「古い時間の、浄化の儀式」”練習してものにする” | チャレンジのきろく/2025年03月22日開催

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タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、自分のなかに「悔しさ」「後悔」と名の付くものがあることを、発見した。
浄化の儀式をあらためて体験して、私は、胸のあたりや腹のあたりがムカムカと気持ち悪くなった。激しいエネルギーだった。

私は私に、「絶対に許さない」というすごい剣幕で詰め寄られるようで、とても怖かった。

私はこんなにも「納得がいかない」という思いを抱え続けていたのか。
自分の命を大切にしないということは、「裏切り行為」として、こんなにも自分の内部に根を張るものだったのか…。


文節区切りの線

私は、自分のパターンには、何らかの形でいつも「人」が関わっていると気づいた。

相手がどう望んでいるか。人にどう見られるか。
その場にとってふさわしいか。その場の雰囲気を乱さないだろうか…。

「誰か」のことは熱心に気にするのに、肝心の私自身のことを、さっぱり見ていない。


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私は、本当に軽々しく、時間、エネルギー、お金を、差し出していた。
「他人」を基準にし、「内面のコントロール」で支えて、大小を問わず、さまざまな決断(=約束)をしてきている。

私はおそらく、その「行動」が許せずに、怒っている。


罵る言葉を補うのが間に合わないぐらいに、煮えたぎるものがあった。
口で謝ったりちょっと機嫌を取るくらいでは、まったく収まりそうにない。

私はいったい、どうすればこの自分に許してもらえるのだろう…。


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何度か「儀式」に取り組んでクタクタの私は、内心では、もうこのくらいで手加減してもらえないだろうか、と自分に望んでしまっていた。
しかし、チェアワークをしてからさらに試みると、そうもいかなくなってしまったことに、自分でも驚いた。

私は、自分にすら隠していた自分に、触れることになった。
本当はできれば見ないようにしておきたかった、いくつかの出来事だった。

たしかに苦い記憶だが、どうせもう過ぎたことだ。
もうどうしようもないのだし、それほど大したことではない…。

いつも、そう片づけようとしていた。


文節区切りの線

「より深いものに取り組んだほうがいい」という優月さんの言葉に、とても納得した。

今回、改めて感じてみると、「大したことではない」では、なかった。
まったく軽くはない。
ずっと気まずくて、ずっと重さが続いている。

思い出すたびに気まずくて、許せなくて、私は一生自分を憎んだり呪ったりしたくなりそうなことだった。

私は、正直に触れてみたからこそ、このような自分からは変わりたいというエネルギーが、ふつふつと湧いてきているような気がする。


文節区切りの線

私の「古い時間」には、私にとっての大切なレッスンがあるのかもしれない。
自分がそのように扱うならば、二度と同じことはしないために、活かすこともできるのかもしれない。

私は、変わりたい。
自分にウソをつき、気まずいことから逃げ続け、自分を責める余地を残しておくような自分には、納得がいかない。


文節区切りの線

私は、自分との約束をしていないと、「約束が守られていない/守られない」ということにも、気がつけないのかもしれないと思った。

自分が、そもそも約束をしておらず、それを守ろうという自覚もない。
すると、大切なものを差し出すことも簡単にしてしまうし、簡単に約束めいたことをしてしまう。

そして、不本意でも約束をしたからには、そのあとに続く現実的な引きずって進まなくてはいけなくなる。
自分との約束の重みは、自分の命の重みでもあるのではないだろうか。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、自分からの信頼を回復したい。

1クラス目の後に感じていた「小さなこと」の大切さを、ますます感じている。
小さなことはけっして小さいことではなく、しっかりした重みがある。

結果的には甘えや気のゆるみでうまくできなかったときの残念な気持ちも、小さくとも存在感がある。

私はまだ、小さなことをおざなりにしてしまっている。
心地よく寝ることも食べることにも、私にとっては練習が必要だ。


文節区切りの線

私は、自分から、言い訳は欲しくない。
行動を、自分に見せていきたい。

私は、一つひとつの決断をていねいに行うことを、やっていきたい。

私は、変わりたい。
自分の過去から素直に学び、「今」の自分をもっと大切にできるようになりたい。
「命の輪の中」へ、じりじりと力強く進めるようになりたい。




タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



「問題が起こらない=できているということではない。問題は、必ず起こる」と、改めて聞いて、ハッとした。

私は、つい、「どうして、問題が起きないように、私がここまで工夫しているのに、また問題が起こるの?!」と、イライラすることがあった。
それは、共依存に巻き込まれていた時代の、「解決しない問題」とはまた別のものだった。


特に、子どもとの間のやりとりで、それを感じることがとても多く、自信をなくすことが多々あった。

しかし、よく考えてみれば、私と子どもは違う人間。
違う人間同士が、同じ家庭を共有していて、それぞれの意見や主張がある中で、問題が発生するのは、当たり前のことだ。


大人同士でも、そうだろう。
まして、子どもとなれば、まだまだ、身体面も精神面でも発達途上。

我慢できないこともたくさんあって、大人の思い通りに動けないことが多いのも当たり前。
それならば、小さい問題が日常茶飯事に存在するのも、当たり前。


文節区切りの線
私は、ワークショップ中に、そのモヤモヤを感じさせる出来事を書き出し、感謝してから破り捨てた。
そうしたことで、それがただの後悔に留まるのではなく、進もうという決意に変わったのを感じた。


