S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) らむだクラス
私は、ワークショップ・クラスの終了直後、なんともいえない清々しさと楽しい気持ちが湧いて、ひとりでニヤニヤしてしまった。
自分が喜ぶことを考えるということが、こんなに楽しいとは。
自分でもおかしいのだが、この発見はとても大きな収穫だったと思う。
まいにちリストに書き込む練習をしてみて、私は時間に限りのあることを改めて感じた。
私には、限りある時間のなかで、するべきことがある。
毎日を健やかに安心して過ごせるように、自分のお世話が必要。
これからの私が、より安全に幸せに生きていくために、勉強が必要。
他人のお世話、自分へのダメ出しに、貴重な時間を割いている場合ではない。
私は、私を満たすために何ができるかを、もっと感じていきたい。
「私は、何がやりたいの?」を真剣に考えようとしてみて、私はこのことに不慣れであると思い知った。
自分が自分に、たくさんの制限をかけている。
いつの間にか「私はどうしたい?」が消えかかり、「何ならやってもいいの…?」と別の問いかけにすり替わりそうになるのを感じた。
いったい、誰に何の許可を得て決めてもらおうというのだろう…私にしか、決められないことなのに。
不慣れながらも、チェアワークを通じ、身体にまかせて湧いてくるものを感じてみることで、私は私との対話ができる。
私の中にはたしかに、自分にとっての答えや方向性があることがわかってくる。
「私はこういう感じがいいな、こういうのが好きだな」と思うことは、いまの私にとってはごく当たり前で、当然の権利のようにも感じられる。
以前の私には、そう感じること自体がとても難しかった。
その発想が、おそらく無かったのだ。
「こんな私が、これを好きだと思ってもいいの?」というヒリヒリした感覚にどっぷりつかっていた頃から比べると、いまの自分は少し別のところにいるような気がする。
私には、私にとって大切なことがある。
私には、思わずフフッとなるような楽しいことや好きなことがある。
私は、この私のことを、前よりも好きになっているようだ。
私はもっとこの自分自身を知っていきたい。
そして、この私が満足するための具体的な行動を、起こしていきたい。
私は、自分のために練習を続け、自分のことをもっともっと尊重できるようになりたい。
T. M. さん(40代以上/石川県よりご参加) らむだクラス
まず、はじめに、ワークショップでやった50億円ゲームがとても楽しかった。
5年前はやりたいことが全然でてこなくて泣きそうになったことを、本当に懐かしく思う。
今回は色々と思いついて、嬉しかった。
それが普段、自分の思っていることと一致していたことにも安心できた。
そして、優月さんとのやりとりで、私はまだ「これだったら、今の私にも出来るかな」というフィルターをはずせていないことにも気づけた。
「ゲーム中は、大風呂敷を広げていい。ワクワクしながら書いた夢たちは、必ず、現実サイズに落とし込めるから」というのは、とても納得がいったし、勇気をもらえた。
機会あるごとに、一人でもゲームをやって、たくさんのワクワク、キラキラを拾っていきたいな、と思う。
ワークショップ・クラスが終わってから、習ったことを実行してみた。
特に、「あらかじめ時間を確保する」「確保した時間で何をするか、計画する → 実行する」にトライした。これは何度習っても、私が身につけられていないことだ。
何度も受けてきたワークショップだけど、ここにきてようやく自覚した。
私、これが苦手だ。
どうやら、「やればできる」ではなく、「やろうとしてもできない」らしい。
実行していた1週間は、ネガティブな状態になりやすかった。
私は、本気で何かに取り組むことが、心底怖いと思っている。
そして、できない自分を直視できない。
「このまま何もせず、楽をして、傷つかずにいれたらいいのに」という甘い考えを持っている。
