M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) あいすばーぐクラス
社会と健全な関係を結べない大人が世代連鎖されるという不幸を、自分と想う。
社会と、健全な関係を、結べない大人。言葉の意味をなぞる。
ずっと、痛いなあと思ってた言葉。
それは、以前は、わたしの原家庭環境内での大人のことだった。
そして、それは、自分もその一人だったのだとなった。
そこから、何とか社会ともう一度健全さを結ぼうと頑張ってみてたのだと思う(何とか、という時点でこれまた違うのだけど)。
でもそれは、社会に自分を擦り寄わせる感じだったんだと思う(それも自分がないからそうなる…)。
ほんとうに、今、社会と健全な関係を結ぶということは、さらにレベルが上がってると思うし、それは、自分と自分との関係がまずあってからの話しなのだと思う。
まずはわたしが健全でないと、すぐに飲み込まれる。
まずは自分を知らないと、どう関わっていくのかもわからない。
「じかんのきろく」を作りながら、その自分の状態があちこち残ってるのを感じてる。
社会が健全でないから…うん、それは今も昔もそうだったのだよね。
社会が悪いんだー! ではないのだよね。
そう言う人は自分が病んでるという…かつての自分だったし、親の持ち物でもあったこと。
とにかく、その自分と自分との会話をひたすら続けた3ヶ月でした。
これぞ3年間ぐらいに感じる濃密さがありました。
「生きてくこと」には、マニュアルやハウツーもないし、正解や保証もなかったのだなと気づきました。
親の「こうやって生きてくのよ」を真似するわけにもいかず、でもどう動けばよいかわからなかったんだなあと思っています。
赤ちゃんが歩き方を覚えていくように(おそらく親もそれは教えれない部分かなあと…こうこうこうだと言葉で通じる時期じゃないし…でも歩けるようになってるということは自分でできるということ…親の役割は危険がないよう見守り成長を一緒に喜ぶこと…)、自分の感覚や身体でやっていくものなのだと思う。
そういうものがわからなかった過去を振り返ると、この人どれだけ不安だったんだ? この人どれだけフラフラしてんだ? とよく見えます。
でもその際中は、その自覚が薄かったこともよく見える。
だから、この今もその傾向はあると留めておかないといけない。
過去を消化する途上である、という状態を常態としたい。
このコースではなく、もっと基礎のコースでの言葉だったと思う。
過去がすっかりなくなったわけでもない、昔の自分の癖が全くなくなったわけでもない…。
それをなぜか今思い出している。
気づいたり、新しいことを知って開けたり、そういうときはとても滑りやすい(もちろん、気づきも知ることも大事として)。
ちょっと洗練された気持ちになり、お花畑へまっしぐらになるから(ここがおとぎの国への入り口)。たぶん、BGM も流れてる。
そうではなく、ここもやはり自分を肯定し楽に安全に生きてくため。
肯定とは途上、完璧! ではない(ほんとに切っても切っても出てくる…)。
働くということ、仕事ということ…元々がそうだったように、これも原点からいきたいと思う。
社会での原点、わたしの原点、それも日々足元を確かめながら、次のコースへと向かいたいと思います。
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多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。