M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) のあぜっとクラス
自分の人生なのに、自分がいないこと。
そのことについて、理解が深まった今回でした。
共依存とは、という教科書の理解ではなく、それは、自分への理解の深まりでした。
もちろん、教科書も大事であることもわかる。
そして、そこに「自分」がいること。それが大事です、という理解以上に、その身体での感覚、それが今回掴めたこと。
それがないと、回復すら達成となり一発逆転になるのだわと、痛い思いもしてわかる。
何度も何度も確認してきたことだけど、本当に重心が違うのだと今回感じた。
このコースは何回やっても違う景色が見える。
そのことが面白いとさえ思えた。
基礎はとても大事だなとあらためて感じてる。
先へ先へ進むほど、以前わかっていたことがいつの間にか置いてけぼりになってる。
わたしは、土台も出発も間違えていたのだなと、過去を見て気づく。
間違えていた。ではなく、気づいたら勝手にそう仕上げられてた延長に居た。かな。
何度も何度も時間をかけて、ようやくわかったこのことを絶対離したくないと、何回でもやはり思う。
「わたし」を置き去りにして、透明にして、いないことにして、だーっとやっちゃう。
「わたし」が全ての始まりなのに。そこから始まるのに。
そりゃいつまでたっても「始まらない」に決まってる。
そのことを、過去を振り返り、よく見えた。そうか、そうだったのか、と。
快の感覚ということをとっても、いや、「自分」を置き去りにして、どうわかんのよ、と。
だから、「自分に聞かないと」「わかんないんだって」。
と、字面だけ読むとちょっとこの人おかしくなった? って見えることも、「そうだったのかー!」と納得。
そして、そこがまだまだ弱いこともわかる。これが次の課題かな。
「自分で決めること」も、おそらく、こういう感覚を小さい頃から自分で作り上げてきたものがあるから「決めれる」のかなあと思う。
そこがまだ不足なのかもしれない。
そして、過去のものからの影響とは別に、自分のオリジナルの苦手が「自分の人生を作っていくこと」を阻んでいることにも気づく。
これは、致命的だわ…と、「ちょっと…どないするよ」と自分と青ざめた。
それでも、だからだったのか! という納得もある。
今ようやく意識し始めたところ、少しずつ少しずつ苦手もやっていきたい。
と、書いていてまた気づく、第一週目に書いた「どう変化したいのか」ということができていること。
何度やっても不思議。
これらを持って、また次の山に登りたいと思います。
ありがとうございました。
A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) のあぜっとクラス
私は第1週の自己紹介文がとても長く、これを読むだけでも2週間くらいかかってしまう。
短く書き直せば、読み返すときに楽になるんだけどな…と思いつつ、毎回、読むと気づきがあるので、長いものを加筆修正するスタイルに落ち着いている。
提出がいつも遅くなり、本当に申し訳ございません。
かと言って、期限に間に合わせるために、「読んだふり」をして書くことは、自分のためにならないので、したくないと思っています。
私は今回から、「コース2」の2周目を周り始めた。
「1周では消化しきれてないはずだから」という強い勧めがあり、戻ってきてみたところ、「その通りだ…」と痛感することばかりだった。
1周目と、見える景色が全く違う。
他人に対しても、「好ましい」「いい人だ」と思っていたものが完全に逆転した人もいる。
自分自身についても、「共依存って言うけど、自分にそこまで関係あるのかな?」という程度の意識だった1周目とは、全く違う。
「これがまさしく私のことで、現在進行系で進みつつある危機なのだ」と、震えるような感覚だった。
今回は、特に、自分の特性について考えさせられた3ヶ月間だった。
それについて、Web を読んでいて気づいたことをまとめていく。
(1)
2ヶ月に1回は体調を崩しているペース。
見事に周期を描いている。
一度体調を崩すと、「考える」「判断する」がほとんどできなくなるし、2週間くらいの時間があっさりなくなってしまう。
これが悔しい。
自分で考えている以上に、もっともっと生活のペースを落とす必要がある。
今まで、よい食材とかデトックスとか運動とか、「足し算的に」体調を整えることをたくさん試してきた。
もちろん、それもいい影響があったので続けたい。
今後、意識していきたいのは、「いかに減らすか」。
しばしば眠れないのは、栄養とか運動とか電磁波とかの影響ももちろんあったと思うが、「寝室に入っても次のことを考えなければいけない状況」に自分を置いているということがあると思う。
自分に課している、やるべきことを減らさないといけない。
「やりたいこと」「自分にとって有益なこと」は早くやらなければ! と焦っていたが、それすらも厳選しなければいけない。
