「『大飛躍への準備』合宿」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2024年08月03日開催

画像

タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



ONSA サイトの説明を読んでいて、「大飛躍」という言葉についてはピンときていなかった。

ワークショップ中に図解で説明していただいて、よくわかった。
今までのやり方・世界とは異なるところに向かう。
今と、次の世界に連続性がない、足場もないから、えいやっと「飛ぶしかない」。

まさしく、私はこれから「大飛躍」に向かおうとしている。
そのタイミングで、ワークショップで教えていただいたことは、私の不安をかなり落ち着けてくれた。


文節区切りの線

「大飛躍」のさいちゅう、「意味不明と不安定」が必ずおとずれる。これは本人としてはとても怖い。
もともといた足場にいる人からは、私の行動は当然、理解されない。

私も、他人から、あれやこれやと「真っ当な意見」をもらった。
「やはり私がとんでもないことをしているのではないか」「頭がおかしくなってしまったのではないか」と自分でも疑う。
それで、他人を説得したくなる。
「私の行動について納得して、見送ってほしい」という気持ちに駆られる。


文節区切りの線

…けれども、それは、やってはいけないことだった。
「不安定は、順調のあかし」と聞いて、考えていたことが180度ひっくり返るような気分だった。

このままでいいのだ。
このまま、不安定のまま、「他人から承認を得る」という安定を得ようとせず、飛ばなければいけないのだ。


そんなこと、私はやったことがない。
だから、経験した人の意見をもとに、動かなければいけない。
「私がやったことがあるやり方」にろくなものはない。


また、「大飛躍」とは、表面上の何かを達成することでもない。
それをすることで、異なる感情体験・価値観を味わうことが目的。
自立するために移住したいのに、そのやり方が自立と離れていたら、意味がなくなってしまう。


文節区切りの線

私は、いろいろ試してみる上で、「ピンとこない」という感覚は大切にしていきたい。

私は内面のコントロールに長けているので、つい、「もうここでいいじゃん」「きっと住んでみればいいこともあるよ」と自分に言い聞かせて、早急に決断をしてしまいたくなる。

私は、私の納得のいくまで、試してみることができる。
そうした方が、けっきょく近道かもしれない。


私は、「1人の人の意見を鵜呑みにする」ということをやりがちだ。
いろいろ人から話を聞くのは時間がかかる。
その時間をかけていられない! 早く決めたい! と焦ってしまう。
それで変な方向に行くリスクを考えると、これも慎重に時間をかけた方が近道なのだなと思う。


文節区切りの線

「目標が、『失敗しないこと』になっていませんか?」
という話を聞きながら、我が子のオムツ外しトレーニングを思い出していた。

オムツ(特に、現代の性能のよい紙オムツ)は、正直、とてもラクなのだ。
素晴らしい吸水力と立体構造で、漏れない。
表面サラサラを維持してくれて、本人の不快感も少ない。


「失敗しないこと」とは、「高性能オムツを着け続けて生きること」のようだと思う。
たしかに、それなら失敗しない。
あの、漏らしたときの「あーあ、やっちゃった」という感じを、味わうことなく済む。

でも、「オムツを着け続けて生きたいですか?」と問われたら、やっぱり、それは違う。
永遠にオムツが必要ならば、自立することができない。


我が子は現在トレーニング中で、先週は何回もズボンを濡らしていた。
でも、今週に入って、漏らす頻度が減った。
自分で気づいて、自分でトイレに行く姿も見られるようになった。

「失敗なしに自立はない」と、私は子どもの姿から大きく学び、励まされている。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、私の力で私の安全を作りたい。
私は、「私にはできない」を「私はできる」に変えていきたい。
私は、私の身体で体験して、そのフィット感や違和感をもとに、決めていきたい。




タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



久しぶりに Dream Quest WORKSHOP に参加して確認できたことは、やっぱり私は私のことがよくわかっていないということ。

私がやっていることは、私が何が好きか、私が何が嫌いか確認すること。
でもそれでも「私」がわかりにくいと思う。

私が何かを自分に問うたとき、その答えは「どっちでもいい」が9割だと思う。

今まではその9割のうちのほとんどが「どうでもいい」であった。
そこから私がどう思っているか確認しようとできていることは、少しできるようになったことかもしれないと思う。

私は私がどのように生きたいか、その答えを見つけていない、それが今回確認できたこと。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私にとっての「夢をかなえる」は、まずは私を知ること、だ。

