2025.03月開催 「変容ワークショップ」そうふうクラス

画像
タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) そうふうクラス



タイトル下の線


私はワークショップ・クラスを受けてから、今週できるだけメモをとってみました。

起こったこと、自分が感じたこと。
私がモヤッとしたり、ハッとしたこと。仕事中の指示や行ったこと。
その日のまとめも書くようにしました。

私はメモをとってみて、自分が1日で起きたことや感じたことを、全然覚えていないのに気づきました。
それどころか、私は10分前に反省してメモしたことも、忘れていました。


文節区切りの線

これまで私は自分はちゃんと考えていて、記憶力にも問題ないと思っていました。
私は反省したり、泣いて後悔すれば、いつの間にかできるようになる。

私がやると書いた事は、いつの間にかできている。
私は「メモしてまとめる=身についた」と思い込んでいました。


私が今日できなくて、やり方を書いて気をつけようとメモをしても、すぐにできるようにはならない。
明日できるようになるには、練習する時間や、自分がわかるための学習が必要でした。

私はそこが感覚として、全然理解できていませんでした。

私がモヤッとした時、そのことを解消するために何かした時だけ、次のモヤッとがなくなる可能性が出てくる。
それでしか、私の現実が変わらないのです。


文節区切りの線

私が辛いと思ったり、悲しいと涙しても、私の現実には何も変化しない。

この当然のことが、全然わかってなかった。
私が悔いても、何の意味はなく、行動した時だけ意味があるのがわかってきました。


私は自分がそんなに優秀じゃない、忘れてしまう人間だと繰り返し覚えさせます。
そしてメモしたことを、振り返って、できないことをできるように練習していきます。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) そうふうクラス



タイトル下の線


今回のワークショップは、私にとって思考のデフォルトがいかにずれているのかをまざまざと感じた。

私のやることなすこと、すべてが正直気持ち悪いくらいに「どうしたらうまくいくか?」「何かがどうなったらこうなるはず」が出発点になっていた。
私はこれまで、そういうやり方でしかやっていなかったと認めざるをえなかった。


私はさぼっていた自分記録を再開した。
そこに書き出したものをみると、ワークショップ中で説明されたことそのものだった。
あまりにもその通りで、笑うしかなかった。

ノートに書き出してみて自分痛いなと思ったが、一方で文字を通してみると少しだけ客観視しやすく感じた。

例えばある感情から引き起こされた思いは、私は認められたい、見返したいという行動の動機になっていたんだ、とか。そういうことがつかみやすくなる。
自分の痛さをみるのは気が重くなるけれど、文字が痛みに対しての緩衝材の役割を果たしてくれているように感じた。


文節区切りの線

それから、ワークショップ・クラス後に思い出したのは
ニーバーの祈りだった。

変えることのできるものについては、それを変えるだけの勇気を
変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを
そして、変えることのできるものと変えることのできないものを識別する知恵を与えたまえ

この言葉は、私の胸に響く。
そうだ、私は知識を学び、自分の行動を冷静に受け入れて、新たな行動に変えていきたいんだった。

自分の特性について悲しく不運だと感じてしまうこともあるが、だからといって、私の人生を不幸にしていい理由になんてならない。




タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) そうふうクラス



タイトル下の線


私はみんなでうまくやっていくためのルールがわかっていなかったのだとわかりました。
私が親から学ばず、そこを離れた後も自分で学ぶということをしてこなかったから。


まだ私は自分が何が得意で十分やっていけるのか、何が苦手で時間がかかるのか私自身でうまく掴むことができていません。

私はならなければならないと思い込んだ姿で一生懸命過ごす練習をしてきて、何が私なのか分からなくなってしまっていました。
肝心の私自身を見つめて育てるということができていなかったのだとわかりました。


文節区切りの線


これから私がすることは、等身大の私を見つめること。
その輪郭をサポートを得ながら掴んで、現実を変えていくことだとわかりました。

私が自分でできるようになるために、練習をしていくことが私のすることであると理解しました。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) そうふうクラス



タイトル下の線


「成長できない」ことに、わたしはズキッときた。
がっくりと肩を落とす感じもした。

その一方で、ずっと「成長」というものがよくわからなかった自分もいたのは確かだった。

わたしにとっては、成長というものは、よくわからなくて、掴みにくかった。
大人になってからは、身体の成長が止まるから、なおのことわからなかったんだと思う。


それでも、わたしも成長したい、それを感じたい。その気持ちはよく起こっていた。

だから、何かやってみたらいいんじゃないかとか、そうしたら理想の自分になれるかも、と奔走する。
そうしている間は、何か進んだ感じはするから。
それが、自分らしい生き方を探してることかとも思ってた。

