S. M. さん(40代以上/兵庫県よりご参加)
「社会」のほうが、よっぽど温かいじゃないか。
と、勉強会後に唐突に出てきた。オセロの白と黒がひっくり返った感じ、体の中でごろっと音を立てたようだった。
誰だろう。とも思った。
社会とは厳しく過酷で、あなたにはやっていけない世界で、こうやって(親が非言語的で表したもののこと)やっていくものだ。と教えたのは。
「社会」を知らない子どもだった上に、さらに変な定義を植えつけられて、その上に、「本来」を学ぶことをも奪われ、それでよくやってきたなあ、と自分に驚きを感じています。
どれだけそれが過酷なことか、今までよりもっと深くわかりました。その異常さ、がもっと輪郭を持って現れた感じです。
(勉強会中の優月さんの例えですが)「野球すら始まってなかったのか。」と、もっと深く異常な地盤を感じました。試合が始まってるフィールドですらなかったんだ。それぐらい違う地場を感じれたことは、そこからまた距離を安全におけること。
本当にはもう二度と得られないものばかり。喪失の渦。
それもまたやってきます。
それでいて、「自分を取り戻していく」とはこういうことか、とも感じています。本来。正常な感覚。
「本来」には逆らえないようになってるとも思いました。だからこそ、苦しかったし辛かったし訳がわからなかった。
わたしが欲しかったもの、必要だったもの。そんなもんなくったって、生きていってやるよと強がる以前の問題。
要ります、必要です。
だってわたし人間だから。と今なら堂々と言える。
もっとも根源的なところからなら、歪みがよりいっそうくっきり深くわかる。
命って、命の流れって、ほんとに凄いなとも感じています。
健全な在り方で、そもそもいられたのなら、本来感じなくていい苦しく辛いこともたくさんあるのだと思う。
本来の巣の中で、流れに逆らわずにいられたのなら、どれだけいいかと思う。
そういう中で、いろいろと感じたり乗り越えたりできたらどれだけいいかと思う。
そういう時間を過ごしたかったと思う。
たぶん、いや、こういう生まれなら必ず逆らう中での選択をしないといけないんだと思う。
そうしないと、自分のものを守れないから。
とてつもなく奪われてきた上に、さらに「苦しい選択」をもしなくちゃいけない。
どれだけ時間をかけて無神経に乗せてくるんだよ、と腹も立つ。
自分のものを守ること。「冷たいと思われる」「周りになんで? と疑問に持たれるのが怖い」いろいろある。
それでも、健全なふりをして、本来に合わせようともできない。
そこが苦しい。
でも、いくら、本来の巣の在り方がそうであっても、野球すら始まってないフィールドでは、例えば「年老いた親のサポートをする」に、そのまま合わせられるわけがないと思う。
そもそも、そこの巣は過去から壊れてる。
それでも、わたしは、同じような選択をしている人には、冷たい人とも疑問にも思わない。
むしろ、わたしは、理解しかない。
理解を分かち合えること、それがどれだけ懐が深くてどれだけ優しいことか、そこを感じて泣けてくる。
正常さを取り戻せば取り戻すほど、本来から遠ざかるような気もする。
そこも悲しい、悔しい。すみません、神様、わたしはできません、のように。
すみません、うちの親では、子育ての相談相手にはならないんです。
だって、動かしようのない「結論」のほうが、わたしには真実であり、心が YES といってるんだから。
その強さを認めたいと思う。
全部ぶち壊さず、小さく選択を続けられることも褒めだと思う。
なんでこんな思いをしないといけないんだろう、とは思う。人生最初の選んでもない外れクジで。
それでも、自分を取り戻していくことは、止められないです。
過去の巣では、そもそも壊れていてできないことばかりだったけど、そこを直すのでなく(それはわたしの仕事じゃない)、これからのわたしの巣を大切にしたい。
完璧も目指さなくていいし、自分にとってのこれでいいを作っていきたい。
そして、続けることにより、それが出来上がっていくように思います。
多様さと幅がある社会はやはり温かいと思う、そういう中でやっていきたいです。
M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加)
「人間社会」、「生物(生命)として」、「原点」や「巣立ち」そういった言葉がキーワードとなって私に響いてきたのが今回の勉強会です。
