

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) はるもえぎクラス

私は何にもわからない気がしていた。自分の家族問題からはじまり、そこから私の身につけてきた処世術がよくないものだと認識してから少なくない時間が経ったのに、どうして私はまだ何もわからないんだろうと思っていた。
今回確認できたことはいくつかあるけど、まずは私の属していた環境は思っていたよりよくなかったということ。
それは前にも思ったことだけど、それよりももっと酷かった。
このことは、これから先も私が何かを学ぶたびに同じ気づきがあるだろう。

そして私は自立するということ、自分の未来に向かって努力するということを勘違いしていたのだと確認できた。
私は私の人生を生きるための地図が欲しい。
まずは、ずっと迷子のまま彷徨っていた自分と対話してから、考え続けたいと思った。

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) はるもえぎクラス

私はクラスの中で、基礎の部分が身についていないのだと再確認しました。
私は勝手にできてる、知ってるわかってると思っていました。
けれどそれは、私の都合のいい思い違いでした。
私にとっての努力は、他人に褒めてもらうための行動、何とかしてくれる誰かをさがすことでした。
そして私はちょっと頑張ってやってできなかったら、仕方がない。
頑張ったのにできない私はかわいそうと、自己憐憫にひたっていました。

私は遭難から行け出すために、正しく努力をしていきたいです。
私ができなくて、やらないことを正当化して、かわいそうな自分ごっこをやめます。
そのために私が何かぐるぐるし出したらメモをします。
自己憐憫をはじめたら、ストップできるようにします。
私はすぐにわからなくなるし、忘れてしまいます。
私は教えてもらったら満足してしまうので、メモを毎日見ること、頭の中で浮かんだことを書きとめることをします。
私のデフォルトのおかしさを、自分で気づく練習をします。

私は「どうしたらいいかわからない」を言い訳に何もしないで止まっていました。
私がやることは、自分の特性を理解して、引っかかるところを補う訓練をして、現実世界で生きていけるようにすることでした。
私には大きすぎて、今もどうしたらいいか止まってしまいそうになります。
私はわからないと言って、自分のことを投げ出すのはやめます。
私はまずワークをやります。
私が完璧にできるようになる事はないので、そんな妄想をやめて、正直に書くようにします。

私は自分を高く見積りすぎていました。
私が課題ができない、生活がまわらない、くたくたになっているのは、私のキャパにあっていないだけでした。
私は自分に見栄を張ること、ありもしない自分に夢を見ることをやめます。
私ができる量を把握できるように、作業時間と行動をメモします。
私は私のキャパや能力も、全然わかっていません。
生活時間も見込みとあっていないので、記録を取ります。
私は自分が日々どうしているか、全然わかっていません。
私が覚えていることが、信じられないので、記録をつけて客観視をする練習をしていこうと思います。

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) はるもえぎクラス

ワークショップ中に指摘されたことは、痛いことばかりだった。
頭の中の自分は、そんなことをしていないはずなのに、わたしは、その痛いことをまさにやっていた。
それは、その場で指摘されて、ようやく気づける。
その無自覚さが、わたしは恐ろしいと思った。

また、わたしは認めたくないな。もあった。
自分は理解に時間がかかることも、遅いことも、相変わらず嫌だなって思っていた。
同じことを聞いても、人が10わかることが、自分は3ぐらいであること。
そんな不公平もあるのかと悲しくもなった。
それが嫌で、認めたくなくて、自分だってできてると、「わかった」「わかった」と言ってたのかと思った。
でも、それをやっていると、結局何もできないままの自分だけしか残っていかない。
それは、悲しいよりも、恐ろしく感じる。
人に相手にされず、孤独で、相変わらずの混乱の未来、そっちの方が嫌だなと思った。
自分の3が10だと勘違いしてて、周りと同じにわかってると思い込んでるほうが、自分にとってはこの先危険だとも思った。

わたしは、形が見えるものが認知しやすいのだと思う。
すぐに、形に飛びついてしまう。
その人の裏の努力が見えなかった。
努力は、この形ですと見えないから。
また、努力は見せるものでもなかった。
わたしは、「やってます!」とどれほど言ってきたことか、そこも恥ずかしい。
見えないから、この人はこんな風に素敵にすぐになれているとか、自分とは生まれつきのものが違うからとか、自分も何か一瞬の力でそう素敵になりたいとか、出てきてたんだろうと思う。
これは、ふざけるなと怒られてもしょうがないことだ。
努力している人からは、話しや、価値観が合わなくて、距離置きたいなと思われても当然だ。

また、目指す岩も、わたしは頭の中の理想の自分になってた。
今までそれで、いつその自分になれたことがあっただろうか? と問うと、なれたことがなかった。
蜃気楼を追いかける感じだったんだと思った。
わたしは、自分の理解の3で、混乱から少しづつ脱出したいと思う。
まず、理解の3のペースとか感覚を理解していきたい。
理想よりも、理解の3のほうが現実的なんだとようやく思った。
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ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。