2021.07月開催 「感情ワークショップ」くらぶあっぷるクラス

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タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) くらぶあっぷるクラス



タイトル下の線


感情を感じる。文章で書くと当たり前のことを書いているようだけど、きっとそれがとても難しいこと。
私はまだ自分にどのくらいの量、深さ、重さの感情があるのか、あったのかわかっていない。

怒りにわなわなと震えている人、見たことがある。
不安を上手に言語化できる人を見たことがある。

私は、私はどうだろう。
怒りや不安は感じにくいように思う。


本来持っていたはずのものをこれから何年もかけて取りもどす。
それが私の行うこと。

それでも怒りは湧いてこない。
振り返るとき、ああここまで来たんだなって思える未来があるといいな。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) くらぶあっぷるクラス



タイトル下の線


私へ。
今回もよく頑張ったね!
すごくよくできたね! と思うのは、ワークショップ・クラスが終わった後の1週間で、その時には上手く落とし込めなかったことを自分なりに観察したことだよ。

私は、4つの感情を感じることと、人間関係を築くかどうかの分別の潔さについて、理解はできるけど、自分のこととして上手く落とし込めない感じでいました。

でも私は、先日ケンカした仕事仲間に会い、謝罪し、その後仕事をしながら、その方と他愛もない会話をするうちに、何を教えてもらったのかを少し体感できた気がしています。


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私は、仲良くなれる人ととは、すぐに仲良くなれると思っていました。
時間が多少かかっても、どんどんと近づいていくイメージでした。

そして、人と関わるかどうかを決めるときは、必ず頭で分析していました。
性格、長所と短所、何かまずい要素は持っていないかで考えていました。


だけど、普通の世界の日常は、相手と近づきも遠ざかりもしない会話で成り立っていました。
お互いを尊重して、ただ、こうしているだけ。

もし、近づいて良いと思う人がいれば近づいてみるだけ。また、近づかれる時もある。
決めるのは自分次第で、相手のことは相手次第。

そして、決めるときの判断基準は「感情のみ」。
4つの感情のどれかを感じたら「×」と決める。

境界線など、今まで学んできたことと相まって「だから…『感情』なのか!」とすごく腑に落ちました。
新しい生き方を教えてもらったんだね。


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私は、私の感情をもっと呼び覚ましたい。
感情は私が進むためのコンパスなのだから。

ゆっくり少しずつでいいから、感情をキャッチしていこう。




タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) くらぶあっぷるクラス



タイトル下の線


ぐったりと疲れはてたワークだった。
そして夕方まだ明るいうちに散歩に出かけた。
行きしなはまだ胸のあたりの重みもしんどさも感じていた。そして家に戻って来る頃にはどこかすっきりとしている自分がいた。

次の日も夜になってからになってしまったけど少し歩いた。体を動かすと自分はエネルギーの塊みたいなものに感じられた。
体を動かすこと、移動することでそれがほぐれていく気がした。

「わたしは頭だけでも体だけでもない。エネルギーそのもの。」
頭だけじゃない手も足も体もエネルギーも全部使って、わたしはわたしの好きなところへ行けるし、行っていいんだよ。


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強い感情をぶつけられても、それはあなたのせいじゃありません。
その言葉が耳から入ってきたら不意に涙がじわっと出た。

これまで頑張ってきた自分へのいたわりの涙。
辛かった今までの時間への悲しみの涙。

もうその苦しみは終わっていいことへの安堵の涙。
いろんな気持ちが混ざってて、そしてその涙は温かかった。


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わたし、ではなくその人が助けてほしい、わかってほしいということ。
どうするのか? はわたしにイーブンな権利が与えられている。
どっちを選んでも OK って言うこと。
責任とか負い目とかとは全く文脈が異なる物。

それはわたしが感じてきたこととはだいぶ違う文脈になる。
わたしの家で感情はもっと作為的に使われている「物」だったから。

チラつかせて相手をコントロールする手立て。
お前が悪いんだ! そう言う場面を百度以上みた。

そして自分もそうやって責められたしつなぎとめられた。
弱々しい声で「手伝ってくれへんか?」と言われる。
行かなかったら後で嫌な気持ちが湧いてくる。

それは「罪悪感」だったよね。
暗に境界線を踏み越えられているしるし。

成長するたびに、自分に興味を持つたびにされてきた言われてきた気持ち悪いこと。
わたしは繋がれていたんだと思う。侵略されていた。
そして今はもう繋がれていないし、鎖なんか断ち切ってもいいんだ。
そしてわたしはそんな鎖もう二度と触りたくもないし見たくもないんだ。


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「人の感情はその人のもの、その人の大切なもの。わたしの感情はわたしのもの。わたしの気持ちはわたしの境界線の中にある。わたしにとってとても大事なもの。」

「できる自分」を取り上げられて「できない自分」で生きていたと思う。
すごくすごく悔しい。本当に悔しい。

チェアワーク後のリラックス度で発想したら、なんじゃこいつ? となるようなことにわたしは文字通り巻き込まれていってしまっていた。

自分の存在意義をまるっと相手に渡してしまう。
(つまりはそれが共依存状態!)

