「時間の『つけかえ(盗難)』対策」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2023年12月16日開催

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S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



ONSA さんと縁をいただいてから2年経過し、だいぶ、他人に使う時間は減っていると自負していた。
だからこそ、「ここまでやってもいまだに自分の時間が足りない感じがする」ということに焦っていた。

今回、見直してみて、全然甘かったということに気がついた。


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確かに、誰かからの誘いに乗って、まるまる1日がそれでなくなる、という時間の使い方はしなくなっていた。
しかし、細かいものを探せば、出てくる出てくる。

主に、もらった連絡に対する返事を考え悩んでいる時間だったり、イライラしている時間だったり。

1つずつは数十分から1時間程度の些細なことで、だから今まではそれが書き出されることがなく、見逃されてきた。
もう1冊、『夢かな手帳』を買って時間記録をつけていることで、そういう細かく漏れている時間があぶり出されてきた。

今の私にとっての数十分とか1時間は、とても大きい。
その時間が欲しくて欲しくて、「Dream Quest WORKSHOP」にまで出る決意をしたのに、「なんだ、まだあったじゃん…」と。


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それがわかったのは朗報で、自分を絞らなくても、まだ時間を生み出す余地は十分にあるということだ。
原因はよくわかったけれども、それらを「切る」ことが私にとって簡単ではないから、いまだに習慣として残っているとも言える。


今週を過ごしてみると、いまだ反射的に「すぐ返信しなければ」と感じている自分がいた。
そのたび、「メッセージを送るのは向こうの都合なのに、どうして私が必ず反応しなければいけないの?」という優月さんの言葉を思い出してハッとする。

即返をやめる訓練はしてきたけども、返信すること自体は「最終的にしなければいけないこと」と思っていた。


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「準備ができる日は永遠に来ない」という言葉も刺さる。

同じことを繰り返して安住したい。
何事もなかったかのように過ごしていたい…という自分も、相変わらずいる。

クリスマスと年末年始を挟むこれからの時期、毎年、自分が揺らぎやすくなる時期でもある。
自分の時間が取りづらく、反応の中に埋もれやすく、体調も崩しやすい。

今年の年始は、周囲の言われるがままに、なんとなく、例年通り実母の家に訪れ、無為にテレビを見続ける家族にイライラするという数時間を過ごした。
次の年始はまず、これをやめたいと考えている。


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すでに、年末年始前後の予定はかなり減らしてある。
おかげで、かなり休むことができている。

先週末の「Dream Quest WORKSHOP」と「勉強会」の連続受講は、私にとっては大きな打撃で、緊張感が高まってうまく眠れない日もあり、また体調が揺らぎそうになっていた。
予定が減らしてあったことで、疲れが出てきた時に休むことができた。

このように、「おっとっと」と揺らぎそうになっても戻れるくらいのペースを維持したい。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・私は、自分に必要な睡眠を十分にとって、すっきりとした意識で健やかに生きたい。

簡単なことのようで、これからの時代、これを維持することだけでも、準備と努力が必要になってくるだろうと思う。

・忙しないままに、何も考えずに年末年始に突っ込み、思考停止でイベントを「こなす」のを今年はやめる。
とにかく、休みを取る。
家族がいても、こまめに自分に戻る。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、「時間=身体」と学んだ。
自分のこれまで過ごしてきた時間を思うと、自分の身体がそこに存在していたかどうか疑わしい時間が多くあると感じた。

「いま、ここ」に身体を伴って存在していないなら、いるはずなのにいないことにするという、おかしな状況が起こる。

私は、自分がもってきた違和感のようなものに、合点がいった。
自分だけが周りと違うような気がすることや、外側の時間や役割や達成することは進んでいるようなのに、本当に満足や幸せを感じられていないこと。

私は、大いに納得するとともに、どうしようもないかなしさも感じた。


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時間とは何かという問いに対して、私はある種の受身やあきらめの姿勢があったような気がする。
一定の長さで決められていて、守らなければいけない、生きなければいけないもの…。

