2015.10月開催 「お金と自立のワークショップ」これっとクラス

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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) これっとクラス





このクラスで私は、自分がどれだけ不健康で、病気かを実感した。
そんな状態でいろんなことをこねくり回したって、うまくいかねーや、
ようやく、それをハラに落とすことができた。

このクラスに出るまで、お金と自立は、私には手も足も出ないテーマだった。
でも、今の自分の不健康さのまんま、進んでいったら、
起こりうるであろう、恐ろしい状況、暴力、問題…。

それを思ったら、自立とお金は、私の一番の味方だって、気づいた。
あんなに怖くて、一番遠くに追いやっていた、自立とお金、
それこそが、私を安全に、しっかりと守ってくれる大事なものだって、気づけた。

生きるための正しい知識を、きちんと教えてもらえること、
間違っていること、不健康であることを、きちんと指摘してもらえること、
そのかけがえのなさを感じた。
日常では、なかなか教えてもらうことができない。
教えてもらえなかったら、私はまだまだ暗闇の中を自己流で進むしかなかった。
いつまでも、迷い子のまま、大変な方へずんずんと進んでいただろう。
ストップと、方向転換を促してもらえて、
本当に、ありがたかった。

自分の目標をつかむことも、本当に大事だと思った。
自分が「心からこうなりたい」と思えるものをつかめたら、
そのための努力(お金に関わること含む)は、自然と「やろう」「やりたい」と思えた。

それは、ふわふわとした「やりたい」ではなく、
私を大事にするんだっていう、強い強い決意。私との約束。
義務ではなくいい意味で「やらなくっちゃ!」と目が覚めた。


自分とつながることは、こんなにも物事を堅実に進ませてくれるんだって、
実感できて、よかった。


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クラス後、私は早速行動した。

  • ・毎月の収支表をエクセルでつくった。
  • ・満足の遅延口座をつくった。
  • ・貯蓄プランの相談を申し込んだ。
  • ・いろんな商品が目につくときも「これは私にとって本当に必要?」と問いかけるクセをつけた。
  • ・BE/DO・HAVE の消費から、「私が私のニーズをつかむことが何より大事(形はそれに付随するものだから、ニーズさえ外さなければ柔軟に選べる)」って、実感できた。
  • ・母親に、家のことや相続のことを質問した。
中でも、母親に家のことを質問できたのが、大きかった。
言い出すときは、どんな反応が返ってくるか、ドキドキしたけど、
聞けばあっさり、いろんなことを教えてくれた。
相続のことや財産状況など、いろんなことが明らかになった。
私が懸念していたことも、「それはない」ってわかって、ほっとした。

なぁんだ、
私が「親にお金のことは聞けない」って何十年も思い込んでたこと、
本当に、単なる “思い込み” だった。
こんなに気楽に聞けるもんだったのか…。

同時に、お金に関することは、本当にいろいろな意見や考え方がある。
みんなが、自分が信じている/感じていることこそ正しいって、思っている(ように私は感じる)。

中でも、お金に関わっている人(銀行の人や FP の人)の意見は、
正しいものもあるだろうけど、すごくこっそり、「売る」意図も織り込まれているんだろうな。
メリットは言うけど、デメリットは「あえてふれない」ことで、気づかせない。

(よく考えてみて。そこまで努力しないでお金が増えていく、うまい条件って、
何かのからくりや引き換えにするものがあるんだよ)

そんな仕組みも、巧みに織り込まれている可能性がありそうって、私は思った。
これは、ワークショップ・クラス後の1週間で自分なりに動いてみて、
自分の耳で聞いて心で感じて、気づいたこと。

きっと、答えは無数にあるし、その中で失敗も成功もあるだろう。
でも、最後は、私のことは私が決める。
人にいろいろ助けてもらいながら、冷えた頭で、落ち着いて一つずつ、
私にとってベストの方法を選んでいこう。
大事なことだから、立ち止まって時間をとって、じっくり考えればいい。
自分で考えたり、調べたりするほど、私は私のためになる選択ができる。


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私は、多分、幻想の、ものすごくハードルが高い “自立” を目指して、動けずにいた。
(仕事で素晴らしく社会貢献して、1人で何でもテキパキ決められて、
自分らしさも失わず、いつも笑顔でキラキラと輝いているような…。
そんな、つくり込まれた雑誌のようなことこそ “自立” だと、私は本気で信じていた)