それは生殺与奪の権利を明け渡しているのと同じ。
親からそれをよこせ! って言われてたんだよね。
(悔しい!)

そうやってコントロールされていたと言うこと。そう言う風に「生きさせられてきた」。そうでなくてはお前は生きられない、と「思わされて」きた。
(めちゃくちゃ腹たつ)


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わたしはそのことにもっともっと自覚的にならなければ! と腹をくくるような思いがする。巻き込まれてからでは遅い。と言うかもうそんなことに巻き込まれている場合ではない!
 (ちっくしょう)

もちろん逃げるのはいつからだって遅すぎることはない。
そして未然に防がなければ、本当に本当に真剣に時間が勿体無いことになる! と感じた。

悔しくて半端なくイライラさせられてしまうところ。トゲトゲボールになってしまったような気持ちがする。

力を取り上げられてきたことに、心底怒りを覚える。
あの猫なで声が実際は何をしていたのか。
許せない。

だけど取り合うだけ時間の無駄なんだ。
その(甲斐のなさ)が余計にイライラ度を増す。けどもうそんなことにエネルギー使ってたらもったいない。


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そしてそういう言葉にならないエネルギー=感情をわたしはわかってもらえず、助けてもらえず、愛してももらえなかった子どもだったんだ。
今のイライラの感じが当時とそっくりだ。

あの頃の感じ。どうしていいかわからない感じ。
わたしは自分のニーズを言葉にできない。必要であっても伝えることができない。受け止めてもらえるはずの場面で受け止めてもらえなかったから。

それがどんなに歯がゆかったか。どんなに困ることか。
わたしはモヤモヤしたり傷ついたままで固まってしまっているようなものなんだね。とても困るし辛いよね。


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「まず自分を取り戻せ」この言葉が心の芯に響く。
そしてわたしは(ちっきしょー)って思ってる。そして同時に(やーるーぞー)って思ってもいる。

モヤモヤしたり、傷つくときそれは「その人からは離れたほうがいいよ」というメッセージ。
なのに、わたしの場合にはそれをする人が自分の親だったからそうはインプットされていなんだと理解した。
逆に動けなくなる。取り込まれる。

ごく自然な流れでわたしは自分が悪い、と思って自分の側をどう調整すべきか? という発想にいた。これがまさに「自分がない」状態なのだと思う。

認めてくれるはずの親が認めてくれなかった。こちらに合わせろと繰り返し言ってきた。
子どもなのにだ。そ

うやってわたしは相手に合わせる、相手の基準に頼って生きている状態に慣れてしまった。
とても怖い状態。

そうやって無意識に「相手がなんとかしてくれるのだ」と思って生きている。
共依存の状態。
そう「思い込まされてきて」の今がある。そう言うことなんだ。


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できる、を取り上げられて逃げられなくさせられて、今のわたしは嫌な感じがすることの中に留まり続けてしまう。
動けなくなっている。
これが良くない習慣なのだとわかった。

わたしはもう自分で動ける。
自分の足で移動できる。選べる。それを「してない」だけなんだ。


今までのわたしは、嫌だと感じてしまったら心理的に負担になっちゃうから、感じないようにしよう、と思って切り離していた。
(!)

そしてそれはとんでもないことだった。
本末転倒だったのだ。

これは嫌だ。じゃあ、どうする? という発想がなかったんだね。
それを変えられるんだ、変えて行けるんだ、自分の手で、足で。そういう発想が全くなかったよね。

泥の中から出られてなかった。
だからどっちを向いても真っ暗だったよね。


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わたしは今までの(甘えたい気持ち)でいた自分を責めない。

(甘えたい気持ち)=「誰かがなんとかしてくれる」

わたしのせいじゃないし、そんな風にしか生きられなかったなんてすごくひどいことだから。でもその甘えたい気持ちはあると自分に悪さをするので、克服する。
嘘で固められた罠だから。

わたしは騙されていた。
離れていけないように、暗示をかけられていたようなものだった。


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自分では足りない感じ、誰かにくっついていないとダメなんじゃないかって気がしてしまうこと。
それは、間違った暗示のせい。おかしな世界観の刷り込みのせい。

