S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) あかしんじゅクラス
大切な自分へ
3ヵ月という時間が過ぎようとしている。
どんなふうだっただろう、と振り返ってみて、この学びの環境に身を置くことが自分にとって必要で大切なこと、とあらためて感じる。
目を背けたままにもすることができてしまう、自分のなかの違和感やほんとうの声は、実は自分自身が「知る」ことを怖がっている、ということも感じている。
そこに一つずつ、少しずつ、じっと目を凝らしたことは、とても勇敢なことだと思う。
自分で自分の価値を感じられない。
そのことで、「私」が生きていこうとすることに、ひずみが出始めている。
「そんなはずはない」と見過ごすことが、もう私にはできなくなっている。
自分の「がんばり」で「なんとかする」ことは、どうやらもう難しいらしい。
この3ヵ月で、これらの感覚がたしかなものとなってきている。
「自分がない」という自覚が、増してきている。
これまで自分で決めたと思ってきた行動に、どれだけ他人重心があることか。
自分の声を聴いているつもりのようでいて、実はどれだけたくさんの「誰か」「何か」のために、奔走してきていることか。
これまで本当には「決めてこなかった」ことの数々、いまも「決める」が難しい状態であることを感じるようになり、ますます愕然としている。
私はどうしたい? と問うときに、反射的に自分の内側ではなく外側にアンテナを向けてしまっている。
これまでのやり方を変えることは難しくて怖いので、目を背けたい気持ちもとてもある。
けれど、これまでのようにそれを続けるとどうなりそうか、という感覚も、もはや「見ないふり」は通用しないものとして、自分にじわじわ迫ってきている。
「この『べき』はあやしい」
「この感じ方は、お決まりパターンでは?」
と、違和感へのアンテナの感度があがってきていることが、この3ヵ月に得た大きなもののように思う。
自分を知る、感じるということをを続けていきたい。
そのためには、意識して時間をとることが必要、ということもとても強く感じている。
自分が決めたからやめてはいけない、と思ってきたいくつかのことのやり方が、この3ヵ月で変わってきていることに、自分でも驚いている。
いまの自分のために自分がしていくことは何なのかを、自分で「決める」練習中なのだと思う。
いわゆる「王子様幻想」が自分の中に大いにあることにも気づいた。
困ったとき、どうしようもないとき、「いつか」「何かが起これば」「あの人がこうしてくれたら」を無意識に想像している。
自分をなぐさめて励ますための、一つの手段になっている。
それを自分で認めることは、恥ずかしくて怖いと思っている。
どこかお守りになっているようなその考えを手放さなくていけないことは、ただただ怖い。
でもそれはつまり、本当は手放す必要があるものだ、ということにも気づき始めている、ということではないだろうか。
「自分で認めるのが怖い」と思っていて自分を進ませないようにしていることは、他にもありそう、ということも感じている。
自分が自分として歩いていくために、現実的にやっていける力をつけていきたい。
大切なわたし、この3ヵ月、よくやったね。
自分を掘ることに挑戦して、難しいと思うことも怖いと思う感覚も、しっかり味わってきたね。
うめいたりわめいたり、ヒリヒリしたりもしながら、よくしがみついてきたね。
今はまだ苦しくて先が見えないけれど、自分が自分のためにこれをやっていくのだということには、確信が持ててきたね。
私は「私」としてこの命を生きていきたい。
そのために、たくさんもがいて、必要なことを知って、自分を知っていくことを、続けていこう。
いまはまだできないことが少しずつできるようになれるよう、練習をしていこう。
一緒に、この道を進んでいこうね。
A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) あかしんじゅクラス
本当に本当にお疲れさま。わたし。よくがんばったね。すごくがんばったね。
踏ん張りとねばる力がついてきたよね。
まだまだ焦りが消えないけれど、だいぶ落ち着きも出てきたよね。
本当に偉いと思う。
そして自分が苦労して手に入れたものは、そう容易く手放さなくなるということの意味も見えて実感も湧いてきたよね。いい感じだと思うよ。
わたしはずっとずっとモヤモヤぐるぐるしてたよね。もうあんなぐるぐるから抜け出そうね。あんな迷路をぐるぐるするのはもうやめよう。
迷ったまま、方向が定まらないままの世界はしんどくてくだらなくて辛かった。
つまらなかった。
あんな時間の流れ方をする場所で共依存のダンスを踊り続けておばあちゃんになることだけは絶対にやだな。
心の中が他のひとでいっぱいだったら、虚しくて苦しくて仕方ないよね。
それがわかったよね。
わたしが責任を持つのは、わたしの境界線の中にあることだけ。
この言葉が急に違った風景を見せてくれた。
ああ、そうか。自分の中のことだからしんどくないんだ。大きすぎないんだ。
そこはとても広くて、安全で静かでホッとする場所だったよ。
そこにいることを、閉じこもっている、とか、いけないことだ、とか思っていたよね。
それはそこから引っ張り出されてこき使われてたからよね。ひどいことだよね。
それで今こんなに疲れ果てているんだよね。苦しかったよね。
わたしがずっとモヤモヤしてたこと。気を取られて足を取られてきたこと。
今も引っ張られるような感じがしてること。
それはわたしの境界線の中のことだった?