でも、このクラスで正しいことを教えてもらってつかんだ “自立” は、
現実的で、地に足がついていて、
私が一歩ずつ積み重ねていくことで、できてゆくもの。

私が私のために行動することで、手にすることができるもの。

もう私は、一足飛びの「魔法の解決法」「一発逆転」を掲げて、
私を現実から切り離すことを、しない。
ぬくぬくした夢の世界に留めて、私を危険な目に遭わせることも、しない。

私は私にできることを、一つずつやっていく。

失敗してもいい。
失敗を受けとめられる自分になりたい。
自分の弱さやできなさに、正直でいられる強さも、私は育てていきたい。

私はもう、飛ぶ夢を見ない。
自分の足で、歩いてゆく。
そうやって、私を守る。私を生きる。

たくさんのことを教えてくれた優月さん、ありがとうございます。
おかげで、目が覚めました。
しらふって、大事ですね。
何度もこけるでしょうが、何度もこの感覚に戻ります。

クラスの皆さん、ありがとうございます。
皆さんの正直な分かち合いのおかげで、私も自分のことにたくさん気づけました。
1人では、決してここまで消化できませんでした。

最後に、よくやった! 私。
勇気を出して、自分の一番弱いところを見たね。
だからこそ、こうやってぐんと、前に進むヒントがつかめたよ。

私は、自分の力で立ち上がることができる。
本当に私に必要なものを、私に与えていこう。
一つずつ、私に確認しながら、進んでいこう。
休んでもいいし、助けを求めてもいい、
私の望むことに、辿り着くことが大事だから。

きっとこれが、私の本当の自立のスタート。
遅いとか恥ずかしいとか、もうそんなことで自分をちくちく責めない。
ハラをくくって、ここから始める。

そのための勇気と後押しをくださったみなさんへ、
本当に、ありがとうございました。




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T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) これっとクラス





自分の世界がどれほど現実と離れているのか、突きつけられました。
わたしはこうなるべき、というところにはすぐいけるものだ、いかなければならない、と思ってた。
そのことに気づいてもいなかった。

そして、思ったことを現実にするにはその過程がある、ということ、ひとつひとつ積み上げている過程があるということをわかってなかった。
共依存の「魔法の考え方」って、いや、わたしは現実的だよ、と思ってたけど、このことだったんだ、と腑に落ちました。


お金の使い方も、時間の使い方も、「自分がない」ことをくっきりと示していました。
自分がほんとうにしたいことではなく、自分が一時いい気分になれるもの、自分をよく見せるものに多くの時間やお金を使っていた。
自分には価値があるんだ、ということを証明するために、たくさんのお金を使ってました。

自分がない。自分がわかってない。だから自分のためにお金や時間を使えない。
そして、「ない」自分を「ある」ように見せるために、ほんとうにたくさんのお金を使っていたんだ。
洋服、化粧品、音楽、映画、旅行、趣味、講座…。
わたしは自分がわかってないのに、自分を知っていて、自分を軸に生きてる、と見せようとしてた。

自分が本当に必要なものを考えるんじゃなくて、こんな人だと思ってもらえたらいいよね、と見せたい自分のためにお金を使ってた。
でも、一時の楽しさだけ。ずっと長続きするわけじゃない。
無駄遣いが怖くてお金を使えないのに、ほんとうに必要な自分のためのお金を使えず、自分の価値を証明するためのお金を「投資だ」と思い込ませて、使ってた。

「ちゃんと考えているし」と思ってた一人暮らしも、そのための時間もお金もぜんぜん使ってなくて、これじゃいつまでたってもできないよ…。

いままで、自分がぼんやりと「まあ、お金ってなんとかなるよね」と思っていたんだ、ということにも気づかなかった。
そしてそれは甘いのだ、ということにも気がつかなかった。

ほんとうに自分がどんなに現実と離れていたか、幻想の世界にいたのか、つきつけられてすごくショックだった。


ワークショップ・クラスのあと、お金と時間のために自分で決めた目標があるっていうのはしっかりしてるし、迷いがなくて気持ちが楽。
そして、進んでいる感じ。それは小さなひとつだけど、これ、という確かな感じがあります。

