S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) あかつきなでんクラス
私は、自分の人間関係の築き方に「救済者」の役割が染みついていると感じた。
良い人間関係は「宝」であり、悪い人間関係は「負債」でしかないということ。
正直に向き合ってみると、今の自分は「負債」を多く抱えているということが、徐々にわかってきた。
いくつかの関係を見直してみて、その入り口や維持している理由が、とても怪しく感じる。
そもそも、私が築いてきた関係は、ほとんどが受け身の姿勢だった。
なんとなくそこにあったとか、なんとなく声をかけられたといったものが多く、その関係に入っていいかを観察するという発想は皆無だった。
自分から声をかけた時には、どこか切迫感があった。
自分に足りないものを必死に補うような感覚や、これを逃したらもう手に入らないかもというようなヒリヒリした感じがあった。
何もないよりはマシだから、と維持している関係もある。
こうして列挙してみて、私はこれらが「豊か」とは感じられない。
私は、負債を負っている結果として自分にかえって来るのは、他人のための不本意な時間をこなしてからようやく自分の元に戻るわずかな時間、そしてヘトヘトになっている自分、だと思う。
これまでは、なんとかするにも時間が無いしどうしたらいいか分からないし波風を立てるよりはマシ、とにかく何とかやりすごそう、と不毛なことを続けていたのだ。
私は、自分が救済者になるような関係を「切る」と考えてみて、とても困惑した。
ワークの中で、「切らなくてはいけない関係に線を引く」ができなかった。
手が震えた。涙が出た。
動けず固まってしまった。
私は、その関係の維持が豊かなものにつながらないとしても、手放すなんて恐ろしくできない、と感じている…。
まさに、依存の状態そのものだと思う。
その役割が自分の価値の一部になっていて、それを除いたら自分には何もなくなるかのようで、とても怖くなる。
自分にとっても多少なりともメリットがあったり、期待するものがあったりする。
それを切るということが、自分がバラバラになるかのようで、さびしく悲しく、とても難しく感じている。
しかし、私はこれ以上「豊かではない」関係を続けることは、自分に対しての裏切りのようにも感じられる。
やり方はよく知っているものの、少なくとも楽しみではない、気持ちが重くなる関係を、なぜ維持しなくてはいけないのだろうか…。
私はおそらく、自立していない自分の弱い部分を補う方法の一つとして、これらの関係を手放せずにいるのだと思う。
「負債を抱えたままでいいの?」という自問が響いてくる。
私は、自分が豊かになる方へ舵を切って、自分が生きていく力を鍛えていくことが必要だと思う。
「回復の道のりではたびたびゼロになる」「ゼロになったほうがいい、そのあと自分で作ったほうがいい」という優月さんの言葉があった。
私は、必要であれば自分の側を変えて、豊かな人間関係を望むこともできる。
このことが視界に入ってきたような気がする。
それは自分でやっていくしかない。自分でやってみていい。
いつの間にか私は、これまで触れずにやり過ごしていた「人間関係」へ、混乱するほど真剣に向き合い始めたとも言えるのではないだろうか。
私は、自立につながる方向へ、自分がもつ時間やエネルギーを使っていきたい。
私は、この自分をもっと好きになりたい。
C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) あかつきなでんクラス
私へ
「あぁ…」
「はぁ…」
ワークショップ・クラスの後、こんな言葉にならないうめき声しか出なかった。
私は、やってしまっていた。
「相手が大変そうだから・困っているから」「私は年上なんだし・こういう立場なんだから」と、助ける。
自分に役割を押し付けているのは、私だ。
反射的に「自分の方が間違っている」と、自分の「もやっ」を粗末にしていた。
仕事上の立場と思って、してはいけない人に親切に関わってしまった。
あれだけ「もう、無理。嫌だ」と思う家族に対しても、今なお心のどこかで「面倒見なくては・責任取らなくては」と感じている。
時折「人のため」に行動している時の自分が、妙に張り切っているのを見つける。
あぁ、もう…。
私は、都度都度「人を助けるのは、私の仕事なの?」と、自分に問わないといけない。
「大分整理されてきた」「関わりたくない人と距離を置くようになった」「苦手な相手の頼みを断った」と自分が前より進歩したように感じていたけれど、私の内面は変わっていなかった(本当、アルコール依存の人が「飲み止めているから治った」と言っているのと同じだ)。
そういうことじゃないんだよね。
どこまでいっても「私」。
スタート地点はいつも「私」だ。
私は「人の役に立って認められること」しか知らなかった。
「私は依存され利用される関係は嫌だ」と思っているのに、作り出してしまうのは自分。
それに気づいた時、愕然としたこと。
それは機能しないどころか、害にしかならないと知って何年経っただろう?
なぜにこうも「分からない」「やってしまう」?
