M. K. さん(30代/福岡県よりご参加)
普通じゃない家庭で育った私が、普通のイメージを掴むために大事な話が聞けた。
私は若い頃は結婚をしたくなかった。
自分の育った家族のような不幸な家庭を増やす意味がわからなかったから。
あんな家族なら欲しくなかった。
早くおしまいって言ってもらいたかったし。
やっと、や〜っと自分のことを考えていいのだと気づいたらもうこんな歳になってしまっていて悲しい。
私が成熟すること、変化することを許されなかったから、許さなかったから私の時間だけ止まっていた。
降りかかってくる課題や求められる役割から私のやりたいこと、進みたい方向を選ぶことはとても難しい。
私を満たすことからはじめたらいいってわかったからよかった。
さっそく気になっていた料理教室の体験を申し込んだ。
大丈夫、私はまだ私のために動くことができる。
その力を持っている。
S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)
「貢献」というワードを聞いて、まずうんざりでした。
全くこの世の中は、きれいごとと、不平等で出来ている。また私に、我慢と頑張りを強要するの?
正直はじめは、そんなことを思っていました。
でもそれは、自然に沸き起こる感情で、人によって起こる時期もばらばら。
そしてそれでいいんだということも理解できました。
ONSA WORKSHOP(対面式)を受講する度に、失われた時間の膨大さにもう、何とも言えない脱力感を感じるけど、直ぐにその気持ちは麻痺してしまうんだなということも今回感じました。
だからこそ、学びは続けることがとても重要。
とは言え、こんなに時間をかけてきたのにまだまだ私はこんなところに居る…と自分を責めてしまうことも、たくさんあります。
だけど、学ばなければそんな焦りも沸いてこないのだから、それだけでもOKだって思えます。
今は、せっせと自分に安心できる場所を提供しながら、同時に自分のアイデンティティを見つける作業をも、やっていこうと思っています。
今回も、ありがとうございました。
また、どこかでお会い出来たらとても嬉しいです!
T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)
この年代(39ー52歳)での課題が、これまでの年代の上に積み重なっているというごくごく自然なことであることを学んだ。
とても自然な循環があってこそ成り立つものでもあって、そこにもあたたかさと安心と安定が流れているように感じた。
こうやって次の世代に引き継がれていくんだと知った。
今、私がやる必要があることを実際にやることで、誠実に積み上げていきたい、改めてそう思った。
M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)
今回の「勉強会」の年代のテーマは「貢献」だった。
いつものように今回もショックでがっくりきた。
ちょうど自分が当てはまる年代で、あまりの違いに言葉がなかった。
「もう追いつくことは出来ない…」
と思ったら、ショックと悲しさ、悔しさとか色々な感情でグルグルして泣きそうだった。
でも、そのずれを現実のものとして感じられるようになってきたというのは成長だと思った。
正直、怖くて仕方がないけど。
健康な人のこの年代は「貢献する」年代ではなく「自然に貢献している」「貢献しかすることがない」年代なのだということも学んだ。
発達段階を順調に進んでいればそうなっていく、「成熟していく」ということなのだと腑に落ちた。
今、私はまだ発達段階の最初の段階を満たそうとしている。
だから私の中に「貢献」という意識が全くなくなっていたことも納得できた。まさに自分のことで手一杯だ。
本当の私の年代のテーマ「貢献」は見えないくらい先の段階で。
だからといって焦っても、そこに無理に行こうとしてもそれは「演技」「ふり」になる。
多分、そう見せようと思えばいくらでもできる。
でも、それに意味はないことはわかるようになった。
それでも、わかっていても「演技」をしてしまうであろう自分がいることもわかっている。
ショックだけれど、自分が抜けているところを少しずつでも満たしていくことを続けていこうと思った。
ありがとうございました。
S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)
