2024.03月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」けにあクラス

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タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) けにあクラス



タイトル下の線


私が私の家族から得られなかったものは安心や安全の土台、信頼できる関係性、自分が帰っていける場所だ。

私はそれらがなかったので、はねかえったものから受け取る「自分」がわからないまま育った。
私は土台が不安定であったので、外の世界に出て自分を探索することができなかった。
そういうことをワークショップで確認できた。


文節区切りの線

私は今でも、健康的に人を頼ったり、相談したりすることと依存することの差がわかりにくい。
だからおそらく頼ってはいけない、信頼してはならないになっている。

私はどこまでが他人を気にかけるで、どこからが支配なのかがわからない。
だから私が代わりに問題を解決して相手の成長を奪っていることがあると思う。


また、私は私のあるがままを大切に扱うのと、自分の欲求のまま生きるのとの違いがわからない。
それで、とても今の私が困っている。

たぶん困っていることになっている。
私は困っていることにすら無自覚であったと思う。


文節区切りの線

これからの私は、幼いまま生きるのではなく、成長をしていきたいと思う。
得られなかったものをいつまでもねだるのではなくて、今の私が手伝ってあげたい。

私は自分がどう思っているのか確認することは苦手だ。
自分の行動を振り返って、何のせいで生活が上手く回らないのか、逆に何が良かったのかを考えることはしてこなかった。

私は私の人生を自分で作ることをやっていこうと思った。


文節区切りの線

いつか、私が私の親友のようになれるといいな。

私のことを大切に扱う行動が当たり前になるといい。
誇りを持って私はこういう人だから〜って言える日が来るといい。

私は行動することで、私への信頼を積み上げていきたいと思った。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) けにあクラス



タイトル下の線


私は、「感情」を体験した。

感情は、損得や計算ではない。「好き」か、「嫌い」か。自分の中にある、ありのままのエネルギーであるということ。
頭であれこれコントロールするものではないようだ、ということ。

私はこれらを、全身で感じた。


言いたいことを言いたい人に言うワークで、私は一時、自分がどうなってしまうのだろうという状態になった。

何ともいえないすごいエネルギーが、自分の中に渦巻いていた。
形はなんだかよくわからないが、とにかく「あった」と思った。


文節区切りの線

私は、なんだかよく分からないものに自分を任せてみたら、いつの間にか泣きわめくようにけっこう大きな声が出て、座ったままだが足を踏み鳴らしたくなっていた。
全身が黙っていられないという感じだった。

私は、怒っていた。
文句を言っていた。いやなことを、いやだと言った。

風船を2、3個続けてふくらませたみたいに、くらくらした。


文節区切りの線

私はこれを、普段は抑えている。触れないようにしている。

こんなものは絶対に外に出せない。みっともない。感じてもいけない。
そうやって無意識に抑えていると思う。

きっと赤ちゃんの私も、小さな私も、抑えてきた。
受け取った「おてがみ」にも、もっと泣きたかったとか怒りたかったという言葉があった。


私は、これを「抑えて」きたのか。
こんなにエネルギーのあるものを。そして、自分の選択や決断のために、きっととてもとても大切なはずのものを。

それらが適切に処理をされなかったら、大変なひずみになりそうだということは、簡単に想像がついた。


文節区切りの線

私は、子ども時代に何が起こっていたかを知ろうとすることは、とても大切だと感じた。

乳児期のことも歩行期のことも、自分ではっきりとは覚えていない。
でも、知識を得たりシェアをしたりして感じてみると、育った環境には期待するような「一貫性」はなかったかもしれないと想像ができる。

自分の存在を確認するはずの大切なときに、ある時は確認できるがあるときはできない、ということが起こっていたかもしれない。


私は、「自分の存在が不確か」であるということが起こるべくして起こり得たかもしれないということは、知っておく必要がある。

全身で安心を感じるはずの時期、エネルギーのかたまりの時期、情動に素直であっていいとき、私の心と身体は、いつもどこか張りつめていたかもしれない。

本当は何が必要だったのか、どうあってよかったのか、これから何を心がけていくのか。
私のために、私が学び、教えていくのだ。


文節区切りの線

インナーチャイルドの瞑想で、私は赤ちゃんの私と小さな私に会った。

私は、以前も感じたように、自分の顔はなんだかよく見えずにぼんやりしていた。
けれど、たしかに存在するのを感じた。

心と身体がゆるみ、ただ息をしているだけでもこの自分がいとおしいように思えた。
赤ちゃんの私は、たくさん声をかけてもらって、うれしさや安心を感じていた。


「あなたのお世話をできることを喜んでいる」という言葉が、とてもあたたかくてうれしくて、よく覚えている。
「あなたが生まれとき、神様はほほえみました」と言われたときには、涙がぽろぽろと出た。なんだか信じられないけれど、うれしい、と思った。

私はこの日、最近手に入れたばかりの、気に入った色の服を着ていた。
赤ちゃんの私も小さな私も、それを気に入っていた。




タイトルはじまり目印

A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) にるぎりクラス



タイトル下の線


最近は原家族と距離が置けていて、「もうそのことは大丈夫かな」と思いかけていた私。
ワークショップを通じて、まだまだ、徹底的に、過去を掘り下げる必要があると感じています。