なんだか「振り出し」に戻ったような感覚で、心の中で膝から崩れ落ちた。
「私の仕事は、私の人生を生きること」
「自立する」
「負債は手放す」
言葉にするとこんなシンプルなことが、現実の私は出来ていない。
あんな風に費やした時間が、今となってはばかばかしくて腹立たしいと思っているのに、私の内側が「分かっていない」。
ものすごくはがゆくて、悔しい。
本当にそうだよね。
そして、投げ出したい気持ちにはなるけれど、ぎりぎり投げ出さずにねばるのは私のいいところだ。
そして、「私は依存症だ/嗜癖している」と自分をフラットに見て素直に自覚出来たのは、今年の収穫かもしれない(私には「私は問題ない」と思いたがるところがあって、つい「問題ないこと」を証明しようとしてしまうから)。
昼休みに、「こうあって良かった」高校生のダンスの動画を観た。
最初は「若いエネルギーが眩しい!」「クオリティが高くてすごいなぁ」と客観的に見ていたけれど、途中から泣けてしまった。
私にその環境が許されていたとしても、同じように出来たかは分からない。
それでも、「これはもう、戻れない時間なんだ」と思うと切なくて、痛みを感じた。
日頃こういうことを感じたくなくて、無意識に見るのを避けていた部分だと気付いた。
動画からは、痛み以上に「全力で今を生きること」「好きなことは好きでいいし、やりたいことはやっていい」ということを教えてもらった気がする。
心は痛んだけれど、清々しい気持ちにもなれた。
…やっぱり、感じないのはだめだなぁ。
私のキャパは、泣きそうになる位小さい。
そして、「やったことがないこと」は分からないし、出来ない。それでいい。
だから、どんなに小さくてもゆっくりでも、間違ってしまっても、投げ出さず人をうらやましがらずに、実際に1つ1つ目の前のことを集中してやってみないと。
私は、本当にやりたいことをやれるようになりたいし、送りたい人生を生きられるようになりたいから。
その為には、いつだって「今ここ」の時間が大切だね。
最後になってしまいましたが、優月さん、いつも根気強く教えていただいてありがとうございます。
お仲間さん、シェアしていただくことでいつも学ばせていただいています。
ありがとうございました。
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) あかつきなでんクラス
私には、私がダメだから人間関係が上手くいかない=ダメな自分を直せば上手くいく、という強い思いこみが根本にある。
いつも自分のことをボコボコに叩く。
辛くて苦しくて、こんなんだったら私はひとりぼっちの方が気楽だとさえ思う。
私はいつも相手が求めている(と私が思う)人、自分が思う完璧な人を、ひたすらそれっぽく演じて、その演技に延々ダメ出しを続けている。
上手く演じた場面は繰り返し再生して泥酔する。
その延長上に私の幸せがあるはずもなく、ただ虚しいだけ。
何一つ解決も改善もしないと分かっていても、私はやめられなかった。
私は自分の中にうっすら感じる違和感やモヤモヤも見ないふりをして、気のせいかもとごまかし、自分に嘘をついていた。
その上、自分が役に立つ人間だと証明したくて、自ら進み出てしまう。
何度違和感がある相手でも、それでも何とかしようとする自分の不毛さを、ワークショップで改めて思い知る。
だから、相手を観察する習慣と「プロファイル」を試したい。
自分に出来そうなところから、一つずつ練習しよう。
「救済することが仕事ではない」という優月さんの言葉が、私の中で強く印象に残った。
会社で担っている業務が現場支援ということもあり、私の頭はごちゃごちゃになっている。
私は「救済しようとしてないか」を意識して、容易に切れない関係もあっても、接触頻度を極力減らし、さりげなくフェードアウトしようと思った。
早速、時々飛んでくる重たいチャットには、読んだ印の「いいね」だけにとどめて、それ以上反応しないことにした。
前より気持ちが軽くて、そこに引っ張られない感じがした。
ダンスが大好きな高校生の動画は、イキイキと楽しそうに踊っている姿がキラキラ輝いて見えた。
辛くても楽しく相当な練習を積み重ねてきたのが伝わってきて、好きに夢中ってこういうことかと思った。
その姿に自然と涙が出た。
そして、私は心からの好きを試さないと、自分の人生に納得がいかないと、改めて思う。
今は何をどうしたらいいか分からないことばかりだけど、自立して自分の足で歩いていくために、私にできることから始めたい。
それを見付けるにも、私はどうしても一発で正解がほしくなる。
答えがほしくて、常に一発逆転を狙って、何かに賭けようとしてしまうのを、日々感じている。
時間がなさすぎて焦っているから、尚更ショートカットしたくなる。
それでも、まず立ち止まる。
気付いて我に返る。まずはそれでいい。
その上で、私が自分のためにできることを探して考えていこう。
