2023.03月開催 「変容ワークショップ」れんべるクラス

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タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) れんべるクラス



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私が今回のワークショップに参加して一番心に残ったのは
「学ぶことは『完璧になるため』ではなく、『自分が安全に、そして楽に生きていくため』」
という言葉だった。


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私は回復の道を歩きながらも気づくと「不完全な足りない自分」を恥じたり、一生懸命それを隠そうとしたりしていた。

私はいまだに無意識に「完璧」を目指したり、その場を取り繕おうとするときがある。
それは長い間その生き方をしてきたから意識しないとそちらに行ってしまうのだ。

「学ぶこと」に対してもふり返ると「自分が安全に、楽に生きていくため」と思ってしたことなどなかったと思った。
ただいつも「私は足りない。追いつかないといけない」とどこに向かっているのかもわからずやみくもにしていた。だからいつも不安だったし「足りる」こともなかった。

私は、今自分を安全にするための勉強をし始めている。
それこそ、全然完璧ではなくて「自分のため」に自分に出来る限りでしている。

それでも、なんだか安心するし、楽しいし、満足も感じている。
これが、そういうことなのかもしれないと思った。


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また、ワークショップ中どんな人にでも多かれ少なかれ得意、不得意があって、みんなでこぼこしているのだと教えてもらった。
そして、その不得意を補うことで社会で安全に楽に生きていけるのだとも教えてもらった。

その「不得意な(足りない)部分がダメだから補う」のではなく、「みんなでうまくやっていくために補う」。
全然違うと思った。

私は「出来る人たち(私にとって)」は「完璧」なのだと思っていた。
そうではなく、「みんなでうまくやっていくために、自分の不得意な部分を自覚して補っている人たち」だったのだとわかった。


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私は、自分の不得意な部分、そして親から与えられなくて欠けている部分、それを自分で補わなくてはいけない。
でも、それは「私がダメだから、完璧にならないといけない。立派にならないといけない」ではなくて「私が安全に安心して生きるためにすること」。

そう思うとすごく心が軽くなった。
「そのために自分が出来る具体的な工夫や対策」についてもワークをしたけれど、以前よりは自分の中から出るようになったと思う。
私は本当にこの「具体的」な発想が苦手なのでこれも粘って練習していこうと思う。


私は「それは、私が安全に安心して生きるためにしているのか」「それは、自分の命を守るためにしているのか」を意識していきたい。

ありがとうございました。




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Y. W. さん(40代以上/愛知県よりご参加) れんべるクラス



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私に起きていたこと。

私の親が、健康な子育てをする力がなかったこと。
それゆえに私は、ゆがんだ認識や処世術しか学べなかったこと。

私は、この歪んだ土台しかもてなかった。
だからその上に、私が自分でどれだけ努力しても、曲がった結果や関係しかもてなかった。
私の「努力してるつもり」も、結局は「自己否定」からの行動で、選択肢や方法を誤っていることばかりだった。


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私は、共依存の仕組みについて、何度も聞いている。
聞くたびにますます「そりゃ、私はこうなるよね」と納得しかない。

私が歪んだ生き方や認識を持ってしまったこと。
それは、私にはどうしようもなかった。
そしてそれを自覚しての今、これからのことは、時間はかかっても、私は変えてゆける。


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私は、早く良くなりたかった。
その気持ちは間違ってないと、私は思う。

でもその気持ちのあまり、私は有効な回復の方法を取り入れても、結局、歪んだ自己認識やイメージ、目標の方向違いで「外側だけを整えようとする」「提示された枠に自分を当てはめようとする」「早く、完璧にならなきゃダメだと、自分を駆り立て、検閲する、責める」。
私はそんなことばかりしていた。


私は、有効な方法や知識を学んでも、その中身が、誤ったままだった。
これでは、自分でやってるつもりでも、うまくいかないのは当たり前だ。

私は同じところで足踏みしていた。
かけている努力の割に成果も出ず、消耗してますますつらさを助長していた。


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私は、自分の特性やクセにも、同じような過ちをしていた。
私は自分の特性が受け入れられず、人格否定になっていた。
(それもまた、私の特性から見れば「そうなるよな」と私は思う)

