M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加)
思春期についての学び。
ウチとよそのお家はなんか違うとは思っていたけれど、これは紛れもない事実で、私はとても無理をしながら大人になったんだね。
私にもあったんだ、思春期という時期が。そんなものすっかり隠れちゃってた。
私は、自分が6歳くらいの子供から、いっきに大人になったように感じていました。
思春期であろうと、いくつであろうと、内面をさらけ出すことなんてできなかった。「思春期」といえば、社会的にだって大人への反抗を許される年ごろ。なのに、私は大人にとてつもなく気を遣って思春期をしていたんだね。
そうして私も年齢の上では大人になってしまった。
この大人の「フリ」にしか思えない感じ。
自分は本物の大人ではない。私は大人としての自信がいつまでもない。私には周りの大人ばかりが凛として余裕があるように見えてしまう。私も同じ大人なのに他の大人に対する引け目のような感じ。
私の自信のなさは、思春期の過ごし方にまでさかのぼるのかと思うと、とてもショックでした。
あの頃、感じても口に出せずに言えなかったこと。
どんなに頑張っても私には無理で本当はあきらめたかったこと。
怖いのに怖いと言えなかったこと。
好きなのに好きって言えなかったこと。
本当は同級生のみんなと同じようにしたかったこと。
反対に、私だけの心の中にしまっておきたかったこと。
私の、希望。夢。成長。
どうしても、家族にだって譲りたくなかったこと。
やっぱり家族にわかってほしかったこと。
あれはあれでよかったと思うこともある。
いろんなことが思い出されます。急にあふれ出してきたそれらを私は私に許したいと思えました。
あの頃、私自身でさえ見えないふりをしていたかもしれない自分の思春期の数々の思いを、今感じているとしたら、それをちゃんと感じようと思えました。
ちゃんと受け止めたいと感じました。
勉強会から数日たって、ふと、「私は私として生きていいんだよ」って言ってもらえた気がしました。
それもものすごく深く大きな愛情で。
愛情ってこういうことなんじゃないか。私は嬉しかった。
ずっと誰かに言ってもらいたかった。それを言ってもらえた気がする。
私のどこか欠けた部分が満たされていく感覚が感じられる。
私はそれだけ前を向ける気がしてきました。愛情って、なんて嬉しいものなんだろう。
勉強会一日で、私はどれほどの勇気と元気をもらうことができたことか。
優月さん、皆さま、どうもありがとうございました。
A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)
勉強会の後、職場や世間の観察をするようになりました。特に家庭の話、子どもの話、転職の話、新入社員の話を聴くと勉強会で出た思春期の話を思い出します。
そして私は頭の中で照らし合わせて、なるほど知識通りのことが起きているのを確認しています。
「知識」を得る前と後で、受け取り方が全然変わってしまい不思議な感覚がしています。
表面は同じに見えても中身が全然違うのがわかるようになってきました。
思春期について知った今、私の過去の重みがすごい勢いで変わってしまいました。
反抗期や進路等色々な事あって大変や時期。だからしんどいのは当たり前。世の中的にもそんな風に言われていたし、そうやって自分もおなじだと辛い気持ちを片付けてきていました。
勉強会でも確かに大変な時期、色々な変化がおこるというのはわかったけれど、私が感じてきた重さは全然別の重さだったというのはショックでした。
私の思春期、それよりもっと幼い頃から続いている苦しさ、悲しみ、恐怖はそれだけ重かったのです。
表面上はうまくいっている、周りと同じことが起きているように見えたけれど根本や感覚は全然違っていました。
それがわかって今も悲しいです。
私がおかしいわけではなくて、苦しくて悲しくて取り残された気持ちでいっぱいだったこと。そう感じても仕方がないことが起きていたこと、それは紛れもない事実だったのです。
私が個人として全然ダメだったわけではない、それはとてもホッと安心しました。同時に今からその時間を生きなおすかと思うと、かける時間と労力の長さにおそろしい気持ちにもなります。
一瞬でうまくいくなんてことも、むやみやたらに不安がることはないと頭と心の両方で感じてきています。
なのでこのまま勉強を続けていければと思います。
ありがとうございました。
S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)
13歳から26歳までの年代について学び、とても納得した。