これが、今の私の、ありのままの姿だった。
目標と計画。
試験勉強の計画と実行はできる。
仕事の納期と、それに合わせての段取りなんて超楽勝。
だって、それは「本当に叶えたいこと」とは関係のないことだから。
計画も実行も怖くない。そして、どんな結果になっても、まぁ別に。怖くない。
だけど、私が本気で叶えたいと思っていることは、それとは全然違う。
本気で叶えたいからこそ、「叶わなかったらどうしよう」「できなかったらどうしよう」と思ってしまう。
どう計画をたてればいいのか、やったことがないから困る。
そうこうしているうちに、「もう、いいか」と投げやりになり、楽をしようとする。
唯一の救いは、私は本当に叶えたいことを見つけることができたことだ。
その夢がもっと自分らしく、増えたり、広がったり、時には変わっていったりしてほしい。
きっと、私は今、正念場をむかえている。
これまでも、多くのことを重ねて、ひとつひとつ変えてきた。
どの変化も必ず、行動からはじまっている。
苦手だ、しんどい、怖い…と甘えたい自分を、励ましながら前に進んでいくしかない。
私の古い生き方は「とどまることが、安全」だった。
今はそうは思わない。
歩むことが、安全・安心をつくってゆく。
生きるために必要なことを、ちゃんと自分に身につけさせてあげたい。
A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) らむだクラス
ONSA さんとつながって1年半、以前よりは100倍くらい手帳を使えるようになったし現実の時間も楽になってきたと自負していた。
それは事実として自分を認めてあげたい。
その上で、まだまだできることもあるしのびしろはあるのだと実感し、「時間」という基礎の大切さを改めて確認した。
優先順位をつけることが苦手な自分にとって、ワークショップ内で教えてもらった優先順位の付け方は、これから一生の財産になると感じている。
睡眠時間とやるべきこと、くらいまでは、スケジュールが得意になってきていた私。
ただ、残りのいわゆる自由時間…その他のライフワークにかける時間の優先順位をどうすればいいのかが、さっぱりわからなかった。
だから、その日暮らし、場当たりになりがちで、長期計画的にコツコツ、やりたいことに向かって物事をすすめるということができなかった。
備え・安全のための勉強も、思い出したら調べてみる、という程度にしかやっていなかった。不十分であるということは十分にわかっていて、不安も覚えていながら、時間をうまく作れないでいた。
人生回復の勉強については、ONSA さんのペースメーカー・外側からの締め切り設定のおかげで、コツコツできている。
ただ、だいたいこのくらいの時間がかかるな、という目算が立てられておらず、時間の仮押さえもしていなくて、空き時間はとにかくワークやろう! みたいな感じになっていた。だから、備え・安全のための勉強や、自己実現の時間とのバランスがうまくとれていなかった。
とにかく仮でいいから、それぞれにこのくらいかかるな、かけたいなという時間の仮押さえ。
ワークショップ内で「書き込んで!」と言われたから今回は書くことができた。
今まで、「書いたくせにできなかったら嫌だな、怖いな」と無意識に思って、空白にしてきたのだと思う。でも空白にすると、絶対に慣れた習慣の方に流されてしまう。
できたかどうかは後で見直せばいいだけなので、とにかくまずは書いておく、ということを習慣にしていきたい。
家族と過ごす休日が特に空白になりやすかった。
最低限の生活にかかる時間を書くことはできるようになっていたが、「ここの自由時間は夫や子どもが何を希望するかわからないから、空けておこう」と今まではしていた。
その空白を、とにかく埋めてみる。
「夫や子供が何を希望するかわからないけど、“私は” こう過ごしたいと今は思っている。」という予定を書くことにした。
