「ライフワークを発見する」”練習してものにする” | チャレンジのきろく/2024年06月22日開催

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タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私にしみついてしまっている、何かを達成したどりつけば、問題は解決するだろうということや、頭の中であれこれ考えているが、何も動かないということの根深さよ。

それから生き抜くことと楽しく生きることが、私がどう生きたいかを考え行き詰まってくると別々になりがちだった。
同じということは、薄々感じてきていたのに、つながっていかない感じだった。


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私の思いを私が聴いてそれを言葉にする、その重みが怖くて、思いや希望を知りつつ言葉にする(決意する)が、なかなかできなかった。
だけど、私は、私が私を裏切ることがだんだんきつくなってきた。

自分を裏切らない行動がとれたとき(それがどんなに小さなことでも)、私は私を誇りに思う。
自分とつながれている時、私は嬉しいと感じられる。
そういう体験をもっとしたいと思う。

それに、自分の中の持っている力を育てていきたい(ワークをやって、自分にも小さいけれど色々と力はあることが確認できた)。


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上手くいくかどうか、結果を気にしてしまうけれど、今、私が私のために行動を起こしている、そのことが一番大事じゃないか。

失敗するのも時間がいる、とワークショップ中に言われてハッとした。
私は時間の感覚が鈍いだけに、時間を無限に感じてしまうけれど、私の命の長さは有限であっていつまでも失敗できるわけじゃなくなるんだと。

ワーク中に書いたライフサークルは、これまでの中で一番しっくりくると思う。
一方で、私が陥りやすい気を付けなければいけない注意点も見えてきた。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私はどうしたいの? どう生きたいの? の具体的方向性を明確に言葉にした。

腹落ちはしている。
1つ調べれば、すぐ壁にぶち当たる。そこでもこの問がでてくる – 私は、どうしたいの?

方向性は決めたけれど、どこに? という場所が定まっていかない。

私が大事にしたいことからずれている? 
情報収集方法がずれている?

もがいているけれど、進んでいない。
でも、あきらめたくない。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は夢をかなえると言いながら、星を目指しているのがわかりました。
私は回復を意識しないと、いつのまにか昔ながらのやり方に戻っていました。

私は今の仕事の中で、自分が苦にならないことがあるのがわかりました。
やっぱり人と話すこと、繰り返し教えること、伝えるために工夫すること。
小さなことだけど、自分良さがわかって少し嬉しかったです。


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私はどんどん頭だけになっているのもわかりました。
頭だけ動かしていると、自分がなにを好きなのか出てこないのがわかりました。

私は自分に過剰な期待をしていると感じています。
私はきっともっとできると思って、しょうもない小さな自分を、認められないのがわかりました。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は教えたり準備するのが好きだ。
私は空気が軽い方が好き。
私は風が通る場所が好き。
私は水に浮かぶのが好きだ。

私は何かを知るのが好きだ。
私は野菜がおいしいとうれしい。
私は大きく深呼吸できるのが良い。




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S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、ONSA を始めて、新しい価値観を学んでも、その価値観を旧いやり方でやってしまおうとしていたのだ。
例えば、「これからは自分で食糧をまかなえる生活がいいだろう」と聞けば、農業をガツガツできないといけない…と思い込む。

人の話を参考にするのはいい。
でも、人の話を丸呑みにしていたら、私は一生その人になることはできないわけで、私は一生、その人と比べて、できない自分に不全感を抱えることになるだろう。

そうではないのだ。
「私」から始めなければいけないのだ。


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逆に、他のお仲間さんの書き込みなどを読んでいて、「それができているって十分すごいのにな」「私にはそれができない」と思うことがある。
本人には、そうすることが当たり前すぎて見えていないことでも、「得意なこと」ってあるのだと思う。

それはきっと私にもある。
それを探したい。


今回のワークショップでは、集中して探した。
意外にも、自分の得意を発見するのにも、これだけの集中が必要なのだと気づく。
集中しないと、「なきもの」としてスルーしてしまうようだ。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・視察の計画を前倒して、7月の飛行機と宿を押さえた。
・法律セミナーに行き、基礎を学んだ。
・新しいカウンセラーさんと初めてのカウンセリングを受けた。過去をたくさん話し、涙を流した。

問診票を書いたり話したりしているうちに、「これってもうだめじゃん。続けられない関係じゃん」と自分でも気づく。
カウンセラーさんから答えを与えられたわけではないが、彼女も「もうそこまで自分の中で感じているのであれば、その感じたとおりに動くのが一番だと思いますよ」と。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



