「ライフワークを発見する」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2022年04月16日開催

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タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私にとってライフワークとは、生涯追い求めていく夢のようなものだと思っていた。

ワークショップに参加してみて、その夢は複数あってもいい、私のいる場所の変化に合わせて変わってもいいってことがわかった。

だって生きることだから。
私は生きているから。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私の夢をかなえるは、「私が」生きるということ。
楽しいことをして、心地いいを探して、好きなものを見つけていくこと。

そうやって生きていくこと。
少しずつ歩いていくことだと思った。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私はライフワークが欲しいのではなく、充実したかったという事に気付きました。
今まで私がキラキラした人・憧れのライフスタイルの真似をしてもしっくりこなかったのは、私が人間として欠けているからではなく、そもそも私が好きではなかっただけの話でした。

私は「ライフワーク」を確固たる芯みたいなものだと思っていました。

それがあればブレる事なく、安定して間違いのない人生を、おくることができる。
今のどうしようもない自分から抜け出せる、全てがチャラになるような力のある物のように考えていました。


まずこの考えが「星」を目指している…ショックでした。
私は何かを叶える事で、今ここで悩まされてる苦痛や不快感がなくなると無意識に信じ込んでいたのです。
そのおかしさと自分の考えの硬直さに驚きました。

私は自分に自分のことを変えられる裁量があることも、自分の好きを選んで良いということをも信じていませんでした。
自分の人生を生きる、自分で選ぶとは文字通り私が行動することだと気づきました。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私が好きなことをやってみる。
(好きなこともやってみたら好きじゃなかったと感じてもOK)
(完璧にこなさなくてもOK)

大きな完璧な目標を立てるのを諦めて、今の私がしたい方を選んでみる。
わからなかったら小さく調べてみる。




タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は去年も参加したけれど、やはり「ライフワーク」は難しいと思った。
「ライフワーク」という言葉をとらえ間違いするとまたとんでもないところに行ってしまうのだと改めてわかった。


「ライフワーク」とは「わかりやすくてキラキラしたもの、立派なもの」ではなく、「自分の核となる活動、そしてそのつながり」「好きで続けているもの(楽しいばかりではない)、欠かせないこと、したくなること」で立派とかすごいとか、大きさは関係ない。

それを「ライフワーク」と意識してしている人は少ない、「言われてみればそうかも…」というくらい自然にしていること。
そして「ライフワーク」はあってもいいし、なくてもいい。


私は実際にライフワークを持っている人たちを見ると「確かにそうかも…」とわかるけれど、言葉だけで考えると「わかりやすくて立派なもの」のほうに行ってしまうので注意しようと思った。
私はこのあたりが本当に危ないので気をつけようと思う。


ワーク中に言われた
「充実したいの?」
「それとも『ライフワーク』が欲しいの?」
という言葉。忘れないようにしたいと思う。


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後は「頭で考えることはいつでも無駄だし無意味」ということ。
私は頭でばかり考えて行動できないのでものすごく痛かったけれど、大事なことだと思った。

そしてビジョンの持ち方についてもイメージ、空想ではなく、体験して(たとえば話を聞くとか)、感じて、自分のこととして考えることだと知った。


頭でどれだけ考えても進まないけれど、体験して心で感じることで進んで行ける。
これは自分でも体験してそう思ったし、体験することでなんだか自分や周囲がくっきりしたように感じた。

ささいな、とても小さなことでも体験すること、体験していると自覚することが大事だと思った。
またライフサークルも埋まらないところは苦手なところ、経験不足なので埋まらない。これも確かにそうだと思った。


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私は圧倒的に経験不足なのだと痛感している。
経験不足だから余計に体験することが怖い。だから行動に移すまでにものすごく時間がかかるし、ものすごくエネルギーも要る。

そして、私は自分にやさしくない。
私はいきなり「するなら、ある程度ちゃんとしたこと(よくはわからないけれど)をしないといけない」と無意識に自分でハードルを上げる(これは一発逆転の発想だと思う)。

私は、せっかく自分で考えて行動したちいさな体験を嬉しい、楽しいと感じる一方で「たいしたことない」と気持ちを抑えてしまう。

私は、体験したことやその時の気持ちを味わおうとしない。
いつもここで引っかかる。気づけたから意識していきたいと思う。


私は自分のためにしたちいさなこと(私にとっては大きなこと)で嬉しかったり、満たされた気持ちになったことを体験したのだから、そういう気持ちを大事にしていくことを忘れないようにしようと思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、安心して生きていきたい
私は、自分を信じて生きていきたい
私は、自分を満たしていきたい




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、今回の WORKSHOP で「自分と向き合う」ということが、ずっと漠然としていて、曖昧なままだったんだなと思った。
なんとなく「灯台の時間」をとり、なんとなく自分対話らしきものしていて、人生がが全然前に進んでいかないってどこかでずっと感じていた。

今回、自分と向き合うは、自分の裁量が解ることであり、自分の人生を変えていける範囲が解り、そのことが自己理解につながるという学びは、本当に腑に落ちた。
結果として、自分がどう動こうとかいうところまでプランをたてることができたし、そのことでとても安心した。そうやって1つづつ小さな実行を自分自身のためにしていきたいって思った。


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ライフワークについて
私は、星のようにふわふわと浮いているライフワークなるものを目指して生きてきたけど、それは根底から間違っていたんだと、学んだ。

