「古い時間の、浄化の儀式」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2025年02月15日開催

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タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、そもそも、自分ときちんと約束をしているだろうか。

自分との約束を守っているか、という問いかけに、私はまず、自分に約束すらしていないことがあるかもしれない、と気づいた。


どこへ向かいたいのか、問うていないとき。
どうすれば良いか分からないことに、向き合うのを避けているとき。

分からないから決められない、という言い訳で、部分的に真っ白のスケジュールを許してしまっているとき…。

自分とは約束すらせず、他人にいい顔をすることに奔走する。
この自分を信用することは難しい。


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「他人に親切にしない」と聞くと、私はつい気まずい心地になる。
観察してみると、自分が自分を裏切るときのしくみに理解が深まるように思った。

私には、「自分を置き去りにする瞬間」がある。
他人に親切にするときや、自分ではなく周りの都合を優先にする大義名分で、ささっと動いてしまうとき。

それは私が、本当は真剣にならなくてはいけない自分自身のことから、逃げる姿勢をとるときだ。


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そのとき、自分がふっと力を抜くような感覚がある。
どこか、ホッとしてもいる。
(おそらく、逃げられるからという意味で)

頭が少しズキッとするような気もする。
息は軽く止めるようになる。
(私は日ごろ、安心して嗅覚を働かせることが少ないのかもしれない、とも発見した)


ここだ。
私は本当は、ここでいったん立ち止まらなくてはいけない。


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私は、「反応」の素早さで、ちょっとした違和感をかき消す。
そうして何らかの打算をもとに、先へ先へと進んでしまう。

結果として、その場をしのぐことができる。
無いよりはマシであるものが手に入ったり、自分が存在していいという気分を味わえたりもする。


でも私は、心から望む状態を得ることはできない。
そのときは「あとで巻き返そう」「なんとかすればいい」と安請け合いしたことが、実際にはまったく何ともならない。

どうやっても、私の満足や幸せなことには、たどり着けない。
そもそも、「自分の幸せとは?」を感じようとすることから、逃げ回っているのだから。


文節区切りの線

私は、浄化の儀式を通じて、感情がぐらぐらと揺れるのを感じた。

大きな後悔を思い浮かべ、書き出して、感じてみる。
すると、自分に対して言い訳の隙を与えないほどに、やり場のない思いがあふれた。
汚い言葉で罵りたい気持ちだった。


悔しい。悲しい。ぜったいに許せない。
周囲の状況も踏まえ、とある役割を引き受けるという選択によって、その後1年の私がどんなに大変な思いをしたことか。

私は、自分の命そのものであるはずの大切な時間を、計り知れない多くの時間を、不本意なかたちで消費することになってしまった。
「自分を裏切る」ということは、こんなにも重くて深刻なことだったのか…。


文節区切りの線

私はあの時、本当は自分のことにもっと時間をかけたいと願っていた。
自分の人生のことを、真剣に考えたかった。まさに今、ヨロヨロと取り組んでいることそのものだ。

「約束の重みを教えてくれて、ありがとう」と締めくくることで、とても救われる思いがした。
自分を責める以外にも、できることはあるようだと感じた。

ほどよい緊張感で、自分が鼓舞されるようにも感じられた。
悔やんでも悔やみきれないが、過去の選択を変えることはできない。


私にできることは、この教訓を、自分のために大切に活かすこと。
二度と同じことはしないという、自分との新たな約束をすること。

そして、それを何が何でも守ること。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、自分との信頼関係を、いつも保てる自分でいたい。
私は、いつも自分に誠実な自分でいたい。

その自分が、やりたいことを自発的にやっていく。自分のために、挑戦をしたり、失敗をしたり、成長したりしていくのが良い。
人と豊かな関わりをもって、幸せを感じていたい。


文節区切りの線

私が自分を信頼するためには、できていないことが本当にできるようになるための、練習や工夫が必要だと思う。

それは、立派なことや大きなことではない。
とても小さいけれど、大事なことだと思う。


たとえば、うっかりと真っ白なスケジュールのままで時間を始めてしまわないようにすること。

計画して、実際にその時間を過ごし、振り返りを行うこと。
それをくり返し試して、良くても悪くても、感じてみること。

自分にとってすぐにはできないことを、「考えるのも保留」にしないこと。


文節区切りの線

私は自分に、止まって考えていないときのそわそわした感じを、無視しないでほしい。
身体が「無理」というときには、その声に素直に従ってほしい。

私は、自分で自分を食わせられる自分になりたい。
私は自分を、安全に生かしたい。

今すぐに大きな答えが出なくとも、毎日1ミリずつだとしても、このことを考える自分であること。
それを、続けていくこと。

私はいつでも、自分のことを大切に思って行動する自分でありたい。




タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私が今回のワークショップで最も驚いたことは、優月さん(ワークショップ主催者)が一つ一つの小さな決定に、ものすごく時間をかけているということだった。


大きな決断に時間がかかるのは、わかっていた。

その大きな決断の下地となるような、日常の小さなことにも、時間をかけていいんだ。
というか、小さなことに時間をかけなければ、大きな決断など、とてもできないのだ。


私は勝手に、「優月さんは聡明な方なので、日常のことはわりとサクサクと決断している」と思い込んでいた。
逆だった。

「一つ決めるのには時間がかかる」とわかっているからこそ、「そもそも、それと関わるのか」「それは、私が考える時間をとるに値するものなのか」と、問題の入口の時点で、取捨選択をしているのだ。


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「一つを決めることに時間をかけてもいい」とわかると、私はなんだかとても安心した。

「すぐに、これを決めなければ」
「すぐに、これをこなさなくては」
と、ひたすら「反応」してきた自分にストップがかかる。

先週、まさしく「反応」で生活が崩れていたところだったのだ。


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今週は、ひとまず、行動がいったん止まってもいいことにして、思う存分、手帳と向き合った。

