T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) やえのはくせんクラス
私へ。
おつかれさまでした。そして、今からも続けていきます。
自分に必要性があって参加した「境界線ワークショップ」だった。参加前にはちょうど “勉強する” ってどういうことかを突き付けられ自分なりに考え始めていたところだった。
このことともつながったワークショップでもあったし、これまで何度となく読んだり学んで知っていたこと(実際は知っているつもりだったことであるが)とも、自分の中で意味することが何であるのかがつながり始めたとも思う。
ライフサークルが私の境界線の中のもの、その境界線を守る=自立。
あぁ…と腑に落ちると同時に、「私はムリです」の練習で言葉に出すと私が相手を利用していること、本気で言うことはこれを手放すことが交錯してくるのを身体が感じた。
これが、依存しているということなんだと。
「私はムリです」の境界線をひくことは、私にとっては自立宣言。
繰り返し宣言していくことを過去していなかったな、できるまでやっていないよな、と自覚する。
やっていく方向性が少しはっきりしてきた。
小さく小さく練習なら、私にもできる。
それから、「提供されたものから選ぶことも依存そのもの」の意味が、これまであまりにも無意識できているだけに、ここの理解が落ちていないとも思う。
ただ、理解できていないということが現時点でわかったことは大きいと思う。
日常の中で、考えることにつなげていきたい。
ライフサークルがいかに重要か。
これまであまり書けなかったのかもわかってきた。
あっという間に5年10年過ぎると。
実際、それで私はその時間が過ぎてしまっている。
これからもそうしたいのか? そうすればするほど、自分だけでなく子供の命も危険になる。
自立なくして、守れない。
だから果てしなく感じてもやる。
優月さん、ご一緒できたお仲間さん、ありがとうございました。
S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) やえのはくせんクラス
今回のワークショップを受けて、日ごろの自分を振り返って思うこと。
私は特に忙しくなると、もう無意識でいつも思う。
「誰か、なんとかしてくれないかな…」と。
この依存思考。
「だって、私はバカだから。」っていつも投げ出したくなるし、実際何度も投げてきた。
でも、当たり前ですが投げても投げても問題は何ひとつ解決されなかった。
外側の自立っぽいこと(お金を稼いで暮らしていくこと)はやってきた。
だけど、結局最後は元の場所に戻ってしまっていた。
そう気づいた時、というか気づかないフリをしてずっと生きてきたけど、そこから軌道修正をして問題に向き合い始めたら、気づいたら目の前の景色が変わったことだって、ある。
どちらの方が、自分の命を守れるのか? そう問われたら、即答で後者だと断言出来る。
だけど今の私はまだまだ、前者のやり方が馴染みがあり、細胞レベルで染みついている現実がある。
真の自立になんて全然追いついていない。
この私が、本当の意味での自立をはたせるのだろうか?
私はこうやって、何度反省(らしきもの)をすれば、すむのだろう。
何度失敗をくりかえせば、解るのだろう。
今の世の中、一度の失敗で命取りになってしまうこともあるのに。
今の私の最優先の課題は本当に合っている?
今は、何やっても不安になる。
あぁ、一気に全て解決できたらいいのに。1つづつ呑気にやっていたら、間に合わないよ。
書いていて、もう自分の弱点がまんまあぶりだされていると感じます。
そしてワークショップの最初に教えていただいたように、出来ない=ダメだじゃなくて、この時間を行動するに変えていこうと思います。
それしか、多分道はないから。
夏のワークショップまで、1つでも自立が出来ているように、生きていきたいです。
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) やえのはくせんクラス
私は本当に息を吸うように人を助けてしまう。
誰かが何か言っているだけで、私の助けるアンテナが動きはじめる。
さっと先回りをして手を出してしまう。
手伝うに値しない、むしろ持っていかれると感じている人でさえも、助けてしまう自分に気がついている。
私が面倒を見るのは私自身。誰かの面倒を見る代わりに、私のことを助けてもらおうとするのは違う。
違うと分かっているけど、私は自立が怖いのだと思った。
その人を失っても自分でやっていける力をつけること=自立、という話を聞いて怖くなった。
私には無理かも…とつい思ってしまう。
イヤでイヤで仕方なくても、そこにしがみついて手を放そうとしない。そこに居続けているのは他ならない私自身。毎回そう気付いているのに。
結局のところ、私は自分に責任を持つという覚悟ができずに、ここまでずるずる来たのだと思う。
私はコントロールの綱引きから抜け出したい。
