T. M. さん(40代以上/石川県よりご参加) あどりあクラス
ありのままの自分をひとつ知ることができると、安心が少し大きくなる感触がするようになった。
たとえそれが「○○ができない」「○○が苦手だ」ということだったとしても、「自分のできる範囲」が見えてきて安心する。
逆を言えば、私はそれぐらい、自分の限度や限界を全く考えてこなかったということだ。
ここ1か月ほど、私は「等身大の自分」について考えていた。
それは境界線の話とはまた別の、私の特性を知ったことがきっかけだったけど、根本は同じであることを、今回のワークショップで知ることができた。
だからこれからの私は、「等身大の自分を知ること」をひとつ大きな目標にしたいと思う。
私は、楽に生きていきたい。
私にとっての「楽」は、自分ができる範囲のなかで生きていくことだ。
もう昔みたいな、ずっとアクセル踏みっぱなしで、食べるものも適当で、疲れているのに夜はあまり眠れなくて、こんなに頑張っているのに心は全く満たされない、みたいな生活に、私は絶対に戻りたくない。
私を大切にしてあげたいから、私は私の限界や限度を、もっと知っていきたいと思う。
S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) あどりあクラス
私は、いまの自分の状態について、多くの発見があった。
自分の特性を知ることは、優劣をつけたり自分がダメだと攻撃する材料にするためではない。
自分にとって必要な対処を知り、その練習を実際に行うために、とても役に立つことだと分かった。
私は、「『限度』や『限界』はあっていいもの、それがふつう」と聞いて、驚いた。
私にとって限界が、自分が何かを成し遂げるには「突破」しなくてはいけないものと化していたからだと思う。
私は、「限界突破」という言葉に、新しい理解が生まれたと感じている。
限界とは、先の見えない不安や自分の不全感に苛まれて、何とかして乗り越えなければいけないものではなかったのだ。
自分の等身大のサイズを知り、自分の限界の中でやっていく。
ヒトは成長の過程で、少しずつできるようになることが増える。
それにつれて、一つの限界は突破され、また新たな限界ができていく。
そうとらえてみると、私は、生きているということや命のある限り成長するということが、とても貴いことだと感じられた。
私は、「いまの自分で、自分の限界と境界のなかで、できることをやる」という練習を、徹底的にやっていきたい。
私は、自分の状況を変える必要がある。
何とかできるのは自分だけであり、何とかしないのは自分の責任である、ということも理解が深まった。
ワークショップでは、優月さんに「受け身はダメ」と言われる場面がたびたびあった。
私は、自分でできないこと、分からないことに対して、「待つ」という方法をとっている。
そして、「あわよくば」と、かくれた目的や見えない利益を達成するようなことを、いつもいつも期待している。
その達成のために、境界線を空けておいて、他人が入ることを簡単に許している。
私は、自分が自分で生きていく力をつけたいのだった。
私は、自分の力では今はできないということを、認めなくてはいけない。
そして、自分の不足を補うような近道を探すのではなくて、自分に力をつけるための練習が必要である。
私は、「OK/OKの関係」ではないにもかかわらず、いまある関係を何とか維持するようなことを、してしまっていた。
そこにとどまってはいけない関係を手放さなくてはと考えると、私はとたんに不安や無力感に襲われる。
なじみのある感覚、懐かしいという感覚を、切望してしまいそうになる。
自分をOKにすること、OKではない相手からは距離をとること。
私はここに、勇気をもって取り組む必要があると思う。
私は、自分で練習を重ねて、様々な体験を増やしたい。
私は、いまのこの自分に必要なことを、地道にコツコツとやっていこうと思う。
A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) あどりあクラス
「私は人の面倒をみることを優先しがちだ」と言われて、以前にも指摘されたことがあるものの、ピンとこなかった。
私は、どちらかというと、体調も崩しがちだし、人に助けてもらうことの方が多い気がしていた。
生活に戻った時に、「ああ、こういう場面ですごく私は気を回していたんだ」と気づくことが多かった。
過去を振り返って、私は学生時代の部活でも、仕事で上下関係があった時代にも、「先輩」という存在が苦手で、「後輩」の方が好きだった。
先輩にうまく頼れない。
教えてもらっていいのだろうか、甘えていいのだろうか…と逡巡して、うまく話しかけられない。どの程度、敬意を表して、どの程度は親しく接していいのかがわからない。
評価されているような気がして、緊張してしまう。
ちょっと抜けてたり、ダメなところがあったり、マシンガントークで喋り続けるような先輩の方が、私がフォローして話を聞いて「役に立てる」感覚があるので、楽に接することができた。
後輩は好きだった。私が面倒をよくみて、丁寧に教えてあげ、相談にも親身に乗ってあげれば、ほとんどの後輩は私に好感を持ってくれる。
「慕われている」という感覚が私を高揚させてくれた。
