2021.09月開催 「境界線(バウンダリー)ワークショップ」ばれりーなつりークラス

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S. M. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) ばれりーなつりークラス



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旨味が凝縮した一つの果実を味わうような、みっちりとしてほくほくとした一日でした。

ワークショップ始め、自分の中の身構えている姿勢(身体に力が入りすぎ)や殻をまた感じました。
まだその位置にいたのかとちょっとがっかりする気持ちと、それならまださらに良くなれるという開きとを感じました。

いかに力の無駄にいる状態(でないと生きられない価値観に居るということだと思う)でまだ自分がいたか、このワークショップの時間ならよくわかりました。


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「この世の定義」を聞きながら、自分の変化も感じました。
初めて知ったときは「それは桃源郷ですか?」といった感じだったと思います。

そこから「そんな温かい世界は確かにあるのだ。」となるも、今まで自分が冷たい水に慣れていたものだから、熱すぎて入れない温泉のようでした。

今回は、確かに熱かった(眩しく羨ましく憧れであり希望が甚だしい)のだけど、「そんな世界って相変わらず凄いって思ったけれど、それはきっと普通の適温状態のことなんだ。その状態が常温でないとそもそも困るんだ。」とどこか腑に落ちたものがありました。

それが常温でないと生きていくのに困難だということがもっと輪郭を持ってわかりました。

わたしは、常温に感じて生きていきたい、そう思いました。
それが、境界線問題を問題でなくすることだとも思いました。


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そして、その世界に居ることが、今回習ったことだと思います。
確かに境界線がないと、そもそも命を保てないのだとより根源的にわかりました。

そしてそれは「引くのでなく “ある”」ということがわたしにとってはさらに警策でもあり、今回力んでいたお腹の辺りに優しく染み込むようでした、やはり自分の世界が変わることって凄いです。


そして、歪み混じり合った線は直したいと思います。

これも、獣の咆哮ぐらい力いっぱい使わなくても、ただ自分の “ある” ものを伝えれば、それで通じるのだというのも落ち着いてきたポイントです(三段階の練習も、自分を主張し守る強さの度合いという感じがしました)。

そこも、小さい頃からの価値観に刷り込まれていたのだと思います。
上・下の関係に慣れ、常に下であったから、打破するには強く上に立たないといけないと思い込んでいたのだと思う(そう立てるように外側を頑張ろうともしていたのだと思う)。

でもそれ自体も親の価値観だった。

わたしが本当に欲しかったのは、上じゃなくて対等さ、自分らしさだとまた深く確認できたようでした。
書いていて涙が出るぐらいです。


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ただ、わたしは自分にとって、心地よく納得のいくようにありたい。
そのために処世術のマイナスになっている所を変えていきたい。
弱いところを意識し、自分で守りたい。

処世術自体も悪いものではないのだとわかりました。
ほんとに人それぞれということが見えるようで、(結んではいけない関係は除いて)いろんな人がいてよかったと安心できるようでした。

また一つ自分を知れたように思います。
優しく強く無駄に力の要らないことを体感したように思います。

チェアワークして警策も胸に、また一つ一つやっていこうと思います。
今回もほんとうにありがとうございました。




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S. Y. さん(30代/富山県よりご参加) ばれりーなつりークラス



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少し重い気持ちが続いている。
このワークショップをきっかけに、さまざまな問題が解決し、自分の意思で自己決定ができるようになるのだと、今回のワークショップがゴールだと思っていたからだ。

とんでもない。
やっとスタート地点に立ったような気分だ。

参加すればするほど、謎が深まり、今まで問題にも思っていなかったことに疑問が出てきて、お腹がひっくり返りそうな思いだ。

これまで「勉強会」2回参加、本番のワークショップは初参加となるが、参加すればするほど、「私の、うまく言語化できないレベルの記憶しかない乳幼児期には、一体どれほどの混沌があったのだろうか」という疑問が湧いてくる。


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今、子育てをしていて、4歳児の長女と当たり前にしている会話、保育園であったことや、どんな友達がいるかなどを、そういえば、私は母としたことがないような気がする。

けっこうしんどい保育園時代を送っていたのだが、それを母に話すことはなかった。
それどころではない雰囲気が、家庭に漂っていたのではないだろうか。

「インナーチャイルド・ワークショップ」の参加も勧められ、日程が合わず参加できなかったが、やっぱり自分には必要だと感じる。
次の機会には早めに予定に組み込んでおきたい。


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優月さんのいう通り、ワークショップ・クラスの翌日から、眠気が強く、空腹も感じやすく、思った以上にエネルギーを消費しているというのは本当なのだなと思った。