ようやっと私はひとに生まれひとの社会に生きているという実感が持てたような気がします。
「ふつう」の家族の正常を聞くことで知りました。
安心安全も、親からの関心も、巣立ちの準備も、私の原家族からは教えてもらうことはできなかった。
すごく悲しみました。
26歳までは子供、というのにもとても大きな衝撃を受けました。
(* 編集注/26歳までは、心理学上「思春期」に属し、”半人前” の存在として誰かに注意をかけてもらいながら、社会に存在することを許されています)
そんな年齢まで教えてもらうことがいっぱいあるのか、と。
この先も学ぶことをやめないでいようと決意しました。
M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)
今回の勉強会で知ったことも、自分にはなかったものでした。
回を重ねるにつれてどれだけ自分が「健康ではない、普通ではない家族」の中で育ったのかということを「これでもか」とダメ押しされているようで辛いです。
両親に当たり前のように私の時間を奪われたこと、損なわれたことをようやく実感として感じ始めて「なんていうことをしてくれたんだ」とヒリヒリしてとても苦しくてショックで悔しいです。沸々と怒りのようなものも感じます。
健康な人が当たり前すぎて気づきもしないことを、どうして自分は知らないのか、知っても自分のこととしてはまだうまく実感できないこともはがゆいです。
「家族」の生物学的定義。それは「命を次につないでいくこと」。
言われれば「ああ」という感じでしたが、私の家族からはそのようなものは感じられませんでした。
なんだか、遠い世界というか自分とはかけ離れた世界だと感じました。
「選ばれた人がすること」というような感覚で、だれもがそうだというふうには理解していなかった気がします。
だから「命を次につないでいくこと」が「命の原点」だとして、私もその中にいるのなら、とてもあたたかく安心できる世界だなと思いました。
そして、私がこの世界を怖く感じていたのはそのあたたかさも安心もなかったからなのだということがわかりました。
また、その命をつないでいくために「健康な家族がしていくこと」を知った時も、私はとてもあたたかい気持ちになりました。
ただ、私はそれらをひとつも自分の家族で体験することはできませんでした。
私は以前よりもこのことを悲しくて悔しくて腹ただしいと感じました。
「自分の親がたまたまそういう親だった、ついてない」では済まされない。
そう思いながら、まだ親に振り回されたり、罪悪感を感じたりする自分もいました。
その比重はかなり少なくなりましたが、この自ら作ってしまうわけのわからない板挟みの中で自分が止まってしまうことがものすごく苦しかったです。
これは私が直していかないといけない「自分から巻き込まれにいく」という共依存のクセです。
これは、私が思っている以上に手ごわいクセなのだと回復の道を進めば進むほど痛感します。
今回「巻き込まれない」ためにも「物理的に距離を取る」が大事だと言われました。
これは今までも何回も言われていたことでした。
私自身「自分から首を突っ込まないこと」が以前よりは出来るようになってきたと思います。
それは「物理的に距離を取る」をしたことが大きかったと思います。
それでも知らないうちに自分から巻き込まれにいっていることもまだまだ多いです。
これからもこのことを忘れずに意識していこうと思いました。
今はまだ「自分の不健康さ」と「健康な人」の差にショックを受けていますが、やはり私もその「あたたかさ」の中で生きていきたいと思いました。
ありがとうございました。
Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加)
クラスでの解説を聞いて、私は、小学生の頃から罪悪感を抱いていたんだと感じた。
非言語であったけど、私は、私の親から「育ててやってるんだ、文句は言うな」という圧をいつも感じていた。
それが今の私の「根拠のない罪悪感」「生きててすみません」と自動的に抱いてしまう状態につながっている。
私は、こんな重くていやなものを引きずって生きているのか…。
何度自覚しても、しきれない。
その根の深さやはびこり具合に、嫌になる。