でもワークショップの中で言われた「自分を理解していくこと」「非現実的な、完璧な丸になろうとしない」「苦手を認識したら、ただ、補う工夫をすればいい」「結果、自分がラクになったり、生きやすくなればいい」。
私が認識を改めるべきは、ここだったと気づいた。


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私は、まだまだ自分の特性=自分の存在のダメさ、に一体化してしまうけど、少しずつでも整理して、区切って、付き合えるようになりたい。

発達の四段階を埋めていくこと。
信頼を埋めるため、快を大切にすること。

それも、私の心と身体を通じての実感や納得、感じることがなにより大事だったと、私は気づいた。
それが「大事だ」と気付けたのは、試行錯誤や失敗も山ほどしながら、そのなかで「これは確かだ」と自分で感じ、納得したものがいくつかあるから。


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私が「安心を埋めていく」についてはじめて学んだのは、数年前。
その時は、私はそうしたくても、何をどうしていいかさっぱりわからなかった。

私は、雑誌や本で紹介されてることを真似してみては、なんか違う…を繰り返し、モヤモヤしていた。


そして今の私は…前よりもまず「安心を感じたいと思うのは当たり前」「私はそれを満たしていい」と思える強さがついた。
強さというより「それで当たり前じゃん」という感覚になってきた。

そして「やってみて、ちがった」があっても、私は前より自分責めをしなくなった。
「これはちがう」とわかった、じゃあ次に行こう、とただ思えるようになった。

私は、行動することへの壁が、ずいぶん取り去られてきた。
私は、行動してみた自分を、ほめられるようになった。


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今の私にとって「安心」は、「私への信頼」につながるようになってきた。
かつての私にとっての「安心」は、外から与えられる何か、というイメージが強かった。

でも今は、私が私に対し「何を感じてもいいよ」「私の気持ちは、私のもの」「気持ちこそ、大事にする必要があるよ」と言えること。
私はそのことにとても安心する。
安心って、こういうものだったんだ、という発見や感触がある。


私は「安心」について語れること、自分の体験や実感が増えてきた。
そのことが私はうれしい。
これは紛れもない、かけがえのない、私が数年で得た大切な変化だ。


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私の心と身体で感じたことは確かで、消えない。
消えないから、しっかりした土台になって、これからの私のよりどころになってくれる。

私が自分が下手で、情けなく感じても、「私の快ってなんだろう」と、実際にあれこれやってきたこと。
今はそれらの「行動したこと」に感謝したい。
もしあの時「どうせ私はうまくできないから」「いつか誰かが教えてくれるかも」で私がやらずにいたら、今の私の「実感」はなかった。

うまくできるから「やる」んじゃなく、できなくて、うまくやれるようになるために「やる」。
そういうことだと、改めて思いました。


優月さん、スタッフのみなさん、お仲間さん
ありがとうございました。




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M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) れんべるクラス



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私に足りないところはたくさんあるけれど、参加できたことがよかった。

変化を受け入れることが私にはとても難しい。
問題を見つめて、それを解決していく方法を探して実践しながら生きていくことが私には難しい。

変わらないままでいたい私と、何をやっているのかと思う私と、変化を望む私が浮き出てきたり見えなくなったりしている感じ。
私は私に問うことをやめないでいきたいと思った。




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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) れんべるクラス



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今回のワークショップを受けて、私が子どもの時に学ぶはずだったこと、自分の課題が出来なかったという事実が本当にこれは大変なことだったんだと強く感じた。
そして今これを自分で自分に今、やっているんだという気持ちが改めて湧いてきた。

正直、もう途方もなく終わりの見えない道、恐らく多分、貢献にはたどり着くことはできないのだろう。
でも、私はそれで十分いいし今は納得している。

私はまだ、人に適切に頼るとか、冷静に自分を顧みて行動するとか全く出来ていないダメダメな大人だけど、私は私を認めたいし一緒に生きていきたいなと凄く思う。


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それにしても本当に私の両親は何を考えていたのか。
怒りを通り越して感心さえしてしまう。

子どもを放置して、これだけ苦しめる。
人一人の人生の重さを全く理解していない。とても深い病なのだと改めて思う。


ご一緒してくださった皆さん。
今回もありがとうございました。また、次のワークショップで宜しくお願いいたします。




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S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) れんべるクラス