今回の WORKSHOP で発見したことは自分にとっての安定の意味と健康な大人のそれは根本から違っている、ということ。

私にとっての安定は、正直に言えば変わらないこと。
(散々変わりたいと言っているのは自分ですが)要はコンフォートゾーン内での変化ならOKですという傲慢さ。

一方で健康な大人の安定は対応力を増やしていくこと。
私の思考は、やっぱり白か黒、一発逆転発想で本当にがっかりする。


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自身の力では知りえなかった、たどり着けなかったであろう事柄や、これからこの国で起こるであろう出来事を教えてもらっても、未だにどこかで外側に期待しているこの鈍感さ。

また、自分の「こだわり」に執着している時は、正気ではないと教えてもらっても、いまいち自分の中に落ちていかないやばさ。
こういう自分がまずいのは頭では解るのに。


私は、本当はずっとここにいたいのに、でもいられなくなって仕方ないからどこかへ行かなければいけないではなくて、私は、自分を安全なところで安心して暮らさせてあげたいから別の場所へ行く。

そのために出来ることは? スキル不足を補う方法は? を考えたい。
フリーズしない(思考停止にならない)を続けていこうと思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私の夢は広い視点でモノゴトを考えたり、比較しながら何かを決められるようになること。
元々の視座を広くすることは出来ないけど、狭い選択肢の中で生きていくのは窮屈でいやだから。

また、自分の視野が狭くなっている時、声をかけてもらえるような、自分になりたい。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は毎日、なんて自分に合わないことをしに、職場へ足を運んでいるのだろう。
そう言葉にしてみて、私は何度も、悲しく、悔しく、ふがいない気持ちになる。

このことに向き合うことは、自分にとって最優先としなくてはならない大きな問題なのだと、あらためて確信した。

私は、自分に不足する対応力を、依存で補おうとしてしまう。
たとえに出たスノーボードのように、自分の実力では、でこぼこの斜面にただ揺さぶられてしまうのであれば、自分の側の筋力やバランスを鍛えなくてはいけない。

自分にとって、大なり小なり以前よりもできるようになったことは、それなりの時間やエネルギーをかけてきたことだった。
私は今もこれからも、自分の力を鍛えるために、同じことをしていくのだ。


文節区切りの線

私のなかから出てくる、「こんなことが好き」「どう生きたら自分が幸せと感じるだろうか」といった問いへの答えは、いまの自分の生活とはかけ離れていることが多かった。

私は「今のまま」では、絶対にそこにはたどり着けない。
かすりもしない。

自分にとって必要なことは、自分の内からの答えを実現するために、行動することだ。
その答えをさらに深め、具体的な一つひとつの取り組みへ時間とエネルギーをかけていくことだ。


「身体」や「心」で心地よさを感じていないことは、ライフワークにはなり得ない。
ライフワークとは、自分の内からあふれる様々なものが組み合わさってできていくということが、改めてわかった。

私はますます、自分のことをもっと知りたいと感じた。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



「私は、自分を好きになりたい」
「私は、自分に誠実でありたい」

私は、このような願いは、行動を伴わせた結果として表れてくるのだ、という理解が深まったと思う。

私は、自分に「合っている」「合っていない」の違いがちゃんとあるのだ、ということも、以前よりも分かってきた。

よく見てみると、これまで「これが自分」と思ってやってきた物事のほとんどが、自分に合っていない…。
そもそも合っているかどうかを確かめることなく走り続けていただけで、それはとても不幸なことだ、と思うようになった。


文節区切りの線

どうやら合っているであろうことは、身体が自然と動くし、進んでやりたいと思える。
そのための努力は、惜しみなくやっていけそうだ。

そうでないことは、身体も気も向かないが、これでいいのだとかこうするべきだと正当化する理由を、なんとかくっつけて「こなして」いる。
(何をしているのだ…)


文節区切りの線

私は、前回から今回までの間に、食に関することや自然や動物に関して、いくつかの新しい体験をしてみた。
実際にやってみて、ワクワクしたり楽しさを感じたことと、これでいいのだろうかとよく分からないなと思ってしまったことがあった。
準備や振り返りも含めて、時間の見積もりも甘かったと感じた。


今回の2クラス目を受けてみて、「合っているかは『身体』」と聞いたとき、自分が徐々に頭でっかちになるのだということに気づいた。

私は「やってみなければわからない」を曲がりなりにも実践しようとしているところは、進んだことだと思う。
そして、「やってみる」を場当たりで頭でっかちでやってしまうのだということは、具体的な課題としてわかったことだと思う。