自分にとって必要なことを学びたい、という気持ちが強くなっている。
この「自分」でこの「勉強会」へ参加できて、とてもよかった。
学んでいくことが、少しずつ、いまの自分の状況や感じることとつながってくるような気がする。
そして、筋の通った内容を知っていくことで、自分がほっとしているのを感じる。
自分が自分にその機会を与えているということにも、安心感がある。
まもなく差しかかるにもかかわらず、39歳から52歳までのライフステージについて、自分のこととしては全くイメージが湧かないのだということを改めて思い知らされた。
知識を取り入れることが大きな意味を持つということが、今回もよく分かった。
「貢献」がテーマと聞いたとき、私が率直に思ったのは「それならできそう」ということだった。
しかし、詳しく聞けば聞くほど、自分が思っている「できる」とは、自分の側をすり減らしてやっていく感覚なのだと気がついてきた。
今までやってきているように、慣れ親しんできた歪んでいる土台のまま、我慢とがんばりを駆使して、相手のためだけに立派に奔走するやり方のことだった。
それはどうやら「貢献」ではないし、そのやり方は、絶対にダメだと思った。
そのやり方を重ねてきた結果、これまでの自分がとても苦しんで困っていたということが、今ならよくわかる。
私はこの先、それを選びたくはない。
もし自分がそっちの方向へふらふらと向かっていきそうになっていたら、今ここにいる私はそれを全力で阻止したい。
そもそも「貢献」とは、そのステージまでの発達段階の積み重ねによって自然としてしまうもの、と知ったことは、衝撃であったとと同時にとても納得した。
祖父母、親、子との関係性が「正しい序列」であったなら、発達段階をそれぞれに踏みながらステージが移行していくこと、命がつながっていくことは、とてもあたたかいことなのだと感じた。
自身がそれまでのステージで積み重ねてきた経験があるからこそ、次の世代のために活かしたいと思えるのだ。
そうした行動が自然と「貢献」につながるのであれば、それは「しようと思ってする」というよりも「してしまう」もの、ということにも大きくうなずける。
今回学んだステージは、自分からはかけ離れたもののようにも思え、気が遠くなりそうになる。
けれど、少しずつ学びを重ねることで、自分には土台の段階に欠けている部分があると自覚するようになった。
土台が危ういままで、上の段階だけを積み重ねることは無理なのだということが、よりはっきりと分かってきた。
いまの私に必要なことは、大切な最初の土台の部分を、自分で地道に埋めていくこと。
自分へ「安心・安全・あたたかさ」を真剣に与えていくこと。
ぎこちないながらも、自分へ心地よさを与えることを続けてみて、少しずつ自分への「信頼」が高まるのを感じるようになってきた。
私は、こっちの方がいい。
急に一気に変わるのではなく、少しずつ確実に変わっていきたい。
じわじわとしみるような安心感を手放したくはない。
これからも、少しずつ知識を取り入れて、自分のものにしていきたい。
分かったことを、自分の力で本当にできるようになりたい。
もっともっと、自分にとっての「ちょうどいい」を知っていきたい。
私は、この大切な自分と一緒に、学びを続けていこうと思う。
A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)
その時々のテーマを達成する必要のあることかと思っていましたが、全然逆で健全な成長の中で結果としておこることなのがわかり少し安心しました。
差がはっきりと分かれていく年代、私は何もしなければきっと諦めて不幸な気持ちでいっぱいになるのがわかって怖かったです。
そうじゃない生き方を出来るのか、不安を感じています。
わからないと怖い、わかっても不安。
そこが少しつらいと思いました。
Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加)
私はこの「勉強会」に参加して、あらためて私の親が私にしたことの不健康さやゆがみを感じた。
参加直後は、私は
「悔しいけれど、私の親はもうこれでしかたなかった」
「これ以上、親のことを考えても、事実も現状も変わらない」
「だったら、私は親のことに引っ張られず、ここからが第二の人生と思って、今とこれからを生きることに集中しよう」
と、思った。
