2022.02-05月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(1)コース1/STEP.1」しおかぜクラス

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タイトルはじまり目印

Y. N. さん(40代以上/福岡県よりご参加) しおかぜクラス



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今回のワークショップで、自分の中に大きな変化が三つも起きたね。

一つは、第4~5週のワーク。
「今ここに生きる」の意味を、頭の理解ではなくて、感覚(身体)の理解としてつかめるようになったね。

夜、日に干した布団にもぐりこんだ瞬間、
「!!!!!」
ひらめくように、その理解は訪れたんだったよね。
あの時の感動は、今も忘れられないね。


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もう一つは、第8~9週のワーク。
このワークを通して、私は自分の中の思い上がりに、はっきりと気がつくことができたんだったね。

気づけた瞬間が、私が「人を批判する」ことから解放された瞬間でもあり、なぜ人はそれぞれ違う「得意(才能)」を持って生まれてくるのか。
その答えを、明確につかむことができた瞬間でもあったね。


この時期から、
「貢献」
「思いやり」
「助け合い」
など。
「対(つい)」を連想させる、こういったワードが、私の心の中を占めるようになっていったね。

人を批判する心が減っていくのに比例して、私の日常は、あったかくなっていったよね。


それまでは、どちらかと言えば、
「マイぺース」
「我が道をゆく」
など。
私の意識は、「個」を連想させるものが多かったよね。

これは、私の人生において、忘れがたい転換点となったね。


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最後の一つは、手帳習慣が、バージョンアップしたことだよね。

年間表(旬間表)の理解が一段深まって、使うことが楽しくなってきたこと。
それから、寝る前に行う、一日の振り返り時間を持つようになったこと。


振り返り=できたことを認めて、褒める。
この作業は、めちゃくちゃ地味だけど、これをやるのとやらないのとじゃ、時間の質が全然違ってくることに気づいたよね。

もうこの習慣なくして、優しい日々を、成り立たせることは難しいかもしれない。
それぐらい、私の「心の御守り」となってくれる習慣に出会えてよかったよね。


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限られた時間の中で、より多くのことをこなすために、手帳術をマスターしたい。
思えば最初の入り口はそこだったけれど、面白いことに、今の気持ちはまったく逆になってしまったよね。


「今ここを生きる」って、つまり丁寧に生きるってことなんだ。
ただそれだけなんだ。

だから、丁寧に生きられるように、手帳に書き込むべき事柄というのは、真剣に吟味しなきゃ。
世の中の広告を通して、巧妙に幸せとすり替えられていることが、私の時間に紛れこまないように。


そういう身の引きしまる自覚が持てるようになったのも、ワークのおかげだね。


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足元にストーブを置いてパソコンに向かっていたのに、気づけば今は、扇風機を回す日も出てきたね。
本当に、あっという間の3ヶ月だったね。

家事、育児、仕事と並行して、それでもなんとか、最後まで情熱をたやさずに歩き切ることができたね。
こうやって積み重なっていく一歩一歩が、とてもうれしいね。
よくやったよ、私。
ゆっくり休んでね。




タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/長野県よりご参加) しおかぜクラス



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今のわたしにとっての共依存とは自分の心地よさに対する信じられない度合いの怠惰という脳の病気です。
自分の心地よさをあげる行動に対して信じられないレベルで命令が下されない。

カエルを水に入れてゆっくり加熱してゆくと逃げる前に死んでしまうというが、全くそれと同じことがわたしに起こっていると思う。
自発的に心地よさ、快適さを選べない、上げられない病気。


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わたしは正直めんどくさいって思っている。
生きることも、笑うことも、どこかめんどくさい。どうでもいい。
どうせ誰も助けてくれない。
自分には価値がない。

けどそれは、気持ちを汲んでくれる相手の不在と意味がわからない日常と、わたしという人間が大事だと思えないスキンシップを繰り返されて、我慢の限界を超えてしまった結果だと思う。