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私は、変化のサイクルの中にいる。
変化はあるのだということを静かに受け止めるような感覚が、湧いているように思う。

私は、プレワークを振り返ってみて、取り組んでいた自分に対してとてもやさしい気持ちになっていることに驚いた。

このワークショップを受ける前と今の私は、たしかに変化している。
私はいまも、この命をもって、変化を続けている。


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私は、発達段階の大切な土台である「信頼」の部分から埋めていく必要がある。
そう学ぶのは初めてではない。

しかし私はどうやら、そのことを「立派に」「うまく」「完璧に」やり遂げなければ、と思っている。
最初の段階を完璧に成し遂げなければその先には進めない、とも思っていて、自分が息苦しくなっていることを自覚した。


土台がスカスカでボロボロのままでその次の段階へ進むということは、とても不自然なことだった。
自分が過ごしてきた時間を振り返ると、本来あるはずだった、安心や安全を感じたり、好奇心いっぱいに無邪気に遊んだり失敗を恐れず挑戦したり、ということが、無い。

私はいつもどこか張りつめた空気を感じ、うまくいかないことを怖れ、できないのは自分の努力の足りないせいだと責めていた。
ずっと前から、私は、自分というものが分からないでいた。

これまでに自分でも「これが自分」と思って覆っていたものを少しずつはがしてみると、実は中には何もない。
知識として学んでみると、それもそのはずだ、と思う。
私は、空っぽだった。


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私は、自分の特性について知りはじめた時に、いくらか安心したことを思い出した。
けれど、今回のワークショップを通じて、私はまた「人格」と「特性」をごっちゃにして、混乱していた、ということに気がついた。

私は、自分の持っている特性のうち弱い部分が「劣っている」「人としてダメなのだ」と感じて、苦しくなっていることがある。
私はそのせいで、これからも上手くいかないのでは、と自分を脅しているようなこともある。

「現実の自分のサイズ」として認識することの大切さを、改めて学んだ。
弱点に対して、ダメだと落ち込んだり責めるということは、現実の私を助けることにはならない。

反対に、自分で自分に合うやり方を見つけてその実践を積み重ねていくことは、確実に私自身の力になるはずだ。
私はそうやって、自分で自分に時間やエネルギーをかけるのだった。


私は、気合いや根性で「なんとかしようとする」ということを、もうやらなくていい。
私には、具体的に現実的に、やるべきことがあるのだった。


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私は、自分にとっての「快」を知るためには身体にきくのがいちばんなのだった、ということを確認した。

私はいま疲れている、ということを、頭で操作することはできない。
「いまは都合が悪いから、疲れていないことにする」というわけにはいかない。

チェアワークで自分の身体に明け渡してみると、私からはなんらかの答えが出てくる。
私からでてくるものは、とても信頼できる。

誰かのためとか、立派に見えるためとか、そういうものでは全くない。
私が私のために「ぜひそうしたい」と感じることであり、私にとってとても価値のあることと感じられる。
私は素直に、自分の声を聴いていきたい。


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私は、「その人間関係は、あなたの命を守りますか」という問いに、ドキッとした。
私には、向き合うのを恐れている関係性がありそうだ。

本音では別の感情があるはずなのに、私はそれを自分でのぞくことを怖がっている。
いまあるものを手放したら、自分には何もなくなるのでは、ということも恐れている。
私は、自分の中に「0か100か」という極端さも感じる。


私は、私が私として生きるための具体的な行動を、自分で起こしていく必要がある。
私は、これまでのやり方は通用しないのだ、という変化を、自分で受け入れていかなくてはいけない。

私はいまも変化のさなかにいて、自分を大切に守ろうとしている。
私は、この勇敢な自分を、もっと信頼したい。
自分に必要なことを、知識として何度も確認し、現実で通用するように何度も練習していこう。




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A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) れんべるクラス



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「その関係性は、あなたの命を守りますか?」という質問が、私の中では大きい発見だった。

私のためにならない関係があまりに身近に多すぎてがっくりきた。
こうやって客観視する機会を持たないとその認識すらできない。

対策を書き出してみると、案外と、自分の中に答えはあるのだなと気付かされる。
「いつからどのようにフェードアウトするか」という具体的イメージを持つことで、目標となる大まかな締め切りと、それまでの行動も見えてきつつある。