「恵み」にもなり得ると知識として得ても、正直なところの私がいま持っている時間の実感は、「苦痛」の方が多いようだ。

今回、地球が24時間をかけて1回自転するということと、そこへあらゆる生き物が最適化してきたということを学んだ。
大きな規模の話に初めは面食らったが、私自身もその生き物であり命なのではないかと思えて、その貴さがじわじわと感じられてきた。


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私は、より多く時間を消費できる行動の順番があることを学んだ。
自分がこれまで多くかけてきた行き先を思うと、趣味であったり人の世話にかけたりしてきた時間には、心当たりがあった。

私はこれらの内容は、一度では理解できておらず、ピンと来ていないように感じている。
特に私は、最も多く時間を消費できるとされる「親密さ」については、実感がなく、どうすればよいかを具体的に分かっていないように感じられた。

時間をお金に換算して確認するワークでは、私は22歳までの間に、多くの金額を自分にかけられていたはずだったとわかった。
しかし私はこれも、あまりに大きな額であり、ピンと来ていないような気がしている。


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私は、「自分の生命維持活動に関係のないもの」を書き出すワークで、最初はぱっと浮かぶことがなかった。

仕事は自分の糧を得るには必要なのだから自分のためだし、影響が大きい家族と直接接する時間は以前よりは減っているし自分のためのワークや勉強のことで忙しくしているのだし、というつもりでいた。


けれど、振り返ってみると、私は直接会わなくとも家族からの連絡にまともに応じようとすることに、時間が消えている。
ここに自分がよく陥るパターンがありそうだ。


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私はまた、際限なく時間がかかる状況になりやすい「仕事」について、その時間の行き先を意識する必要があるとわかった。
自分のためと「思うように」して、思考停止いただけかもしれない。

私にとって、人の顔色や都合をうかがう時間が多く発生し、同僚のフォローをすることが優先になっている。
自分がやろうとしていたことの順番は、どんどん後ろにずれていく。

立場上仕方がないとか、まず要求に応じなくてはと、思考停止で反射的に向かっていくことにより、私の時間は明らかに消えている。

しかも私は勤務時間外でも、仕事上の出来事に意識をとられていたり、翌日の段取りのことを気にしたりしている。
いくら自分の糧を得るためとはいえ、自分の仕事に対する向き合い方やそのやり方に時間のつけかえのパターンがあるのであれば、見過ごすわけにはいかない。


文節区切りの線

なじみのパターンになっているとき、私のやっていることは、波風を立てないようにすることではないだろうか。
自分ではなく相手に重心を置いているために、波風が立ってそれが不安定になるととても困るので、現状維持に奔走してしまうのではないか。

だから私は、「自立」を目指さなくてはいけないのではないだろうか。

私は、自分の力で、自分で立たなくてはいけない。
このことが、いま自分のなかで改めてつながったような気がしている。


文節区切りの線

私は、地球上にいる生き物であり、「命」である。
私はまだ、その感覚が危ういところがあるのかもしれない。

自分の命をすこやかに生かしていくために、これからの選択や行動が重要になってくる。
私は自分のことに自分で責任を負わなくてはいけない。

それなのにまだどこか、誰かに許可を得られたら、許された範囲でなら生きていい、という受身になっているのではないだろうか。
だから、どう生きたいかに答えられないまま、頼りになる「何か」「誰か」を探して期待したくなったり、むやみに怖がったりすることしかできずにいるのだと思う。

自分がどう生きたいかを考えるとき、まず私は、自分が生きるという意思を持たなくてはいけない。
そのために、自分をもっと知り、自分の力を鍛え、自分の命の感覚をつかみたいと思う。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、自分の自然に従って生きることを選択したい。
私は、自分の命の感覚を、自分でもっと感じられるようになりたい。

私は、自分が生きることに真剣になりたい。
自分の自立のために、自分が生きていく力をつけることに、時間の行き先を向けていきたい。
そうではないことからは離れるということの練習に、自分の時間を使いたい。

私は、「親密さ」という時間の使い方を感じたい。
私は、自立した者同士の人とのかかわりを持てるようになりたい。
おいしいものやうれしいことを人と分かちあったり、会話を楽しんだりできるようになりたい。