自分がしたいことを考えたら、誰かと駆け引きしている時間なんて全然ない。冷静になれば、そんなヒマは全くない。
自立するのが怖くて、自信がなくて、慣れ親しんだ不快な場所に安住しているのはもう止めたい。
ワークショップ・クラス中にライフサークルを目の前にして、スキルを意識するとどんどん書けなくなって、この場から逃げ出したくなった。
自分の拙さに涙がにじんで、自分には自立など無理な気すらした。
何が依存で、何が依存ではないのか。
自立して仕事も生活も回しているつもりでいても、私の立ち位置があまりに依存ベースに思えてきて、混乱して分からなくなった。
砂嵐の中に戻ったような気がした。
ワークショップ・クラス後に、日々の生活の中で、じわじわと侵食されていることに前より気が付く。そして、そこになぜ私が NO と言わないかの理由にも気付いてる。
あまりに言われた通りで、自分にがっかりしながらも、納得している自分もいる。
不快なものは不快だし、それをよしとするのは自分を裏切り続けることになる。
だから、慣れないながらも、よれよれと線を引こうと意識する。
よれよれの線でも今の私には十分健闘。
私が私の足で立って自立していけるように、私に足りないスキルを見極めて、一つずつ考えていこうと思う。
怖くても、そうする以外に怖さから逃れられないから、覚悟を決めてやっていく。
いい意味で諦めて、自分のために一つずつ積み重ねていきたい。
逃げ出さずにいてくれた私のために、小さくても行動したい。
Y. W. さん(40代以上/愛知県よりご参加) やえのはくせんクラス
私は、何度も「境界線ワークショップ」に参加している。
私は「境界線がひけない(できない)」と思っていた。
私は、そうではないと気づいた。
私は「(そもそもやろうとせず)境界線を引かない」を、自分で選んでいた。
私は「できるか、できないか」以前に「するか、しないか」の「しない」を選んでいただけだった。
私は、自分でそうしておきながら、その結果を「あの人・状況のせい…」と、外側のせいにしていた。
私は、まったくもっておかしい、何にもならないことばかり、ただ続けていただけだった。
私は「依存以外の生き方なんて、私にはできない。想像すらつかない」
そんな弱腰の自分から目をそらしていたい。
直視したくない。認めたくない。
認めてしまったら、それを引き受けて、私がなんとかしないといけない。
私は「そんなもの、できる気すらしない」と怖気付いて、ごまかしていた。
私の「境界線問題(そもそも引くことすらしない)」「依存症の生き方」は、結局はこういう「私のごまかし、逃げ」の現れ。
不運とか、外発的な要素で起きているんじゃない。
私の内側がそのまま、外に、私の日々の選択に現れている。
それだけのことだった。
私はこれまで、「境界線ワークショップ」以外にも、数々のワークショップに参加してきた。
私は、そこでたくさんのことを学んできた。
でも私は、理屈的な部分やつながりはかろうじて理解できても、本質レベルでの理解は、全然だったなと痛感した。
(そしてこの理解は、知的なことだけでなく、行動や実感が必須だと、私は感じている)
いつも以上に、自分のありようをまざまざと感じました。
私は、全部一気にはできないし、それで「何もできない(しない)」のがクセ。
なので私は「一つやれば、一つ終わる」で、小さくても進みたい。
ありがとうございました。
A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) やえのはくせんクラス
私は「自分でできるようになる」の反対はただ「できない」だけかと思っていた。
けれど本当の反対は「何とかしてくれる誰かをさがす」というのは衝撃的だった。
そして私はこれこそが依存だとは全く思っていなかったのだ。
私はどこかで自分が正しい情報や適切な人に出会えれば、なんとかなる…つまり、何とかしてもらえると思ってる。
私の人生を上手くおさめてくれる、私の人生をその誰かに背負わせようとしていた。
私は、全然、自分の人生を自分で何とかする気がないんだ!!!
自覚すると私はなんて恐ろしい生き方をしているんだとゾワっとしてしまった。
私は NO というのがこわい。付き合いを止めるのがこわい。
私はどうしてこんなに抵抗があるのか、それは私に取って都合の良い存在に執着しているんだ。
私の依存心からきているのが衝撃的だった。
「私が○○するから、私を助けて」
この精神で私は生きていると思った。
いかに私が自分の面倒を誰かに押し付けようとしているのが明らかになって悲しくなった。
私はそれなりに自分て出来ているかと思ったけど、まだまだそんなことなかった。
自分の人生を生きる覚悟がなかったのだ。
私は自分のことを自分で生きる決心をして、実行しなければならないんだと強く強く感じた。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。