また、私は小学生の頃からピーンと張りつめた緊張感の中で生きていた。
「何もかもわからないとだめ」(それが知らないことであっても)
「うまくやれないとダメ」
「質問や助けを求めるのは、最終手段。かつ、その最終手段は基本的にしてはいけない」
(そうすることは、私にとって失格や降参の意味を持っている)
また、先生や誰かがごく普通に親切にしたり、気を遣ってくれた時、私は「そんなに気をつかわないで」「きをつかわせてすみません…」という、居心地の悪さや萎縮を感じてたまらなかった。
自分はここにいてはいけない、どうでもいい、価値のない存在なんだからそんな扱いを受ける資格はない…と私は信じ込んでいた。
それ以外なんて、ないと私は思っていた。
…今、こうして改めて書いてみて、小学生の子どもが、こんなことを思う必要なんてない。
わからないことがあっていいし、失敗や勘違いだって、あっていい。
迷惑かけたり、親や大人の手を借りるのなんて当たり前だよ。
しかも「十分な判断能力がなくてもよいとされる」のが20代前半にまであるなんて…。
そんなの、思ったことなんてなかった。体験もない。
だって私は、小学生の時から「自分で考えろ」と放り出されていた。
そんな状況で、私はひとりぼっちで考えて、ひどい目にあわないように、なんとか凌いでいくので必死の日々だった。
その、健康な世界とのあまりの落差に、私は愕然とする。
今の私なら、「それは違うんだよ」「私はそこまでしなくていいんだ」と言える。
でも当時の私は「こんなのは普通だ」「至らないのは私のせい」とすっかり信じ込んでいた。
かわいそうで、たまらない。
なんて窮屈で息苦しい子ども時代を私は生きていたんだろう。
…生き残るだけで、精一杯だったよね。
私の家は、家族の秘密でいっぱいで「外に持ち出せない」と隠したり、ごまかしたりしてやり過ごしていた。
子どもの私は、恥をかきたくないから「そうだよな」と思っていたけど…でも、通常の家の機能「子が社会に出ていけるように、育てる」ということに照らしたら私は母に「そうやってごまかして、なんとかやり過ごそうとしてるけど、そのツケは誰が払うの? (私の将来なんて、何も考えてないじゃん!)」と、言いたくなった。
私の父にも、母にも、残念ながら十分な親の責任を果たす力はなかったんだけど、でも、だからって「それじゃ仕方ないよね」で済ませられないくらいの被害を、損害を私は受けている。
今も私は、その影響に苦しめられている。
精神的な部分だけでなく、現実の生活の面でも。
そのことは、何度嘆いても、怒っても、おさまらない。
勉強会で学んで、物事の真実や仕組みが整理されていくことは私にとってとても重要なことだけど、その深さや重みがわかればわかるほど私は、苦しくなる。
これまでは、それでも「私は回復して、生きたい!」とはねのけるパワーもあったけど、最近は、異常さのあまりの深さに、くじけそうになる。
そのことが、私はとてもきつい。
でも、何も知らないままだったら、私は「きっとこうでしょ」「前向きに考えれば、なんとかなる」「そこまでひどくないはず」と私にすら嘘をついて、重い心で日々をやり過ごしていた。
そんな「生きてるのに、生きていない」状態では、少なくとも、ない。
機能不全家族問題と向き合うのは、本当にきつい。
わかればわかるほど、きつくなる。
でも私には、信頼できる学びの場と、優月さんの強力なサポート、お仲間さんがいるから。
この回復の道に入ることができて、本当によかったと思う。
私は、私をいたわりながら、できることを、一歩ずつ進めていきたい。
A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加)
「家庭」「家族」の基本の機能について学んだ。
わたしの家には基本機能のかけらすらなかったということを改めて確認。
わたしにとって「欲しいのになかったもの」。
あれがあるはずなのにどこにも見当たらない。と感じていたこと。
それが「人とやってゆくすべ」だったんだなぁと理解できた。
具体的なところでは贈り物のお作法だとかタイミングだとかその量や加減とか、そういうまさに「機微」や「機転」という言葉で表現されるところの加減の仕方。
そういうものが一切見当たらなかった。
そもそも親が集団でやっていけない。
世代交代という発想もなかった。
主人公はいつも親だった。
