2024.03月開催 「春の基礎勉強会」だーじりんクラス

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タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) だーじりんクラス



タイトル下の線


私は、「私はどうしたいの?」と問うことは、絶えずするものなのだと学んだ。
言われてみれば当たり前で、初めて聞いたわけでもないはずである。

でも私にとって、これはたまにすることではないのだ、いつもすることなのだ、ということが、今回とても印象に残っている。


文節区切りの線

私は、これまでの時間の大部分を、場当たりで突き進んできたのだ。
その当然の結果として、どこにもたどり着けず「遭難」している状態にある。

私が自分で考えたり決めたりしてきたつもりでいたのは、自分のビジョンによるものではなかった。
ほとんどが、他人の意見や周りの空気感、そして単なる反応によるものだったと思う。


冷静に考えてみれば、とてもおそろしいことだ。

もしそんな人を見かけたら、そんなことは危ないからやめたほうが良いよ、と言いたくなる。
でもそれが今の自分なのだ。


文節区切りの線

私がするべきなのは、自分の地図をしっかりと持ち、道具や装備を整えて、一歩ずつ着実に進んでいくことだ。

私は、それは時間がかかりそうで難しそうだ、と感じる。
けれど、自分にとって必要なことに時間がかかるのであれば、何としてもかけなくてはいけない。

怖いとか不安だとぼやいていても、どこにもたどり着けない。
進むことを阻んでいるのは、自分の悪習慣だと思う。


今さえ良ければいいという考え、自分の努力をしないこと、ラクな方法や一発逆転を狙うこと。
あるいは、今どんなに不安であるか、どれだけできないかを嘆くこと。

これらはまさに、自分の姿だと思った。


文節区切りの線

私は、「反応」ではなく「考える」を、日々のなかで実践していきたい。
そのために、自分がとっている行動が「怠け」「逃げ」なのか、「自分のための努力」につながることなのか、区別が必要だと思う。

私は、正直なところでは、逃げだと分かっていてとっている行動も多々あると思う。
私は「考える」を試してみると、自分から出てくる答えをどうしたらよいかよく分からないと感じることも多い。

だから私は、自分のなかにぼんやりと浮かぶものをどういう形で実現すると良さそうか、時間をかけて掘り下げていく必要がある。


文節区切りの線

私は、とにかく「やる」が必要だ。
自分の人生なのだから、それは自分が主体的にやっていくことだ。

私がまずやってみないことには、私が自分で失敗することもできない。
次にどうしようか、という作戦を立てることもできない。


文節区切りの線

私にとって必要なことに時間がかかるのであれば、かけなくてはいけない。

でも、私が持っている時間の幅でできることは、限られている。
私が一回で咀嚼できることにも、限りがある。


一度でうまくいくとは限らない。
できないことの方が多いかもしれない。

私はこの先、このもどかしさも自分のなかに留めながら、「私はどう生きたいの?」に基づいて進むことをしていきたい。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) だーじりんクラス



タイトル下の線


わたしは、わたしの今の状況がどうやって作られていたのか、そのことが理解できた。

最初に掲げた「わたしは今の自分の状況を整理したい」ができつつある。
わたしは、理解が遅いほうなので、今もまだ整頓中です。


わたしは、親の傾向が、自分もそうだと初めて認識できたと思う。
そのことは、以前よく感じていた「恥ずかしい」ではなく、「そうなんだ、これはわたしが持って常に警戒しないといけないことなんだ」と新たな指針の一つになったと思う。


文節区切りの線

わたしは、「それまでにどれだけ自分に努力できたか」しかなくなる未来の時間のことを、恐ろしく感じた。
それは、わたしには、その力がまだできていないからだと思う。

それには、わたしのこの自分サイズから始めること、それしかないと思った。
それは、時間計算の苦手なわたしであっても、世情のスピードには間に合ってないことはわかる。

わたしは、そうだとしても、もう基礎からズレることはしたくない。
泣きながらそう思う。

それは、辛いと思う。
「遅くて置いていかれること」は、小さいときからの苦しみだった。
だから、つい、わたしは「ピンクの脳」の方へ行きたくなってたのだった。自分のまだ得意なことで頑張って、人と足並み揃えてるようにしたかったのだった。


文節区切りの線

でも、わたしは、もうそれもしたくない。
また、自分一人ならば、それでよいが、わたしはもはや「自分一人だけ」ではない。

「この今のわたし」に、巻き込まれる存在のことを想うと、わたしは辛くなる。
だから、わたしは、「ピンクの脳」の方へ行きたくなる。それで辻褄合わせたくなる。

だけど、その辛さもエゴだな、そう思うわたしもいる。
こうなったことも、そのことで巻き込まれる存在も、わたしの責任、わたしが持つもの。
たとえ、間に合わなくとも。

だから、わたしは、もうズレることはしたくない。



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ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


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