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私のためにならない関係性の多さに軽く絶望しつつも、それでも以前より私は楽になっている。
「こんなに恵まれているのに不満を持つなんて、そんな自分が嫌になる」という状態を脱することができたからだと思う。

「こんなに恵まれている」って一体誰の目線と価値観で決めていたのだろう。
その「恵まれた環境」を「ありがたい」と思わなきゃいけないと思っていたから苦しかった。

「私は今の環境も関係性もかなり嫌なものが多いと感じている。
そう感じている私自身を、私は認めて OK としている」という風に、周囲は変わっていないけれども私が私の感じ方を認めて味方になれるようになったから、これでもだいぶ楽になったんだ。

「いやだ」という自分の感情さえわかれば、そうでない環境に移るための具体的な方法を探していくだけだ。


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自分の特性について、補う部分についても考えるワークがあった。

特性のことは、自分でも見えてない部分もあるし、定点観測枠で優月さんに個別に教えてもらわなければいけないのでは? と思っていた。

ワークで書き出してみると、案外、自分のことは自分がよく知っているのだなと気づいた。
そりゃ、生きている時間のぶん、ずっと行動を共にしているわけだから、自分が1番知っているのは当たり前だったな。


普通の人は、そうやって「自分はここが得意でここが苦手」とか自己理解して、対策をしたり、自分に合う進路選択をしたりするのだと思う。
(人から言われなくても!)

最終的に “自立” を目指す上で、自己客観視して自分で考えて自分で自分を補う能力は、すごく必要だなと思う。




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T. M. さん(40代以上/石川県よりご参加) れんべるクラス



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私は学んだり練習したりするとき、まだ「完璧」を目指しているのだと気づかされました。
ダメで欠けている自分を心のどこかで思い浮かべている。
だからなにかに取り組むとき、苦しさを感じてしまうのだ。


そのことに気づけたのは、お仲間さんのシェアのおかげでした。

ご自身のことを素直に即座に振り返れるお姿とは反対に、私は、誰かの意見を聞いてから、ワンテンポ遅れて、自分の真の姿に気づく。

そう、これが私だ。
気づくのが遅い。

「私は大丈夫」と思い違いしている。
恥ずかしいな、情けないな、と思いつつも、私はそんな自分の欠点をちょっと愛おしく思えるようになった。

決して早くない。器用でもない。それが、私だ。


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5年前、はじめて「変容ワークショップ」を受けた時、私は自分の土台が穴だらけどころか、「無い」状態であることに愕然とした。

土台がないところに、仕事、結婚、物分かりのいい自分など、ハリボテの大人をどんどん積み重ねていたことを知った。
「そりゃ苦しいに決まってる」と思ったことを、今でも鮮やかに覚えている。


あの頃よりも私は楽に生きられるようになった。
「信頼」の部分を自分で少しずつ取り戻してこれているのだと思う。

そして、自分で取り戻して積み重ねたものは、揺らぐことのない、安心できるものであることも少しずつ実感できている。
これだって、完璧にならなくていい。


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少しずつでいいから、時々失敗してもいいから、自分にとって良い選択をさせていってあげたい。

自分の弱いところにも、コツコツと取り組んでいきたい。
そうやってこれからも自分を取り戻していきたい。




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M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) れんべるクラス



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あらためて、幼少期に異常な巣の中で育ったことの確認と、そのために取り戻すものとを刻めたワークショップになりました。


OK/OK でないところの関係は、まさに幼少期そうであったように、大人となった今でも「信頼」を奪うのだと気づきました。


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グルグルさせるものは、わたしの時間を奪う。
信頼=わたしの時間。

グルグルさせるものに関わると、休まらないし、温めようと身体に意識も向けられないし、何を食べたいかなと自分と相談することなく目の前の手っ取り早いものに手を出してしまうし、眠りの質も落ちる…。

今日はこれを作ろうかなと楽しみにすることも奪われるということ。
まさに、自分の時間を奪われる。


そして、わたしは原家庭内でそれを初期設定として学んでしまったが、この今の世の仕組みにも相性の良い設定にもなってるのだと気づく。
どうしたらよいかわからないから、大多数のわかりやすいものを受け入れてしまってたのだった…。