その上で、「私はこう過ごそうと思っているけど、みんなはどう?」と話し合って予定を決めようと思う。
それで私の思う通りになる時も、ならない時もあると思うけど、全て相手の希望に沿おうとしていた時より、よっぽど「自分」が戻ってくる時間になると思う。
「50億円ゲーム」をやってみたら、私がこだわっていた前職については、「もし50億円あったら、週1回午前中くらい働ければいいかな」というくらいの存在だった。
自分にとってそのくらいの重要度のものに対して、人生を削るほどに時間を注ぐ必要はあるのだろうか? と疑問をもたせてくれた。
現状、そこに戻る優先順位は、かなり低いかもしれない。
この結果が、「とりあえず、結論を先送りにする」という選択を後押ししてくれている。
チェアワークして出てきた私のやりたいこと。
どれを見ても、そんな時間が過ごせたらいなと思える。
さらに進んで因数分解して、この1週間以内にできる TODO に落とし込んで…とやっていると、だんだんいつもの自分に戻ってきてしまう。
「そんな時間、あるの?」
「そんな風に、何も生産せず働かずに過ごしていいの?」
「これをやっても、無駄じゃない?」
「ここからさらに本当に実現させようとすると、すごいエネルギーが必要だよ。引き返して、慣れた現実の中でそこそこにやっていこうよ」
「家族はどうするの?」「家族と一緒にできる範囲でやれば?」
「やっぱりいつもしていること・ずっと続けてきたことの方が安心する」
こんな声が聞こえてくる。聞こえてくるだけ、ましだと感じる。
これって、よく『夢かな手帳』に書いてあったやつだ。
「夢がかなうのが怖い」という表現。
どういうこと? って今まで思ってた。
やっとわかった。
まず、「本当にやりたいこと」が見えてないとその怖さも感じない。
「確実にできること」の中からそこそこいいものを選んでいるうちは、失敗もしないから。
私、怖いんだ。失敗したくないって思ってる。
因数分解とか締切の設定とか、ずっと『夢かな手帳』で読んできたけど、全然やってこなかった。
そう、怖いんだ。
締め切りを設定したら、「できなければいけない」と思うから。
設定しなければ、具現化しなければ、ひとまず失敗しなくて済む。
ワークショップという形で、「はい、今ここで書き出して!」と言ってもらえたからできた。
なんでも独学ではできないこともたくさんある。
そこは、勇気を持って力を借りていきたい。
ひとまず、すぐにできそうなことは、次の休みの空き時間にさっそく書き込んでみた。
「のんびりお茶飲みながら休み休み本を読む」。これは、本当にすぐできる。
なぜ今までやってこなかったのかというくらいのものだ。
予定を書き込んでたら、なんだか胸がおどる感じ。ワクワクする感じ。
次の休みが、惰性ではなく楽しみに感じてきた。
こんなに違うものなのか! とさっそく発見している。
ワークショップ・クラス当日の夕飯は肉じゃがと、サラダと、山かけ卵玄米ごはんと、味噌汁。
おいしかった! ありがとう、と鏡の自分に笑って話しかけた。
50億円あっても、私は家でご飯を食べたい。自分で食材を決めて、メニューを決めて、できれば自分で作りたい。
人が作ったご飯も美味しいから、そういう日があってもいい。
自分の気に入った内容のレシピ付き食材サービスでもいい。
それを自分で味わって納得して食事を楽しみたい。
私のやりたいことを突き詰めていくと、「多額のお金をかける贅沢よりも、時間がほしい」なのだ(もちろん安全な生活のためにお金が必要なので、貧しいことがよいことという意味ではない)。
今日は、夫が子どもを連れ出して外泊してくれているので、ワークショップ・クラスの直後1時間で覚えている内容についてメモを書き起こしながら、これだけの PAY FORWARD を書くことができた。
「直後の時間は、黄金の時間」だ。
普段のワークショップでも、これを見越して直後1時間くらい確保しておけばいいんじゃないか?