ライフワークとは、どれだけ社会に貢献できているか、そしてその貢献度が高ければ大人であるという自分方程式を理想として掲げていたけど、やはり自分が楽しくないと続かないんだと思った。
そしていつだって、自分の楽しい、心地良いを基準にしてOKという発想が、私には無かったんだと気が付かされた。

基準は、常にこの私。私のしあわせを私が一番に考え、実行していく。
これだけは、ずっとずっと忘れてはならない真実なのだと思った。


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ゴールは変化するものだということ。
私は、一度決めたことは何が何でも死守しなければならないと、頑なに思い込んでいた。
コロコロ変わるなんて、むしろ恥ずかしいよって。

でも、好きなもの、居心地の良いものを見つけながら進んでいくのが人生だと学び、だとしたら私はずっと人生がストップしたままだったのではないかと思った。
そして心と身体はつながっているのだから、体験をたくさんしなくてはダメなんだなぁとも思った。

体験が、生きる筋力をつける最速の方法だったなんて、考えもつかなかった。
私は、生きる筋力をつけて、安心して暮らしたい。それが、今の私が欲しいものだと解った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



体験を通じて、自分の殻を破ること。そのためにせっせとスケジューリングして時間を作り、納得のいく毎日を健やかに送ること。

そして安心、安全、あたたかい世界の中で生きていくこと。
もうそれだけだなって、本当に思う。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(40代以上/愛知県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



*私は、私の行動と考え、気持ちがずれていることに悲しくなった。

私は、自分なりに考えて行動しているつもりだった。
これまでと違うことにも、少しずつでもしているつもりだった。

私は、これまでのワークショップで「その考え方が違う」と何度も指摘をもらっていた。
私はそれを受けて「考え方を変えなくちゃ」と思って、気をつけていた。

でもそのやり方で、私はまた自分とずれてしまった。
私は「こうしなくては」にとらわれすぎて、自分に厳しくなっていたし、肝心な部分を見落としてしまっていた。


私は、なにをやってるんだ…と悲しくなった。
悲しくて涙が止まらなかった。

自分を情けないと思ったし、勘違いして過ごしてしまった時間も悔やまれる。
私は、自分とずれてしまう自分が本当にいやだ。


私はすごくつらくなったし、落ち込んだ。
でも私は、これまでの「できている私」「わかっている私」だけを外に出したり、自分でも「できてる、大丈夫」と勘違いして、できてないところに気づけなかったり、そういうふうにしていた時よりは、いいかなと思った。

私は、間違えないようにしたい。
でも「間違えないように」にとらわれすぎて、自分にプレッシャーをかけすぎたり、「できない自分」を出さずに隠したり。
そういうことは、違うと思った。


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私は、何十年もちがう生き方をしてきた。
それは「学んだから」といって、すぐに変えられるものじゃない。

こんなにも時間がかかる、何度も間違える。
間違えていることに、自分でもなかなか気づけない。
そういうものだから、ある程度は仕方ないんだなと思った。

少なくとも「できてます」と虚勢をはるのではなくて「わかりません」「できません」「できなさすぎて悲しいです」と言えるようになったことが、私の進歩かなと思う。


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今回の「ライフワーク」については私の勘違いやズレが如実に表れた。
私は、まだまだ理想に走ってしまうし、一発逆転の発想もしぶとく握りしめている。

「自分を変えたい」って、そうだよねとも思うし、前向きな感じもする。
でも、実際にやっていくことの、なんて大変なことだろう。
私にとって、パッとやって、パッとよくなる、パッといい気分になることではなかった。


私は、今まで信じてきた感覚や足場がぐらついて、時にはなにもかもなくなっちゃう感覚すらして、そのつど怖くなるし、不安にもなる。

でも最近は、何度もくり返してきたのもあってか少しずつ慣れてきたような部分もあって「こういうことだよね」「このくらい、違ってたんだよね」とも思えるようになってきた。
(とはいえ、渦中の時は「もうやめてくれ」というため息でいっぱいになる)


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どんなときでも、どんな人生の変化の時でも、やっぱり原点は私の本音、等身大の私。
それに尽きると私は思った。

今の私に、大きなことはできない。
遠い将来のことまで、一気に安心はできない。
でもその代わりに、今の私には、今、できることがある。
私はそこから目をそらさずに、コツコツやっていきたい。

私は「できない私」で、今日を生きていく。
今の私にできるのは、それだけ。


文節区切りの線

*ライフワークを生きている人を見ると、とてもキラキラして、充実して、豊かに見える。

でもそれも、その人の人生の「一番きらめいているところ」を切り取っているだけ。
その前後には、特にきらめいていない普通の日常がつづいている。


私が生きるのは、きらめく一瞬ではない。
私は生きるのは、1日24時間、365日の時間、日常。

それが私の人生の大部分、ベースということを忘れないようにしたい。
重心位置を取り違えてしまうと、私は盛大にすべってしまう。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



*私は、私の本音をもっと知りたい、出したい。

「できない、でもこれが等身大の私」を自分でも認めてそういう自分で存在したい。

それを起点にして、私の今と人生をつくりたい。


*私は、これまで自覚してきた「私の好きなもの」も大事にしつつ、それ以外のものも、気楽にのぞいてみたい。

「私のライフワークにつながるものを探さなくちゃ」という気負いは捨てて気楽に楽しむ。
そんな感覚で、知らないものにふれていきたい。