私は、そうやって1週間を過ごした。
そうしたら、再び、私の中で苦しい気持ちがわいてきた。
なぜ、私の人生はこんなことになっているんだ。
なぜ、私はあんな親のもとに生まれなくちゃいけなかったんだ。
ふつうの、健康な人が無条件でもらっている愛情や関心、あたたかな庇護。
そんなものが私にはほとんど、一切なかった。
私は、もらえるはずのものをもらえず、権利も感情も踏みにじられた。
物理的にも精神的にも散々傷つけられた。
一桁の年齢の子どもが背負う必要も義務もないことも、大量に押しつけられた。
私は、子どもの頃からずっと苦しかった。
その苦しみの理由を、当時の私は理解できなくて、我慢でしかやり過ごすことができなかった。
そのせいで私は心と体と切り離され、どんどん自分がわからなくなっていった。
自分がわからないまま積み重ねてゆく人生は、なんの愛着も持てない。
ただ目の前にくるものを必死でこなし、周りから外れないようにし続けただけ。
そうやって、私は実感も手応えもないまま、何十年と生きてきてしまった。
人生を生きることは、きっと誰でも大変だ。
何もないところから自分を知り、世の中を経験し、考え、迷い、悩みながら、一歩ずつ進んでいく。
間違えたら悔やむし、嫌なことがあれば泣く。
それでも、そのなかに「自分」があれば、大切な思い出になってゆく。
私は、そんな人生を「生きてみる」チャンスすら、奪われてしまったんだ。
私は、もっと自由に遊びたかった。
もっとたくさんのことを経験したかったし、たくさん笑ったり泣いたりもしたかった。
失敗しながら学び、本当の成長がしたかった。
それを、こんなにもたやすく、私は山ほど奪われてしまったんだ。
「これが、私の人生、私に起こったこと…」
学んだことを「自分ごと」として受け入れていくにつれて、その重みと深刻さに私は打ちのめされる。
でもそれって、当たり前のことだ。
自分の人生が、自分の意図とは関係なく奪われ、損なわれていたら、悲しくて、悔しくて、落ち込むのは当然だ。
一回泣いたら気持ちが切り替わる、なんてことは私にはない。
今回、私にできたことは、私に起きたことをこれまで以上に、深刻に、誠実に受け止めようとしたことだ。
その過程はとてもつらくて苦しい。
「なかったこと」にできるなら、目をそらしていられるなら、どれだけラクかと私は思う。
でもそれは、私にも誰にもできないことだから、私は「私に起きたこと」を前提として、私の人生を見直そうと思う。
悲しむことや嘆くことは尽きないし、これからも何度もくるだろう。
私は、ずっとそこにとどまるのは嫌だけれど
でも「悲しい」と私が感じた分だけ、ちゃんと悲しもうと思う。
それが、私が私のためにしてあげられることだから。
優月さん、スタッフのみなさん、お仲間のみなさん
今回も貴重な学びの時間を、ありがとうございました。
A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加)
今回一番印象に残ったのは、3世代の正しい位置関係の図だった。
感じたことは、わたしがどれだけ重さを乗っけられてたか、ということだった。
自分の番はいつ来るんだろうと思ってたけど、そもそも想定されてなかったってことかも。
母にせがまれて二度も海外旅行へ招待したり、現金を渡したり、高価なものを買ってあげたりしていたこと。
思い返してとてもショックだった。まさにこのことかと思った。
これが自分自身に実際に起こっていたことなのだ、ということがすごくショックだった。
苦しいのにそうしなきゃいけないとおもってた。
でももっとショックなのは自分と向き合うこと、自分ごとをなんとかするよりもそっちが楽だからわたし自身が甘えていたんだと言う事。
それから、自然にそうなる、ということ。わたしは今まで、必要なことが満たされていなかったからできなかったんだね。
満たされていなかったことはわたしのせいじゃないよね。
貢献はわたしが「しなければならない」と感じて生きてきたことだった。
「年相応の貢献」ができていない自分に対して焦りがずっとあった。
わたしにとっての年相応の貢献って発達段階通りのことをやる事だったのでは、と思った。
今回気づいた新しい視点は、この焦りは入れ子構造みたいになっているということ。
まずは自分自身が「存在するために、相応の貢献をしなければならない」と感じて生きていること。
それから実際に年齢相応の段階に達することができていないということがわかるからこその焦りと不安。