普段あまり間食はしないのだが、お気に入りのお団子屋さんで、ずんだ餅とお抹茶のセットを食べた。

身体に染みる美味しさだった。
秋晴れの風景も最高。
今週は、美味しいものを食べて、体を動かして、過ごしたい。


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人生とは、「快」を作るためにあるのだと。問題解決や苦行のためにあるのではないと。
そうだったのか。

「快」は「怠け」とは違うんだ。
苦しいことって、避けても構わないんだ。
衝撃的に、今までと違う考え方だ。


苦しいことは、乗り越えなければならないと思っていた。
乗り越えた先に「快」が待ってるんだと思ってた。


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私がずっと考えてきた「あるべき夢」は自分にとっての「快」ではなかった。
「夢」は絶対であり、「快」のために「夢」を妥協するなんて甘えていると思っていた。

だからなんとか全て達成するための努力をやめてはいけないと思っていた。

仕事上のスキルを高めたい、子供が欲しい。それらは間違いなく自分の求めていたことではあった。
きっと、自分のキャパシティーの範囲内であれば、それらの目標を達成していく過程は「快い状態」だと思う。

でも、全部得ようとして、全部他の人がやるように真似して完璧にやろうとして、自分の人生のバランスを崩すと、どんなにやりたかったことでも、苦行になってしまう。

どれもこれも、「快い」と思える程度でとどめていいんだということが、大きな発見だった。
そこの適度なブレーキをかけるのが、自分には難しい。


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お団子屋(カフェでも、景色の綺麗な公園などでもいいのだが)に集う人々を見て、本当にそうなのかもしれない、と思う。

お団子は食べなくても生きていける。
でも、その空間、その時間、その美味しいという感覚が快いから人が集まる。

皆、思い思いの服装で、カジュアルな人も、おしゃれに着飾る人もいる。
自然と、自分の快いように生きている。

職場や家だけに長くいると、そういう人に出会わないので、つい、「自分が役に立つことが全て」と感じてしまう。
ちょっと離れて、バランスを取る時間、とても大事だなと思う。


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・子供が欲しい:子どもは2人で人口維持、少子化対策には3人以上必要
・仕事:この職種の働き手が不足している、特に私の住んでいる県では
という社会的要請・メッセージと合致しているから夢にしやすかったし、未だその要請にすごく囚われているような気もする。


母は本当に私の大魔神なんだろうか、とワークショップを聞いていて、疑問に思っていた。

確かに、境界線が甘い部分がある。
人が、自分と違う考えを持っているということをあまり理解できないように感じることがある。
それで、大なり小なり人間関係のトラブルが絶えない生き方をしてきた人だった。


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母は最近はっきりと「なんでも世話をしてくれるママが欲しい」と言うようになったが、おそらくずっとそう思ってきたのではないかなと思う。

父が定年退職後、元気に生きていた頃、母は「やることがなくて暇で辛い」と言うくらい、身の回りのことをやっていなかった。
本人は「病気でできないのだ」と。

眠剤飲んで事故を起こしてから車の免許を返納して、父が全て送迎をしていた。
父も全ての送迎には対応できず、自由がないと母が文句を言うので、子どもたちから、「バスやタクシーを利用したらどうか」と提案した。

「バスは時間に合わせてバス停まで行くのが大変だし、そんな貧乏っぽいことしたくない。タクシーはこんな短い距離乗るのに嫌な顔されるのが嫌だ」と、結局何も動かなかった。


父が病気になって亡くなって独居になって、父がいなければ何もできない人だったからどうなることやらと心配していたら、意外にも、家事をやるようになり、バスやタクシーを利用して移動するようになった。

多分、実は、できるのだ。
でも、依存できる人が「見えてしまうと」依存してしまうのだ。


だからおそらく、今回教えてもらった通り、私も距離を置いて連絡もあまり取らない方がいいのだろうが、孫(私の子ども)とは仲良くなっていて、なかなか完全に離れるのは難しい。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) ばれりーなつりークラス



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わたしへ

まずはお疲れさまでした。
今回も色々大切なことを学びましたね。
少しずつ自分のものになりつつあるので、根気よくトライ&エラーをしていきましょう。


今回でこのワークショップも7回目。
始めの頃はワークショップを受けたことで納得したり(わかったつもりになっていた)、何回も受けることを恥ずかしく思ったりもした。

そして、今思うことは「私はこれからもまだまだこのワークショップを受けるんだろうな」ということ。
もう回数は関係なくて、ただ自分のものになるまで受けたいと思う。


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自分は今まで本当に境界線をめちゃくちゃに踏み荒らされてきた。
私はそういうことをやっと実感として感じることができるようになってきたし、認めることが出来るようになった。

だから、やっぱり時間はかかるのだと思う。

そして、私はここが自分の肝だとわかるから時間をかけたい。
何回受けても気づきはあるし、新しいことも学ぶ。


自分が引っかかりやすいところに気を付けること、自分の「ん?」「もやっ」を絶対に無視しない、その違和感を大切にして自分を信じる、こまめにチェアワークをする、そういうことを意識していきたいと思う。