(2)
私は、「期限があるもの」「世間的に早い方がいいとされているもの」に対して、深く考えずに決めてしまう傾向がある。
自分の歴史を読んでいて、出産時期を決める時のパターンと、コロナワクチンの接種を決めた時のパターンが酷似していることに気づいた。
期限が設定されていて、誰かのおすすめの声の一押しがあって、決めている。
「私はどうしたい」ではなく、相談した相手の意見を丸呑みにしている。
逆に「期限が外側から設定されていないもの」だと、自分にとってとても重要なものでも、先延ばしにする傾向がある。
例えば、「備え」「別れの時に向けて、夫との歴史についてまとめておく」など。
いつまでも、自分のための行動が始まらない。
(3)
母のパターンと自分のパターンの類似点。
ONSA で学び始めた頃、「私と母は違うんだ、違う特性の人間なんだ」「だから、私は母よりもできることがあるし、人生を変えられる」と希望を持った。
その認識は、ある意味で正しくて、ある意味で間違っていたということを、ここ1ヶ月ほどで認めざるを得なくなった。
母の人生についても、私の自己紹介文にまとめてある。
これを読んで感じるところは、時とともに推移している。
ONSA WORKSHOP 受講初期:
破天荒な人生だけど、私のあの母だし、仕方ないよね。こんなもんだよね。人間、誰だって、失敗や不得意なことってあるものだよね。
約半年後〜:
いや、これは変だろ。自分のキャパシティとか能力とか全然理解しないで無茶苦茶なことばかりして。子どもの育つ環境として、大迷惑だよ。
(「私はまとも」という前提の目線で、蚊帳の外から母の歴史を観察)
今回:
程度が違うだけで、私も結局は、母と同じようなパターンで人生決定をして、母と同じようなパターンで家庭を築いてきたのだ。
私と母の人生の類似点
・重大な人生決定に対して深く考えない
・自己理解をしていない
・自分のキャパシティを過大に見積もっている
・そもそも、見積もってから行動に移すということすら、していない
・目の前の生活の、こまごまとした小さなことをないがしろにする
・基盤を整えるという地味な努力を怠る
・一発逆転に走りがち
・これらの結果、自分自身にも常に余裕がなく、子どもに向ける関心が十分でなくなる
また、他の原家族についてもまとめてあり、それを読むと「親類に、まともな人がほとんどいない」と、痛々しく感じる。
つまり、皆、おおむね似たようなパターンで生きてきた(おそらく、似たような特性を皆が受け継いでいる)ため、上記のような私の問題点を指摘できる人がいない。
私自身も、この集団の中にいると、自分の何が問題なのかが分からなくなってしまうのだ。
「『人生は限界まで頑張ってなんとかするものだ』というメッセージを、私は母の言語ではなく非言語の教育の方から大きく影響を受けたのだ。」と、私は自分で書いている。
母と同じパターンを繰り返しているとすれば、私から子へ、また同様の非言語メッセージが送られているということになる。
それは、子の人生もまた、破滅的になりうるということを意味する。
それだけは、どうしても避けたい。
必死で回復して、対策を練らないといけない。
(4)
学んだこと・経験したことがバラバラに頭の中に入っているので、一つずつの知識と知識がつながらない。
ONSA WORKSHOP(対面式)や、定点観測枠を通して、優月さんから鋭い指摘や質問を受け、落ち込むこともしばしばある。
しかし、自分の Web. WORKSHOP を読み返してみると、その鋭い指摘のほとんどは、すでに自分が書いていた内容だったと気づく(だからこそ、それを根拠に優月さんから指摘を受けていたのだとわかる。根拠のない批判とは異なる)。
つい数週間前に、自分が書いて反省したことと、次に目の前に来た問題との類似性とか関係性とかに気がつけない。
その点(過去の失敗)とこの点(今の問題)がつながらない。
だから同じパターンを繰り返す。
それが私の特性の大きな弱点だ。
Web に一度、自分で書いているということは、私は、落ち着いてゆっくり考える時間を持てば、反省もできるし、次に失敗しないためにはどうすればいいかも、ある程度わかるということだ。
ただ、目の前の物事に対しては、ついつい得意な「反応」の連続に走るから、過去の失敗を活かせない。
その瞬間は、その方が速く進むように錯覚してしまうが、しばらく経って、うまくいかなくなってから気づく。
失敗したら、その分の責任を取って、軌道修正をしなければいけなくなるから、ゆっくり熟慮して決定した場合より、時間がかかってしまう。
私は、「賢い方の自分」に戻る時間を作らなければいけない。
その時間を取ることは自分が思っている以上に、遅い進みに見えるので、焦る。
この速度に慣れるしかない。
新しく、毎日、習慣を作り変えるしかない。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。