できてないよね、足りないよね、なんかおかしいよね、という実際の足りてなさからの不安。
そして何れにせよどちらもわたしの欠陥とかではないということ。
わたしは自分を欠陥品扱いする事で向き合うべきこと(自分自身を満たすこと)から逃げてきたのかな。
そうだとするととても悔しい。
自然にそうなる、ということは満たされてなかったらできない、ということでもある。
このことを再確認。
わたしは一年前の「第1回『心』と『身体』の勉強会」で、あったかくしてしっかり寝てください、と言われた時そんなこと自分に対して言われたことない、と思って涙が出た。
3年前からワークショップに参加するたびにそう言われていても自分ごととしては感じられずスルーしてきていた。
去年初めてこれはわたしがそう言われているのか、と驚いた。
そして少しずつそれをやってきた。
それが今わたしのやることなんだなってことを、またさらにもっともっと腑に落ちる形で理解できた。
今までそれは自分のものじゃないと思って生きてきた。
そうしてはいけないぐらいに思ってたと思う。
こうして仕組みを知れば自分を責めることは何にもならないとわかる。
今まで生きてきた自分のことを自分が否定するなんてやっちゃダメだなって感じた。
ここまでの自分も同じぐらい愛おしいわたしなんだよね。
とても貴重な一人の人間なんだよね。
できる限りのことをして生きてきた一人の小さな子どもなんだよね。
いままでなぜ自分からものごとを決められなかったのか。
それはちょっとと断れなかったのか。
周りからの逆算でしか物事を選べなかったのか。
それは自分がなかったから。
そしてなぜ自分がなかったかというと、満たされていなかったからなんだ。
そこを飛び越して自然にできないことをさせようとすることは同じ虐待だよね。
ごめんね。
信頼できるのが自分だけだったら、その自分が自分を叩いていたら本当に居場所がなくなっちゃうよね。
わたしは自分が感じた痛みを自分が悪いことのせいにしちゃってた。
痛いってことはわたしは傷ついた、っていうことなんだ。
そんな痛みは感じたくない、っていうことなんだよね。
わたしは痛いよ! って言っていいんだよね。
怒ってもいいんだよね。
どんなことを言っても何をしても引っかからなかったし返って攻撃されるような自分の家で、自分の感じることを切り離してしまったり偉そうぶって武装したのは自分を守るためだったんだよね。
ここまでの歩みを振り返って、自分の内面を変えてゆくこと、自分の中の隠れた闇の部分と向き合っていくことはパパッとできることじゃないと思った。
すごくじわじわと進んでゆくことなんだな、と感じる。
変わってゆく時間が必要なんだと思った。
それぐらい自分のために自分に許してあげられなくてどうするって思った。
わたしは自分の人生はいつ始まるのだろう、って思っていたきがするけどもう始まってるんだ。
もう本番なんだ。引き返せないんだ。
今までもずっと今と同じぐらい悩みながら考えながら変えたいものを変えてゆこうとしてきていた。
空回りしてたのは仕組みを知らなかったから。
これからは現実も変えてゆかなければ。と言うより現実を作って行かねば。
そしてそれをわたしはやっているのかな、って思うと少し自分のことを誇らしいと思えてきた。
本当にこっちでいいのかな? っていう心配もあったのかなと思う。
今回また「勉強会」に出て、わたしの知りたいことはやっぱりここにある、としっかりと思えた。
少しずつ見える風景が変わってきている。わたしは学びつづけたい。生活を作り老後の準備をしながら。
時間がめちゃめちゃにされてきた、ということもひしひしと実感してきた。自分の身になるようなことが全く入っていない時間をわたしは生きさせられてきたのか、ということ。荒れた時間は苦しいから麻痺させて生きてきたんだな、っていうこと。だから時間が「白飛び」してたんだな、と思う。
そこにいつも自分の「土台」が入ってなかった。
自分の土台に取り組むことは取り上げられてきてたから、したことがなかったから、わからなかったよね。なんだこれかよって思うとやっぱり悔しい。
わたしは怒ってもいいんだな。怒ってるわたしもいてもいい。
わたしは怒ってるよ、って状態があっていいんだ。
はぁ? って思うことがあっても、ムッとすることがあっても、それはわたしがダメな証拠じゃない。