わたしが社会に出ることに恐怖を覚えたこと、今も怖いと感じていること。
その危機感は「正しかった」と思った。
方法を教えてもらっていないから、どうすればいいかわからないから、怖くて当然だったんだなって思った。
むしろそんなとんでもない中でよくここまで頑張ったねと、言ってあげてもいいのかもしれない。
本当にそうなのかもしれない。
人間はひとりひとり全員違う。そんなバラバラの人たちが集まって一緒に仲良く楽しくやってゆく。
それには方法がある。
それを長い時間をかけてゆっくり学んでやって行けるようになるのが人間。
ひとりのひとが成長して社会の一員となり引退して世代を交代してゆくそのプロセス全体を家族、家庭を中心にしてみんなで支えている。
そしてわたしも、その一員だったのだと改めて確認した。
まだ身体の奥まで信じることができない気がするけれど、本当にそうなのだと感じた。
・わたしにはわたし自身のやむにやまれぬ事情がある。わたしはそれを最大限に尊重してよいし、それを無視したり軽視したりすることなく大事に扱ってよいのだと感じた。わたしはわたしの事情を自分自身の最優先に持ってきてよいのだ。
・そのことを話す必要はないんだと思った。これは限られた場所の中でのみ、安全な時にのみ、わたしは話すことができるし、それで良いのだと感じた。
・わたしは子ども時代に最優先してもらえなかったせいで、自分を偽るようになった。身体と自分とを切り離すようにもなった。
・同じ理由から、わたしは自分に無理を強いる方法しか知らない。それは子ども時代最優先されてなかったから、無理して耐えるしかなかったから。
・我慢したり合わせてたら、ひととやってゆけない。かと言って我を通すようなやり方でも無理。ほどほどを学ぶ必要がある。今のわたしは我慢と合わせることのみになってしまっていて、適度になっていないのだと思う。自分を守れるはずの自分自身がずっとお留守になってしまっているからとても危ない状態でもあると感じた。
・「わたしはひとりぼっちでいい、関心を持ってもらえなくてもひとりでやって行けるからいい」というのは本音ではなく、耐えられない現実に対する理屈づけだったんだと感じた。わたしはひとりでやってゆかなければならないのではなくて、ひととやって行けることが必要。集団で生きて行けることが必要。
・ひととやってゆく自信がないからひとりのことばで話しがちで、閉じこもりがちだったんだと思う。そうとは感じていなかった。むしろ社交的とさえ思っていた。でもそれは無理をして周りに合わせているだけだったんだと感じた。ひとを頼ることがまだまだ難しいと感じる。
・ついオープンになりすぎたり、近づき過ぎる。そして落ち込む。傷つく。
・無理(人の基準)が基準になってしまっているから、身体にある現実(わたし自身の基準)よりも頭で考えた(こうすべき、こう求められている)正解を実行する。そのために感じていることを切り離す。
・不快を感知しにくく、我慢以外の対処の仕方がわからない。両親に合わせざるを得なかった長い時間に積み重なったもの。
・疲れている、動きたい、眠りたい、食べたいなどの欲求を優先していいと思えていない。(聞いてもらえなかったことだから)
・わたしはものすごい周りが気になっている! すごいエネルギーで周りに気を配っていると思う。それが基準だったんだね。
・わたしの家では子どもは未来に送り出す想定がされてなかった。だから閉じ込められてる感じがして当然だったんだ。
やはり学ぶこと、学び続けること、触れ続けること、感じ続けること。
それを続けてゆくしかないんだよね。
そしてそれでいいんだと思う。ゆっくりでいいんだ。
S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)
自分の「正常さ」を取り戻すことの大切さをひしひしと感じている。
正しい知識を得ることをしないままでは「異常さ」にも気がつけないのだということが、あらためて分かった。
生物学的な家族、正常な家族について学びながら、今回大きく2つのイメージが広がった。
ひとつは、自分の育った環境について。
どうやら正常ではないところがあったらしい、ということ。
もう一つは、正常な家族のあたたかさ、そこで育ち社会に出た一人ひとりがそれぞれに生きて、世代交代が繰り返される、「共同体」の温かい感覚について。