自分は、その期間にするべき経験がきちんとできないまま、進んできてしまっている。
そして、それはそのステージだけの問題ではなく、そもそもそれ以前の年代で必要なことを身につけないまま、そこへ突入していたということを知った。
準備が整わないままに時間を重ね、広がってゆく社会とのつながりに戸惑いつつも、無理のあるやり方で何とか「対処」していたのだった。
納得するとともに、戻らない失われた時間を思うと愕然としてしまう。
対人関係の悩み、受験期、就職活動…。
それぞれの時間のなかで、自分なりの答えを出してきたつもりだった。
でもそれらは、本来あるはずの「試行錯誤」ではなかったらしい。
いま思うと、とてもねじ曲がったやり方だった。
自分以外の誰かが優先になっていたり、いつもとても緊張していたり、自分の考えがなかったり、劣等感でいっぱいだったり…。
自分自身のはっきりした「反抗期」も思い当たらない。
「反抗」という発想がなく、むしろ「自分が悪いのだ」と徹底的に責めることで、自分を納得させようとしてきていた気がする。
とにかく自分自身を尊重しないやり方で、成り立たせてきたことらしい。
その延長線上にある今の自分が「自分を尊重できていない」と感じていることに、大いにつじつまが合う。
本来ならばこのステージで試行錯誤をして見つけていくはずの「自分なりの正解」「自分の軸」を定められないまま、やり過ごしてきている。
自信がなく、自分のことを自分が良いと思えず、自分が本当に望むものがわからずにいる。
自分が本当に望むものを欲しいと言うことができない。もしあったとしても、それを手にすることが、怖い。
望むこと自体が、自分にはふさわしくないことのように感じている。
それに引きかえ、誰かの期待に応えて喜ばれる、ということは、一見「わかりやすい」自分の価値であるように思われる。
そこに自動的に突進していく仕組みにすっかりはまっていって、自分がいっそう苦しくなる悪循環を、いま自覚するようになっている。
いまやることは、失われた時間にがっかりしたまま悲しみ続けることではない。
自分に対して「居心地のよいこと」を全力で与えていく。
「本来あるはずで自分には無かったこと」を、まずは知識として、味方にしていく。
自分をより理解していくことに、つなげていく。
自分が自分であるために、必要な勉強と練習を、続けていく。
改めて、これからやっていくことへの決意を新たにした機会だったと感じる。
優月さん、サポートくださる皆さん、お仲間の皆さん、今回も本当にありがとうございました。
M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)
今回も自分が「機能不全家族」で育ったのだということを改めて痛感した勉強会でした。
まず、私たちは26歳まで子どもでいて良いということを学びました。
「健康な家庭ではそれまでにどんなふうにコミュニケーションをとるのかとか、どうやって生きていくのかを親から教えてもらう。
親は子どもを世に送り出すために、独り立ちできるように育てる。」
何回聞いても自分にはなかった話でした。
私は親から何も教わりませんでした。
「産んだから後は自分で生きていきなさい。でも、私たちの望むようになりなさい。」
そう育てられました。
それは多分、産み落とされた瞬間からそうだったのだと思います。
私には「安心」も「安全」も「あたたかさ」もありませんでした。
外から見たら恵まれた環境だったのかもしれないけれど、人として生きていく上で必要なことはなにひとつ教えてもらえませんでした。
生まれてきたことが歓迎されていると思ったことも一度もありません。
そういう環境で育つと「反抗期」というものがないということも知りました。
確かに私には「反抗期」はありませんでした。
「反抗するもの」がありませんでした。
そして、「反抗期」があるということは「安心・安全・あたたかさ」がある家庭で育った証拠なのだと知りました。
戻っていい安心・安全・あたたかい場所があるから、それに対する反抗ができる。その戻る場所がなければそもそも反抗できないのだと。
崖っぷちで「さあ、反抗できるものならしてみなさい」と言われても反抗出来るわけない、そういう状況で育っていたのだと。
私は自分に反抗期がなかったのは当たり前だったんだと納得しました。
もう一つ大事なことだと思ったのは「反抗期があることで『自分』が出来ていく」ということ。
勉強会中の優月さんの「中高生が『私が、私が』と自分のことしか考えていないのは当たり前で必要なこと。そうして自分の輪郭を作っていく。そして社会に出て世の中はきれいごとばかりではないと知って大人になっていく。」というような言葉がとても印象的でした。