違うよね。
リラックスできてたら、あーめんどくさ! って感じるようなことで、わたしの頭はパンパンにされちゃっている。
ばかばかしいにもほどがある! って言うぐらい。
わたしの境界線の中にあること
・いつ休むか
・どんなふうに感じたか
・どんな仕事がしたいか
・いつ何を初めていつ何をやめるか
・それを選んだり、選ばなかったりする理由
・誰と付き合って誰と離れるか
・何を買うか
・何をどのぐらい食べるのか
・マニキュアの色は何色が気に入りそうか、そもそもやりたいかどうか?
・どんなメイクが似合うと思うか
・着心地のいい好きな服はどれか
けっこうたくさんあるね、わたしの境界線の中にあること。
わたしは「自分の人生を生きることは贅沢なことだ」って本当に信じて生きてた。
そんな馬鹿げた考えは今すぐに捨てよう。
・どんな考えを信じ、どんな考えを手放すか
これもわたしの境界線の中にあること、だね。よかった。
47年、17,155日、411,720時間。わたしはとても一生懸命に生きてきたよ。
命がけで生きてきたよね。わからないなりに必死で、自分と自分の大切だと思うものを自分なりに命がけで守ってきたよね。
よく生きたね。
とても過酷なところに生まれたけれど、わたしはわたしの良さをちっとも失わなかった。苦しかったけど、守り抜いたよね。
それをわたしは誇りに思います。
今までの辛い思いを我慢して生きてきた時間411,720時間を今日という日と同じだと思おう。
今日一日はわたしの今まで一生分の重さと同じだと思って生きたら、どうなるだろうか。
17,155日=1日このように重さを感じて、一日はわたしそのもの、わたしのこれまでの人生そのものだと思って丁寧に書き換えていこうよ。
そうしたらどうなるか。
だってね、わたしは今までみんなと合わせられないって悩んできたけれど、わたしが本当に独特でちっとも合わせられないんだとしたら、それなのに無理やり合わせなきゃいけないと思ってるとしたら、それってものすごく辛くてしんどいんじゃないだろうか。
わたしがわたしの時間の流れ方で生きて、社会の中での規範を普通程度に守れていたら
何が悪いと言うのだろうか?
わたしの時間の流れ方の方をずっとずっと大事にしたらいいんじゃないかな。
実は頭ではよくわからないと言うことも。
わたしは考えてもわからない。
説明をされると、説明がつくことだったのか、と言うことはわかるけれどその仕組みは理解できないことが多い。
考えろ! 考えろ! 考えろ! と言われて育った。いっぱい理屈を詰め込まれた。でもわたしは考えてもわからない。
わたしにとっての考える、はぼーっとする、なのだと思う。
観察と、ぼーっとすること。ぼーっとする時間がたっぷりないと、わたしの理解は進まない。
煮込み料理みたいにほって置く時間が必要なのだと思う。
そんな悠長なことでいいのだろうか、と言う不安もある。
でも詰め込んでもなんだか自分からは離れていく気がしている。
だからこれからの時間を、本気で自分のペースで生きてみよう。
生きてみたい。
これまではダメだと思っていたこと。
わたしの独自のペースで「考える」をすること。
そしてわたしはわたしの境界線の中のことをもっともっと知りたい。
何が好きか、どうしたいか、何を望んでいるのか。
わたしが自分のペースでしていいのだから、ゆっくり、たっぷり休みながら。
・どんなペースで生きていきたいか
これもわたしの境界線の中にあることだよね。よかった。
そんなことじゃ甘い、お金も稼げないくせに。
そう言う声が聞こえる。
そして今の生活は成り立っている。わたしはなんとかしようと真剣だ。
本当に頑張っている。間違った方向へ進むこともある。
でも間違わないで進むことはできない。
怠けてはいけない、甘ったれるな。そんな声も聞こえる。
それに耳をふさぐのではなくちゃんと聞いて、精査する。
自分の力で嗅ぎ分ける。
本当にそうか? その言葉は正しいことを言っているのか?