わたしが自分を愛することが上手になれば、じきに消える。
だから一にも二にもあったかい安心安全。を自分にあげる。

これが今の最重要目標。
自分にあげる言葉と時間の全てをあったかくする。

それにしてもこのイライラは、鏡を磨くぐらいしか対処のしようがない! そしてきっとそれはいいことなんだと思う。それは気持ちの流れが正しい感じがするから。


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人と繋がる時に、自分のやりたいことについて話してもいいと知らなかった。
自分の希望や夢を語ることは偉そうなことで、人にしてはいけないことだと思っていた。

人に自分が本当に思っていること、望んでいることを話して聞いてもらえたらとてもホッとするんだ。
わたしは自分の家で自分のことを話してこんな温かな気持ちになったことは一度もない。
たったの一度もない。


優月さんにハイストーップ〜と座布団をひっぺがされる時のあの感じ。
あ、またわたしやってますか? イタタタ。痛いんだけれど、清々しい感じ。

涙が出て悲しみと笑いが同時にこみ上げてくるあの温かい感じ。
ワークでやった正のストロークの時に感じた温かさと同じ。
受け入れられているって言うことなのだと思う。

この感じ、この温かさをずっと、知らずに生きてきたんだよね、わたしは。
本当に本当に偉いぞ、って思う。
そんな辛い状況でよくここまで頑張りました。


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わたしは困っていること、辛いこと、そこをつながりにしようとしていたしそうやって相手を調達(!)する共依存的な関係の仕方をしていたと思う。

依存する、と言うつながり方しか本当に知らなかったと思う。
それで平気な人を探してもいたと思う。

それは家で見てきた共依存的つながりの作り方の紋切り型。
そもそも土台が間違っているこの行動。
わたしの甘えた心。

わたしはその心を自分でしっかり抱きとめたい。
なんて酷いことを強要されてきたんだろう。大人の目線でわたしは真剣に腹がたつ。


自分をしっかり受け止めて自分の味方になることができなかったら、わたしをこれから前に進めてあげることができないと理解した。
全力で自分の味方になる。
だって本当に頑張っているから。


文節区切りの線

2年前にテキストで見た時にはまるで??? だったけれど今なら少しは手触りというか実感が感じられてきた。
こういうことを言ってるのだ、という感じがつかめてきた。

整理できたこと。

◎△×の表を常に念頭に、NG 卵は即選別。関わらない。

→ 自分の時間を最大限に確保。
自分はどうしたいか、自分の人生を作ってゆく。それで繋がりも持つ。できてゆく。
楽しいことで繋がる。

自分から行動し、健康な関係に慣れていく。試してみる。健康な場所へ自分が移動する。不健康な場所から自分が離れる。

モヤモヤする、嫌な感じがする、傷つくことをされる言われる。
→ 即 NG。関わらない。離れる。(わたしはこれが全くできてなかった。自分の側が悪いのだと思ってなんとかしようとしていた)

正のストロークがある人とだけ、境界線を持った薄いつながりを持つ。


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境界線を持った、というところがまだまだ理解できていなかったと思う。
わたしは暗に誰かになんとかしてもらえることを期待しているんだ。

そう言うもんだと思い込まされてきた歴史がある。これが細胞レベルに染み込んでる。
それがまさに、自分に境界線がない。ということなのだった。

自分がどうしたいのかを知っていること。これが最低限必要。
(そしてそれは今まで完全に取り上げられてきたこと)
それがなかったら守りようがない。

事前に知って、事前に守る。コツコツやる。
何もかもが「不意打ち」な感じがするのは事前にわたしが何も考えてないからなんだよね。


境界線があるか? を今のところの理解で自分なりの言葉で言い換えると、未来を見据えている感じがあるか?
境界線がない感じは逆に永遠にその場所に留まりたい感じ、変わることは望んでいない感じ、ずっと同じでい続けたい感じ。


文節区切りの線

共依存の世界

ねっとりベトベトした感じ
未来がない感じ
延々と終わらない感じ
やってくれる人=他人、相手(自分ではない)
悪い人=相手、他人(自分ではない)
感情=相手にぶつけるもの。ぶちまけるもの。
なんでもやってくれる感じ、ホイホイ聞いてくれる感じ(実際に困ったときには突き放されるような気持ちになる)
ご機嫌とりをする必要を感じるし、される


相互依存の世界

さっぱりしている、サクサク進める感じがする
あとくされがない
未来を見据えている感じがする
一つ一つ完結する感じがある
やってくれる人=自分自身
悪いひと=いない(悪い人がいるのではない。問題があったら解決する)
感情=自分がサインとして活用するもの、指針、自分の中で表現、浄化するもの
できることとできないことがある(そして本当に困ったときにすぐその場でなんともできないとしても、ちゃんといてくれる感じがする)
気を使って相手をあげるような必要がない


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こういうときに限って物事がうまく回らなくってすごくイライラしてしまう小さな出来事が立て続けに起こる。わたしは挫けそうになる。
わたしはすぐにそう言うことが起こった「意味」を考える。
(そっか、やっぱりダメってことだ。わたしには無理なんだ。こんな小さなことで癇癪を起こすんだもの。イライラする自分は未熟でだめな人間なのだ)

そうなって、あ! っと思った。
そうやって泥の中にとどまり続けるつもりなの? もうやだって言ったよね? わたしそれやめるんだよね。
わたしの本当の望みと違うよね。
その「意味づけ」はわたしを幸せにするんだろうか? してきたんだろうか?