わたしは自分の時間を自分で作っていい。
自分の思いを形にしてもいい。未来に向けて自分のために準備してもいい。
そうできるしそうしたい。とわたしは思う。
「わたしは〜」がないと延々と流されてしまう。そんなのはもう嫌だ。
わたしはこんなふうに生きたい、ということを実現させていっていいんだな。
本当にいいっていうか、そうするしかないよね。
他にどうするの? って言うぐらい当然のことだったかもしれない。
わたしは両親からとことん利用されてきたと思う。
そのことを勉強するたびに深く思い知る。
利用されたことはあっても愛されたことはないから、愛される感じはちょっと怖い気がする。
けれども視野が開かれてきたら、これまでの人生の中でそういう経験がゼロではなかったような気がしてきた。
今までの出会いの中であった、あの時のあの感じは、愛される(=普通の感じ、普通の距離)だったのではないか、という気持ちになる出来事もいくつか思い出してきた。
ここにいていいんだな、って感じる時間。人と共有する時間の感覚も。
べったり囚われてしまってる感じではなくてくっついてる感じがしなくて、ただそこにあって、それでいい、みたいな感覚。
そこにずっとはいなくてよくって、そのひとときがあるね、じゃまたね、で全然大丈夫な感じ。
わたしはいつもわたしでいていい、それでおしまい。
けどそれはひとりぼっちってことじゃない。みんな自分に向かっている。
その状態で触れ合ったりもする。
だからわたしも自分に集中してて大丈夫。みたいな感じ。
やっぱり勉強は大事だ。
そして視野を広げて、心を開いてみること、知らない世界にちょこっとだけ踏み出してみることも大事だと思った。
知らなければ見えてこない世界があると感じるから、これからも心を開いて学んでゆくことを止めたくないと思った。
この問題の乗り越え方は他にも色々なものがあるのだと思う。
世界中のいろんな場所で今も誰かが向き合ってる。あれもあれもみんなこのことなのかな、って思うことがいくつもある。
人ってそれぐらい多様なんだということをわたしはすぐに忘れる。
いろんな人がいていろんな道筋を歩いて生きている。
わたしにもわたしの道がある。あっていいんだ。
自分には書くことを通して学ぶ、知る、振り返る、気づくという方法が一番合っていると感じる。
自分はこうかな、って言っていいんだよね。
自分の考えが人と違ってもいい。それを大事にしてもいい。持ってていい。
ああ。ずっと長い時間。損してきたような気がする。
そして今は信頼を回復するフェーズ。コツコツとそれをみちるまでやり続ける。それで人生が終わったとしたって、もう十分じゃないかなって思う。
と言うかもうそれが人生なのかもしれないって思う。
わたしは老後安全に暮らせるようにこれからできる準備をする。
そして日々美味しいご飯を作っておうちを清潔に片付けて、たっぷりと寝て温かい気持ちで暮らす。
自分の夢、あったかい安心安全を毎日実現しようと思う。
S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)
今回も、かなり興味のある内容だったので、受講して良かったと心から思っています。
ありがとうございました。
子 – 親 – 祖父母の「正しい序列」の話は、「きっと普通の人はそうなんだろうな」と薄々気づいていたことを、改めて図と言語で説明してもらえて、やっぱりそうなんだ、うち(の家系)っておかしかったんだ、と納得できました。
たとえば、私の夫は、実家からは離れた地で暮らしていて、親から独立していますが、「もしも困ったら両親は必ず自分を助けてくれる」と信じていることが言動からわかります。
私は「母親を助けなければならない」という文化で育ちましたが、彼は「親は自分が助けなくても元気で暮らしている」と安心している様子です。
私は彼のような人は恵まれているのだと思ってきましたが、どうやら彼のような感覚の方が普通だったのですね。
私の母方の家系は、「里帰り出産ができない」ことが当たり前の文化でした。
第1子のときに、私のアパートに通ってもらう形ででサポートを受けたときも、母からは「私はこんなに大変だった!」と言われ、金銭を要求されました。
「私はタダでこんなに働いたのに、なんの見返りもない」という主張をされれば、そのとおりかもしれない…と思い、支払ってきました(姉や父の方が母よりもメインでサポートしてくれましたが、その2人は見返りについて何も言いませんでした)。
