S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) あづまにしきクラス
私は、学童前期と学童期について学び、いまの自分に大いに関係があるということを痛感した。
私はまた、この一回の受講ではわからないことも多いようだと感じた。
くり返し学んで感じていくことで、凝り固まったものを少しずつ解きほぐしていく必要があるのだと思う。
私の内には、「未消化の自分」が確かに存在している。
そして、いまの自分にとってよくない影響を与え続けている。
私は今回、自分のこれまでの人生にあるものが壊れたものや歪んだものでいっぱいなのだということを、思い知らされた。
私はかつて、「いやだ」とか「さみしかった」とか「悲しかった」ということを、言いたいときに言えなかった。
私は「感じるままに感じていい」といま改めて学びながら、たびたび泣きそうな気持ちになっている。
あるはずの感情を無きものにしたり、我慢することが良いことなのだと身につけたり、自分よりも他人を優先にしたりしてきたことが、「今」の私にしっかりとべったりとくっついて、良くない影響を与え続けていると分かる。
私はいまだに、問題の解決方法としてゆがんだやり方をとってしまう。
条件付きで自分に許可を出したり、相手の役に立つかどうかで存在価値を感じたりしている。
無意識に、自動的に、反射的にとるそれらの方法は、私を幸せにすることは、絶対にない。
私にとって、本当に感じていたはずのことに触れ、改めて感じて痛まなくてはいけないことは、とても苦しい。
そのような歪んだやり方をとるしかなかったこと、自分らしさを喪失しなくては生き抜けなかった環境であったと認めることによって、苦しさや重さに追い打ちがかかるかのようだと思う。
そして、いまの自分自身が、また健康には動作しない考え方や対処方法をとり、その苦しさを再現し感じ続けている。
私は、知れば知るほど、悲しい。
やるせない。重い。苦しい。
できれば見たくはない。
それでも私は、確信もしている。
私はここに向き合わなくてはいけない。自分をこのままにはしておけない。
私は、「自立」は学童前期のテーマだったと知った。
「やってみたい!」という気持ちから始まって、うまくいったりいかなかったりを経験しながら、自分らしさを見つけていくはずだった。
学童期には、新しい世界に出会いながら、「私はできる!」という体験に基づく自信をつけていくこと、健康に人と関わることを学んでいくはずだった。
いずれも、今の私ができていないこと。
その難しさに怖気づきながらも、身に着けたいと切望していることそのものだ。
こんなに前にやっているはずだったのに、できなかった。今からそれをやらなくてはいけない。
これは、重い。
私は、おそらく「現実」にはこのような重さがあるのだと、じわじわと感じている。
私は、学童前期、学童期について学ぶことが、発達段階全体の理解にもつながるように感じた。
それ以前の安心の土台があってこそ、外の世界に出会って自分をさがすことが安心してできるのだ。
そして、その後の思春期という大きな変革の時期に「自分」として向き合うことにもつながっていくのだろう。
私は、自分で自分の人生を拓けない状況に対して、旧いやり方では自分否定という解決策しか思い当たらなかった。
いま、大きな絶望や苦しさを感じながらも、わけが分からなかったことが少しずつわかっていく安心感も感じている。
私は、この場所で学ぶことができ、感情に触れることで、とてもほっとしてもいる。
瞑想のワークを通じて、私は私に出会った。
私は、小さな私の存在と、その私からみた大人の私の両方の存在を、たしかに感じた。
私は、小さな自分の顔が、あまり見えなかったとも思った。
私はそういえば、実際に残っている写真やビデオなどで目にする自分のことを、まっすぐに見ることが難しい。
私は自分のことを、かわいいとは思えずにいる。
そう考えて私はさらに悲しくなる。
私は私に、また会いたい。もっと知りたい。
私は私に、もっと知ってほしい。
私は、回復への道のりは、付け焼き刃では全く役に立たないということも、改めて感じた。
ワークショップ・クラス内で触れられていたように、何を損なっているのかを知り、壊れたところへ戻って自分がつなぎ直していくことが必要なのだ。
そしてそれを、自分がコツコツとやっていくしかないのだ。
私は、もっと自分の味方になろうと思う。
私が必要な学びと練習を続けられるように、全力で応援していく。
私は、旧いやり方ではなく、新しく身に着けていくやり方で、自分を助けていきたい。
A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) あづまにしきクラス
私はまた、小さい私に会いに行きました。
3歳くらいの私は、公園で1人でブランコに乗っていて、なんだか少し寂しそうでした。
ふわふわの髪の毛、丸くて柔らかい頬。その子はとても可愛かったです。
自分ではそんなふうに思っていなかったけど、私は本当に、こんなに愛くるしい子どもだったのだ。
この子の帰る家があんな家で、毎日毎日、感覚が麻痺するような酷い環境に居させ続けられた…それは、大人の私から見ると、憤りを感じる。
「こんな小さな子になんてひどいことを!」と、大人の目線だから言える。
また、会いたいな。
また、抱っこして、今度はお話をもっと聞いてあげたい。
「以前より疲れやすくなった、頑張りがきかなくなったと感じるのは、普通。その、頑張りがきかない状態が、本来の自分だから」という話を聞いて、少しほっとしている。
たまに、ONSA に来る前の数年前の自分を思い出して、「あんなにいろんなことをやっていて、やっぱり若かったから体力があったんだな。今はとても無理だ」と寂しい気持ちになることがあったからだ。
もちろん、若さでできたこともあったかもしれないが、半分は、疲れを感じないように自分を酔わせてきたのだろう。
ワークショップ・クラス後の疲れと、「頑張りがきかなくてもいい」という安心感からか、ここ1週間ほどは、眠くて眠くて仕方なく、夜も寝ているのに、昼も寝ている時間が長かった。
この、眠気に耐えられない自分が、本来の自分なのだ。
この自分に合わせて、大人の私がスケジューリングを考えてあげないといけないんだ。
眠りのおかげなのか、秋からしばらく続いていた便秘が治った。
子どもたちが風邪をひいても、今回の私は大丈夫だった(私はいつもなら、子どもの風邪を必ずもらってしまう)。
予定外に眠ってしまったせいで、この PAY FORWARD を書く時間がなくなり、提出がとても遅れてしまって大変申し訳ありません(間に合わなければ、公開されなくても大丈夫です)。
このスケジューリング術については、今後、大人の私の課題です。
「インナーチャイルド・ワークショップ」を受けていて、いつもズキズキと心痛む。
それは、原家族だけでなく、私が作り上げた家族も、機能不全になっているという事実。
原家族は仕方ないけども、今の家族を作り上げたのは、私の責任だ。
そして、リセットもできない。
機能不全になるような相手と組んで、子を作ったという事実は、どうしようも変えられない。
あとは、これから湧いてくる、自分や家族の選択を、いかにベターにしていくかということで帳尻を合わせることしかできない。
そのためには、私自身が健康にならなければいけないし、健康な家族とは何かということを学び続けないといけない。
それを実践しないといけない。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。