振り出しに戻ってしまったけど、私はスタート地点に帰れてよかったと思う。
私は私に絶えず問いながら、動いて行くことが夢をかなえることだと思った。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は結局「どう生きたいの?」質問に答えずに、なんとか上手くいくように神頼みしていました。
私は転職した時もこの質問を棚上げしたまま、不安だから飛びついただけでした。
私にとって自分と向き合うこと、馴染みの環境からでるのが怖かったです。

私は自分を信頼したいです。
私は自分に誇りを持ちたい、今日もよく頑張ったと言える毎日にしたいです。

私は完璧な計画が出来上がるのを諦めます。
私は投げやりになったり、飛びつくのをやめます。
私は手持ちの資源で諦めずにやってみたいです。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は自分のことを信頼したい。
私は勇気を出して行動したい。
私は自然のそばで暮らしたい。
私は私から奪おうとする人たちから距離を取りたい。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



タイトル下の線



質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、数年前よりはいまの自分の方がいいと思っていることに気づいた。

手放しで、大満足とか大好きといえる自分ではない。
むしろ以前よりも、自分を分からないのだということが分かって愕然とし、不安も混乱も増しているのに。それでもどうやら、この方が良い。


かつての、あの感じ…。
騒々しくてせわしくて加速し続けて止まれない感覚。

自分と関係のないこと(そうとも気づかずに)でいっぱいに埋めたガチャガチャの時間を過ごして、へとへとになっても息つく間もなく、どこへ向かうのかもわからないまま、またボロボロの自分をひきずっていく。

何かをするときには、誰かや何かの都合を基準にして決めていく。
「自分がどう感じるか」を確認する時間を、自分に与えることなく。

当然ながら、自分が満たされることは決してない。
どこにもたどり着かない。私は私を、どんどん嫌いになる。


私は、あの絶望的な、わけのわからない速度のなかには、もう戻りたくはない。
自分にとって、それだけはあまりにたしかで、泣けてくる。


文節区切りの線

いま感じている、とてももどかしいゆっくりさ。
これまで形としてはあったものがどんどん壊れているのに、本当に進んでいるのだろうか。

そう思いながらも、私はこの自分のほうが、信じられる。
自分の声もちゃんとあるし、聴こうとすれば聴こえるのだと、わかってきた。

私は、この自分の方に責任を持ちたいと思うようになっている。
だから今じりじりと、現実の足場を変えようとしている。


文節区切りの線

私は、「周りの考えや意見がうるさいと感じる気がする」というシェアをした。
自分でも、そのような強い言葉が出たことに驚いた。
(以前ならば、そんな身勝手な…と思ったかもしれない)

面と向かってそう騒ぎ立てるわけではないが、私にとって、自分から出た意見ではないものは、正直なところ「うるさい!」「邪魔をしないで!」という気持ちが湧いてくるように思う。

特に今は、自分の声のほうを、真剣に聴きたい。
それを妨げるものには、まともに相手をしているわけにはいかない。

まずは、このように分かってきたので、今度はそれを「できる」にしていくことも課題だと思う。


文節区切りの線

私は、自分のなかに発想すらないことを知ることの大切さを、今回も改めて感じた。

たとえば、足場を変えるということは、やったことのないことを必ずやることになる、ということ。
意味不明で不安定な状態がやってくるということ。

私はいま、その真っただ中にいるのを感じている。
いまの職場を離れるという、周りの意見や「べき」とは違うかもしれないことを、しようしている。

なんてことをしているんだろう。
わざわざ不安定に向かうようなことをして、頭がおかしいのかもしれない…。


この状態は、起こるべくして起こっているようだ、ということを学んだ。

ぽっかりと空いた感じや宙ぶらりんの感じ、これまであったものとの別れも起こり得る、ということも知った。
私は、このように学ばなければ、自分で考えだす上手くいかないやり方をとってしまいそうだと思った。


文節区切りの線

私は、今はできないということを、ねじ曲げないでありのままで自分のなかに認めることが必要なのだと思う。

いまの私からは、きっと本当にろくでもないものしか出てこない。
無理やり安定させようとしたら、予定調和になってしまうだろう。

未知のことをやろうとして、ぜったいに失敗するのだろう。そして、それをしなくてはいけない。
本当に一つずつ、なのだ。
知らなかったことを知り、できなかったことをできるようにしていくのだ。