私が「自分がない」と感じていたことは実際にそうで、これも当たり前だったんだと改めて思いました。
この勉強会でも前回と同様「反抗期を迎えるにはまずは自分に『安心・安全・あたたかさ』を自分に与えることが先だ」と釘を刺されました。
私はつい焦ってどうにかしようと思ってしまいます。
自分を土台から埋めていかないとなにをしてもそれはやっぱり「ふり」になってしまう。
このことを忘れないようにしようと思いました。
ありがとうございました。
Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加)
私にとって「思春期」は、激しく反抗するイメージだった。
でも、普通の家庭の多くは、反抗期はあっても、そんなに激しくないこと、また、思春期は「大いなる移行期でもある」と聞いて私は驚いた。
私は、何かしら激しく反抗したり、自己主張する経験ができないと、この時期を生き直せないと思っていた。
そのイメージで、私はハードル高く感じていたけど、ちゃんと正しい知識を教えてもらったおかげで、私の中の思い違いがとけて、ほっとした。
思春期について話を聞けば聞くほど、やっぱりその前の時期の土台が必須だな…と私は感じた。
発達段階を、一足跳びに満たすことはできない。
そして、「まずは思い切り、あったか・安心・安全をすればいい!」と教えてもらえて、私はとてもほっとした。
つい、先へ先へと焦ってしまった気持ちを落ち着かせることができた。
家族の役割、機能、責任、そのなかで子どもがどう育っていくのか…。
そういうことを順序立てて教えてもらって、いかに私の家族に機能が欠けていたのか。
私の何が損なわれ、どんな影響が出ているのか。
自分の家族の欠損について知るのは、いつだってつらい。
でもこれをここまで詳細に、具体的に知らないままで「なんでなんだろう」とぼんやり思いながら、なかなか回復しない…という道に入り込まなくて私は本当に良かったと思う。
断片的な、つぎはぎな情報や知識ではとてもじゃないけど、太刀打ちできない。
しっかりしたサポートのもと、お仲間さんとのあたたかな雰囲気もある中で学べること、感じられること、お互いの気づきをシェアできること。
私の回復は、そういうことによって、とても支えられていると感じた。
こういう場所があることが、私は本当にありがたい。
思春期のテーマについては、私も安全な環境で、思い切り自分を試したり、世界を広げたりしたかったな…。
と、残念な気持ちばかりが湧いてくる。
でも、ここまで知ることができたのだから、私のために、これから何ができるのかを模索していきたい。
そっちの方が私には希望のある考えだから、私はそうしたい。
優月さん、スタッフの皆さん、お仲間さん
ありがとうございました!
S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)
今回のワークショップでも、たくさん腑におちることがありました。
私は、初めの「安心、安全、温かい」をまだ十分に満たしていないのに、その先のケアを中心にやってきたのだなぁと感じました。理由は1つ、焦りからだと思います。
でも、今回思春期の移行の話を理解して何より先ず1番にここ、基礎が本当に重要で大切なのだとようやく(笑)理解しました。
裏を返せば、初めを十分に満たせてあげられればその先は早いのかなぁと私は思っています。
ただ優月さんがはじめの段階でその先を進まなくてもシアワセならそれで良いんだという説明に、どこか安堵感をもちました。そして、ようやく納得できたのですが、自分がシアワセを感じることが一番大切。そしてその感覚は人それぞれ。誰かと比べて測るものではないんだなぁと思いました。
最後の質問で、優月さんが「安心、安全、温かい」時期が終わった時の症状をあえて教えてくださらなかった理由にとてもとても納得でした。そう、私は無意識、細胞レベルで演技をしてしまうのでまだ満たされていないのに「終わったよ、はい次!」とやってしまうことが100%予測出来たからです。
これはホントに体験した援助者でないと解らないことだと私は思います。
疲れたら、休む。疲れた身体、心で考えても何も良いこと生まれないし。
だから私は今、やっぱり少し休もう、堂々と休もうと思いました。
その決断を下したことに、最後までこれで良かったのか解らなかったけど、今より元気になった自分が、次に何を思うのか今は楽しみでもあります。
優月さん、ご一緒してくださったクラスの皆さま。
今回もありがとうございました。また何処かでお会いできると思いますので、その時までお互い最善尽くせたらいいですね!