いかに、自分のルーツが、その後の自分の人生コースや選択を大きく捻じ曲げてしまったのか、それが今の悩みに大きく絡んでいるのかを、改めて知りました。
これを、何度も徹底的に見つめていかないと、私は私を傷つけるような選択、破滅的な選択をやめることができないでしょう。


文節区切りの線

前半だけでも涙が止まらなかった私。
瞑想を終えて、しばらく疲れで動けなくなり、その後、猛烈にお腹がすいた。

私は、何が食べたい? と、子どもの私に聞いてみる。
今あるおかず、梅干し、あれやこれや…と聞いてみるけど、ちょっと違う。

「私はみそごはん(白飯にただ味噌をつけただけのご飯)が食べたい」と湧いてくる。
普段の私はみそごはんをあまり食べていないのに、急に湧いてきて驚いた。


食べてみると、ものすごくおいしい。
食べても食べてもお腹が空いて、2食分と思って保存しておいた白飯を平らげてしまった。

明らかに普段より多く食べたけど、もたれる感じはなく、ちょうどよかった。
それはまるで、自分にちょうどいい量のミルクを飲んで、ちょうどよい加減で哺乳瓶を口から離す赤ちゃんのようだった。


文節区切りの線

この味噌は、私が1年前に仕込んだものだった。

普段は味噌汁に使うことがほとんどで、そのまま食べることはあまりなかったのだけど、これだけでもこんなに美味しいのか。
大人の私に「ありがとう、お母さん」と言いたいような気持ちだった。

だって、子どもには、1年かけて味噌を作ることはできない。
大人の私だからできたのだ。

私には、私を養う力がある。
味噌だけじゃなくて、これからも時間をかけて準備して仕込んで、自分のために何かを成してあげることができる。
私はそうやって生きていきたい。


文節区切りの線

後半のワークは、怒りをためらわずに出す練習をした。
瞑想が終わって少し休んでから起き上がると、なんだかお腹からエネルギーのようなものを感じた。
私は大きな声で歌いたくなったので、昔、合唱部で歌っていた歌を何曲か歌った。


私は合唱部の中では比較的歌が上手で、他の部員たちに指導する役目を担っていた。
声楽の先生のところに個人的に通って、1人でも練習をするくらい、当時は熱心だった。

それでもずっと私には大きな足枷のようなものがあった。
身体が緩まないのだ。

歌というのはほとんど身体感覚がものを言う分野で、いかに上半身を緩ませるか、というトレーニングを日々行う。

それでも肩がガチガチする。
そうすると音域も声量にも制限が出る。のどを頑張って使う発声になり、すぐに喉を痛めていた。


文節区切りの線

ワークショップが終わってから歌ってみると、そういうものがなくなっていた。

お腹や身体全体がうまく使えて、するりと声が出る。
当時より、練習していないのに上手に歌える!楽しい!

歌だけじゃなくて、他の分野においても、人生決定においても、この身体ガチガチの足枷が、いかに私を制限していたのだろうと思う。

私はどんどん私を解放したい。
それって、もしかしたら、すごく楽しいことかもしれない。


文節区切りの線

私は、この春に大きなチャレンジをしようと考えていて、そのために猛烈にもがいているところです。

なんの後ろ盾もない行動って、本当に怖い。
今までやったことがない。


例えば、私が今までやってきた、仕事で異動を命じられての転居、学会の開催日が決まっている上での宿泊…これは誰かに「やれ」「やった方がいい」と言われて決めたことだから、楽しくはなかったけど、「失敗しない」「やれば確実に認められる」という偽りの安心感があった。

締切も日程も場所も全部決まっているから、それに合わせて事務的なことを淡々と進めれば、達成できる。


文節区切りの線

今、私が計画していることは、別に、誰に言われてやることでもない(強いて言えば、ワークショップを通じて、私の意志を後押ししてもらっているくらいだ)。

それをしたからといって、功績もない。
お給料は発生しない。

それどころかエネルギーもお金も時間もたくさん使う。
全ての結果を自分の責任で引き受ける。

日程は、おおよその目処しかない。場所は星ほどの選択肢から自分で決めなければいけない。
締切をハッパかけてくれる人もいないから、出だしが遅くて失敗しても自己責任。


文節区切りの線

行く場所を大まかに決めたけども、それでも確信が持てない。
「本当にこれで大丈夫? 後悔しない? 失敗しない?」いつも自問自答している。

「ここがいいと思ったけど、やっぱり違う気がする」と調べ直しては、膨大な時間を使う。

すごく疲れる。私はしばしば、やめてしまいたいたくなる。このまま、いつも通りに、地元で単調な日常を送る春休みの方が楽だ。お金も使わないし、失敗しない。「仕事休んで、こんなにお金使って遊んできて」と、他人から責められることもない。


文節区切りの線

今回のワークショップで、新しい「しつけ」を改めて学んだ。
私は、3年間、プリントアウトしたこの「しつけ」リストを持ち歩いていたにも関わらず、まだ自分に定着する段階には至っていなかった。

「欲しいものを欲しがってもいい」
「いっぱい楽しんだり遊ぶのはいいことだし、そうする必要がある」
「自分の行動の結果を受け止めること」
「失敗してもいい」

今こそ、このしつけを自分に言い聞かせるタイミングなのだと思う。


今週の途中で、私は大きくつまづいてしまった。
悔しいけど、「失敗してもいい」と自分に言い聞かせながら、自分の行動の結果を受け止めて責任とって反省して、また立ち上がりたい。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。