その「どうしたらよいか」の感覚をどう埋めれば…貢献で埋めようとしていたのだわと気づく。
あるいはアイデンティティ、仕事…。

違う違う、ほんとに基礎。それがあって、初めて考えられるんだ…。


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どうしたらよいかわからない…と迷ってる人がいたなら、まずはいいもの食べて温かくして寝て休んでからにしたら。と言える。

よく考えられない土台の上では、ほんとうにさらに考えられるはずもなく…という当たり前のことが図式を見るとよくわかる。

簡単に言うと、眠いしお腹空いてる(あるいは気持ち悪い…あるいは酔ってる…!)のに考えられないよね、と。


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わたしは、信頼の快の感覚、あるいは在り方が好きです。
そこを整えることをするのが好きです。

それを別名暮らしや生活と言うのかな。

親が教えたように、いきなり貢献を考えていたなと、この道の当初を想う。
それはそう教えられたからなのだとまたわかる。

いや、もう第三段階ぐらいで満足しよう、なんて偉そうなことを思っていたのも気づく。
今は、この第一段階を死守するだけでも大変な社会になってきてると思う。すみません、第三段階などと大きなことを言ってしまい、となる。

生き物としての本能がやられている、ということ、これはとても痛い言葉だった。あぁ…とため息。


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ありのままでいい、なんていう社会が発信している一見明るいものは、完璧な丸であれというメッセージだった。
そういえばそんな歌もあったような…。

ありのままは、そんな軽い表面やまやかしではなく、生きる戦略という確かなものでした。

そのわたしで生きてく、そこが面白い、ということも、そこが劣等感、についついなりがちなわたしだったけれど(わたしはまあまあ癖あります)、面白さの片鱗は感じられたので、少しは成長してるかなと思う、引き続きやっていきたい。


今回もありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) れんべるクラス



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成長とはなんであるのか、そして何をこれから何を補っていくことが必要なのかを考える、ワークショップだった。
まだ、消化できたとはいえないし、何度も何度もこのワークショップでの知識は思い返して、行動につなげていきたい。

「いのちを育む」と言葉では当たり前のように感じてしまうが、そこで成し遂げられることが何かを学んだ知識と自分たちの生きることとをつなげてひとつずつやっていく。
そのために、準備することを重点的にやっていきたい。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) れんべるクラス



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「学ぶことは、自分を肯定すること」という言葉に、私は希望を感じた。

私の特性やクセは、学んで練習して補っていけばよい。
そのことが体感的に理解できた。


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「私の特性やクセ=私がダメなところ」と、どうしても受け取ってしまう自分がいる。

人はそれぞれ違って当然と頭では分かっていても、私はやっぱりダメなんだと思ってはそのまま思考停止。
私はその堂々巡りを日々繰返している。

私はワークショップ・クラス後に、改めて自分の特性を調べた。私は自分がいつもモヤモヤしていたことと、自分の特性の関連性がまた少し分かってきた。

既に分かっていた部分に、新たに気付くことが加わり、自分への理解が少しずつ深まっていく。私がダメなわけじゃなかった。
これを補う方法を試すと決めて、自分なりの解決策を思いつくままに幾つも挙げてみる。


文節区切りの線

私は考えをまとめるのに時間がかかる。
だから、まとめるための時間を取るようもっと意識する。

私は書き出して眺めながら考えてみるのは、以前から時折実践していて、自分に合う方法を選んでいるところもある。

そうやって自分を補っていくスキルを増やしていけばよいと分かると、少し安心できる。
離れ技に挑む必要はなくて、できることから一つずつ試すなら私にもきっとできるはず。


文節区切りの線

私が信頼を回復させるためにしたいことは、ごくごく普通の当たり前のこと。
そして、私が中々できずにいること。

これができたら、私の日々の基本が安定すると思う。

ゆっくりしっかり眠りたいと書いているだけで、もう眠くなってくる。
そんなことの数々を私は書くだけじゃなくて、一つずつ試していこう。

todo リストを書いただけで、また相当な量になるけど、優先順位を決めてやってみよう。


文節区切りの線

自分ができることを考えて試して、自分の人生を安定させていけばいい。
その入口に立ったばかりかもしれないけど、私の手の届くことなら安心感があるし、それなら自分にもできそうだ。
私はそうやって自分を安全に保つために、私のために行動したい。

今回もありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。