我慢の限界を超えたのに、ぶち壊すこともできず全て自分の中に閉じ込めたから、わたし、という人間は生命としてほぼ壊れかけてしまっている。


この命を守るなら、この痛みや傷を癒す場所へ自分の足で行かなければならない。
一生かかると思うけれど、傷が癒えるまでそれを続けて行こうと思っている。

今日いちにちが温かく心地よくあるように。

わたしは切り離してしまった自分を取り戻す、長い長い旅の途中です。


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わたしへ

わたしの子ども時代はほんとにほんとに大変だったね。
ここまで辛いことがあったのかと、気づけば気づくほど驚きはおおきくなる。


わたしは自分のお世話が上手になってきたよね。
居心地の良さを選べるようになってきたよね。

人に対して冷淡であることを自分に許せるようになってきたよね。
時間の隙間が豊かになってきた。

一つのことと一つのコトとの「あいだ」が出現した。
ダラダラすることも、がんばらないこともできるようになってきた。


自分のためのお茶やコーヒー。ほかでもない自分のためだけの行動や時間。
自分の中の「ぬくぬく」を「ほくほく」と味わっている時間。


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この「しおかぜ」クラスはわたしにとって、ちょうど前の仕事を辞めてからのじかんだったね。
そこからの時間の中身はガラッと変わっていることに気づく。

何が違うかというと、どの時間の中にいても「未知」だということ。
どっちに行ったらいいのかわからない。そういう時間の中にわたしは生きている。
もしかしたら最初から、生きるとはそういう時間だったのではないだろうか。


食べ物についても見直し、行動した。
今まで当たり前にやっていたことがあたりまえではなくなったことが大きい。
これは本当? と必ず聞く習慣が少しずつ育ちつつある。

それから、本当に食べる楽しみ、ということも逆引きで見出せた。
楽しく美味しく、食べたい。友達と楽しく食事をしたい。
思い出という名の食事。分かち合う食。

この楽しいのために、体のコンディションを十分に整えておきたい、という発想。
豊かな時間のために空白の時間が必要というようなこと。


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そしてこれはちょっと悲しいこと、向き合うに勇気のいること。

自分が男であろうとしてきたこと。男に寄り添う役目を勤めようとしてきたこと。
それがいかに「大変なこと」か、ということに気がつき、これまでの頑張りにわたしはどっと疲れを感じて落ち込んだ。

なんていう「大役」を背負って生きてきたのか。
男性の機嫌をとるためにアンテナが動き、超能力かと思うレベルで反応してる。
共感できない性と一生懸命に共感せねばとがんばってきた自分。


小さな小さな子どもの状態で、意味がわかりません。と言って避けてよかった人たちをどんな思いで受け止め支えようと努めてきたのか。
悲しくて、胸が張り裂けそうだ。

大人じゃない。いたいけな子どものわたしがそうせざるを得なかった時間。
そのことに対する、怒りや悲しみ。
その感情はただ一人わたし自身のものなのだ、ということ。
そこを受け止めるのは結構、大きなこと。
親をあきらめる、ということ。
勇気のいる、大きなこと。


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こんなにもおおきな悲しみを抱えた自分を癒せるのは大自然だけだと思うんだよ。
そしてニコイチではない人との繋がり。

人間界に属する、というようなこと。人の中で再び生きる、ということ。
わたしを癒すのは一対一の二進も三進もゆかない関係などではない。
そこは墓場だ。

平和はみずからの手で足で守ってゆくんだね。


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わたしの望んでる世界のことはまだよくわからない。
でもこの悲しみを自分が引き受けなければならない、ということ。
それは一人で癒す、ということではないということ。

そして自分が思ってるような関係ではない素っ気ないかんじがした時に不意に不安になってしまうけれど、それこそが自然な無理のない関係なんだよなって今は思う。


わたしには人は必要ない。そういう言い方で今はいいと思う。
人間の中にることは必要。だけど誰かを必要としているわけではないのだ。


わたしはそこまで他人と結びつく必要などなかったのだ。
誰かを喜ばせることも必要なかったのだ。

ただ、わたしであればよかった。
ただ、自分自身が心から身体から満たされるだけでよかった。

だから安心して、ゆっくり歩いて行こうね。




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M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加) しおかぜクラス