文節区切りの線

私は、スケジュールを立てるということに、改めて意識的に取り組んでいる。なかなか時間のかかることで、苦戦している。
でも、これをすっ飛ばすことはできない。

今いる場所から別のところへ飛び移るということは、ひとっとびではできない。
形だけ整えて、飛び移ったように見せる、というのも、ちがう。
一方で、いつまでも作戦を考えているということも、きっとちがう。

私は、難しくとも、このバランスを探りながら、行動と修正をくり返してみたい。
私は、自分が生きていくために必要な力を、つけていきたい。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



ワークで取り組んだ「私は、なぜ足場を変えたいのか」という大切な問いが、くり返し響いている。
その答えが、「夢をかなえる」なのかもしれない。

私は、「自分」を生きたい。
私は、自分を好きで、信じられて、誇りに思える自分でありたい。
私は、その自分で、人と出会って、関わっていきたい。


私は、自分にとって合っている場所で、合っていることをして、日々満足や安心やあたたかさを感じて、生きていきたい。

私は、成長したい。
いまはできないことを、少しずつできるようになりたい。

私は、居住環境を変えたい。
そのための検討や行動を進めていこうと思う。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線



質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



目標が失敗しないになっていないかと問われて、自分にとっての目標って一体何だろうと、これまでのことを振り返って考えた。

私は、不安感や不安定な状態、いわゆる不快に向き合う能力が低く、直ぐに深く考えず合理化して思考停止になってしまう。
これまでそうやって何度も、コンフォートゾーンの中での目標達成を繰り返してばかりだったから、目標を叶えてもどこかしっくりこなかった。

本当はそこで、何が不快なのか? 
逆に何がいいのか? 
本当はどうしたいのかなどということを考えて、どう生きるかの答えを探さないといけなかった。


文節区切りの線

私は、生きるという意味が、全く解っていなかった。
思考停止だから、いつも自分のイメージだけで(こんな感じ、みたいな)行動して、それが夢だと勘違いして時間を消費していた。
怖すぎる。

スカスカの頭で考えるより、リアルに行動してその上でのその時の自分の気持ちや経験を重ねて、「どう生きたいか?」の答えを私は出したい。

出来れば自然を前に、自分の気持ちと向き合うことに、多くの時間を使いたい。
そうやって、自分の丁度いい場所を見つけたいなと思う。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私の目標は、今の自分に出来る小さなことを、見つけて実践できるようになること。
私は、理想と現実の差を埋めて、言動の不一致を直したい。

私は、ここ数年のことに対する自分の一方的な正義とやらを、人に暗に非言語メッセージなどで無意識に強制するのを辞めたい。
相手をコントロールしようと試みる言動は、最低だから。

私は、自分の分も相手の分も境界線を守れるようになりたい。
そして冷静に考えられるような人になりたい。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線



質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は自分の「私はどうしたいの? どう生きたいの?」を徹底的にやりきれているとはいえないけれど、今回の Dream Quest WORKSHOP で学んだ、やってはいけないことの能動的受け身をやりがちでかつ染みついている予定調和に戻ろうしてしまっている。
そうこうしているから、失敗しないこと(失敗は絶対するものという原則)を考えだしてしまう。

夢はぜいたく品で、夢に向かって走って行っていいのに、怖さや本当にこれでいいの? 私のわがままでは? 現実的に考えられているの? とか、行動を起こす前に自分が自分を引き留めている。
時間の上でも、とても貴重な時間であるのに、情報収集とネットサーフィンが入り混じっている。

今からやることは、これまでの私がどう考えてもやったことのないことだし、私のクセ強の部分がネックになってくるだろうことも予測されるけれど、それでも、このままを繰り返すことはやはりうんざりだ。
できることは、これまで学んだ基本に忠実にやっていくこと。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私が『未来日記』に宣言したことは、今、見返しても矛盾はない。
私にとっては、果てしなく気が遠くなりそうに見えるが、それでも私はそれを体験してみたい。

そのための行動をやっていく。
成功するかどうかはわからない。でもやってみたい。

思いっきり呼吸ができるところに行く。
これまでの経験が活かせないこともでてくるかもしれないが、私は過去にそれを手放したこともある。
だから、それを思い出すと怖くはない。

自らを縛っていく方法は手放したい。
私は、私の身体が生き抜く時まで、自分が納得できる行動をとり続けたい。