「『時間の365日シミュレーション』合宿」”練習してものにする” | チャレンジのきろく/2024年07月20日開催

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タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私はできなかったこと、失敗したことを放置したままでいる。
1番わかりやすいのが、部屋の状態だ。

私は重要書類をまとめているが、問い合わせ先のメモはしていない。
毎回調べるところからはじめている。
クラスで話があったように、最初に調べた時に、必要な情報をまとめていないのだ。


私は不愉快を都度小さく解消していくことができない。
いつか時間をとって大掃除をしようと思ってしまうのだ。

私は頭の中で、そういったいつかやる計画をぼんやり思い浮かべて満足してしまう。
思った時に手帳を開きスケジュールに落とし込むことが、スケジューリングなのだ。


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私はスケジュールのバッファーもいつの間にかなくなっていた。
一回で成功すると思い込んでいる。

あと私はなんでも順調にいくと思うので、実際に始めると勉強も調べ物も終わらずに、やることばかりが増えている。


私は思い切って調べること調べないことを割り切る必要がある。
あと私は自分の作業時間が把握できていないので、その記録もつけて15分で出来ることの量も見極めていかなくてはいけない。


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私は実行機能がとても弱いので、自然には物事は進められない。

書き出してチェック式にする、そしてそれを確認して、スケジュールをなおす。
これをやらないとすぐに、別のどうでもいいこと(今の優先度としては低い、家庭菜園のやり方を調べたりする)をやってしまう。

本当はその時間で引越しについて調べたり、勉強するはず。
私はそれを手帳に書いてチェックしないと、意識の外にだしてやらないのだ。


私は0か100かで考えがちだ。
私は国内でも引っ越しのことを考えたら、海外のことについて全ストップしてしまう。
私はちょっと今の私ではすぐにやるのは難しいと思うとやめてしまう。

これは全然タメにならないのだ。
いつかのチャンスを狙って準備する…準備するからチャンスの時にチャレンジできるのだ。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・私は信頼できる人と過ごしたい
・私は穏やかに暮らしたい

私はこんなことをぼんやりと思っていた。
だけど私は今、信頼できる誰かより、自分のことを理解したいと思う。

私は何が好きで、どういう時が幸せなのか。
私が穏やかに感じるのはどんな時か。

私は SNS で流れてくるものに興味があったりなかったりしてたけど、本当はどうしたいの?
そこを言えるようにしたい。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は今回の WORKSHOP を終えて日常を過ごしながら気づいたことは、コンフォートゾーンの外に出ていかないと正気になれないよな、ということ。

正気になれないということは、常に酔っているということ。
酔った頭で考え、判断しようとしていること。
怖すぎる。


そしてその「怖い」を思考停止させるための刺激に常にさらされているという現実。

一歩外に出て行かないと比較すらできない。
自分のモヤモヤポイントさえ、解らない。
解らないから、そこで思考停止。

そして、シアワセそうな他人を求めて彷徨い歩いて、中に入っていく。
そんなことの繰り返しだった。

やばくない? 私。


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私は、正気になりたい。
そのために、大きくは出来ないけど1歩外に出ないと。
そのためのスケジューリングと、自分はどう生きたいのかの問い。

やっぱりここに戻るんだ。
改めてまた、何度でもここに戻ると実感した。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、自分の生活の軸を変えてみたい。今回は、地に足をつける方法で。

だから、焦らない。
自分を必要以上に卑下しない。
自分の力で、でも孤独にはならず、人の手を借りながら自立したい。

私は、私の人生を楽しませてあげたい。それができる自分になりたいと思う。

私は、生活環境を整えたい。
私は、自分の得意を明確化したい。
だから、世界に飛び出したい。(羽目を外さないように注意しながら)