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加)
なんだか知りすぎてぐったり、というのが正直な感想。
思春期の話が壮大すぎて、気が遠くなりそうだった。
改めて分かったのは、私には安全も安心もなくて、ただ生きるだけで必死だったということ。自分が反抗期と思っていたのは、生きるために抵抗していただけだった。
そんな壮大なプロセスを経て、自分を知ってゆく、自分の生き方を模索する、そういう大切な時期を私は丸々奪われた。自分の責任ではないその大きな損失に、どれだけの代償を払い続けているのだろう。
そう思うと、頭がショートしそうだった。
私、やっぱりもっと自分を安心させてあげなくちゃ、だ。
第1回「『心』と『身体』の勉強会」で実践しようと決めたこと。手帳の後ろに書き出して、一つずつ試している。これをひたすら積み重ねていくことで、私を育ててあげる。
季節の変わり目、衣替えの時期に、より一層私を大切に、温かく、私の心地よさを追求していこう。
A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加)
まずやはり衝撃が大きいのは、初めて「変容ワークショップ」を受けた時と同じ。自分が大人になる準備を全くしてもらえていなかった、ということ。ライフプランとか、スパンのある時間感覚がない場所で育ったんだなぁと。正直今はちゃんとは理解できない感じがする。そのことがどういうことなのか、まではたどり着けない感じがする。
子どもという立場が保護される立場であるということ、そして守られる側から守る側、保護する立場へと移行してゆく時期。それが13〜26歳。変容、ということは保護されていることが大前提なわけで、自分はそもそも保護されていなかったのだ、ということ。
つまり自分には「変容」などあり得なかった、ということ? やはり衝撃の方が今は大きいです。
社会の中でのあり方、繋がりの捉え方もだいぶずれていると思った。みんなでこの世界を分け合って生きている、という感覚が全くない場所だったと思う。
この感覚のズレも衝撃的だ。この話を聞くのは初めてではない。でもライフステージごとの家族の役割という視点を入れると、衝撃がさらに大きくなって心に届いた。
こうやって色々な方向から、少しずつ映像が鮮明になってゆきはっきりと観えるようになってきたら、いろんなことがもっと辻褄があってくるような気がする。自分の感じたずれをいくつか整理してみる。
時間感覚のズレ
例えば、わたしはゴールから考える、という発想がない。両親の時間感覚は子どものものと同じで今が全てだったのではないか。スパンのある時間感覚を持っていなかったのではないか。人生の大きなステージの流れなど全くイメージを持っていなかったのではないか。そうやって接してこられたわたしにもやっぱりそのイメージがわかない。
わたしにとってはあるはずのものなのに、それが「ない」からなんか変な感じがしていた、ということなのではないか。大人、というのは「俯瞰できる存在」であるはずなんだけれどわたしの両親にはその力がなかったということで、そのイメージを持たずに育てられたわたしがそれをつかめているわけがない。
でもほんとはあるはずだと思っているので、不思議な落ち着かなさがあったし今もあるのだと思う。
時間感覚のズレのせいで生じている不具合
・プランニングができない(具体的な、というよりも大きな意味でのライフプラン)生きて、成長して老いてゆく流れの中に自分をイメージできない。社会的役割という立場の中に自分をイメージできない。また生き物としての自分にあったプランを立てられない感じがする。現実的でなくなってしまう。
・満足の遅延が習得されていない → 無理が溜まる。子どもの頃欲しいものはすぐに手に入った。実現したいことはすぐに実現された。いつも何の抵抗もなく、その度にすごく変な気分がした。急に服をたくさん買い与えられて、夜眠れなくなったこともある。そのせいでかわたしは今を逃したらもうない、と常に思っている。
