2024.11-2025.02月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(1)コース1/STEP.1」 しゃんぷにーずクラス

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タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) しゃんぷにーずクラス



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私へ

3ヶ月間あっという間だったね。
同時に、始まった頃が1年前位のことのようにも思える。


あの頃、私は私にとって一世一代の決断をして行動していた。
終わりなんて見えなかった。

頭では見えているのに、行動が追い付かない。もどかしい。
そんな激流の毎日の中、ただ必死だった。
(本当にお疲れ様と言いたいよ。正直なところ、あれをまたやる気力・体力は今の私にはないと思う)


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でも今は、まるでそんなことなかったかのようにけろっとして、ずっと前からそうだったように暮らしている(とは言え、お金のことや生活のことで、雑だったり出来ていないことが沢山ある。ここは時間をかけて出来るようになりたい)。

自分で行動して得たかけがえのない暮らしを続けたい。
守りたい。
その為にもっと成長したい。

今年の目標の1つは「よき生活者」に近づくことだ。
こんなこと思うなんて、思ってもみなかったよね。


何年か前の「私は、これからの方向性が分からない。分からないから出れない」とぐるぐるしていた私に、今の私を見せてあげたいなぁ。
そして、「大丈夫だよ!」と言ってあげたい。


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つい最近、気が付いたことがある。
私はここ数年、状況に対応するため、先を焦るあまり、振り返りがおろそかになっていたかもしれない。


冬休み何とか時間を捻出して手帳とワークを整理し、自分が書き散らかしてきたメモを振り返った。

まだ途中になってしまっているけれど。
もういらないものも沢山あったけれど。

1つ1つ手に取り片を付けていくと、おぼろげながらそこには確かにあった。

今のわたしが。
私がどうしたがっているのかが。
大まかな方向が。


私は色々なことをやり散らかしたまま、駆り立てられて新しいものを求めがちだ。
気付くと先へ先へ行きたがるし、自分の外の世界ばかりが良く見えるし、目を向けがちだ。


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今の私は「やらない」を選ぶことの方が怖い。

でも。
(怖いから)「変わる/変わらない」「やる/やらない」


一見逆の事に見えるけれど、実は同じじゃないか?

「恐怖」から焦ってやったことで、建設的な未来が開けたことがあっただろうか?
なかったよね、きっと…。


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昨年聞いた言葉の中で「自分のゴミを片づける」が、印象的に心の中に残っている。

確かにそうなのかもしれない。
自分のやったことに片をつけると、今の自分にとって必要なもの大切なものが見えてくる。

私に必要なものは、本当に私の中にあるのかもしれない。


自分の身体を労わらず、「身体」の声を聴かずにいて。
物事をやり散らかしたままで。
自分を振り返って認める以外、どうやって自分を知り認めることが出来るだろう?

私は休んでもいいし、私のことを1番に考えていいし、「私=身体」の声を聴く時間を大切に取らないといけない。


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正直、本音を認めてしまうことは怖い気もする。
実際に現実の中で行動し、変化していかないといけないと分かっているから。

本気になるのも怖い。

そもそも、私は「本気でやる」というのがどういうことか知らない。
すぐ「まじめにやる」「頑張る(無理して状況や目標に合わせる)」モードになってしまうし。
「これって本当に「私」が望んでいることなの…? 本当にこれでいいの…?」と、すぐ弱気にもなる。


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そして、学ぶたびに気付く。

私は、沢山の思い違いをしていた。
私は、浅はかで世間知らずだったと。

でも、心のどこかで分かっている。
きっと「達成した・完成した状態・自分」は、一生訪れないのだろう。


そういう苦しいやり方ではなく、1日1日・ステップステップを愛おしんで進めたらいいよね。
そういう時間を重ねられたら日々の時間も満足だし、この世を去るとき「幸せだった。楽しかった」と
心から言える気がする。


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時間に限りがあるなら尚更、私は向っていきたい。
自分の好き・したい(かもしれない)方向へ。

「全ては私が健康で幸せであるためにすること」
この言葉を心に刻みながら、私は私の身体・内なる静けさと共に進もう。


最後になりましたが、3か月間ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) しゃんぷにーずクラス



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今回、途中からのワークになったけれど、それでもできる範囲でトライしたこと。
中途半端ならやらないという選択をせず、少しでも取組もうとした自分をまず認めたい。


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私は「自分が心地よいと思えるペースで生きていたい」と願っているのに、自分に矛盾したことを強いていた。

