「『今ここ』パワーに目覚める」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2023年04月06日開催

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タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、「私はどうしたい?」をいつも考えているわけではなかった。
自分のことを考えるのはしじゅうやることだ、と聞いて、驚いた。自分はそうではなかった、ということに改めてハッとした。

「ワークとして取り組むときだけ/気分が乗ったときだけ/なんとなく思い出したときだけ、自分のことを考えます」では、ダメなのだ。

私は、自分から出てくるぼんやりとした答えに対して、どうしたらよいのかがはっきりとしていないことが多い。
私は、私がどうしたいかを考え、少しずつそれを深めたり試したりすることに、時間をかける必要がある。


文節区切りの線

私は、何かを「やっているつもり」になりやすいと思う。
「少なくとも、考えようとしています」と述べるだけで、自分に変に甘く、正当化するようなところがある。

私は、自分のことに真剣になる代わりに、いつもの日常やいつもの習慣に自分の時間をあずけている。
その「いつも」は、どうすればよいかが分かりやすい、他人重心のことがほとんどである。


私はそれを繰り返し再生して、生きているつもりになっている。

「つもり」だけでは、現実は変わらない。
いざやってみようとするとき、私の考えもやり方も、きっとド下手である。


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そして私は、それがもどかしく、恥ずかしいと感じて、その場足踏みを続けてしまう。

でも私は、ド下手でもやってみなくてはいけない。
私がやるべきなのは、「みっともない10分」をコツコツと積み重ねていくこと。


架空の時間や架空の自分を盲信して、空想にとどまり続けることではない。
私は、「今」以外に期待する気ちがいを、やめなくてはいけない。

私は、「たった10分」を自分でバカにしてはいけない。


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ワークショップのなかで横軸で図示されたことが、印象的だった。
何かが形になるまでには、まだ形にならない長くて大きな部分がある。

それは多くが「みっともない」「失敗料理」である、ということ。
私は、そのような試行錯誤をたくさん経験することを、まだやっていない。


いまの私の状態は、最初のほんの数ミリだけ進んで、これでは全然ダメなのでは、手応えがないのでは、などと言って、急いで引き返してくる、ということのように思えた。
地道な積み重ねや努力とは、まったく違う。

私は、いつもの「繰り返し再生」には存在させないようにしている、そのみっともなさ、恥ずかしさを、自分で引き受けなくてはいけない。

どんなに先が見えなくてもものすごく怖くても、自分が本当に生きる力をつけるために、必要なことと感じた。
そこは、自分が正当に「がんばる」必要のあることなのだと思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、自分のことを信頼し、この自分が好きと言えるように生きたい。
自分が納得した選択や決断によって、生きていきたい。

私は、自然を大切に生きたい。
自分の身体の自然、日差しや風、植物や生き物の生命力を感じ、できるだけつながっていたい。

私は、大切なことが近い人たちと、関わっていきたい。
私は、自分にとっての「失敗料理」という経験を積み重ね、自分の力をつけていきたい。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私はずっと「転職したい」と言っていたが、その土台になる「私はどう生きたい?」が決まってなかった。

私は転職さえすれば全てうまくいくという謎の思い込みの中で生きていた。
私は未だにファンタジーの中で生きてて、完璧で素敵な何かに一発逆転を夢見ていたのだ。
私は全然自分の人生に責任を持って生きていないのがわかった。

私はいつか誰かが何とかしてくれるという架空のプランニングばかりしている。
私は現実を変えていない。
ずっと怠けてきた。


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なので、私は真剣にどう生きるかを考えることになって、いつも泣きそうだ。
ここのところ10分、真剣に考えるを続けているが、その10分だけでも泣きそうになっている。

どうしたいか?
何が必要? できるためには?

私がどう感じてるかを掴むのも難しい。
思ったけことを調べるのも時間が足りない。
真剣に生きるのには時間がないことが本当にわかった。


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私は完璧な選択をしたら、あとは全てうまくいくと思いがちだ。

だけど、そうじゃなくて、日々修正していくことが必要なんだ。
私はどう生きるかを真剣に考えるのがこわかったが、それは筋力がなかったのと、自分の人生に責任を取るのが怖いからなのがわかった。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私はほどほどに働き、野菜を育てたい。
私は信頼できる人たちと繋がりたい。

私はいっしょに食事を楽しめる仲間がほしい。
私は自分の中に落ち着きと、力が欲しい。




タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、3月に「まあこのくらいならいいか」という約束をしてしまい、痛い目に遭った。
その約束は、いつも通りのメンバーで、いつも通りのことをして時間を潰すという、「儀式」に近いものだった。
それは、ずっと続いてきた無益な繰り返し再生だった。

今週、私は同じメンバーに、またお祝いの食事に誘われた。
また同じパターンで、「まあ、いいかな」と約束してしまいたい誘惑に駆られた。
ワイワイ食事をして、お祝いをしてもらったら、子どもも喜ぶだろう…前回と全く同じことを考えた。

今週末、私は、子どもを連れて桜を見ながら陽を浴びて、思いっきり身体を使って遊ばせる予定にしている。
昼ごはんも、陽を浴びながら公園で食べたいと考えていた。


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私は、お祝いの豪華な食事よりも、爽やかな屋外で食べる簡単な食事の方がいい。