それを信じたいし、そこに生きていたいと感じる。
両親から「守られていなかったわけではない」という記憶が、ある。
また親本人の口から、後に「あの時はできなかったけれど本当はこうしてやりたかった」「自分は未熟だった」等々の反省の言葉を聞かされてもいる。
それらの記憶がいま、親を擁護するような、悪く言ってはいけないような意識へと、つながっているように感じている。
けれど、実際に覚えているのは、安心・安全というよりは、どこかいつも緊張している感覚。
身に着いてきたのは「我慢」と「がんばり」で自分を支えるやり方。
「間違ってはいけない」「道を外れてはいけない」「休んではいけない」と、いつも張りつめていたような気がする。
どうやら、守られていなかったわけではないようだけれど、得られなかったものや失ってきたものも多くあるようだ。
集団で生きる戦略をとっているヒトについて、「共同体」について、新たな理解を得た。
子が最優先で、その存在を大歓迎して、精いっぱい守り、巣立ちの練習をさせること。
社会でやっていけるように、送り出すこと。
そのあたたかさを思うと、本当にその世界、共同体がいとおしいものに感じられる。
あたたかさを受けとり、また次の世代へ何かの形でつないでいく。
一人ひとりが違っていて当たり前で、それぞれの持ち味があって、それぞれに輝いていく。
それがいい。そんなふうにあたたかさに参加して生きられたら…。
勉強会の中で示された集団のイメージ図(粒の集まり)を、自分でも書いてみた。
そして、その一つを自分として、粒と粒を線でつないで、様々な距離感をもって周りと何かの関係がある、ということを思ってみた。
「いろんな距離でいい」ということが、とても新鮮で、あたたかいものに感じる。
自分にとって、距離の取り方がとても複雑なものになっているかもしれない。
全部が同じような近さ、強さ、濃さでなければ、とどこかで思っていたかもしれない。
そして、そうできないとすると、それは自分がおかしいから、劣っているから、価値がないから…。
そんな0か100かのような極端な考えで進もうとして、「人と関わる」ことがとても怖いことになっているかもしれない。
「シェア」を通じて、自分でも直視するのが怖かった記憶に触れることになり、気持ちがとても大きく揺れた。
語ろうとする自分の言葉も声もとても不安定で、とても混乱したけれど、もしこの機会がなければ、ずっと抑え込んだまま、見ないようにしていたと思う。
正しい知識を増やしながら、自分が痛みを感じている記憶にていねいに触れていくプロセスを経験できた。
このことが、これから先を自分で歩いていくために、必要なことの一つなのだろうと思う。
学ぶこと、練習することを続けていこうと思う。
「ひとりじゃない」心強さのなかで、大切な学びを得ることができました。
優月さん、皆さま、今回も本当にありがとうございました。
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加)
正常な家族とはどんなものかを学んで、私が育った環境とはあまりにかけ離れていることに、あらためて愕然とする。親として本来果たすべきことをどれだけ果たしていなくて、むしろどれだけ私から奪っていったのか。
本当にはらわたが煮えくりかえる思いだった。
人は人の中で生きていくようにできていて、人の間で生きていく方法を教えるのが本来の家族で、私はむしろ真逆のことを教えられてきたこと。世の中は恐ろしい場所だと刷り込まれてきたこと。
今まで散々奪われてきたのに、この後も子は親の面倒を見るために存在しているかのように振る舞う。
私そんなことに、もうこれ以上付き合えない。
自分の人生をこれ以上無駄遣いできない。
温かな世界に歓迎されて生まれてきたはずなのに、自分の存在は間違いであるかのようにずっと思って生きてきたことが、ただ悲しくて悔しくて涙がこぼれる。
私は私を温かく受け入れてくれる人たちの中で生きていきたい。
関わる相手を選んで、自分のために時間を使って、得られなかった安心感や温かさをあげられる環境を整えていく。
何度思っても、何度決意して、簡単ではないけれど、でもそれ以上に大切なことはないから。
決意をまた新たにする。
人生に必要な新たな知識、そして仲間の皆さんとのシェアによるたくさんの気付きを、今回もまたありがとうございました。