第2子では私が頑なに、母の力を借りずに産後を過ごすプランを立てていたときに、夫は「どうしてそんなに頼れないんだ?」と疑問をぶつけてきました。
周囲の人が当然のように里帰りをしたり、母親に頼ったりする様子を見て、羨ましいと思っていました。
産前に「Aさんも里帰りするの?」と聞かれ、そうではないことを話すと、「大丈夫?」とよく心配されました。
特に、2人目の時に助産師さんから心配されました。
昼夜を問わない産後の赤ちゃんお世話仕事、そして上の子もいるとなると、普通は1人では乗り切れないらしいのです。
もちろん、完全なワンオペにはならないように、家事やお風呂の介助を外注で依頼しました。
ただ、そういった方に居ていただけるのは1日数時間です。
いつも誰かが側にいてくれる環境で子育てできるって、本当に羨ましいなあと心の底から思っていました。
今回勉強して、頼れることのほうが普通なんだな、だから私はあんなに産前産後がきつかったんだな、と納得できました。
「被虐の人間が子育てをするのはとても不安定な環境になるので、とてもそんなことはできないと思う気持ちは当然だ」と話してもらい、私が過去に2人目を作るか悩んだとき、いま3人目について頭によぎるときの葛藤みたいなものは、自然だったのだなと、安心しました。
仕事でも、新人という立場であれば、先輩に迷惑をかけることも、教えてもらうこともたくさんありました。
言われてみれば当たり前なのですが、仕事においては新人は赤ちゃんです。
できないことも、迷惑をかけることも、ある程度は当たり前です(もちろん、感謝する姿勢は大切だと思います)。
私は、先輩に無条件で何かをしてもらう、教えてもらうということに、罪悪感がありました。
自分に時間をかけてもらっている分、先輩に何か返さなければいけないと思っていました。
また、そのように話している同僚・先輩も、実際に多かったです。
多くの新人は、残業をして下働きをすることで、先輩へのリターンをまかなっているようでした。
しかし、子どもがいる人間は、下働きをする時間にも制約があります。
残業をする同僚と同じように、自分に時間を使ってもらうことに、どんどん気遅れするようになりました。
今回の「勉強会」の話を聞いて、もう少し、先輩から教えてもらう、何かをしてもらうことに対して堂々としていてもよかったのではないかなと感じました。
そこに罪悪感を感じるのは、親から無条件に何かをしてもらうということへの罪悪感から通じている部分もあるのではないかなと思いました。
そして、前職における子 – 親 – 祖父母的な立ち位置の存在を思い返したときに、もしかして、あの組織自体が「機能不全家族」的だったのではないかと思いました。
子(=新人)が猛烈に頑張らないと組織を支えていけない。親(=中堅)はカツカツになってすり減ってどんどん辞めていく。
祖父母(=リーダー)は無関心、あるいはとてもマイペース、あるいは攻撃的。
そのような構造だったから、「自分も頑張らなければ」「自分が辞めてしまったら周りの人が心配」という状況でした。
組織として機能不全である関係に、今後どう関わっていくか。仕事の内容自体には愛着があったので、いまだに葛藤があります。
それでも、「おそらくこの組織は機能不全かもしれない」という気づきを得られたのは大きな収穫でした。
私自身が機能不全家族で育ち、そういう関係性に違和感を感じづらかったのかもしれません。
今週、産後初めてのランニングをした。
散歩の予定だったのだが、走ってみたくなったので、走ったら気持ちよかった。
春に、同じ公園を歩いていたときは、走る気分にはなれなかった。
あの時より、明らかに体力が戻ってきているのだろうと思う。
「一番下の土台=信頼(=よく寝てよく食べる)が満たされてくると、自然にちょうどいい負荷をかけたくなってくる。」という「勉強会」の話を思い出した。
よく寝てよく食べて適度に運動して、産後の体力が戻ってくれば、自然に走りたくもなってくる。
勉強も、春は仕事を終わらせるだけで疲れ切っていたが、今は仕事でわからなかったことを調べる余力が出てきている。
順番が逆だったなと思う。いつも。
何かを達成するために、いかに効率の良い睡眠をとるか、とか、バランスのいい食事をとるか、とか、そんな本ばかり読んでいた。
産前産後に、どうしたら迷惑をかけずに早く前職に復帰できるか、ということばかり考えていたのも、本当に本当に、異常なことだった。