ここにも私の見えない利益が隠れていた。
「私はあなたの面倒をよくみてあげるから、私を嫌いにならないで」
「私はあなたに時間を使うから、ちょっと私に落ち度があっても、フォローして」
まさにコントロールそのもの。
書き出すことも痛みを伴うくらい、病的であったことが、ありありとわかる。
こんな10代の時から、すでに私は酔っ払っていたのだと、今になって気づく。
いや、今気づけてよかった。
当時は全く気づかなかったし(むしろいいことをしていると思っていたくらいだったし)、ONSA に来るというきっかけがなければ、今も酔っ払い続けてとんでもない方向に走っていただろう。
今回の「境界線ワークショップ」で、私は「あわよくば他人の車に乗ろうとしない」「自分の足で、一歩一歩歩く」という決意をした。
自立のためのプランを、「一度に、完璧に」ではなく、「下手くそでも、一歩ずつ」決めていくのだ。手帳にも書き込んだ。
きっとまた揺らぐ時もあるだろう、だから何回も何回も、確かめに来たい。
「ひとりじゃないよ」して、「私は酔っ払っていないか?」と客観的に見てもらうサポートを得たい。
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) あどりあクラス
私はどうしてもスケジュールの枠になんとか入れたくて、入らないと頭で分かっているのに、それでも無理に入れようとする自分に気が付いていた。
気付くようになってきた。
自分の限界に無謀に挑み続けて、当然ながら毎回敗れては、その繰返しに疲れ果ててる。
私はワークショップ・クラスの後に遅めの夏休みを取った。
そこで気が付いたのは、私はいつもまとまったお休みで一発逆転しようとしていたということ。
溜まっているあれこれを、まとめて何とかしようとしては、挫折を味わう。
敗北感の内にお休みが終わる。
これ自体に無理があるってことを気付けなかった。
いや、それくらい溜めたのは自分なんだから、それくらい何とかしなくちゃと自分に無理な要求をしていた。自分モラハラ。
私は自分の限界が全く分かってなくて、それどころか超人的な限界を追求してる。
あまりに大きな理想と、現実のサイズ感との乖離に、呆然とする。
ワークショップで気が付いた私のクセ。
私は自分が少しでも立派(そう)に見えることに引っ張られる。
そのことに気付いたら自分が恥ずかしくて恥ずかしすぎて、口にするのもためらわれる。
それが長年、私の選択基準になっていた。
この選択で、私もそれなりに見えるのではないか。ダメな私も、恥ずかしい家族のことも、全ては一発逆転でチャラにできるような気がしていた。
私がどれだけこれに足を引っ張られてきたか。これがどれだけ私の大きな基準となっていたか。
私がどれだけこれに酔ってきたか。
引っかかる時、私は気持ちが高揚して、ふわっと舞上がる感じがする。
酔払いそのもの。思えば毎回そうやって酔っ払っては、穴に落ち続けてきた。
私はワークショップ・クラスの後にも、あれもこれもこのクセに起因していると度々気付いては、自分が痛くて残念な気持ちになる。
それでも、気付けて自分で認められたのは、一歩前進だと思う。
ワークショップで、私は自立に対してのプランがなくて、あまりにも何も出てこなくて、出るのは涙だけ。
こんなにも空っぽな自分に悲しくなった。
私は「依存しない、自分で何とかする」と決意すると、毅然とした態度を取れることを実感できたから、自分のサイズの中で学んだことを練習していきたい。
私にできる量は限られているから、どれくらいが私のキャパなのか探りながら、私は自分の限度と限界を分かりたいと切に思う。
空白を埋めて、持ち時間があまりに少ないことを迫ってくるような手帳のページと、私はもっと上手く付き合えるように。
ひたすら手帳に書いて検証し続けようと思う。
痛いけれど、大きな学びを、ありがとうございました。
T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) あどりあクラス
今回の境界線の学びは、正直私にとっては痛いところが多かった。
知識的なところでの、理解が不足していることもわかったし、とらえ違いしているところもあった。
これまで、学んできたからこそ気づくことができたものだったと思う。
境界線における限度と限界については、隠れた目的/見えない利益ととても関わっていると思うので、これまで手ぬるくやってきたことをやめないといけないと思う。
やることは難しいことではないけれど、私にとっては、簡単なことではない。
けれど、いつもここで引っかかっているのは、やはり明白なこと。
腹をくくることは、気持ちでどうにかなるものではなく、たった一つの「やる(行動)」を続けること。
それを本当にやる。
自分の特性を理解してやっていく。
正直、気持ちは重いのだが、やるべきことが見えているのにやらないでいるのは、もっと気持ちが重くなるだろう。
私にとっては、また重い石を転がす時が来ていると思う。
これまでも、やってきた。
きつかった時期もあった、それでも投げ出さなかった自分がいることは確かなことで、自分を信頼できる。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。