Y. M. さん(30代/千葉県よりご参加) ふきのとうクラス
今までで一番自分と向き合った3か月となりました。
今回のクラスを終えてようやくスタート地点に立てた、そう感じています。
特に後半は、こけて、滑っていたけれど、安全にこけさせて下さったことに、感謝しています。
このクラスのなかばまでは、やはり共依存という自覚は薄くて、どこか他人ごとでした。
共依存は、薬物依存や買い物依存などと一緒で、根っこに流れているものは変わらないと言われても、まだ他人事。
薬物依存は怖いと思うのに、自分が抱えてる共依存は怖いと思わない。
すごく変な状況にも関わらず、別に自分は犯罪おかしてる訳じゃないし、フツーに日常を送れて誰かに迷惑かけている訳でもない、きっとこのままだんだんと良い方向に向かっていくのではないかなと思っていました。
ターニングポイントは8~10週目だったと思います。
「滑ってる」とメッセージを読んで、最初は意味がよくわかりませんでした。
自分が本当に滑っているか疑問だったけれど、自分の心の中がざわざわしてくるのを感じて、もう一度本を読んだり、雑誌を読んだり、自分掘りしたり。
そしたら、やっぱりまだまだでした。
一見良くなったように見えていたものも、実はまだ炎上したままだったのに気がつきました。
と同時に、今までうわべだけの理解で、わかっていた気になっていた自分が恥ずかしいやら腹立たしいやらで本当に自己嫌悪でした。
でもこれも「コース1」や「コース0」、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」に出ていたからこそ、今、ようやく気がつけたんだと思います。
だから、今までの自分にありがとう、と言いたいです。
今まで私は、「共依存」な自分は「ダメな自分」と思って生活してきました。
だからいろんな人に対して劣等感があります。
だけど、「私がダメじゃなく、習慣がダメ」というメッセージを読んで、そういうことなら改善の余地はあるし、希望が持てました。
例えば、私には、散らかしっぱなしと言う良くない習慣があるけれど、最近本当に痛い目を見て、定期券と家の鍵・自転車の鍵を玄関の所定の位置に置く、というのをここ1か月実践しています。
ようやく定着してきていて、探し物をする時間が減り、なにより自分に自信がつきました。
だから、共依存の方の習慣もすごく手ごわいけど、なめないで、辛抱強くやれば、少しずつでもきっと変えていけると思っています。
お金も時間もかかるけれど、63歳のおばあちゃんになった私から、「33歳の私、ありがとう」って言われるためにも、ひとつひとつ取り組んでいきたいです。
これまでダメなところばっかり書いたけれど、できたこともあります。
それは「自分自身の体調や気持ちに関心を持ち、立ち止まって考えたり、対応できるようになったこと」。
これはこのコースでの自分の課題でもありました。
特に「気持ち」は、何度も何度も自分に問いかけました。
『未来日記』には今までにないくらい、いろんな「感情」があふれています。
それに対して「今日はよく頑張っていたね」「ゆっくり休んでね」とか自分でコメントを書くようになったのもこのクラスが始まってからです。
他人が私の『未来日記』をみたら「この人、ナルシスト??」と思われるかもしれないけど、自分を励ましてあげられるのはやっぱり自分だから。
そして「気持ち」「感情」に関心がいくようになったら自然と「体調」にも関心がいくようになりました。この良い習慣を継続できるようにしていきたいです。
最後になりましたが、ふきのとうクラスの皆さん、優月さん、3か月間ありがとうございました。
たくさんの気づきに感謝いたします。
Y. E. さん(30代/茨城県よりご参加) ふきのとうクラス
今回で、2度目の12週間を終えましたが、本当に時間はあっという間です。
本当に3ヶ月だったの? と感じる。
この3ヶ月の間、私は仕事が終わり、無職になりました。
仕事はしていないけれど、その分自分を顧みる時間ができた。
また、去年から1年間と少し続けていた臨床心理士との面談が、心理士さんの異動によって、できなくなってしまったこと。
相談できなくなったショックで、2、3週間泣いていたこと。
信頼できる相手と話せなくなったショックは大きかったけれど、課題を蔑ろにしたくなかったので、課題を書くことを止めなかった。
それまでの自分の生活に対する違和感、課題を読み込むにつれ今まで私はずうっと自分の人生をまともに考えてこなかったこと、自分を知らずにいたこと、仕事に対してもずっと無責任で、好きでも得意でもない、むしろ嫌々やっていて、どうでもいいと思ってきたこと。
物事に対しても無気力だし・・・そのうち自分が好きだったものって一体何だったの? と好きなものが分からない。
一方、嫌いなものはたくさんあふれてくるというのに。
私は空っぽなまま、30年も生きてきてしまったのかと思うとズシッと心が重くなった。
そうでなくても、家族だけじゃなくて、外部の人間達にも翻弄され続けてきたというのに、それすら気付かず、許してきたこと。
他人の言葉や行動に心を乗っ取られて、自己卑下してしまうこと、最悪な時は感情を爆発させてしまうことは、相変わらずで。
怒りに身を任せて爆発している時は大噴火状態だけど、気持ちが落ち着いてくると、「ウチって子供っぽい・・・全然成長してないじゃんか」と、自己嫌悪する。
仕事だって、今度は何を仕事にすればいいのかも分からない状態だし、何から手を付ければいいのか分からない状態。
臨時職員ばかりで、1年で仕事が変わってばかり。
人間関係と仕事内容に悩まされて、辞めた or 辞めさせられた仕事もある。
だけどそれは、私自身がちゃんと私の人生について、考えてこなかったからだと、課題を読んで思いました。
現実なんて見ていなかった。問題も分からなかった。
仕事に対して今まで無責任だったのに、それにも無自覚だったなんて。
それ以上に、自分の人生に無責任だった。どこか他人事で、それすら分からなかったし、教えられたこともありませんでした。
実は課題と同時進行で、私は自分の部屋の断捨離もしてきましたが、たくさんのモノをシュレッダーにかけたり、ごみに出したり、不用になった服を下取りに持っていったりしました。
これだけお金を出して買ったのに、いつの間にか使わなくなってしまっていて、もったいないことをしたなあ・・・。粗末にしてごめんね。使い古せなくてごめんね。という気持ちになった。
取り外したままの本のカバーも戻した。
現在も部屋や身の回りの断捨離は続いています。
時間もそうだけど、お金も大事に使いたいという気持ちになりました。
課題も読んでいくと、年齢を重ねていくごとに共依存はどんどん悪化していくこと。
「共依存の凝固現象」は、本当に読んでいて恐ろしくなった。
このままじゃ私は、こういう道をたどってしまう!!
