2023.09月開催 「ライフプロテクション」たがべにクラス

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タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) たがべにクラス



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私がこのワークショップを通じて1番「痛い」と感じたのは、自分のライフプランを真剣に最後まで考えたことがないという事実でした。

私はなんとなく目の前の仕事を頑張っていればいい、この先のことも自然となんとかなっていく…そんなぼんやりとしたイメージで生きていました。
まさにそれが依存心の塊なのです。

私は自分が何をして生きていくのか、どうやって自分を食わせていくのか、30・40・50・60・70・80とどんなふうに年齢を重ねていくのかまるで考えていません。
具体的な事柄をなにも計画していないし、予想もしていませんでした。


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ワークショップの中で極めて具体的に起こること、私たちに降りかかってくることとその影響を見ていったとき、私は本当に恐ろしかったです。

私はこのままでは自分1人を食べさせていくのが難しい、更に私に降りかかってくることで押しつぶされてしまうのがわかりました。

私の人生が誰かの道具のようになってしまう…それはいやだ、だけど何もしていない。
私は行動どころか、何も考えていないの現状がとても怖いです。


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同時に私はこれからその簡単には解決しない、絶対的な正解がないことに取り組まなくてはいけないことに大きな不安も感じています。

つい途方に暮れて、思考停止になってしまいます。
現実世界は止まってくれないし、なんとなくの現状維持やちょっとした目先の利益のツケは非常に大きい。
そこを私はあきらめないで、考えて取り組まなくてはいけないのがわかりました。


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私はつい目の前のこと、今週のこと、手帳を使って1年、もう少し頑張ってこの先2年のことまでしか計画できていませんでした。
私の人生はもっと長く続いていくので、大枠の方向は決めなくてはどこかで行き詰まってしまうのがわかってきました。

私の人生の舵取りをする、起こることを具体的に予測して、現実の対処を考えること。
これは自分を守るために必要なことだと学びました。


私はまだどう自分を生かしていくか、計画が立てられません。
どうしたらいいか困ってしまって、必死に考えなくて済む方法を探しそうになります。

ただ私はここで踏みとどまらなくてはいけません。
私は誰かが何とかしてくれるのをあきらめて、自分を生かす方法を考えようと思います。

ありがとうございました。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) たがべにクラス



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「ライフプロテクション・ワークショップ」に参加したのは2回目でしたが、やはり「ステージ3」だけあってとても重みのあるものでした。

私は今回学んだことや問題提起されたことについて消化することにまだまだ時間がかかりそうです。
また、考えて行動していくことにも時間とエネルギー、そして勇気と努力が必要だと改めて思いました。

このコースは私にとって完全に背伸びでしたが参加して良かったです。


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私のワークショップ・クラス参加直後の感想は「私、終わっとるやん…」でした。
私は自分がまだこの期に及んでも「お花畑」にいるという痛い気づきを得ました。

ワークをしながら自分がなにも考えておらず思考停止していたこともわかりました。
そして、自分が「自分重心」で動いていたはずなのに無意識のうちに依存状態になってしまっていたことにも気づきました。

我ながら本当に恐ろしいクセだと思いました。
正直、落ち込むことばかりでしたが自分の現状に気づくことが出来て良かったとも思いました。


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今回も「とにかく小さく動けることをして積み重ねていく」と学びました。
私にとってこの「小さい行動を積み重ねていく」ということはとても難しいです。

しかも問題なのは私はよく考えず「それっぽい答え」を出しがちで、それに沿って動いてしまうことです。
そしてずれていく…というパターンによく陥ります。

そうではなく「自分なりの答え」を怠けずに真剣に探し続けること、納得するまで考え続けること、その上で小さく行動していく。
私はそういうことを練習していきたいと思いました。

ありがとうございました。




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Y. W. さん(40代以上/愛知県よりご参加) たがべにクラス



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私は、物事の枝葉にとらわれて、本筋や大意を見逃すことが多い。
私は、一気に完璧にやらなくちゃと考えてしまって、できもしない理想をすぐに掲げて、やる前から自分を挫けさせてしまう。

私は、もっと自分のクセを自覚し、出たらいったん止まるのが大事だ。


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私は、ワークショップ中のワークで、自分の足を置く場所をすこし変えた。
それだけで、これまでの「だってこうだし」が、あっけなく「そんなことにかかずらわっている場合じゃない」になった。