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



「不愉快をそのままにしない」
「二度と同じことをしない」
私は、これらができていない。

私は「うまくいっていない」を放置している。
そのことで私は、気分的にも物理的にも、自分をもっと追いつめることになっている。

日常に不愉快も不都合もありすぎて、どこから手をつければよいか分からなくなっている。
いちいち「うわっ…」となり、こんなのはいやだな、と思っている。

私は、このいやな感じに一つずつ向き合って、解決を目指す必要がある。
それは、自分でやることなのだ。


私はつい、一気に全部を完璧にやらなくてはいけない、とも考えている。
それは、良くない習慣でもあるが、自分ができない(やらない)言い訳にもしていると思う。
私は結局、小さなこと、具体的なことから、逃げている。


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私は、自分を過小評価していた、とも気づいた。
私にとって避けては通れなくなった「いまの職場を離れる」が、現実になりつつある。


私は、現実が進んだことに対して、「もっと早くできなかったのか」とか、「本当にこれでよいのか」「今後に対する考えが足りないのでは」といったことが渦巻いて、むしろ大きな不安に駆られていた。

「褒めてもいいのだろうか」というのは、依存する気持ちも潜んでいる気がする。
自分以外の誰かの考えであれば、「遅い」とか「間違っている」ということにもなり得るかもしれない。


でも振り返ってみれば、数か月前の自分には想像がつかない行動に、私は出たのだ。

自分にとって重要と思うことを進めたことは、自分にとって「できたこと」だ。
これでいいのかどうかは、他の誰かではなくて、自分にかかっている。


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実行機能の弱さは、うまくいっていないことを放置したり、進んだことを過小評価する、という形でも表われるのかもしれない。
私は、自分に起こっている結果を自分のこととしてきちんと受け止める必要があるのではないだろうか。


「実行機能が高い人は、大きいことをやろうとしていない」と聞いて驚いた。
言われてみればその通りだが、「一つひとつをやっていって、気がついたらできていた」という体験が、自分には乏しいと思う。

私には、フィードバックを得られるだけの行動や体験も、少ない。

自分の実行機能がどうであったのか、何を見直すか。
それは、何かをやってみて結果を受けとらないと、分からない。

不慣れなことは、やはり練習をするしかない。
私は今こうしてワークショップの力を借りながら、自分にとって関係のあることで、小さな積み重ねの感触をたしかめていることころだと思う。


文節区切りの線

「1番やりたいことを最優先にしても、実現できるかどうかわからない」

私は、時間がいつまでもあるような気がしてしまうことがあるのだと思った。
限りのある人生という時間の中で、自分にできることにも限りがある。

私は、この先の大切な時間を、本当に自分がやりたいことに向かっている時間にしたい。

そうすると、「今」という時間、一瞬一瞬が、とても貴重なものに思えてくる。
「私はどう生きたいの?」を後回しにするなんて、できそうにない。


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いまどんなにぼんやりとしていようと、とにかく問い続けて、探して、試して、体験していくことしか、できそうにない。

ワークの一環で「次に何をしなければならないか」と考えてみたとき、「相手の都合」を気にしていると発見した。
だんだんと、「べき」が入り込んでくる。
「だって、それしかない」とか、「せっかくこの機会があるから」「もし受け入れられたなら」と、ずれていきそうになる。

「私はどう生きたいの?」「私は、どういう暮らしがいいの?」が、いつでも原点になくてはいけない。


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私はまた、時間に限りのあることも、忘れてはいけない。
私は、自分の思うままのペースだけで取り組んでいては、いつまでも実行できないだろう。

私は、このことがとても難しいと感じている。
私は、難しくてわからないことを、うやむやにして避けそうになる。

だから、練習なのだ。
これを続けていこうと思う。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、優先事項と考えていた「今の職場を離れる」ということには、時期的なめどが立った。