結果として止まれない。追い続ける。「また次がある、他にもこんな楽しみがある」というように気持ちを広げて落ち着いて感じることができない。今でなくてはダメな感覚しかない。だから疲れ果ててしまう。「今日じゃなくてもいい、今じゃなくてもいい、それじゃなくてもいい」っていう大人の余裕が全くないな、と感じる。
時間がかかることを一旦やめるにあたってはプランニングが必須なわけで、そういう意味でもわたしのプランニングはもっと練習が必要なんだと思った。今日はここまで、今日はこのぐらい。何日ぐらいやったらどのぐらい進めそう。今はそれは必要ない。そういう余裕が出てきたらもっと楽になっていく気がする。
またそのためには、今じゃなくても大丈夫なんだ、っていう安心感が育ってるといいと思う。あったかい安心安全。がやっぱりいろんなことの基礎になるんだな、と納得。
社会との繋がりのイメージのズレ
自分の生家には子どもを社会全体で育てている、という感覚はなかったと思う。周りの人に支えられて生きている、という感覚がとても薄かったと思う。周りは利用してくる敵だらけだと、常に危機感を持ちジャングルで生きていると思えと言葉でもなんども言われた。
わたしは自分の子育て時代にも人を全く頼れずとてもしんどかった。お医者さんにさえあまり連れていってあげられなかった。みんなで助け合って生きている、という感じがわからないから友達を頼ることもとても難しかった。わたしは5歳で引越しをして親戚とさえも疎遠になっていたから本当に繋がりの中に生きるという感覚がとても薄いと思う。
結婚してからも全く知らない土地での生活がなんどもあって、その度に全部一からで、それを一人でするのはとてもしんどかった。徐々に助けを借りることも覚えていったとは思うけど、もっともっと助けてもらっても良かったんだなぁ。気の持ちようが違ったらどんなに楽だったかな、と思ったりした。つながりあい支え合って生きている、という実感としての感覚がなかったことは本当に痛手だと感じた。
今もそれがなくてとても辛く感じている。これは実践で感じてゆくしかないと思っている。無謀にではなく安全に体験を繰り返してみたい。お願いする、質問する、関わる。どれも勉強が必要なスキルばかり。そしてこれも土台には自分のあったかい安心安全がやっぱりいるんだよなぁ。
社会人になる。ということについて
わたしは大学を出て社会人になることが怖くて、怖すぎて結婚を選んだ。絶対に自分にはできないと感じていた。社会全体で人は支え合って生きている、という実感は全くなかった。あの頃本当に恐怖の中に生きていたんだなと今は少し俯瞰できる。
今もそれほど状態は変わっていないかもしれない。社会はとても怖い場所だと感じていたし、両親のマナーの悪さがあって自分も絶対にそうなると思っていたからまともな大人になれる気がしなかった。自分には無理だと思った。
それでも結婚も外のエリアへ出ることで、わたしは結婚を機に一生懸命マナーを学んだ時期もあった。お礼状の書き方や冠婚葬祭のルールだけだったけれど親戚とのやりとりをちゃんとできるようになりたいと思っていた。
あれは間違っていなかったんだね。
今は両親から取り込んでしまっているもの、という視点でもう一度学び直すことができるね。選択肢が広がったね。社会人としてのマナーはまだまだ学び始めたばかりで足りてないよなーって思う。これも日々学んでゆくんだね。
最初からできなくても良いのだとは感じられなかった
今回の話を聞いて、誰だっていきなり仕事ができるようになる訳ではなく、社会全体が受け皿となってゆっくり子どもだった人を大人へと成長させてゆくのだと理解した。技術を身につけて実際に社会に役立つ人材として育った周りの先ゆくひとたちにやんわりと支えられながら長い時間をかけて自分も同じように役立つようになるための技術を学び習得してゆくこと全体が「働く、社会人になる」ということなのだと思った。
しかもたった一人同士、という繋がりよりもっとゆるーい広い意味での繋がりの中で育つんだなぁ。ちょっとおしくらまんじゅう的な感じがした。いろんな場所でいろんな人から押されて押されてこなれてゆく、みたいなイメージだった。社会でもまれろっていう表現があるけれど、そういうことだったのか! と。そういう経験を通して自分の善悪の価値観をそこで見出してゆくし、そうやって人とのふれあいを通じて時間をかけて学んで技術やマナーを身につけてゆくんだ。だから最初は何にもできないままでお給料をいただくことになる。