ありがとうございました。
A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) あかつきなでんクラス
母が私を出産するタイミングは、私の家族の大掛かりな転居と時期が重なっており、私は生後3ヶ月で荷物と一緒に車で運ばれた。
母が書いた私の育児日記の中で、この時期のことはこのように書かれている。
「貴女は神様からの賜物だ。なんといっても、あらゆる偶然の中から、あらゆる神の配慮の中から貴女はやってきた」
(筆者注:私はイエス・キリストではないので、受胎したことには、偶然でもなんでもない両親の行動による明確な理由があるはずです)
「2週間後に夫の田舎に引っ越す。ほとんど唐突にこの問題を突きつけられたようで驚いている。なぜそこへ行くのか? 神のみぞ知る!」
(筆者注:この日記の1年前に転居を決めたのは、両親自身です)
「『人生の岐路に立ったら苦しい方の道を行け。それが神の示す道だ』という言葉を信じて選択をしているが、重荷を神様にも担っていただけるよう本気で祈れますよう!」
「なんだか自分の人生って芝居っぽいと思う。なんだか嘘っぽいの。夢のようなの。」
今回のワークショップで、「問題ある人がよく言う、注意した方がいいワード」を聞いたが、私の母の言葉があまりに問題だらけで、苦笑を通り越して怒り、そして呆れの気持ちが湧いてくる。
尊いことを書いている風だけれども、とりあえずよくわかるのは、「何にも考えてない」というか、「考える能力がない」ということを、「神」という存在を盾にして正当化しているということだ。
あとは、母の先を見越す能力では、せいぜい2週間先のことしか見えてないということもわかる。
「苦しい方の道」として、転居を選び、私を産むことを決め、その「重荷」が自分ではどうにもできないことがわかってから、「神様にも担っていただきたい」…。
全てが他力本願。
神様に決めてもらって、自分で処理できなくて、また神様にどうにかしてらおうとしている。
もう、気持ちが悪くて仕方がない。
こんな人が私の母親だったなんて。
何度となくガッカリしてきたが、改めてガッカリしなおしている。
私は、そのように、私自身の存在が母にとって「苦しい方の道」であり「重荷」であるのだということを書かれても、違和感を覚えることができなかった。
それを、ワークショップ・クラス中に優月さんから指摘された。
「その言われ方って、ひどいんじゃない」「産まれたばかりの、赤ちゃんのあなたは、きっととても可愛かったよ」。
母から、面と向かって「お前は重荷だ」と言われたわけではない。
それでも、母がこの日記ではっきりとそう書いている通りのことが、非言語メッセージとしてビシバシと私には伝わっていたのだと思う。
「私の存在が、母に苦労をかけている」「これ以上苦労をさせないように、役に立つ人間にならなければ」とずっと思ってきた。
それは、相手が母でなくても、変わらなかった。
こんな壊れた処世術を、生後いくばくもないときに叩き込まれてしまったことの、途方もない悲しみを思う。
涙が出る。
そしてゾッとするのは、「人生の岐路に立ったら苦しい方の道を行け」。
この言葉を母から直接聞いたわけではないのに、今までの人生の岐路において、私はほとんどこういう決め方をしてきてしまったということだ。
つまり、「やるかやらないか」という2択が目の前に現れたら、「やらない」という選択を取るのが難しかった。
今もそういう傾向がある。
私の中に私というものの全体像もなく、限界も境界もわからず、空っぽな自分を空っぽなままにしておくことに、ものすごい不安があった。
空っぽだから、別の選択肢を探しに行くという発想もない。
目の前に出てきたものを、「今、若いうちに、できるだけやっておいた方がいいだろう」「『若い時の苦労は買ってでもしろ』というし」「苦労も経験だろう」と掴んで、空っぽの中に放り込んでいった。
それで回せてしまう期間が長かったから、まさか私の処世術が破綻しているなどとは思わなかった。
そしてある時に飽和した。
生い立ちゆえに、完全に壊れた処世術で生きてきたこと。
それ自体は、もう仕方ないのだと、理屈通りに進んできてしまったことなのだと悼んでいる。
今、一番つらく思うのは、私がその処世術で生きてきた姿を、子どもたちに見せてきてしまったということだ。
私は母の非言語メッセージ(=行動)から、「人生の岐路に立ったら苦しい方の道を行け」と学んで、その通りに生きてきてしまった。
ということは、子どもたちも、私の非言語メッセージ(=行動)から、それを学んでしまっているということになる。
とんでもないことをしてしまった。
取り返せない、子どもの貴重な時間に、本当に傷をつけてしまったんだ。
私の夫はいわゆる「ダメンズ」ではない。
家事能力がなくて女性に寄生するような人ではない。