決めるのは自分だ。そうだよね。
自分の身体は頭だけじゃなくてホワンとしたエネルギーそのもの。
この全体を大事にいたわりながら、大切にお手入れしたり緩めたりしながら生きる。
・自分の身体
・どんなことを心地よいと感じるのか
これもわたしの境界線の中にあること。よかったね。
まだまだ、実際の疲れに休憩が追いつかない。これからもっともっと、ゆっくりたっぷり休憩することに慣れていく。
きっと大丈夫。ちゃんとできる。ここまで来れたんだから。
今までは贅沢だ、やってはいけない、と避けてきたことを計画を立てて実行してみたい。
準備に時間をかける。これも、させてもらえなかったこと。
してはいけないと思い込んで生きてきたこと。
例えば、やりたい仕事をじっくり探す。作ってみたかったものを作ってみる。
・どんなことをどんな風にやりたいか
・どんな働き方がいいか
・何を仕事にしたいか
・誰と働きたいか
これもわたしの境界線の中にあった。よし。
例えばニュースを見ること。なぜかいけないことになっていた。
世の中のことを知ることは悪いこと。
世の中や世の中の人は悪いものだから。そういう空気がうちにあった。
いろいろなことに興味を持つこと。物知りになること。何かに詳しいこと。
これは先輩や友人から揶揄されて閉じてしまったこと。
ものを知っていることは悪いことなのだと思った。
人から認められない=悪いこと、やめなくてはいけないこと
そういう風に思い込む子どもだったんだよね。
それをフォローしてくれる家族じゃなかった。
わたしの良さを知っていて味方してくれるような家族じゃなかった。
わたしは星の本と植物の本をそれぞれ1冊ずつ持っていて、その二つの本が好きで同じ本を何度もなんども読んだ。
わたしは科学が好きだった。知ったことを覚えるのも好きだった。
でもそれをバカにされてやめた。
認めてもらえないことは、いけないことなのだと考えたから。
今はニュースを少しずつ見るようになってきた。
世の中に興味を持つこと、世の中を知ること。
それはいけないと思っていた。恐る恐る、見ている。
ニュースを見ると洗脳されるから、暗にそう言われていた。
知ること=ずっと悪いことをしているような気持ちがしてたこと
その感覚さえ、驚くことだけれどわたしの中にあったもの。
リソースが確かなものなのかどうか? とても大事なこと。
それだって触れながら自分で判断していけるようになることだよね。
宇宙開発のニュースが今は面白いと感じる。
新たな植物が発見されたニュースとか。
大学生になったら海のそばで暮らしたい、と言った時も、将来は自分のカフェを経営したい、と言った時も「贅沢だ」と否定された。
そして「そうか、これはいけないことなのだ」と考えた。
その時はふつうにそう思ったんだよ。そして諦めた。
そしてほんとはそんなこと、ないよね?
〇〇したい、っていう気持ちは悪いことやいけないことなどではない。
今は疲れてるからゆっくり休む時間をたっぷりとりたい。
元気が出てきたら色々やりたいことがたくさんある。
それまでに色々準備しておきたい。
準備中だって試してみたいことをやりたい。
調べたり知ったり練習したりすることがたくさんあるよ。
疲れて追い込むほどにではなく、自分の心地よさのために。
ゆっくりやっていいんだ。
・どんなスピードで物事を決めていきたいか?
これもわたしの境界線の中にある。よし、いいね。
わたしはどんなに時間がかかっても、負けないぞ。
決してあきらめないぞ。
正直なところよくわからないのだ。今はまだ。今もまだ。
挫けそうだし負けそうだしもうダメなんじゃないかと言う気持ちもある。
でもそんな時こそたっぷり休んだらいいのだ。
確実に楽になったことや、ある程度はできるようになったこと。
やったことなかったけど覚えてできるようになったあったかいこともある。
・わからないことがあった時に安全に質問すること
・困った時に助けを求めること
・お風呂の時間を楽しむこと
・スキンケアを楽しむこと
・美容院に自分のためにいくこと
・ネイルケアに時間をかけること
・早く寝ること
・疲れたらやめること
・欲しいものを買うこと
・体の声を聞いて休むこと
・家計簿がたまらなくなったこと、またどこをどう見るか、に進歩があった
・確認に時間を割くようになった
・準備に時間をかけようとしている
これから勉強してできるようになりたいこと
・断ること(三段階の一番優しいやつ)ちょっと無理かな? それ後でいい? とさらっと言えるようになる。
・ネガティヴなことを言うこと(できない、嫌い、いや、好きじゃない)など
・引き続き観察をもっと練習したい
本当にやりたかったことをやる
・寄木でボタンを一つ作ったので、それを使ったミックスメディア作品を一つ作る
・取り寄せた刺繍のキットを一つ始めてみる
・ウッドカービングに挑戦する
・前から気になっている家具屋さんをみにいく
・前から気になっているガラス工芸やさんをみにいく
また一つ三ヶ月を大事に生きることができた。
一緒にワークに取り組んでくださったお仲間さん。
並走してくださった優月さんスタッフの皆様。
本当にありがとうございました。
ゆっくり休みつつ、いつものペースを崩さず、続けてゆきます。
どうぞよろしくお願いします。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。