同じ「考える、対策する」でも、私がどこに足場を置いているのか、何を目指すのか。
そこがかけ違っていたら、どうでもいいことに向かってしまう。


私は、一つやれば、一つできる、一つ終わる。
それが完璧な答えや行動でなくてもいい。
やらないより、やったことが大事。

私は、そういう思考や感覚、生き方になることが必要だ。
あらためて、ひしひしと感じた。


優月さん、スタッフの皆さん、お仲間さん、
ありがとうございました。




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A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) たがべにクラス



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優月さんの外国語の先生が娘の介抱をしていた話を聞いて、私は昨年、自分が入院していた時のことを思い出していた。

母は、一切サポートに来なかった。
メールでは毎日、母自身が苦労してきたエピソードを書いてよこしてきた(余計なお世話)。

仮にサポートに来ようと母が頑張ったとしても、かえって面倒なことになるのが目に見えていたので断ったと思う。
家族が当たり前のようにセーフティネットになるような温かいものだったら、どんなによかっただろうと涙が出てくる。


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最近の私は、近くにいて見えやすい、夫との関係の見直しに必死で、原家族のことは棚に置いていた。
連絡が少しずつ減っていることで、なんとなく「原家族の問題は決着がついた」ような感じがしていた。
しかし、今回のワークショップに参加して、とんでもない、まだまだだと気付かされた。


原家族の問題がなくなるどころか、むしろ、夫との関係に決着をつける時期と、親の介護問題や姉の経済的な問題が発生する時期が、重なる可能性がある。
それが一度に来たら本当にまずいぞ、とゾッとした。


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自分の年代ごとに訪れるであろう現実と、原家族の年齢と照らし合わせ、起こりうる事態に、「私はどうするか」考える…。

このように人生全体を俯瞰するということは「やったことも考えたこともない」けども、だからこそこのチャンスに「やってみる、考えてみる」を一歩踏み出せてよかった。
そのタイミングが早くてよかった。

全体像が見えれば、「なぜ、私は今、目の前のこれをしなければいけないのか」がくっきりとしてくる。


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「何を食いぶちにしていくか?」という問い。
今の仕事は、前の仕事ほどに厳しくはないので、続けられている。

ONSA を受講してなければ、もしかしたらここで止まっていたかもな、と思う。
「ほどほどに生きていけているんだから、これでいいじゃん」と思考停止して、この仕事の路線でまた進んでいったかもしれない。

もしそうなっていたなら、40代で「はっ」と気づく瞬間というのも、わかる気がする。
「こうしたい」で生きてきた人が、どんどん花開いていく時期。

私は、「ほどほど」を選んだから、「ほどほど」の結果しか得られていない…と気づいてしまった時の絶望。
想像ができる。だから対策が取れる。


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今の仕事に「少し違和感を覚える」「一生続けたくはないかな」と感じている。
この私の感じ方を、まず第一に大切にしたい。

それは、明日からすぐに仕事を変えようということではなく、「私がそう感じる」が全ての行動の第一歩だということだ。
実際の行動は数年単位でかかる。

「すぐできないなら、諦めるしかない」「私の感じたことをなかったことにすれば、表面上うまくいく」という、今までのやり方を捨てると決意するのだ。

「実際の行動に数年かかる見込み」というのは逆に言えば、今の気持ちを指針にして小さな選択をしていれば、数年後には変化を起こせるかもしれないとも言えるのだから。


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私の持っている資格は、「日本では最強のパスポート」とも言われている。
過去の私は努力してそれを得たのだから、今のところは、利用しない手はない。

その一方で、それに依存するような働き方はしたくないとも思っている。

今の仕事は、その資格に頼った仕事だ。
資格がなくなった時に、自分の中に何も経験が残らない。そこが引っかかる。

日本という枠組みがなくなっても、あるいは私が日本から離れたとしても、私の中に知識と技術が残るような仕事をしたい。
日本でなければ私の資格は有効ではないけれども、「私はこういう仕事をしてきました。こういう知識を持っています」とアピールでき、かつ自分自身も心から誇れるような仕事をしたい。


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私の今までの人生で、「これは、つらい…」と感じていたタイミングがいくつか思い出される。
それは、家庭内の不和であったり、失恋であったり、ハラスメントを受けて別れを切り出さなればいけない時であったり、職場での人間関係であったり、過労だったり…。

それぞれの経験は手を変え品を変え、違う形でつらい思いをしたけれども、今思い返せは全て同じ根っこの「共依存」から来るつらさだった。


あのタイミングで、ONSA と繋がっていれば…と、何度も何度も悔しい思いをしている。
ずっと存在を知っていただけに、なおさら悔やまれる。

気になっていたけど、「もう少し、困ることがあったらやってみようかな」「目の前の、あれやこれやが片付いてから…」と、先延ばしにしていた。


もしかしたら、10代とか、20代前半とか、せめて20代後半とか、体力も時間もまだ残っていて、自分1人の責任だけを負っていて、人生のコマが進んでいないときに始めていたら…私の人生はどれだけ変わっていたのだろうか。
悔しくて涙が出る。