後日、だんだん忘れていってしまうものを時間かけて頑張って思い出すよりも、その方がより多くを身につけることができる気がする。
これも早速明日からのスケジューリングに活かしてみよう。
普段子どもと寝ているとき、私は子どもの寝かしつけを含めて10時間半くらいを睡眠時間としてスケジューリングしてきていた。実際にやってみた感じで、無理なく続くのがこのくらいの時間だったからだ。
子どもがいない夜を5年ぶりに経験し、本来の私は、8時間くらいの睡眠で足りるのだと気がついた。
いつも子どもと9時には布団に入るが、本来の私の睡眠リズム的には10〜11時くらいに寝付いて、6〜7時に起きるのがちょうどよかった。確かに子どもが生まれるまではそうだった(若かったから休日はもう少し長く寝ていたが)。
いつもどおりに長めにスケジュールはしてあったので、二度寝しようかなと寝てみるのだけど、いや、もう十分だからしなくていいな、と感じて起きた。
何より私は、「本物の私の休日」にワクワクして起きたくなったのだ。
寝溜めしなくたって、眠くなったらそのときに寝ればいい、と思えれば、早く起きられる(これは、食いだめしなくてもおやつをちょこちょこ食べればいいと思えれば食事が少量で済むということに似ている)。
起きてすぐ、自分に「おはよう」と声をかける。物音で誰を起こす心配もせずにお茶を飲み、思いついたら PAY FORWARD だってすぐ書ける。
今日もワークショップだ。ワクワク。
ではなぜ、普段は10時間半も必要なんだろう? と考える。
おそらく、そのうちで実際に寝ている時間は8時間くらいなのかもしれない。
確かに、子どもと布団に入って、実際に子どもが寝るまでに1時間くらいかかる。
私が子どもより先に寝てしまうということはめったにないので、子どもが寝てから私が寝るまでにさらに30分くらいかかる。ここまでですでに1時間半くらいかかっている。
寝ている間にも、子どもの寝返りや夜泣きで起こされる。
朝方寒くなると、子どもが私の布団に入ってくる。私の目が覚めても、私が先に起きてしまうと長女が泣いてしまうので寝たふりを続け、そのうち本当に二度寝してしまう。
それでも疲れがとれないこともあり、昼間に眠気を感じることもある。
昼間に眠くなるのが嫌で、ここで寝溜めしておきたいという気持ちもある。
私は思っていた以上に、子どもと一緒に寝ていることで眠りが浅くなっているのかもしれない。
そしたら、寝ている時間のうち2時間半くらいは、私は仕事をしているようなものかもしれない。
人生回復を始めるまで、ロングスリーパーな自分でもなんとか効率よく睡眠をとって物事を進めたい、周りの人みたいに短時間睡眠で済めばもっとあれもこれもできるのに、自分はものすごいハンデがあると感じてきた。
今もロングスリーパーは認めつつ、ハンデは感じている。
しかし本来8時間睡眠で済むならそもそもロングスリーパーでもない(決して短い方ではないが)。
もちろん、また子どもが帰ってくれば10時間半睡眠確保の生活は再開する。
それでも、「本来の自分のリズム」を知ることができたことは大きいし、10時間半も寝ているのは自堕落でもなんでもなく、一部分に家の仕事の要素が入っていたのだと気づいたら、もう自分を責めるのはやめて労ろうと思う。
あとは、私が自然に目覚めたタイミングで長女を一緒に起こすのがいいのではないかな、と書いていて気がついた。
一緒に起きれば長女は泣かない。
早めに起きれば、夜は眠くなり、布団に入ってから就寝までの時間も短くなるのではないかな。
やってみよう。
書くことで気づくことがたくさんある。
さて、ワークショップ・クラスが終わり、いつもの日常が戻ってきた。
そして、さっそく、みごとに撃沈している。
ワークショップ・クラスの翌日に休みを取っていたので、その日に「休み休み、お茶を飲みながら読書する」という夢を入れてみた。
晴れているので、布団が干したくなった。片付けもしたくなった。そうして気づいたら、ほぼ1日、家事をしていた。昼ごはんの時間もどんどん後回しになっていった。