自分を急かして、疲弊させていたのは、他でもない自分。
限られた持ち時間に見合わない量を詰めこんでは、できない自分にダメ出しをする。

いや、そんなにできないからと、今度はスカスカにして「ヒマつぶし」に走る。
そんな不毛なことを繰返している自分に気がつく。


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子供の頃に作った夏休みの予定のように、「しなくてないけない予定」をギチギチと詰めこむと、息が詰まりそうで手帳を見たくなくなる。
だから、書きたくなくなる。
そういう自分を少し客観的に見るようになった。

私は自分にできる量や、今日行える範囲を、以前よりは現実的に考えるようになってきた。

焦るばかりで捗らないより、自分ができるペースで着実に進める方がずっと近道だ。
まだ計算違いは多いけれど。


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休みの日も本当はゆっくり過ごしたいのに、またダラダラして…と自分を責めるのは違う。
グレー時間で埋めつくすのは止めたいけれど、ゆっくりのんびり過ごすことはダメじゃない。

あれもこれもやらなくちゃいけないことであふれているのに、そんな悠長に過ごしているヒマはある? とつい駆りたて、自分がどうしたいかを置き去りにしていた。
本当はゆっくりと流れていく時間が好きなのに、自分に急ぐことを強いていた。


どうしたら私は心地よいと思えるのか、自分が納得のいく時間の過ごし方を、ここしばらく試行錯誤している。

休みの日には、ゆっくり過ごす時間と、自分のために気になるところを片付けて掃除をする時間が必要。
それがあれば、気分がすっきりして、気持ちが安定すると分かった。

以前も予定には入れていたけれど、うまく行かなかったのは、ペース配分が間違っていたのかも。


まだまだ練習は必要だけど、自分の時間と気持ちから目を背けてきたことに気がついて、何とかしようとしていること。
これも小さくて大きな一歩だと思う。


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私は無意識の内に、つい形だけ整えようとしている自分に、時々気がつく。

手帳も途中から作ることが目的化している気がした。
いつの間にか整えることが目的にすり替わっていて、思考停止でただ「こなす」。
手っ取り早く外側だけ、できているように見せる。

これが私のベースになっていることに、心底がっかりする。
子どもの頃から、自分がどう「見える」かに心を砕いて生きてきた。


でも、形だけ整えても、それっぽく見せようとしても、一発逆転はできない。
自分がどう在りたいかで逆算して、コツコツ積み重ねていくしかない。それを改めて感じた3ヶ月。

だから、私は自分の納得のいく時間を、日々もっともっと探っていきたいと思う。


今回もありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) しゃんぷにーずクラス



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おつかれさまでした。

繰り返し書き込みを読んでみたけど、私はよくわからなかったよ。
ごめんね。何にもわからなくて。


「できたこと」に目を向けると、以前より自分の望まないことについて断ることができるようになりましたね。
これは少し練習ができたのかもしれない。

あとは、私の好きなもの嫌だったことを振り返って、自分がどう生きたいのかを日々問うクセをつけてきたね。
答えはまだわからないけれど。


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私はこれでいいのかが全然わからないよ。
何が私に合っているのか、どのくらいまでが楽しくて、どこからが嫌なのか。

それらは私にしかわからないみたいだけど、それがわからないからとても困っているよ。

本来の私に戻っていけるように。また。

M(自分)より




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) しゃんぷにーずクラス



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この3か月を振り返って。
今回も、私は私なりに頑張っていたと思う。
その上で、また次の課題も見えてきた。


文節区切りの線

私は、行動や頑張りがズレてしまうのは、日常茶飯事だ。
大抵は、調子に乗り始めて自分に酔い始めた頃に、酔いから醒まされるような出来事や、教えが入る。

そしてそれが次の自分の課題になっていく。
これは、指摘してもらわないと、自分で気が付くのは、私にとっては難しいことだ。

その度、自分は何も変わってなかったという自分責め、自分卑下に繋がってしまうけど、そういった不毛な時間も、大分少なくなってきた。
大体、勢いや根拠のない自信みたいなものがある時は、セットで根底には焦りや不安がある。

むしろその気持ちを隠すために外側を取り繕っている気さえする。
だから正常に戻っただけだと、考えられるようになった。


文節区切りの線

次の課題と言っても新しいことは1つもなく、ざっくり言えば、自己理解を深めていくのみ。

書いていると何も進歩がないように見えるけど、そんなことはない。
私は、2年前より、3年前より、そして何も変化が出来なかったそれ以前の自分と比べれば、出来ることが増えたし、安心、安全、温かいを自分に与えることができている。

だから次の課題も、自分が安心して暮らせるように、ワークをしながら出来るようになるまで、やっていく。
そういう自分の隣で、私はずっと伴走できたらいいなと思う。


ご一緒してくれたお仲間さんへ
今回も、ありがとうございました。また WORKSHOP でも、宜しくお願いいたします。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。