私も、「男性としては比較的しっかりしている方だな」と思って結婚した。
今回のワークショップは夫に子どもを預けた。
帰ってきたら夕飯も終わっていて、お風呂に入るところだった。
お皿洗いも洗濯干しもしている。
「この人の何が問題なの?」と一瞬、錯覚しそうになる。
問題は、家にいる時間が月に5日分程度しかないということ。
その程度の頻度なら、「帰ってきている間の夫の姿」は、作り込むこともできるのではないか。
「単身赴任だからあまり帰れないけど、帰っている間は頑張っているよ」というイメージ戦略に、私は乗っているのではないだろうか。
見えている部分だけ良ければ、全体の印象が良いように錯覚するのではないか。
単身赴任先で、週に1回ゴルフを習っていたり、3冊の漫画雑誌の購読をずっとやめずに読み続けていたり、彼には、独り身の時間を謳歌する時間も多くありそうだ。
「何かを入れたければ、何かを諦めなければいけない」というのは、別のワークショップで学んだことだが、彼は、「子どもを作る代わりに仕事をある程度のレベルで諦める」「趣味を諦める」ということをしていない。
「子どももいて、仕事もバリバリやって、趣味も楽しむ」と、2〜3人分くらいのことをしているわけで…そのために、1人分の私の時間が搾取されてしまっている。
ワークショップで習った方法で、両親のプロファイリングをしてみた。
もし第三者として出会っていたら、関わりたくないと率直に感じた。
そんな人と、生まれてからずっと関わらなければいけないのだから、自分の側を麻痺させるしかない。
「人は見かけじゃない」「いいところもある」と言い聞かせないとやっていけなかった。
それをそのまま、外の世界での人間関係にも応用してしまったから、変な人ばっかりなんだ。
今週、別の市に住んでいる兄が、地元に用事があって帰ってくると原家族にメールを送ってきた。
兄には会ってみてもいいかもしれないな、とも思ったが、原家族全員にメールが届いているので、当然、母や姉も絡んでくる。
手帳を見直して、彼らと食事をする時間を割きたいだろうかと自問し、案外悩まずに、「そんな時間はどこにもないな」と答えが出た。
その時間があったら、最近は寒くなってきたし、早く帰って、早くお風呂に入って、早く寝たい。
そのように、自分のお世話のための時間を、他人の時間より優先してとってもいいのだと思えるようになった自分を嬉しく思う。
行けない理由を作って返信する時間すら惜しく、そのメールには返事をしないことにした。
行けない理由を作ったところで、「じゃあ何時だったら来れる?」と、さらにやりとりに時間がかかるのが目に見える。
その判断は、正解だった。
その後、母からは、「兄が帰ってくるなら、時間が合えば映画も一緒に観に行きませんか? 夕飯はいつどこにしようか? ここがいいかな?」などと要望が入り、兄は兄で、「皆さんのご都合に合わせます〜」と、自分で決めない。
いつも、原家族のそういう要望を取りまとめて、「じゃあ何時にこのお店で食べましょう。母のお迎えは私が行きます(あるいは誰かにお願いします)」などと決めるのが、私(または姉)の仕事だった。
食事の時間そのものだけでなく、そういう連絡のやり取り、食事場所の検討や予約にも、時間を費やしていたのだ。
「親密度≒接触回数」。
こうやって、揉めず騒がず、地味に地味に、接触を減らしていこう。
(これを書いた後、原家族たちが私の家に直接やってきた…。
近くに住んでいると、どんなに連絡を無視ししても、最終的にこの方法が取れてしまう。
今すぐ転居は難しいが、長期的には距離を置いていくことを考えなければいけないと思う。)
「親密度≒接触回数」。
この話を、私は昨年の「だいだい会」でも聞いた。
いいなと思っているオーガニックショップの店員さん。
ずっと行きたいと思っていて、今週、1年近くぶりに行ったところ、「お初めてですかね?」と聞かれて、軽くショックを受けた。
他にも、このように、私が好意を持っているにも関わらず、会えていない人が多くいる。
私がどんなに相手に好意を持っていても、接触回数がなければ、相手の記憶には残らないのだ。
私が実際に接触回数を多く持っているのは、相変わらず歪んだ人ばかりだという事実を再確認した。
それは、いまだに私が受け身の人間関係だからだと思う。
私が好きになるような人というのは、たいてい忙しいし、境界線を持っている人なので、よほどこちらが意識的にコンタクトを取ろうとしない限り、向こうから来ない。
そのためにも、時間が必要だ。
ルーチンに流されると、私には歪んだ人間関係しか残らない。
時間が欲しい。
私は「時間のワークショップ(Dream Quest WORKSHOP)」も並行して受けている。結局はそこに繋がってくる。
一つ一つを積み重ねたい。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。