だけど、何やってみても、考えてみても、よくわからなかった。
そして、疲れて甘えてしまう。

「自分らしい生き方を見つける前にすること」を今回聞いて、どうりで見つからないしわからないわけだと思った。


文節区切りの線


わたしは、いつも「自分」(単体、自分を見るとか、自分のことを考えるとか)となると、靄がかかる、もやもやっとする感じはしてた。
よくわからない感じはしてた。
自分の生きてきた道筋、進路、みたいなものもよくわからなかった。

そのことと今回のワークショップ内で説明頂いたことは、一致している、と感じた。

そして、この霞がかることが、いつも気持ち悪かった。
よくわからなくて、イーッとするから、隅っこに追いやってたんだと思う。

わたしは、まず、この気持ち悪さの状態を持つこと、それが今の自分ということを持ちたい。
それがまず持てなくて、何かに奔走したり甘えてだらけたりしていたんだと思う。


文節区切りの線

ワークショップ中は聞いていて痛いことばかりだったけれど、1番痛かったのは、自分は礼儀正しいと思っているのに全然そうではなかったことだった。

これでは、健全な人は自分の周りにはいなくなってくに決まってると思った。
なのに、自分ではわかってないことに、不幸を感じた。

自分軸と自分勝手が混同してしまってると思った。
自己主張だと思いながら、相手からどう貰えるか、みたいになってると思った。


文節区切りの線

またとても失礼になってしまうが、能力高い人は、少しの時間でできるんだろうと思っていたことが、全然中身が違うかった。
自分もそうならなければ、パッパと何でもできなければ、と思っていたことが、丸っきり違うかった。

しかも、そうすることが、遅い自分の時間計算を合わせることだとも思い込んでいた。
180度違う、とかでなくて、住んでる世界が違うかった。

わたしは、そのことに痛みか悲しさか恥ずかしさか、たくさん入り混じったものを感じた。

自分が10分ぐらいでできるだろうと思っていたことは、計算したら2ヶ月かかることになる。
それぐらい、自分の時間感覚はおかしいし、また、2ヶ月かかるほうが、わたしの現実的なほうなのだと思った。


文節区切りの線

今持ってるものもそんなに時間をかけてやるもの、またかけたいものがあるなら、
もうこれ以上何かを入れるということはできるわけがないと思った。
今まで何かを入れるときは、何も考えてなく軽々しかったと思った。

これらのことを変えていくには、自分一人では無理だと思った。
そのための手を借りることを引き続き探したい。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) そうふうクラス



タイトル下の線


私は今回のワークショップで、調子に乗って忘れていたことや、同じやり方をひたすら思考停止で往復していたことを確認することができた。

・私は、自分が「知らない」のに、まぁまぁ回せている現実ばかりにフォーカスして、周りをよくよくよーく観察することをすかり忘れ、「知らないことを学ぶんだ」と意識しながら時間を過ごすことをさぼっていた。

・私は、自分に都合よくモノゴトを曲げて解釈し、挙句怠けてしまう。それを意識的に律するのを忘れていた。

・私は、計画を練らずに直ぐ実践することが行動だと勘違いしていた。だから計画の立て方がいつまでたっても0、100のままなんだと思った。


文節区切りの線

私は、本来一人でいる方が楽な人間だと思っていた。周囲を観察することや人の話を聞く等、人と関わると集中するし、考えることが増えるし、時にどっと疲れるから。
そして一人でいれば自分の問題に直面せず、ファンタジーの中に引きこもっていられるから。

だから、ずっと人が入って来ないように、精神的に引きこもっていた。
このやり方は特に身体が疲れると、直ぐに顔を出す自身のデフォだ。

でも、人や動物や自然と触れると、自分にも健全な喜怒哀楽があるということが解るし、悔しいから、涙するから成長出来ることも解った。
だから私は、命と触れていたいし、もっと大地と繋がりたいと思っている。


文節区切りの線

大地=田舎(里山)と直ぐに答えを出そうとするけど、今の自分に違和感なく無理なく出来ることを、私は自分と相談しながら決めていきたい。
一気にひっくり返す方法をまた試すほど、私には時間が無いから。