このイライラ感。
わたしの「感情」がせき止められてしまっているのは、そこに解決の糸口を見いだすことができなかったからだよね。そこをサポートしてくれるはずの親が、家族が機能してなかったからだよね。


文節区切りの線

わたしは「嫌」って言うやり方を知らないから行き詰まってる。
NO と言うやり方を全く知らない。そんなことは自分の家ではわたしができることではなかった。
そのことが致命的におかしかった。

NO と言わせてもらえない家。そんな家で子どもは健やかに成長できない。わたしの時間は止まっている。
感情はせき止められてしまっている。
言葉にならないものを、文字通り「無視されて」その中を生きざるを得なかった。

そうやって生きてきたこども=わたし。
わたしがその子どもそのものなのだった。


イライラして焦って爪を壊してしまった。悲しい。けどこれも、爪を壊したから自分はダメな人間、って今までは思っていた。
失敗したら、誰だって悲しいんだ。
大切なものが壊れてしまったら、悲しい。それが普通だよね。

悔しかったり、悲しいのは普通だよね。ダメなんじゃないよね。
だからもう二度とそれが起きないように次から別の方法にするんだよね。


文節区切りの線

誰かが無理をすることで、自分もお美味しい汁を吸っていることがある。
そこに依存してそれが当たり前に感じるようになってしまったら、わたしがダメになる。

わたしはそんな風に生きたくない。
猫なで声でつなぎとめて吸い尽くす、そんなカラクリに巻き込まれたくない。

気持ちよく買い物ができないのなら、それは切り離せ、と言うことなんだね。
自分の足で立たなくては。誰かを下敷きにして生きるなんてまっぴらごめんだ。
そして誰かの下敷きになるのも。

それがわたしのプライドなんだ。大事にしたいことなんだよね。
すぐに全部は無理だけど、ちょっとずつ、コツコツ。そう言うことだ。
偉そうとかお高くとまるとかではない。
わたしの大事にしたいものはわたしの境界線の中にあるもの。


文節区切りの線

わたしはイライラの中で生きている人たちの中に生まれた。そしてもう、そういう人たちから受け継いだ生き方を捨てる。

わたしは新しい生き方を学ぶ。練習して身に着ける。

わたしはもう、パンパンになった感情で自分や相手を傷つけるのは嫌なのだ。
そんなひどいやり方じゃなくて、もっと優しいやり方を知りたい。

どうしたの?
何があったの?
どうしたいのかな?
何が嫌なのかな?

嫌なことを嫌って言ってもわかってもらえなかった。
やめてって言ってもやめてもらえなかった。
それには理由があったんだ。致命的な理由。そこではそれは不可能だった。

でもそこにしかいられなかった過去がある。
そしてそこをわたしは生き抜いた。
だからもう、新しい場所に行っていいんだよ。


文節区切りの線

なんだったんだこの47年間という悲しみと疲れた感覚。
知らなかった、わからなかった、しかも与えられなかった。

ちきしょうという悔しさと腹立たしさ。
わたしの失われた貴重な時間をいとおしむ気持ち。

あったはずのでも実際には来なかった豊かな時間を悲しむ気持ち。
その中を孤独でも精一杯生きてきた自分に対するいとしさ誇らしさ。
それから、今からそれをやるの? という未知に対する不安。

そして、もう苦しいことをやり続けなくてもいいのかという安堵からくる緩み。
清々しい気持ち。
晴れやかな気持ち。
背負っていた大きな荷物が下された時のようなホッとする感覚。
今までやっていたことへの自覚からきたであろう疲れとイライラ感。

たっぷり寝て、美味しいものを食べて、優しい時間をたくさん過ごして、元気になろう。

一生懸命に生きて、それでできなかった時の涙はあったかいなと思った。

生きるって温かいことなんだなと思った。

わたしよく頑張ったよね!


文節区切りの線

今回もご一緒できたお仲間さん
いつも変わらぬ笑顔に本当に本当に励まされました。ありがとうございました!
またどこかでお会いできますように。

優月さん
スタッフのみなさま
温かいサポートをありがとうございました。

みなさんこれからもどうぞよろしくお願いします。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。