いざそうなってみたら、その先のイメージがぼんやりしているとわかった。
「まだ決まらない」に逃げていたいような、先のばししたいような感覚もあったようだ。

これからは、その逃げは通用しなくなる。
これからますます「私はどう生きたいのか?」が肝心になる、ということが、以前よりもはっきり見えてきた。


文節区切りの線

この変化はリスクでもある。
けれど、自分に不本意なことを続けさせるのをやめるという行動は、自分にとって、何にも代えがたい価値がある。

自分のための行動は、自分への信頼につながる。
そのことには確信が持ててきた。

私は、自分の責任で、自分のことをやっていく。
そのために時間をエネルギーを費やしたい。


文節区切りの線

私は、自分を生きるという冒険を、体験したい。

自分自身にしたがって、どこで何をしてどんなふうに暮らすのか、探したい。
それを、生きてみたい。

そのための小さなステップを重ねていきたい。

そのために、感じて、考え、試してみる。
そのことに時間をかけていく。


文節区切りの線

私は、自分を心地よくするための小さな行動を、もっとできるようになりたい。

私はいま、日々の生活で自分を律することに苦戦している。
就寝時間を守ったりしっかり休んだりするために逆算して動くことや、持ち物を把握し整頓することが、できていないのだとますます分かってきた。

誰かや何かと比べるなら、こんなこともできずにみっともない、だらしない、ということになるかもしれない。

でも、私は私にとって、今できていないことをできるようになりたい。
それが自分にとって重要なことだと思うので、やっていく。




タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



タイトル下の線



質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



「『モヤッとしない』という感覚に注意を払った方がいい」
「『キラっとした選択』より『モヤッとしない選択』の方が、長続きする。」
と聞いて、カーンと頭をかち割られたような気分になった。

この発想は、私の引き出しになかった。


端的に言って、私の人生がまずい方向に進んできた理由は、これらのセンテンスに集約されている。

つまり、「モヤッとするけどキラっとした選択」をし続けたから、私は迷走した。
自分に合わない選択をし続け、自分の首を絞め、本来あるはずだった自分の資源と時間を食い散らかした。


「モヤッと」は、身体感覚で、私本来のニーズからずれていることを表している。
「キラっと」は、主に他人目線。「良い人に見られたい」という欲から来ている。
両者は、全然違う。


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私は、20年近く、『夢かな手帳』のファンをやってきた。
残念ながら、ワークショップに参加し始めて、手取り足取り教えてもらうまで、書籍で扱われている「夢」とか「ワクワク」の意味を履き違えていた(これが、私の「察しの悪さ」なのだろう)。

私の「ワクワク」は「キラっと」だった。
「自分とは違う何か」「高揚感を覚えるもの」だった。


「モヤッとしない選択」に、あの妙な高揚感はない。
だからスルーしたし、見逃していた。

「こんな普通っぽいこと、当たり前っぽいことを、私の夢だなんて呼んでいいわけがない」「もっと、ちゃんと、すごいことをやらなくては」と否定していた。


文節区切りの線

どんなに平凡でも、私が違和感を感じないところから始めないといけない。

だって、その選択をしたら、少なくとも数年間は、選んだ環境の中で日常生活を送らなきゃいけない。
息切れしてたら、やっていけない。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・視察の計画を立て、実行し、現地を肌で感じてきた。
その結果、「ここでは住めないかも」と感じたが、それが一つの比較基準となった。
経験することで、「自分は何を求めているのか」がくっきりしてきた。

・ザックを購入した。視察に使ってみて、使い慣れた。
・子どものサポーターを新規で依頼し、子どももとても懐いてくれた。

・オンラインワークの面接をした。
時間・場所的にかなり融通がきく業務内容だったので、やってみる方向で話を進めた。

・以前から気になっていた整体院に、初めて行ってみた。身体の悩みに応えてもらえた。
・自力での運動習慣づくりを工夫した。

・8月の視察の計画を立てた。候補地について調べた。災害時の被害予想と原発の位置も確認した。一時保育や療育施設についても調べた。その上で絞った候補地について、新幹線と宿の予約をした。