こんな、子育てと自分の身体の回復のことに集中できない産後なんて嫌だな、異常だなと感じたから、今の生き方と ONSA に辿り着いた。
産前から違和感を感じ始めて、『夢かな手帳』と『未来日記』に本気で取り組み始めたおかげでそのように「感じる」ことができた自分を心から褒めてあげたい。
そうしていなかったら、その「嫌だな」の感覚はスルーして、また自分のありたい姿とはかけはなれた生活をしていたかもしれない。
だから、焦らない。大丈夫。
よく寝てよく食べるは、常に人生に必要な土台。
それができたら、たぶん何か(それは今の仕事かもしれないし、前職かもしれないし、そうではないかもしれない)をしたいと、自然に思えてくるはず。
何かしたいと思えて、できるようになった自分を、常に認めること。
ゼロ見積もりしないこと。
信じて、今は、最低限生きて、最大限、人生回復をする(それが本当に必要なのか、まだ疑っているので、厳密には、人生回復が自分に必要なのかを知ることから)。
私は「人のせいにする」ことに対して拒絶反応が強い。
母が散々人のせいにして生きてきて、その生産性のなさを見てきたためだ。さまざまな自己啓発本にも、「人のせいにする」ことは何も産まないと書いてあった。
しかし全てを「自分のせい」だと思う生き方は、とても苦しかった。
どうして私はこんなに緊張する “性格” なのか。人の評価が気になってしまうのか。すぐに疲れてしまうのか。
他の人が羨ましかった。
そして、そういう “性格” だから自分のせいだと、改善しなければと、本をたくさん読んだ。
ONSA WORKSHOP を受講し始めて、「自分のせいではないかもしれない」という考え方が芽生えつつある。
「機能不全家族のせいかもしれない」。
ただ、これに対しても、まだ拒否感がある。
これもやはり、母が「自分はアダルトチルドレンだ」と親に恨み言を言っていたからだ。
母自身がそう気づいたことによる良い変化もあったのだろうと思う。
それでも、母が困ったちゃんであることに大きく変わりはなかった。
誰のせい、という自分の中での議論は置いておいて、なんにせよ、今向き合っていることが私の境界線の範囲内の問題であることには間違いない。
だから私がやる、続ける。今に集中。ただそれだけ。
13〜26歳の「アイデンティティ」の段階で、「自分ってだいたいこういうことは得意でこういうことは苦手な人間だから、こういう道を行こうかな、こういう職業にしようかなと決めていく」という話について。
「やればできる」と基本的に考えていたなと思う。
得意とか苦手とかじゃなくて、苦手でも、きつくても、「やればできる」。
ものすごく前向きなようだけど、「できない」を認められないのは、自分自身に対してかなりきつい生き方を強いてしまったのではないかなと思う。
無理なく生きていくために、「できない」の境界線を知ること。それがこれからの目標。
人類の子どもは、多様な大人との関わりがあることで、親の側に欠陥があったとしても補完されるというシステムで成り立ってきた、という話について。
ワンオペ育児、または、私の家系の人間だけで育児をすることが不安だなと思う感覚は、正しかったのかもしれないと思った。
私は外注で、子どものお世話を手伝ってくれる人を頼んでいる。
私の家系の人間ではしなかっただろうな、という気遣いやお世話、言葉のかけ方をしてくださって、見ていてためになることも多い。
保育園の先生も同様だ。
今後も堂々と、気後れせずに、多くの人に子どもと関わっていただこうと思うことができた。
「本当の虐待は、加害者に虐待であるという自覚がない。
私達が子どもに危害を加えてしまったら、罪悪感がある。
それを虐待とは呼ばない」という言葉にもすごく安心した。
長女を大きな声で怒ってしまった後など、いつも罪悪感でいっぱいだった。
私自身が母から受けたような、怒鳴り声のトラウマになってしまったらどうしようと心配していた。
「失敗してもいい」と優月さんが何度も『夢かな手帳』で書いていて、頭ではわかっていたつもりだったが、私はものすごく無意識に「間違ってはいけない」と考えていたことに気づいた。
今、仕事のこれからについて決められないでいるのも、「一度選んでしまったら戻れないので、ここで間違った選択をしてはいけない」と思っていたからだ。これ自体が思い込みではないか?
