「時間の整理と、大まかな地図」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2024年10月12日開催

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タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



「依存が無駄で、かつ気づいた時には年をとり後退している」という事実を、今向き合うことになっている。
自分に生きるための力を育ててこなかったことが、そうなってしまう仕組みの中で生きてきたとはいえ、これからやっていくのかという重さを感じている。

これまでやってきたことが逆方向だったり、めちゃくちゃだったり、でもそれをすることでやっている風でやってきて、結果変わらぬ現実をまた他人のせいにして、そうして時間を消費。

それは、冷静にみれば上手くいくはずがないことはわかるのに、散々やり散らかしてきた。
私が場当たりである理由だ。


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手帳に入れたものが現実になる、を実際このワークショップ内でやってみた時、Web. WORKSHOP でも学んでいるにもかかわらず、愕然とした。

私の手帳には、自分の目標(夢)がほとんど(1割にも満たない!)入っていなかった。


どうしたらいい? 何したらいい? と、今一番にやらなくてはいけないことを後回しにして、その先のことに手を付けていた。
やってみてわかったのだが、ここに “あわよくば…” が働いていた。

その先のことをやることで、あわよくば今一番にやらなくてはいけないことも、なんとかならないか? と。
手っ取り早くなんとかしたいという欲。


こうやって書いてみると、自分の思考がいかにおかしいかがわかるが、そのやってしまっているときは、全くそう思っていないのだから、痛い。

ただ、私は、今、自分のそのおかしさ、痛さに気づく必要がある。
やっぱり、そこからしか始まらない。


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私は最優先事項を確認し、それに取り組み始めた。
やってみて思ったのは、家族への影響も多大で自分だけでどうこうなるものではないのもあるが、進めるのに、時間もエネルギーもかなり必要になるという実感。

グルグルと考えているときは、その時間の質量や重みはまったくの想像でしかなく、私がいかようにも都合よくとらえることができてしまう。
現実の中では、本当にもどかしいほどにしか進まない。

ただ、やってみないで変わらない状況とは、表面上は似ているようにみえても、見えない部分は違うのだという手ごたえがある。


それでも、課題ばかりがでてきてしまうから、へこたれてしまいそうになったり、あわよくばで考えたくなったり、どうせ…となってしまいそうになったりするのを、何とか踏みとどまっている。
やっぱり、目標だけでなく、この行動を起こしていることも諦めたくない。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、私と子ども達の命を守ることに集中したい。
私は、自分のあわよくば…に足元をすくわれないよう、第一優先から脱線せず行動を進めていくこと。

私は、自分の依存度を甘くみず、「自分でやる」をやり続けること。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、優先順位について改めて考えさせられた。
現実を変えるのが怖いから、一番にやらなければいけないことを後回しにして、頭で考えるだけで行動に移せないままでいる何もない自分。

だから自分と向き合う代わりに優先順位の高くないことにひたすら夢中になることで、時間を潰していた。
今にはじまったことではなく、私はずっと自分と向き合うことが怖くて、避けていた。


文節区切りの線

「本当に、いいのだろうか? 先が全く見えないのに」
「いいも悪いもそうしないと死ぬでしょ!」
ここ最近、脳内会議が一日中繰り返されている。

ずっと依存してきて、与えられる仕事しかしてこなくて、急にそこから抜け出したとしても、自分にできることが全く想像がつかない。
行動を伴い現実が変わってしまうであろう優先順位の一番は、後先考えずに行動してるように思えてしまう。

全く自分が信用できないって、こんなに物事が進まない。
焦れば焦る程、自分の中から何も湧いてこない、この情けなさ。


文節区切りの線

自分と向き合うって何? 
自分を信頼できるって? 
湧いてくるってどんな感覚なのだろう? 

何をやってもズレてる気がして落ち着かない。

だから、今はこの自分を感じながら、毎日すべきことをやっていく。
そして行動していく。

焦らず、急ぐ。これ以外に、思いつかない。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私の最終的な夢は、ゆっくり息をして、ゆっくり食べて、ゆっくり人と話をして、ゆっくり自身のことを考える。
私のケの時間はこんな風がいい。
だからそんな毎日が送れるように、今は少し頑張らないといけない。


先が見えないことに、今までと同じようについ安定させたくなる。
流されず、自分を信じられれるようになりたい。

だから次の小さな予定、自分との小さな約束を守っていく。
それが今の私の目標であり、必ず越えなければならないものだと思う。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、何を「待って」いるのだろう。
完璧な準備? 誰かの許可や賛同? 絶対に失敗も後悔もしない解決策…?
その全部かもしれない。

私はつい、目指すことに対して「自分で期限を切る」とは、なんて難しいのだろう、と感じてしまう。
でもこれは、「誰かや何かに決めてほしい」という依存心そのものではないのか。


文節区切りの線

私が生きるのは、自分の命、自分の時間なのだ。
よく考えてみれば、自分でやらないでどうする? ということだ。

どこへ、いつ、どのように向かっていくのか。
どこまでも、自分で決めていくしかない。


自分の夢や目標は、自分にしか分からない。

誰かに押しつけられるのは論外だが、お勧めされたり、期待されたり、完璧なレールを敷いてもらったりしたとしても、それは自分にとって、力が湧いて心から望んで進みたいと思う道にはならない。

私は、自分が決めたことにだけ責任を持てるし、リスクもとることができるのだと思う。


文節区切りの線

「早く、からっぽの自分をここに置くこと」
「その上で、目標に向かって自分で動くこと」
これらの言葉は、今の自分にとても必要だと感じた。

私は、モノでも関係性でも、手放したら何も無くなりそうで、いまだに怖い。
でも残念ながら、本来何も無かったのだ。

私は、それを認められないとき、変にねばってしまったり、動きが鈍くなることがある。
どんなにからっぽであろうとも、私は、今のこの自分でしかない。

以前、それはただ悲しいことだった。
でも今は不思議と、悲しいばかりではなく安心感や心強さのようなものもあって、少し驚いている。

私がそのように動くならば、これからは偽ることなく、ありのままの自分を大切にすることもできる。
「氷山の一角」を必死で取り繕うよりも、ずっと心地がよくてホッとすると思う。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、「自分を生きる」という冒険、成長をしたい。

自分の命を守るために、必要な練習や勉強、行動を、続けていきたい。
私はまず、直近の目標である引越しに注力していく。


一つずつ進める。
その地点からそれていると気づいたら、そのたびに戻していく。

旧いものは思い切って手放して、自分にとっての本当に価値のあることや心地よさを探っていく。

私は、からっぽの自分(=いまのありのままの自分)と、もっと向き合い、知っていきたい。
自分の中にあるものを、もっと信じていきたい。