、
「大切な人は、二度、殺された」
という言葉が、印象的でした。
一度目は、墜落に関わる出来事によって。
そして二度目は、嘘によって。
そうして、2025年の今。
もし、note 記事にあるような行為が、許されるのなら……。
二度ならず、三度までも、尊厳をふみにじられることになってしまう。
これほどまでに、人間の尊厳に対して、礼を失する行為はない。
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こういう感覚がおかしくなってしまったら、いよいよ「終わりのはじまり」。
行き着くところまで、行き着いてしまうのだろう。
ぜひ、note 記事をご覧ください。
2025年4月14日配信、「偽情報」に関するものです。
それでは、また。
また、メッセージを書きに来ます。
あなた様も、どなたさまも、ご安全に。