2024.09-12月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(1)コース1/STEP.1」 せりーぬクラス

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タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)  せりーぬクラス



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久しぶりにこのコースを完走出来たね。
PAY FORWARD まで来たよ! すごいよ!

あなた(自分)が「本当に自分でするしかないらしい」とやっと気づいて、もがいてあがいてくれたから、そして今もそうしてくれているからここまで来ることが出来ました。


本当にありがとう。
そして、お疲れさまです。

これからも油断せず、共に進んで行きましょう。


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しばらくの間、このコースもなかなか最後まで辿りつくことが出来なかったので、ここまで来ることが出来たことにじんわりと嬉しさを感じています。

本当にあっという間の3ヶ月でした。
そして、あっという間なのに始めの頃を思い返すとすごく前のことのような…そんな不思議な感覚でもあります。


自分の投稿、『未来日記』『夢かな手帳』を読み返したとき、とても一生懸命な自分がいました。
私は、これまでにないほど一生懸命「現実の自分」と向き合い、自分を理解しようとしていました。


以前の私は「現実の自分」を見ようともしなかったし、認めようともしませんでした。

現実の「出来ない自分」に気づいてはそれを隠そうとしたり、取り繕うことに力を注いでいました。
出来ない自分を責めて、ムチを打ち、目をそらし、自分を傷つけていました。


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今の私は「現実の自分」を知っても、自分を責めるでも落ち込むでもなく、先に進むために「そこからどうしていくのか」「どうしたら乗り越えられるのか」を考えるようになりました。
むしろ、もっと自分のことを知りたいと思うようになりました。

それは、自分を知らないと先へ進めないということがわかったからです。


私は、出来ない自分を認めることで、自分が本当に努力すべき点、どこに時間をかけないといけないのか、そのスタート地点がやっとわかった気がしました。
そして、そのことに私は安心し、自分の中が静かに穏やかになったように感じました。


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出来ないことに頭を抱えながら自分なりに取り組むことは、それがどのようなレベルのことであっても、たとえ苦しかったとしても「自分のため」であれば、それすら楽しく満たされるのだということがわかりました。
これが「自分を生きる」ということなのではないか、と思いました。


とはいえ、まだまだ課題は山積みで、歩みも果てしなく遅い自分をもどかしく感じることもあると思います。
そういう自分ともつきあいながら、自分の「納得」と「満足」を大切にしながらひとつずつ進んでいきたいと思います。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)  せりーぬクラス



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「じかんのきろく」を読み返してみて、自分のお花畑さに恥ずかしさを感じる。
隠しておけるなら隠しておきたいくらいだ。

ただ、こうやって自分なりに客観視できるようになったことは進歩ととらえたい。


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私は今回のワークショップ期間で、自分の置かれている状況が「私は、あぁ終わった」ということを感じた。

本当に終わっている、と思う。
どう考えても終わっている。正直救いようがないくらいに感じている。

これまでの私は、その救いようのない状況を完全に無視して、触れないようにしてこれからのことを夢見ていた。
結局のところ、自分で何とかしようとせず、誰かなんとかしてくれないか、ということだった。


私はこれまで学んできたはずなのに、やっぱりどこか他人事だった。
私の身体はわずかながら私に対して警告を出していたのに、それを私が真剣に取り合わなかった。

そこに、やっぱり私のクセが出る…面倒くさい、なんとかなる(いや絶対にならない!! と今は言える)という、肝心なところで余計に出てくる。


文節区切りの線

私の現状という前提条件を無視して現実は変わらない。
その私の恥部を(本当に遅すぎるのだが)日の当たるところになんとか引っ張り出した。

出した結果は、私は凝固という沼に腰から胸あたりまで浸かっている、そんな厳しい状況だ。
過ぎ去った年月の結果だ。


私は、ここからしか始まらない。
自分に対して悔しいけれど、自分が招いたツケは自分でしかどうすることもできない、という当たり前の事実、それと向き合っていくしかない。

これまでも向き合ってきたつもりだけれど、結局のところ、そこが全く見えていなかったということなのだ。
吐きそうな自分の現状だが、それを変えていく力をつけていくことでしか、私が望んでいる自立などありえない。やっと、気づけたこと。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加)  せりーぬクラス



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今回わたしは、12週間のものを読んで振り返るのは嫌だなと思っていました。

今、わたしは、ずっと間違ってきたことがとても重いからです。
そんな中でさらに追加で、間違った恥ずかしくみっともないものをもう読みたくない、振り返りたくないと思っていました。

また、振り返り褒めて認めて書くということも、わたしは本当にはわかってなかったし、今もわかってないのだと思います。
わたしは、今まで意気揚々と書いてきたことも恥ずかしく思っています。


だけど、今のわたしはもう死んでるも同然なのだから、恥ずかしくたってもう別にいいじゃない。と読みました。
そして、いろいろと気づいたことはあったのでそれを正直に書いてみます。


文節区切りの線

わたしは、反応、頑張り、反応、頑張り…が、自分のよくない習慣だと何度も確認してきたのに、その最中は本当に気づいてないこと。
わたしは、自分を真ん中に据えて考え続けられることをできるようになりたいと書きながらも、据えるための自分がよくわかってないこと。理想(100)か落ち込み(ゼロ)かの自分がほとんどでした。

わたしは、未だにストロークがよくわからないこと。
わたしの書いたものは、人からもらえたものの反応ではないかと思った。

わたしは、自分を確認するのに大きな刺激がないと、自分がわからなかったんだということ。
わたしは、本当は何を行動していいかもわからないこと。だけど、何か動いてみないとダメなんだと思っていたこと。
行動する。わたしはこの意味が本当にはわかってないこと。


文節区切りの線

わたしは、勉強会のことや Web. WORKSHOP や ONSA WORKSHOP(対面式)でやっていることの繋がりがよくわからないこと。やることが増え続けていくように聞こえていて、混乱すること。勉強会 → 反応 → 頑張らないと、をよく繰り返してきました。

わたしは、近くのわかりやすいことに手を出しやすいこと。
わたしは、自分のテーマすらわかってなかったこと。

わたしは、本当には手帳も使えてないこと。
わたしは頑張ってるんだけど、何か違うこと。

わたしは、その頑張ってることを認めてほしかったこと。
わたしのは、こういう自分でいたい、見せたい、のように感じること。


文節区切りの線

わたしは、自分にはできないと薄々わかっていることを、今の状況だとこれぐらいしないといけないと思っていたこと。
わたしは、心を開く、もできてなかったこと。頑張って認めてもらわないと、となっていたこと。

わたしのワクワクリストは、欲欲リスト、理想リストに見えてきたこと。
こうであれば、認めてもらえるリスト。


それらを振り返りまとめると、わたしは、承認欲求の塊。

そして、書き込み読んでいて、初めて自分不在感がとてもした。
読んでいて、自分がいない。
本当は、わたしはこんなんじゃないよなと思うこと。


文節区切りの線

ひとつ、褒めるまではいかないけれど、等身大でやるということはこういうことなのかな、と思ったこと。
わたしは、ビジネスメールが書けません。
きちんとしたメールのやりとりを学ばないまま、この年齢近くまできました。

なので、子ども関係などのメールでも、今でも書くときはその度にビジネスメールの書き方を引っ張り出します。
そうやって書いたまだ未完成なメール一つに、とても時間がかかっています。

それでも、その自分でやっていく。そういうことなのかな、そう思っています。


「やってない=自分で自分のことをやってない。」なのであろうことを今回気づきだしましたが、
まだわたしは、「自分のことをやる」のことがわかってないと思っています。
わたしは、そこがわかるようになりたいです。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。