2024.08月開催 「境界線ワークショップ」きーもんクラス

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タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加) きーもんクラス



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私は、まさしく、「相手を動かして、自分は動かずに結果を手に入れたい」という欲と戦っている。

「自分が動く」のは、本当にものすごい労力とお金がかかる。
「相手が少し、わかってくれれば、省エネで済むんだけどな〜。ちょっと打診してみるくらい、いいんじゃないかな」と、今も思っている。


そして、過去に(つい最近にも)、それで失敗した苦い経験もある。

相手を動かそうとしているうちに、けっきょく、ものすごく時間とエネルギーを食ってしまって、「こんなんだったら自分でやったほうが速かった!」ということ。
おそらく、私がいま、誘惑に駆られている欲も、もしその通りに相手を動かそうとしたら、同じ結果になるだろう…。

何度も、その失敗を思い出して、誘惑を断ち切らなければいけない。
「止まる」をしなければいけない。


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「非言語メッセージ」の観察は、基礎中の基礎だった。

けれども、実際に私が普段、注意を払ってしまうのは、どうしても言葉の方だった。
それでうまくいかないことが多かった。


今回の、「非言語メッセージの観察練習」は、とてもためになった。

あ、そうか、言葉は聞き流せばいいんだ。とわかった。
それだけで、相手の圧を、受け流せる感覚があった。

もっともらしそうな相手の言葉に、実は中身がないということにも気がつける。
観察には、集中が必要で、自分のコンディションが整っていることも必要だ。

シビアな場面でも、「観察」モードに切り替えられるように、ごくごく普段の日常から、「言葉を聞き流して観察」の練習をしていきたい。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) きーもんクラス



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「何がいいか教えてください」ではなく、「まず自分で調べて、その上で意見を聞く」ということ。
人の力を借りることと依存の違いがよく分からなかった私は、そういうことかと納得した。

確かに、何がいいか聞かれても、他人の責任なんて負えない。
自分が聞かれたら、つい共依存全開で助けたくなるかもしれないけど、普通に考えれば重たくて面倒。

私は調べることが面倒になったり、中々うまく見つけられないと、誰かから盗もうとしてしまう。

これは違うと思いながらも、ついやってしまう。
私はそこで立ち止まって考える必要がある。


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WORKSHOP の前日、自分である程度調べた上で、不明なことを確認したくて、コールセンターへ連絡する機会があった。

知りたいことが明確だったから、一つ一つの対応先が違って都度転送されても、目的は果たせた。
その上で、自分でまた考えて調べて決めてゆく方針が立った。


時間はかかるけど、「相応にできる」とはその積重ねなのだと思った。

思うような時間では終わらなくて、ついどこかでショートカットしたくなる気持ちも抑えて、ひとつずつ自分で解決する。
私は、ズルせずにこの練習を重ねよう。


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ワークの中で、健康な人の反応があまりに慣れなくて、私は戸惑った。

こちらを上げようとしないスタンスに、私はつい物足りなく感じてしまう共依存そのもの。
対等で自立した関係の中に全然いなかったことを実感した。


健康な人と話していると、とりつく島がないような印象を受ける。
こちらの境界線にずかずかと入ってこない代わりに、どこか立ち入れない感じがある。
ぐちゃぐちゃしてなくて、一見ドライに感じる。

それが、正常な境界線ということか…と改めて思った。
そういう人からすれば、私の境界線が曖昧だとめんどくさいから避けていくのは当然だ。


私が最近関わった人たちも、自分がどうしたいのか自分で考える、自分で決めると口々に言っていて、圧倒される。

こういう人たちと私は話が噛み合うのか。
あまりの違いに不安になった。

私はこういう世界に少しずつ慣れていくことも必要だ。


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WORKSHOP の数日後、私は仕事で関わった人から、猛烈な圧をかけられた。
滔々と話されると、私は不快に感じながらもそこに引っ張られてしまう。

冷静に考えれば言ってることもおかしいし、言葉でやりこめて「他人を動かして自分は動かずに、何かを手に入れようとしている」スタンスそのもの。

その場では難しかったけれど、後から振り返って考えると、WORKSHOP で学んだことで自分に何が起きていたかがよく分かった。

こういう人とは距離を置き、同様のことが起きたら今度はその場で冷静になれるよう練習しよう。
気付けたから、私でも何度も練習すればきっとできるようになる。


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自分の持っている中から解決を探す。自分の分相応でいい。
という話を聞いて、私は希望を感じられた。

私にも相応にできることが、何かしらきっとあるはず。
だから、ズルせず、盗もうとしないで、一つずつやってみる。

今回もありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) きーもんクラス



タイトル下の線


未だやらかしている自分の悪癖を再確認したワークショップだった。
それは何度目だろうと思う、それを思うとため息しか出ない。

だけど、諦めることは、そうして欲しい側の思う壺なのだとわかると、それはしたくないなとやっぱり思う。


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本当にわたしは健康な生き方ややり方を知らないのだな、と思った。
情けなくて泣きそうになる。いやもう泣いてる。

いつになったらできている自分になるんだろう。
そういう自分になろうと目指すと、なぜかいつの間にか悪癖に繋がっている。
それに気づいた。


なろうと目指すことがおかしいのだなと思った。
こんな今の自分は嫌だ=自己否定。

出発点をいつも間違えてる。
そうでなく、「自分はどうしたいのか」。

なかなか「自分はどう生きたいか」が出てこないから(すぐに簡単に出てこない、と何回聞いたことか)、すぐに出したいってなって(まさに欲)、悪癖が出てくる。
悪癖=やることを間違えてる、時間の無駄になる。