仕事についての今の選択が、ある程度先の未来を決めてしまうことは確か。
だから決定に慎重になるのは悪いことではないと思う。
これまで、深く考えずに言われたままに決定していた状態に比べると、慎重に自分と向き合って決定するための時間を持とうとしているのは大きな進歩だと思う。
その上で、もしこれから、決断して、実行して、「違うな」と感じたら、軌道修正してもいいのだ、という考え方は、大きな収穫だった。
何を選んでも軌道修正ができると、柔軟な自分を信じていられれば、何を選んでも大丈夫。
それは、本当に大きな安心だ。
仕事においても、夫は当然のように「尊敬できる仕事のできる先輩」の下について、そのロールモデルを目指そうとするのですが、私は「尊敬できる仕事のできる先輩」には畏れ多くて近づくことが怖いと感じました。
そんな素晴らしい先輩に失望されたらどうしようと思うと怖いのです。
結果的に、「ちょっと性格に難がある先輩」「仕事ができない先輩」「おしゃべりが長くて、こちらは聞き役に回っているだけで会話が成立する先輩」と一緒にいる方が気が楽だと感じてしまい、そちらを選んでしまっていたように思います。
それは、(1)母がそのような性質だったため、そういった人への処世術がわかりやすいということ、(2)私の自己肯定感が低いために、周囲からの評判がもともとよくない人のフォローをすることで自分を相対的に上げようとしていたこと、(3)そういう先輩なら、もし嫌われたり失望されても「まあ、そういう人だからしょうがない」と傷つかずにすむことが理由だったのかなと、今は思います。
ただ、そういった人を引き寄せるような生き方は、自分のためにはならないと、今なら間違いなく言えます。
今、それぞれの人の顔を思い浮かべて、「そうか、こういう人を上司に選ぼうとしていたのか」と、それが危うい道であったことに気づき始めています。
自分を守るために、本当に知識は大切です。
これからの大事な選択の前に、ONSA を始めて本当によかったと心から思います。
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加)
「貢献」と聞いて、こんなにも搾取されてもまだ差し出さなくちゃいけないわけ? と、つい嫌な気持ちになる。
私の人生、他人への「貢献」で埋め尽くされてる。
でも、本来はもう貢献しかすることがないから、貢献する、という段階。
そして、年齢的にはそういう段階だけど、私は貢献するしかないような状態には到底いない。
発達段階の初期からやり直さなくちゃ、ここまで到達するのは遠い道のり。
本来とても当たり前の、ごく自然に行われたはずの状況を、最初からやり直さなくちゃ、本当の大人として成長してゆけない。
誤った序列の中で、おかしなことばかり教えられて、いつでも自分のことは後回しにするよう刷り込まれて。
そのことが悲しくて腹立たしくて、つい投げ出したくもなるけど、今の私を育て直せるのは私だけだ。
私が得られなかった一つ一つを自分でやり直す。
安心、安全、あったかを実践する。出来ていることもあるし、まだまだ…ということもある。
よく食べてよく寝てよく動く。人として必要で当たり前の生活を送りたいのに、なかなか出来ずにいる毎日。
とにかく遊んでみる。色々試してみる。まずはそこから。
日々心地よく過ごすための工夫も一つずつ探していきたい。
したいこと、しなくちゃいけないことが、沢山ありすぎて、それだけでまた投げ出したくなるけど、自分のために一つずつ。一つ出来ただけで嬉しくなれるし、それが重なっていけば私が成長してゆけるから。
私のために積重ねていこうと思う。