「どうして私は、◯時に寝ると決めた自分との約束を、ずっと守れていないのか?」
ということと、徹底的に向き合った。

そこには、明らかに無理な時間配分が設定されていた。
そこから、「どうせ無理だから」と、制限時間を意識しない自分の行動が見えてきた。


「何を減らせば、無理のない時間配分になるか?」を考え、減らしてみた。
そして、手帳に書いた通りの時間を意識して、実際の行動をした。

すると、寝る時間を早められる日が出てきた。
やることの順番を変えたら、快適に過ごせる日も出てきた。


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そうやって考える時間をとり、試行錯誤することは、やはりとても時間がかかった。
考えるだけで、1週間の時間の半分くらいを占めた。

他の行動には、あまり時間を割けなかった。
それでも、私は、その方が満足だった。

私は、基礎的なことに、時間を思いっきりかけて、安全安心を整えたかったのだと気付いた。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、安全な空気が吸いたい。
私は、安全な食糧と水に、当たり前にアクセスしたい。
私は、自分と子どもたちを食わせて成長させたい。


私は、それらの目標に付随する、一つ一つの問題、一つ一つの選択に、自分が納得できるだけの時間をとって考えたい。


私は、体調を安定的に維持したい。
そのために、私は、就寝時間を目標どおりに一定させたい。
そのために、私は、夕方から夜にかけての時間配分を、確実に回せるものにしていく。

私は、人混みに極力出ないためのプランを練る。

私は、非対面の仕事を選んでみた。
開始に向けてのタスクが増えているので、私は1つずつのタスクに丁寧に時間を配分したい。
私は、とにかく一つ、始めてみるまで、焦って他のことを考えるのをやめる。


文節区切りの線

私は、維持できるペースで食糧備蓄をしたい。
私は、「私が維持できるペース」とはどのくらいかを考える時間をとりたい。
私は、どのくらいを必要とし、どのくらいを当座の目標とするのかを考えたい。
私は、お試しの量を購入し、そのサイズ感を確認する。


私は、家計簿がたまってきたので、記録するための時間をとる。
その上で、私は、私の経済的な境界線をはっきりさせる。

備蓄にせよ、その他の活動にかける費用にせよ、私はその境界線の範囲内で、やりくりする。
私は、理想に足場を置くのをやめる。
私は、現実の自分で動作しないことは、諦めるしかないのだと学習する。


同様に、私は、手帳をじっくり仕込むことに時間をかける。
私は、農業体験のチラシなどを見て、「やってみたい」と思うことがある。

私は、それも「反応」ではないか? と疑う。
それをやるだけの時間は実際にあるのだろうかと、私は考えたい。


文節区切りの線

私は、私の過去のやらかしに対する、負債の解消のための時間をとる。
それは、私が考えている以上に、おそらく時間がかかる。


私は、これら「時間をとる」と書いたことを、実際に手帳のどこに配置していくのか、考える時間もとる。
私は、それが一番、多く必要な時間のように思う。

私は、ここまで書いた以上のことは、到底できないだろうと考えている。




タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私はいろんなことがなんとなくぼやっとしていて、私というものを問うときに、そこが難しいなと思っていた。
私は、「とても怖い」「とても嫌」は多分わかるけど、それら以外は全部普通に分類してしまう。

今回ワークショップを受講してみてわかったことは、私が私自身に無関心であったということだ。

私は私の声を聞いていなかった。
関心がないものの好きや嫌い、願いがわかるはずないな。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は自分に関心をもつ、自分をいたわり大切にするということを幼い頃に学ばなかった。
後から学んだ今も、かたすぎて言葉が届かない。

それでも私は安心を感じられるようにしてあげたいし、あたためてあげたいと思う。

私の「夢をかなえる」は、まだ遠い。私にとってはとても難しく感じる。
今はこのくらいの輪郭を感じているところ。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線



質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



今回の WORKSHOP で、私は本当の自分との約束を、自分に教えてもらった気がした。

一番後悔していることを問われた時、私は自分を否定し続けてきたことや、自分と長い間向き合ってこなかったことを書いた。そ
して本当は地に足をつけて生きたかったこと、自分に力をつけたかったこと、無条件で私に自分のことを好きになってほしかったと書いた。

そしてこういうことが、自分との約束だなんて、気づけなかった。

目先の、早起きをするとか、あれは食べないとか、何時までには寝るとか、そういうことばかりを自分との約束として羅列していた。
私は「やくそく」というこの4文字の意味を本当に軽く考えていたし、軽く扱っていた。

そもそも、自分との約束は一体何なのか? その意味の大切さも、重さも理解しようとしていなかった。


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私にとって約束は、直ぐに目に見えた結果が出ることだけだった。

だから、早々に目に見える結果が出せるはずもない自分との本当の約束に対して、自分を責めたり投げ出して、関係のない活動や暇つぶしをくりかえしていた。
だから、どんどん自分との約束が遠くになり、叶わなくなっていた。

自分が何を望んでいるのか、今自分はどこに向かっているのかは、私は直ぐに解らなくなってしまうけど、今の歳の自分がやること、やめることを繰り返し問う以外、扉は開かないということを胸に刻んで、毎日自分に向き合う以外道は続かないのだと解った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私の夢、というか自分との約束はいかなる時も自分に愛情を持って接すること。

自分を安全に生かし続けること。
美味しく食べて温かくして、たっぷり休んで安心させてあげること。


そのために、自分の身体と心の声を聞いてあげること。
私が私の意見を聞けるようなペースで時間を過ごすこと。

そんな風に、自分と一生仲良く過ごしていきたい。