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だからもう、ここからの時間は無駄にはできないんだ。

「30代、私はどうする?」の問いに対して、私は、ワークショップ・クラス当日に「片手間ではなく全集中で人生回復に取り組む」と書いた。

この PAY FORWARD を書くにあたってそれを読み返し、胸に何度も刻んだ。
そうやって意識しないと、ふらふらと「あれもこれもやってみてもいいかも」と流されてしまいそうになる。


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個人的に、これはワークショップ本編の話ではなかったのですが、優月さんのお祖母様の話を聞けたのが収穫でした。

自分の境遇と重ね合わせて、
「今からでも、自立はできるのだ」
「健康な人の輪に入れるのだ」
「自分にとっての幸せを、掴むことができるのだ」
「人生を切り拓くことができるのだ」
と、ロールモデルを一つ増やすことができ、勇気づけられました。


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私は、自分の人生を見ると、どうしても「どうしてここまで気づかずに来てしまったのだろう」「どこかのタイミングで、どうにかできたんじゃないか」と絶望的な気持ちになります。

先輩のエピソードを聞くことで、これは、本当に、被虐の通る、ありがちな “パターン” なのだと、客観的に見ることができました。
例え、賢かった優月さんのお祖母様であっても、苦労されたような問題なのだと。


さまざまな問題もおありだったでしょうし、後悔もたくさんされてきたのではないかと想像しますが、そこから「自分で自分を幸せにしていく」という方向に舵を切った。

最初から問題がなければ、もっと幸せだったかも…という仮定はいろいろあったかもしれませんが、後悔して文句を言っただけで終わらせなかった。
人生の途中からであっても、自分で積み上げて創り上げた。
そんなお祖母様の生き方は、私から見てもかっこいいと感じます。


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私もかっこよく生きたい。

それはもちろん、外側の話ではなく、誰かに褒められるようなかっこよさではなく。
自分が自分に納得して、幸せに生きたいのです。

貴重なお話をありがとうございました。




タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) たがべにクラス



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私へ

今回のワークショップでやったことは、本当に大きいことだったね。
話を聞いてシェアを聞くことだけで手いっぱいで、正直なところ感想さえ言おうにも出てこなかった。

そして、桁違いに重みを感じた。
自分で自分の人生を背負う重さ(の一端)を、感じられたってことだろうか。


文節区切りの線

この夏は、ワークショップを通して特に、自分の依存・自立・これからに向き合わせてもらった。

まるで金太郎飴のように、どこを切っても私の中には「依存」が見えた。
その度、「ああ、これも依存だったか…」と膝を着く思いだった。


つい数年前まで当たり前のように思っていた「定年後は嘱託再雇用で今の職場で働き続けて…」とか、どこに住むとか。
無意識にレールに乗っかった借り物だったし、それは機能しないかもしれない。

そうは思っても、私は中々それ以外の人生を描けない。
私は「大きすぎるもの」を前に、思考停止ばかりしていた。


文節区切りの線

この夏、沢山の問いを投げかけてもらって、今の自分で出来る限り考えた(そして、今後もっともっと考える必要がある)。

思いつくことは本当にささいなことばかり。
本当にそれでいいのか、自信もない。


でも、そのささいな・小さなことを調べたり、考えたり、行動して試したりしなければ、自分に取って何が良いのか、大きなことはなお更決められない。

当たり前かもしれないけど、私には、あせったり、日々に流されていると気付けなかったり、ついおろそかになりがちなことだ。


文節区切りの線

私には沢山の認識違いや出来なかったことがある。
そして、夏が終わろうとしている今、「何ごとでも、必要なサポートをもらいながら、自分で出来るようになって、自立していった方が早いんじゃないの?」と思っている。


きっとまだ分かっていないことも沢山あるし、消化して現実を変えていくのにとても時間もかかる。

だからこそ、自分の限界・境界を試し守りながら、時間や自分の素直な思いを大切に、身体を大事にやっていこうね。
参加するまでとても迷ったけれど、今、参加することが出来てとても良かった。


最後になりましたが、お仲間さんのそれぞれ向きあう姿を見て、「自分1人じゃない」と感じられました。
又、それぞれの特性から分かり易く教えていただき、ありがとうございました。