「問題は、必ず起こる。それに対処することで、自分の能力が上がっていく」
「どうやって乗り越えるか、現状ではわからないけれども、まず乗り越えると約束することから始める」
という考え方をワークショップで聞いて、私は少し落ち着くことができた。


私の悩みは、日常的に起こる小さいものだった。
その小さな問題にも、バカにしないで真剣に取り合う。
それを乗り越えたら、また一つ、私の対処能力が上がる。

この繰り返しで、私の大きな目標も、できるようになっていくのかもしれない。
そのために、まず、「やるのだ」と決めようと思う。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



子どもが夕方に不機嫌になってしまうことへの対策として、毎日のお迎え時間を早めることにした。
つい、1人でないとできない作業を、夕方まで粘りたくなってしまうところを、堪える。切り上げる。

早めても、支障はあまりなかった。
子ども成長していて、私が調理している間に近づいてきても、もう危険ではなくなったのだと気がついた。

1人でやらなくちゃと思っていた家事を後回しにしてお迎えに行き、帰ってきてから家事をすることにした。
そうすると、子どもが急にお腹が空いても、出来上がったものから順に食べさせるなどの対応ができるようになった。


文節区切りの線

これもまだ、完成形ではない。
完成は、ないのだろうと思う。

その時その時の変化に対応していくということで、また見直しを迫られるだろうと思う。


朝の時間も見直したい、子どもへの話し方を改善したい、などと、また新しい課題も見えてきている。

「また私、やってしまった…」と毎日落ち込むけれども、そこは視点を変えたい。
課題があるなら、解決していけばいいのだと。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、今回のワークショップで「何が納得いかなかったのか?」という問いに対し、自分との約束を守るための対策の時間を最優先で取っていなかったことと、それらのことについて、真剣度が足りなかったことだと書いた。

私がしたいのは、人の顔色を窺ったりむっとしている人を元に戻すことではない。
そうではなく、自分が死ぬまで安全に暮らし、美味しいご飯が食べられるように対策をたててほしかっただけ。

私がやりたいのはそれなのに、「国が…」「周りが…」と結局外側が悪いとばかりにイライラする時間を自分で作り出し、気づくとファンタジーの中であれこれ妄想にふけることに多くの時間を費やしてしまった。

もっと具体的に考えてほしいし、ちょっと真剣度が足りないのだと気が付いた。


文節区切りの線

私は、現実に直視することから逃げていた。
自分がやりたいことが壮大すぎて、何から手を出せばいいのか解らなくなって途方にくれていた。

数年前まで私は、「安全に暮らし、美味しいご飯を一生自分に食べさせる」ことがこんなに大きな意味を持ち、叶えられるかはもはや解らないことだなんて想像もしていなかった。

日々の忙しさや、目に見える成果や他人の目を最優先に気にしながら、毎日を生きていた。
それから外側の世界が大きく変わり、自分自身も大きく変わった、というか変わらざる得なかった。


文節区切りの線

それで、今の自分で何ができるのだろう? と日々、考えては落胆、フリーズする毎日。

畑、免許、最終的には移住。
たとえもしも、これら全て叶えられたとしても100%安心な気持ちには、私はきっとならないだろう。


だからこれまでのように1つ1つ、やっていくしかない。
ファンタジーに逃げ込まず、考え続ける。

これが唯一自分で意識が出来て、行動できること。
全く先が見えないけど、やっていく以外ないと今回も思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私の夢は安心して暮らし、一生美味しいものを自分に食べさせてあげること。
そのために具体的な対策を取り続けられる自分でいること。

だから規則正しい生活と、美味しく食べて、じっくり自分と対話する時間をもつ。
焦るけど、今の自分にできることをやり続けたい。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線



質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、そもそも約束ということの意味、本質がわかっていなかった。
私は、自分との約束に重みがあるということがわからず、軽々しく扱ってきてしまった。
それは、とても怖いことだと感じた。

私は、これまでに自分はペラペラとした薄さを感じることがあったが、それはこういうところからもきているのかもしれないと思う。


文節区切りの線

今、私は、自分との約束を守り始めた。自分の記録をつけるという、本当に小さいことだ。
ただ、そんな小さなことを続けるということが、私にはそこそこ大変なことだということがわかってきた。

かなり必死だ。時間もかかる。
こんなことすら時間もかかるのか…と思うが、それが私なのか、と淡い輪郭をつかむ感じだ。

私は、これを守り続けないといけない。
私は、甘くみるところがあるので、調子にのってくるとこれを破ってしまわないかねない。

ただ、もう約束破りをするのは、やっぱりイヤだと感じる。
私は、これを繰り返して何十年と自分を傷つけてきた。


文節区切りの線

正直、今の私は1つ進んで、2歩後退しているような感じだ。
それも本当はきついことだけれど、私は、その事実を見ずして自分を上塗りするようによく見せようとしてきた。
だから、仕方がない。

続けるしかない。
私は、ただただ、続けていくこと。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



然るべきことを、やり続けられる自分であること。
自分について、より現実的に知っていくこと。自分の認識と事実とのずれを恐れずに受け入れていくこと。
そうする中で、自分との信頼関係を築いていくこと。

ちゃんと休む、ちゃんと食べるを続けられるようにしていくこと。