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私は、私の人生を変えたい。

嫌な人と関わる必要がなくなる。
嫌な人に媚びを売る必要がなくなる。

文句を言ってばかりの人から離れることができる。
そんな毎日を過ごしたい。

いつまでも弱いままに居続けることから抜け出していく。


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そのための、自分重心。

私がする、という意識で考えていく。
時間と自分の関係の見直し。
i – message を使う。


この12週間で、私の中のモヤモヤを「見える化」する手助けをたくさんもらいました。

私の心の底では薄っすら感じていたことが、言葉にできるようになってきました。
そのたびに、全身で喜びました。内側から、力が湧き出てくるようでした。

モヤモヤと淀んでいた部分、それらは、けしてわがままではありませんした。
私が望んでいることです。私が、欲しているものです。
そして、私の問題は、それをうまく表現する方法が必要でした。


私は、私の人生を生きたい。
私自身も、ひとなんだ。
12週間だけれど、自分の心に徹底的に向き合いました。

私は自分の弱さに気づきました。できないこともたくさんありました。
私は、自分の弱さを認め、受け入れます。




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) しおかぜクラス



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おつかれさま、わたし。

このワークショップの期間は、自分が世の中の見方が大きく変わり、知れば知るほどしんどくなり憂鬱を感じる中で自分と向き合うという、私がこれまで経験したことのない状況だったね。冷静さを失いかけたことも度々だった。

そんな中でも、私はあきらめなかった。

私はあきらめられない、自分の人生もそうだし、やっぱり家族に対して、自分のことで、彼らの安全、安心をこれ以上奪うことはできないという思いが支えでもあった。


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混乱してしまった時もあったけれど、私がやることは、どんな状況であっても、これまで学んできたことを、繰り返し継続していくことだと思った。
基礎は変わらない、それが私の土台を強くしてくれる。

未来への不安に逃げてしまそうになるけれど、今、ここを生きることが、自分、しいては家族としっかりとつなぎとめることになるのだと、思った。

3ヶ月間、ありがとうございました。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) しおかぜクラス



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私は、無理のある時間の使い方を力づくでなんとかしようとしていることを、自覚するようになってきた。
そしてついまた無理をしようとしてしまう。

とにかく、時間がどれ位掛かるかが、まだまだ分かっていない、ということは分かった。
いつもいつもはみ出して、予定外のことに手を出して、日々の時間が流れていく。
私の手帳は赤ペンだらけで、はみ出したことに気付けていると思ったり、全然成長してないようにも思ったり。


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仕事の予定を手帳とクラウドカレンダーに入れるのに加えて、毎朝細かいタスクを書き出して見える化するようになってしばらく経つ。
そこに入れ過ぎないように意識しているのは、自分なりには進歩したこと。

わずかな隙間に無理やりぎゅうぎゅうに詰め込んだり、完璧を目指したり、必要以上のクオリティを追求したりするのを、止めようと意識するようにもなってきた。
残業時間も以前より減ったと思う。


文節区切りの線

歓心を買おうとすることはやめられないけれど、買おうとしている自分には気がつくようになった。歓心を買うことをやめられず、今まさに突き進んでる…。
そういう自分に気が付いて、立ち止まるように努力はしている。
中々うまくいかないけど、不慣れだから仕方ない。
そんな風に僅かでも成長している自分を認めてあげたい。


いまだにこんなにビギナーなんて。今まで何をしてたんだろうと思う。
でも、自分を責めるだけでは、何も始まらないし何も変わらないから、できないなりにもやってみるしかないと気を取り直す、そんな日々。

正直投げ出したくなることもあるけど、もう少し粘ってみよう。私と一緒に。

3ヶ月ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。