お金をもらえたからもう仕事ができる・できなければならないと思うのは大きな勘違いだった。それは学び始めるということで、それでいいのだ。社会の一員となるということは自分も学び始めます、という意思表示と学びを実際に始めることであって、それがわたしが怖がっていた社会人になる、仕事を始めるということだったのかなと思った。
いろんなことが結局すごく入り組んでいる。入り組んでいるからなんども学習を繰り返さないとダメで、何度繰り返しても後戻りもするし発見もある。ちょっと待って!? って感じて驚いて、今まで足場だと思っていた石が消え去って空中に立ってた! みたいな感じがして、清々しい代わりに裸になってしまったみたいな心もとなさがあって、戸惑いがある。
ちょっと待っての後がなかなかスムーズに進まない。イメージができない。
自分の作戦行動が非現実的になるのは子どもの時間感覚で接されてきたからなんだな。そしていつもいつも緊張しているのは、社会そのものが安心していい場所だと感じられていないからなんだと思った。人と人とが仲良く楽しく暮らすために助け合って生きている。それはなんども触れた文章なのだけれど、こうして自分の生い立ちと自分の中に育っている感性とを組み込んでもう一度触れるその文章は全く意味合いが違って見える。
正直今は信じられない。自分もそのメンバーの一員であること。わたしはここにいてもいいし、いてもいいどころかいるんだからそれなりに一役買ってもらいたいぐらいにカウントされてる人員なのだということ。しかもじゃあ何ならやりたいかな? っていう発想でやることを選んで良いということ。その発想はあまりにも夢みたいでバチが当たりそうな気がしてしまう。
わたしが自分のしたいことをやっていいと思うと怖いのは、元家族から受け継いでいる衝動性が出てくると感じるから。自分からあの乱暴な感じが出てくると思うとすごく怖い。恥ずかしいけど確かにそういう部分がある。それが怖くて今まで閉じこもってきたようなものなんだよね。
だからもう学びを止めない。学び続ける。「こんな自分でいちゃだめなんだ、自分は迷惑な存在なんだ」っていう感覚こそが負の遺産なのではないか。そうではなくて、そのやり方ではわたしの本来の望みが傷ついてしまうんだよ、だから変えていこうね。そう言ってあげられるようになりたい。そんな風に言ってもらえたことが本当にないんだよね。前回もでたけどアタッチメントがないってそういうことなんだよね。
「自分は迷惑なんだ」そんな態度こそが支え受け入れてくれている相手からの信頼も自分自身も深く傷つけてしまうのではないか。間違いに気づいたら横柄に開き直るのではなく、そっかこれは違うんだな、って心を開いている自分でいたい。そして周りの人から、大きな意味で社会全体からもわたしは温かく支えられているのだ、迎え入れられているのだということにも心を開いていたい。勇気を持って自信を持って学び、練習してできるようになりたい。
わたしは息子たちがいつでも帰ってこられる安全な場所でありたい。社会の中で助け合って自分の力で生きたい。人に遠慮したり気を使ったりせずに、ここにいていいんだと実感したい。
勉強しながら、働いて仕事のスキルも育てながら、果たしてどこまでいけるのか。わたしはわたしでいいんだよ、と心から言える日が来るのだろうか。ここはわたしの居場所だと心から安心して感じられる日が来るんだろうか。
とにかく今は、ゆっくり休めるようになること。あったかい安心安全の基本を忠実にやってゆきたいと感じている。
今回もシェアリングを通して、お仲間さんが同じように感じているのだ、ということに安心でき、また同じように感じても内容は一人一人全然違うのだ、ということにも気がつきました。自分のことは自分が知ってゆかねばならないのだ、と深く納得しました。
お仲間さん。優月さん。スタッフの皆さん。
ありがとうございました。
また、次もどうぞよろしくお願いします。