決して悪いことではない。実際、やったらスッキリした。
グレー時間ではない。
ただ、それだけ、私にとっては「休む」「ゆっくりする」ことが難しいのだ。
その翌日も休み。日中に、猛烈な眠気に襲われた。
「寝た方がいいな。でも、このまま寝てしまうと、また今日も勉強ができずに家事だけこなして終わってしまう」と焦り、横になりながら読めるものを読んだ。そうすると今度はやめられなくなって、気づいたら3時間経ってしまった。
結局、休めてもいないので、疲れが溜まったまま1日を過ごした。やるべき家事の時間が押してしまって夜にやることになってしまい、イライラして子どもに当たってしまう。自己嫌悪。
夜中に、子どもの咳で目が覚めて、そこから寝付けない。
日中の運動の時間も削ってしまったので、疲れているのに身体が休むモードに入れない。これはだめだ。
「やっぱり日中に眠気に襲われた時に、素直にちゃんと休むべきだった。運動もするべきだった…」と、ぐるぐる自分を責め始める。
さらに眠れない。
自分を責めている自分に、気づいた。
「完璧な1日を過ごさなければいけない」とまだ思っている。
それが私の休日へのプレッシャーになっている。それゆえに投げたくなる。
全てが自己責任で、その結果を引き受けなければいけない、という私の自由時間が怖い。
誰かに管理してほしい。
仕事で埋めてしまえば、その時間は「生産している時間」だから、何も考えなくて済む。
文句も言える。私のせいじゃないと…。
だから、とにかく基礎が大事なんだ。
「失敗してもいい」。この ONSA の最初のルールに立ち戻る。
これは、「自分へのしつけ」の一つでもある。
だって、「自分の人生を守る勉強をする時間」「自分の夢をかなえるための時間」をとるという習慣は、今までの自分にはなかったものだ。
今、私は、新しい習慣を身につけようと練習を始めたところだ。
初めてのこと、どのくらいのペースでできるのかも全く把握できていないこと、失敗するのも転ぶのも当たり前だ。
最初からうまくいくことを期待するから、しんどくなる。
ここがこらえどころだ。私は、投げない。
「失敗は、学ぶことを手助けしてくれる」。
私は、学びたい。トライ&エラーを繰り返して習熟したい。
ある日に夢の時間を予定して、できなかったら「もうだめだ」ってことはない。
また違う日に立て直してみよう。
勉強と日常と休憩のバランスが取れなかったら、手帳を開こう。
チェアワークしよう。疲れたら、まず休もう。
ワークショップ・クラスの翌日は、「身体中心」の予定の立て方がいいかもしれない。
ワークショップ・クラス当日、座りっぱなし、画面見っぱなしで、身体が硬くなる。
翌日は、読書の予定を入れるよりも、家事や運動を休み休みやって、その中で気付きが浮かんだらワークする、という予定にした方が、うまくいくかもしれない。次はそうしてみる。
大丈夫、少なくとも、「他人のために使う時間はとてもない」ということは自覚できている。
眠くなった時に、適当なネットサーフィンでごまかすのではなく、勉強をしなきゃ、と思えたこと自体、今までになかったことだから。
少なくとも1歩は踏み出せているよ。
あとは毎日少しずつの軌道修正。コツコツやろう。
1度失敗したので、軌道修正を始めている。
Web. WORKSHOP のように週単位で課題があった方が得意だと気づいた私。
気になる記事は週1のメルマガに登録したり、更新のメール通知がもらえるように設定した。
「これが届く日は勉強する!」とあらかじめ決めてみることにした。やってみよう。
仮押さえでいいから1時間、と勉強の時間を確保すると、当然その1時間の質も変わってくる。
漫然と読んでいては終わらない。全部を完璧に読むことも無理。
要点を押さえて、目を通して、気になるところは熟読する、という、まるで受験勉強で英文を読むときのような読み方になる。
真剣だ。
一つ一つの時間に対する姿勢が、この1週間だけでもずいぶん変わってきた。
私は確実に日々進歩している。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。