そして、ワークショップ・クラス中に優月さんが言っていた「あなたは、あなたを大事にしてくれる人と時を分かち合うこと、生きること」。
そのためにも、私は境界線を引けるようになりたい。

優月さん、クラスでご一緒したお仲間のみなさん、今回も安心できるあたたかい空間をありがとうございました。




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S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) ばれりーなつりークラス



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「境界線」は、あった方がいいというレベルではなく、なくてはならないもの。
その感覚は、これを初めて知った約1年前よりは、ずっと確かなものになっていると思う。

どうやらこのもやもやは「境界線」に関わっているようだ、と気がつくような瞬間も増えてきている。
けれど、日常のなかではその意識から遠ざかっている場合も多く、「知識」を取り入れる、「練習」をするということが本当に大切であるとあらためて感じた。


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「快」についての気づきが、特に印象に残っている。

「生きる」とは、「快」の共有をすること。
「働く」とは、他人の「快」を満たすこと。
どうやらそうらしい、ということは頭ではわかっても、自分の実感としては湧きづらいように思う。

共有、一緒に楽しむ、という発想が、自分には抜け落ちている。

自分が「快」を受けとってもいいと思えていない。
自分がその対等であたたかい世界に参加していないように感じる。

多少つらくとも自分さえ耐えていればいいというやり方がごく自然で、自分にふさわしいことのようになっている。


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自分の「快」を、自分がどうしたいかを、自分がわからない状態にある、という問題の重大さも、改めて感じている。

自分が「ない」状態で物事に対処しようとすると、これまでに身につけた過去のやり方を巧みに取り出して応用しようとする。

そして、私にとってのその処世術とは、TEG のデータも示しているように、自分が我慢することや他人の世話に奔走する方法であるということ。


客観的なデータを見て、しくみを知っていくと、このままこのやり方をとることはまったく自分のためにならない、とよく分かる。
私は自分のためになるやり方を選んでいきたい。


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「チェアワーク」をていねいにくり返していくなかで、「今ここにいる自分」をしっかりと感じることができた。

チェアワーク後、たとえば自分の境界線に入ってこようとする人たちを想像してみたとき、その人たちと自分との間には、少し距離があることを感じた。
そして、自分はそこに近づくこともできるし、離れることもできる、と感じたように思う。

自分の背骨は太い柱のように感じられ、どっしりと存在感があったのを覚えている。
冷静で落ち着いた自分には、境界線の感覚も、その中に大切な自分がいることも、わかっているのだ、ということに安堵した。

どんな場面でも自分が自分のためになる選択ができるように、チェアワークの活用を意識していこうと思う。


文節区切りの線

大人の私はちゃんとここにいる。
自分が自分に集中しよう。
もっともっと自分のことを知っていこう。

自分を知ろうとすることを、自分のために本気でやっていこう。
ひとつずつ学んで、コツコツと練習しながら、自分の足で進んでいこう。


このクラスの時間を分かち合えたこと、とても心強く感じています。
優月さん、皆さま、ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) ばれりーなつりークラス



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今回の WORKSHOP も、何度か受けていたので復習しよう位に思って臨んだにも関わらず、自分にとって毎回腑に落ちるポイントが違っていて何だかいつも新しいことを学んだようなそんな気持ちになります。
言い換えれば、同じ言葉を聞いていたのに受講ごとに感じ方とか理解が違います。


毎回、自分の癖が浮き彫りになって、落ち込んだり焦ったり、でも前に進める方法が解ったという安心感。

私は、ここ数年いつもめんどくさい人に関わって心身ともに疲れ果ててしまうことが多くて、そのことで悩むというよりもうこの癖は治らないのではないかと思っていました。

そういう癖がついた理由も対処法も、頭で散々理解してきたつもりなのに、いつもここで自分の人生時間がストップしてしまう、そんな憤りと強い怒りを感じていました。


でも今回は、例えば業務上物理的に離れられなかったとしても、対策はいくらでもあったしやろうと思えば自分にでも出来たことはまだたくさん残されていたことに気が付きました。


文節区切りの線

思えば、いつだってそうだったのかもしれない。

もう、私の人生終わった…。
そう思う出来事は少なからずあったけど、でも私は今こうして何とか暮らしている。

それだけでも多分凄いことだし、これからも何かしらの方法や道はその都度開けていくのかなと思いました。
だから、またぐるぐる頭で考え出してきたら、せっせとチェアワークをして自分と向き合っていこうと思います。


ご一緒してくださったみなさん、優月さん、今回もありがとうございました。
秋の ONSA WORKSHOP(対面式)はまだ続きますがまたどこかの WORKSHOP でお会い出来たら嬉しいです!



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。