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また、自分の世の中の見方もまだお花畑だった。

境界線を守ってくれるのは、20%だけ。
80%は通じないと知る。

質問に答える能力がないということを知る。

わたしは、自分さえ守れていれば、周りに必ず通じるのだと思っていた。
お互い守れているよね! のようなお花畑の関係…こういうお花畑でこの先このまま進むことは危険だなと気づけてよかったと思う。


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最初に観察して見極めることも、その最初の1回で決めたことをずっと守らないといけないと思っていた。

なので、ものすごく疑う(過去懲りてもう騙されたくない…も変に働いてしまった)。
何せ、決めたらこの先変わらず守らないといけないわけだから(この硬直性…これもまた悪癖なのだと気づいた)。

「(ワークショップ内の例において)この人が自分も謝礼金要るって言い出したら、フェードアウトすればいい」
そうなんだ、そうやって、常に流動してて、「サボってない」んだ。


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一度信用したら、どろ~っと相手の境界線へなだれ込みたい(これは怖いと書きながら思ってる)…そういう動きも大変恥ずかしながら自覚した。
自分の見立て間違いとか、融通のなさとか、サボり具合とかを実感している。

相手の福神漬けを取り入れて検証し出した途端に、相手のものも自分の責任になってしまってる(その感覚がようやくわかった)。
そして、一番は、境界線問題は、自分で自分を作れない人の問題ということ。


こう振り返って書いてきた上記のことが、「自分で自分を作れてない」ことを現してる。

それは、ほんとに情けなくて気分の良くないことで、自己否定→悪癖で早く脱出しようとしてたんだなと思った。
そして、結果早くもなく時間の無駄になってた。


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なので、その気分の良くないことを持ちながら、今の自分はそうなんだと認めながら、出発点の確認をサボらない。
自分で結論の責任をとる(とるんだよ、と言い聞かせる)。

たくさん学べた会でした、ありがとうございます。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) きーもんクラス



タイトル下の線


今回の WORKSHOP で私は、自身の言動について振り返ることができた。

自分がないと、欲深くなるし流されやすくなる。
流されるから思考停止になる。
しかも、そうだとは気づかない。

私の行動は、一言で言えば「痛い」だと思う。痛すぎて、見ていられない。
だから、無かったことにするかのごとく「振り」「演技」をして何となく自分を納得させようとする。

でも、当の私は納得するはずもなく、だんだん自分と向き合うことが苦痛で、自身が解らなくなっていた。
「有事なんだし、これが今は一番正しいんだってば」と言ったとて、本当の私は「何で? 何で?」を繰り返す。
最後は「もう黙ってそうして」で終わらせようとしていて、それはあまりにも自分に対して不誠実なのでは? とどこかで思っていた。



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だからなのか、頭だけで考えた出した結論や、言葉で色々発していても、実際の自分の行動が追いついていなかった。
お得意の「忙しい」「時間ない」と言いわけして。

私は、「今はこう行動すべき」に強く囚われていて、本音や不安をたくさん抱えた自分とじっくり向き合わずにいた。
自分は本当はどうしたいのかの問いが解らなくなっていた。

焦る気持ちは、今だってとても解る。
そしてその焦りから、0か100思考に陥っていることも、私はどこかでずっと解っていた。

でも、焦っても思考停止でいても現実はまったく変わらない。
頑固で、納得いかないことは石でも動かない。

心が動かないと、私はやっぱり動けない人間らしい。


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でも逆に、きちんと説明して納得がいけば、私は行動することができると、思っている。
納得いくために、大きく行動して変える前にたくさんの行動と、失敗が必要で、それをすっ飛ばしても、また元に戻るだけ。

失敗、検証を繰り返すことで、自分の身の丈が上がっていくのなら、さっさと致命傷にならない失敗をたくさんした方が、人生が豊かになる気がする。
キャパが狭くて自分のことで直ぐ精一杯になってしまう自分だけど、いつか自分のコップが満たされて溢れたら、もっと人に優しい大人になりたいと思う。

自分の資源が今無いなら、増やす行動をしないと。
いつでも自分に集中は、本当に真理だなと思う。


「きーもんクラス」の皆様
今回もありがとうございました。
またどこかのクラスでお会いできたら嬉しいです。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) きーもんクラス



タイトル下の線


私は、今の自分の置かれている状態がどういうものなのかを、境界線の知識とワークを通して、自分自身を引いて観察することができたと思う。

TEG は本当に今の自分の処世術を痛いほど映し出している。
私がわかったふりをしてしまい、自分の傾向である一発逆転と結びつくから、何が良い選択肢なのかと頭でやり始める。

そして、毎回痛いのだが、“あわよくば…” の欲が、出てきてしまい、それと絡まり合ってしまっている。
本来の「私はどうしたいの?」がすーっとどこかに行ってしまっている。


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それから、ワークをやってわかったのだが、不健康な関係を体験したときの、私が委縮して硬くなって小さくなるような感じ。

イヤな感じではあるが、あまりにも慣れ切っている感覚で、ワークの時のようにかなり集中しないと違和感すら感じない。

それとは反対に健康な人との関係は、とてもドライに感じ、そして得たいがしれなくて私が不安定さを感じてしまった。
そして、挙句には、これで合っているの? と全部のっかろうとする自分がみえてしまった。

今の私の周りは、やはり、あわよくばの欲から作られた関係性でしか成り立っていないと痛感する。


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“あれ?” と感じることは、できる。
そこから先が、私の課題。これまでは、その “あれ?” に止まることもなく今に来てしまった。

そのツケをどうするか、という現実もあるのだが、今からやるのは、止まって、あれこれ反応せず、まず、私の場合は静かに観察すること。
それから、“落ち着いて”、欲ではなく私はどうしたいかを、考えること。
そして、それを行動してみること。

きっと、これまで以上に私は時間がかかると思うが、分相応でやれば、私は小さいことができるように思う。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。