人生を悲劇で終わらせていいの? という気になった。
今の生活も人間関係も全然充実していない。
好きじゃないし、嫌い。嫌いで、どうでもいいと思っている自分がいる。
ああだこうだと理由を付けている自分。
今でも家族や親戚、過去の人間達にイライラさせられるし、怒りは溜まる一方。
私の気持ちも、こういう人間達に理解されそうにない。大事にされそうにもない。
だけど、今回のワークショップに参加して、時間を無駄にしていること、自分を蔑ろにしていること、他人に心を乗っ取られていることは自分の人生を腐らせているも同然だと知りました。
心の中でも、「もう、今までのやり方じゃダメだよ。自分で何とかしようよ」と言っています。
もうじき終わる『未来日記』も、もうこんな人生嫌だー! 嫌だ!! 全然自分のこと分かってなかったー!! で、溢れていました。
私と同年代の子達は結婚して子供もいる人が多くなってきましたが、私は自分の問題を複雑化したくない。
無力で何も知らかった子供時代を忘れて、子供を持とう等とは思っていませんし、第二の悲劇を生む元凶を作りたくないと思います。
まだ自分の人生を十分に作ってもいないのに。
人とやっていく力だって未熟なのに。
ただ、「もっと早く知ったことが出来たら・・・」という想いもありますが、今回のワークショップに参加して、「同じ間違いを犯すところだった。自分がどういう状態なのか、問題を知ることが出来て良かった」という気持ちが強かったです。
本当に自分の人生をどう生きたいか、作っていきたいかを考えてこなかった代償は大きい。
共依存は本当に手ごわい問題です。
私の人生は、ここからリスタートだ、と思う。
焦らず、今の自分にできることから進めていきたい。
まだまだ分からないこともあるけれど、もう、怒りと失意に満ちた空虚な30年を重ねたくない。
改めて、私、参加された皆様、3ヶ月の間お疲れ様でした。
共依存の恐ろしさとありがたいメッセージを伝えてくれた優月さん、スタッフの皆様、ありがとうございました。
N. Y. さん(30代/千葉県よりご参加) ふきのとうクラス
なんだかうまく課題に乗れなかった3ヶ月だったなぁ、と思いました。
幼い時に身につけた処世術、という壮大なものでなくても、はじめて ONSA の門をたたいてからたった2年間でも、無意識の間に、ある種のワークショップとの向き合い方が出来上がっていて。
それを手放すときなのだな、と思いました。
やみくもに、思いつくまま、でてくることは全部書く。
ずっとそんな向き合い方で、それは今までの私に必要なことだったのだと思う。
そしてもう、そのやり方を続けていくようなエネルギーの割き方はできないなぁ、と思いました。
それは同時に、拘ってきた過去を手放すことでもありました。
手放す覚悟や決意とか、手放すだけの理屈があることではなくて、重すぎる荷物を持ったまま手が痺れて耐えられなくなって、思わず手を離してしまった。そんな感覚。
第1週目、自己紹介がひと文字たりとも書けなくて、結局出さずに終わったそのときからずっと、うっすらぼんやり感じていたことをいま、最後の週にやっと言葉に出来ました。
身につけた処世術、あることについて、ある年齢で止まっているいろんなこと。何かひとつの特定のことっていうわけじゃない。
ひとつひとつ、丁寧に片をつけてゆこう。
読んでくださる方に理解していただけるような書き方でなくてごめんなさい。
1年半ほど(クラスの途中で中断しても)参加し続けた Web. WORKSHOP ですが、予定通り夏はお休みして、秋になったら戻ってきます。
ここを離れる間に問題を整理し直して、あらたな気持ちで取り組もう。
そのときにはまた、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。