だから今日も今日とてチェアワークとスケジューリング。
自分が疲れず、飢えず、温かくご機嫌でいられる環境を、これからも死守していきたい。


ご一緒してくださったお仲間さんへ。
今回もありがとうございました。

また別のワークショップでお会いできることを楽しみにしています。




タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) そうふうクラス



タイトル下の線


私は今回のワークショップでも、やはり衝撃を受けました。
私は今までも学んできた「自分のクセ」について、自分がまだまだなめていて、のらりくらりとしている部分があり正面から向き合いきれていないこと、自分のことだと自覚しきれていないことなどを痛感しました。

また、お仲間さんのシェアを聞いて、私は自分の甘さと自分がまた調子に乗っていたことに気づきました。
痛すぎるし、私にとっては情報量が多すぎて、まだ全然消化できていないのが正直なところです。


文節区切りの線

私は自分のクセについて、なんとなく取り組んでいるうちに治るのだろうと思っていました(これがもうダメですが…)。
でも、これはデフォルトで私にあるもので、決してこの先も消えることはないのだと学びました。

ふり返ると、私は自分のクセについて、意識して気をつけているうちはまだ大丈夫なのですが(これも怪しいですが…)、油断して気が緩んだとき、逆に焦り始めたときなどに特にそのクセが顔を出し始める気がします。

そうすると、私は知らないうちに自分の進みたい道から逸れて遭難したり、転んだりします。
そうなってから「またやってしまった」と気づきます。

私は、今までこのことを何回も繰り返しています。
これは「このクセが決して消えることがない」ということを、自分で自分に証明しているようなものだと気づいたとき、ショックでもありましたが妙に納得もしました。


文節区切りの線

私は、このクセとつきあっていくしかないし、このことについては油断して気を緩ませて良いときなどないのだということがわかりました。
と、書きましたが、それでも時間が経つと油断して気が緩んでしまうのが私なのだ、ということを忘れないようにしたいです。

また、自分が本当に弱い「褒められる」に関連することには特に注意すること、「妄想の自分」ではなく「実在する自分」の大きさを理解する努力をし続けること、それを基にして何事も考えていく、そこに時間をかける、ということも忘れないようにしたいと思います。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) そうふうクラス



タイトル下の線


私はすぐに分かった気になる。そしてすぐ忘れてしまう。
褒められたくて、認められたくて、それが目的化して、何をしようとしていたか見失ってしまう。

自分の足場を変えたいと思っているのに、どこまでいっても承認欲求が先に立って、判断基準がずれまくるのを感じていた。

木を見て森を見ず。目の前のことにとらわれて、枝葉末ばかり気にしてしまう。小さなことに気を取られ、大事なことを見失う。そういう自分に気付いている。
つい近視眼的になって、全体感を忘れてしまう。それに気が付いて、慌てることも多い。


ワークショップでの指摘に、私は自分がまさにその通りと思う。そして、自分のイタさにガッカリして、悲しく情けなくなる。

前なら、私はそこまで酷くないはずと認めようとしない自分もいた。
一方で、お仲間さんの素直さがうらやましかった。


文節区切りの線


私は以前に比べると、自分のことを観察するようになったとは思う。
まだまだ十分ではないから、私はもっと自分を理解したいし、そのために努力したい。

私は進んでいる、できている、とすぐに勘違いしがちなことも忘れず、少しずつでも前に進みたい。
自分を責めるエネルギーを、自分を変えることに使いたい。


自分なりに頑張っていることやありのままの自分を認めること。
変える必要があることを自覚して、変える努力すること。

私はそこがぐちゃぐちゃになって、自分をボコボコに叩くか、甘やかすかに走ってしまう。その繰返しに自分で疲れ果てている。


文節区切りの線

私は、まだまだ自分のサイズ感が分からない。
それでも、これは身の丈に合っていないと思うことや、後から失敗に気付くことは増えた。
入れる前に気付きたいところだけど、そのためには、自分には考える時間がかかるということを自覚して、考える時間を確保する。

私は、考えないといけないと分かっているのに、考えることから逃げようとしてしまう。手っ取り早く答えを探そうとしてしまう。
そういう自分のことも観察しながら、気付いて立ち止まって、一つずつ変えていくしかない。


文節区切りの線

ワークショップ・クラスの前の週、混乱して途方に暮れていた私は、何度も繰り返しチェアワークをした。稚拙でも自分なりの答えを探そうと必死だった。

不安でいっぱいになって、足がすくんでしまったら、またチェアワークに戻る。
そうやって、徐々に落ち着きを取り戻す。


私は、自分が落ち着くまで、気が済むまで何度でもチェアワークすることを自分を許そうと思う。
そして、私はどうしたいかを自分に聞きながら、自分のことを確かめていく。
自分の大きさ、本当の自分を探して、自分で自分を確かめていきたいと思う。


今回もありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。