お祝いの会場は、ステーキ屋。
輸入牛が2000円くらい、地元国産牛が5000円くらい。
子供向けメニューはなし。

安全性を考えたら当然国産牛を選びたい。
(もちろん国産牛も安全ではないけど相対的に)
しかし、もしも相手が支払うとなったら、子供の分合わせて15000円は頼みにくい。

それでは自分が払うということにしたとしても、今の私にとって15000円は、1食にパーっと使うような額ではない。
15000円もあれば、良質な食材を家族1週間分ストックできる。
安めの食材で備蓄するなら、もっとたくさん備えに使うこともできる。


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だいたい、もう、私はそのメンバーと顔を合わせても、いったい何を話したらいいかわからない。
この世情が迫っている中で、子どもの学校の話をして、その人の雑談を聞いて…と想像すると、「早く終わらないかなあ」とイライラする自分がすぐに思い浮かぶ。

しかも、食事が終わって「じゃ、帰りますね」と言っても、お天気が良ければ花見やらお茶やらに誘われるだろう。
その人と行きたいか? せっかくの桜も、その人の一方的な話を聞きながらじゃ楽しめない。


しかも、その人はもう7回も接種している。
3月に体調をさんざん崩した私は、もう懲り懲りしていた。
3月の体調不良は、仕事先で「もらってしまった」のが大きいと思っている。

ましてや、仕事ですらない、自分になんら給与も発生しない時間のために、自ら体調を崩しに行く…もう私は、そういうことをしてはいけない。
そんなことを続けていては、私の身体に失礼だし、私が支えるべき家族に対しても責任を全うできない。


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ここまで熟慮して、やっと、「その日は予定があるから行けないです」と返事をした。

まだ、時間がかかる。
それでも、以前のように何日もかかることはなくなって、1時間くらいで決められた。
とにかく即返事はだめだ。


それでも1時間という、私にとってはとても貴重な時間に、その件で思考を奪われていたことを悔しくも思う。

私の次の課題は、やはり「もっと物理的に離れる」ことに尽きる。

近くにいるから、誘われる。
メンバーでも、遠くにいる人は、声をかけられていない。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、環境を変える(離れたいものから物理的に遠ざかる)ための1歩を、「今日、いま」始めます。

私は、視察のための飛行機を予約します。
私は、滞在中の計画を立てます。
私は、それまでの準備の計画も立てます。
私は、持ち物のリストアップをします。
私は、必要なものの買い出しに行きます。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は今回の WORKSHOP で(正確には翌日の勉強会も含め)自分に対して「私は、1度位死なないと行動することができないのかな、まったく。」という気持ちになった。

習っても習っても、毎日を惰性で生きていて、直ぐに流される。
感動ポルノに弱くて、目覚めた人が増えたら何とかなるかもしれないとか本気で考えてみる。

頭の中でぐるぐる思い描いて足踏みをしている。

だから、現実は動かない。
最後の詰めが甘いというか、最後の最後でビビッて答えを先送りにする。


文節区切りの線

そもそも私は、今死んでてもおかしくはなかった身。
それなのに、その重みもやばさも、自分事として考えない。
いつも、過去か未来に生きてるお花畑脳。

WORKSHOP に参加する度、これがリアルな自分だと毎回痛感する。


今回も思ったけど、誰も助けてはくれないという事実。
にもかかわらずそれでも誰か助けてくれるだろうと考えてしまう自分がいて、そしてそんな自分が情けなく、嫌気すらさしているということ。


文節区切りの線

今の私にできることは、そういう等身大の自分を受け止め、そんな自分にできる精一杯のことをただひたすら行動に変えていくこと。

自分の情けなさを認めること。
ダメな習慣に気づき、改めること。
そして、最後の最後まで自分を信じて諦めないこと。
見捨てず伴走していくこと。

今の私に出来る精一杯のことをして、私は生きていきたいと思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私の夢は人に依存すると孤独をはき違えないで行動できるようになること。(出来ないのに、なんでも一人でやろうとしがち)
最後まであきらめないこと。
ここまでやったのだから。と思える人生を生きたい。
最期は苦しみや苦痛を感じず、穏やかに終えたい。
人生の最期まで、挑戦したい。その先の景色を見られる自分になりたい。
昨日と違う10分を過ごせる自分になりたい。
私は、私と、もっと仲良くなりたい。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



いつの間にか、「“私は” どうしたいの?」が見えなくなっていた。子どもが、家族が…と考えて行動を変えてきたけれど、それは、いつしか思考停止をしていたということに気づかされた。

それから、私は努力する内容が違っていた。目の前の飛びつきやすいところに飛びついてやっていて、結局進んでいないを、繰り返していた。
というか、「私はどうしたいの?」が見えなくなってしまっていたのだから、やっていることもずれてきていたのだと思う。

「私はどうしたいの?」を言葉にして、それを実現するためにやるということが、重く感じる。
ということは、それまでは自分事としてあまり考えていなかったのだろうか。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、私の身体を健やかに保ちたい。
健やかに長生きして子ども達の成長を守りたい。

私は、新鮮な空気を吸って、呼吸をしたい。