自分をよく見せるための買い物をしなくなったら、そのための時間も使わなくていい!
そうなるとかなりすっきりします。その時間を自分のためにまわせる。

お金の使い方で、こんなにも自分の考え方が見えるとは思っていませんでした。
そして、ずれがわかって本当によかった。

わたしは共依存にほんとに本気でとりくまなきゃ。
共依存がわたしの人生すべてに影響している。

そう気づいたクラスでした。
ほんとに大きな変化だと思います。




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N. O. さん(30代/東京都よりご参加) これっとクラス





お金と自立のことは、ONSA に通い始めてしばらくしてから、ずっと自分のテーマでした。
だから、今回このワークショップが開催されるのを知って、迷うことなく参加を決めました。

しかし、自分にとって、とっても不得意な分野だったのでプレワークが心理的に向き合いづらかった。
けれど、私にとってできるだけで取り組みました。

当日のワークショップ・クラスは、本当にあっという間に感じました。
が、私の中で価値観がガラッと変わりました。
お金の使い方も変わりました。

自分の中にあった考えの習慣や、親から受け継いだものがどのように不健康だったのかわかりました。
私は、自分が求めているものにお金を使っていなかった。
だから、これからは、今までより幸せなお金の使い方ができると思います。

自分が巻き込まれているものが何か、少しずつわかってくるごとに、重さを感じるけれど、目が開かれてくるごとに、確実に生きやすくなっている。
これがあるから頑張れているのだと思います。

現実と向き合うことは、けっこうな重量感があって、それに私はけっこうくじけそうになっているけれど、人生をけっしてあきらめない。回復にしがみついていきたい。
私には、教えてくれる人がいるし、目が開かれてくると、怖くてたまらない。
私は、もう自分をだまし続けることはできない。

ワークショップ・クラス当日は、とても有意義でした。
参加者の皆様、優月さんありがとうございました。




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Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) これっとクラス





本当に本当に参加して良かったです。
お金と自立と時間がこんなにもつながっているなんて、知りませんでした。

ONSAのワークショップに参加し始める以前から、何となく
「お金とうまく付き合えてない」
「お金に関することは苦手」
と思っていました。
私にとってお金はとてもハードルが高いものでした。
とても怖かったので、長い間見て見ぬふりをしてきました。

でも、ONSAのワークショップに参加するようになって、共依存の勉強をしていくうちに、お金の問題を何とかする必要がありそうだと思い始めました。
そんな時、このワークショップが開催されることを知り、「これだ!」と思い、参加することにしました。

まず、「自立は必須」であることに衝撃を受けました。
頭では分かってたつもりだったけど、どこかで「いつか何とかなる」と甘えていました。
私、病んでるなって思いました。

そして、こんなにも共依存が根深いものだということに改めて愕然としました。
私がしているお金の使い方はもちろん、考え方や価値観、生き方まですべて原家族のコピーでした。


お金に対して「よく分からない」という認識であること。
良いものを買っても使わずにしまいこんでおく癖。
計画性はなく、欲しければ「えーい、買っちゃえ」という買い方。

もう、全部コピーです。
衝撃です。
お金も時間も「他人」と「いつか」のために消えていました。
とても痛かったです。
でも、仕組みが分かって、目の前が晴れてきました。
何よりもまず、共依存から回復し、健康になることが本当に本当に大切だと思いました。


ワークショップ・クラスで教わった方法は、優月さんがおっしゃっていた通り、ごく当たり前のことかもしれまんせんが、私にとっては当たり前とは思っていませんでした。
それくらい、歪んだ世界にいるんだなと思いました。

ワークショップ・クラスで教わった方法は、とても現実的なことでした。
現実的だから、現実を生きられるのだと思いました。

この現実という地に足を着けて生きていく。
ひとつずつ、ひとつずつやっていこうと改めて決意しました。


そして、私は自立すると決めました!
怖い気持ちや不安な気持ちはあるけど、決めました!

それから、いかに日常が手強いものだということを改めて確認できました。ものすごい引力です。
あっという間に共依存の世界に飲み込まれます。
私は今、そういう環境にいるんだという事実が身に染みました。脱出しなければと強く思いました。

お金も自立も自分を守るため。
このことを知ることができただけでも大きかったです。
勇気を出して参加した自分を褒めたいです。


「これっとクラス」のみなさま、お疲れさまでした。
お金も自立も怖いことだったので、仲間がいると思うだけで心強かったです。
ありがとうございました。

優月さん、ONSAスタッフのみなさま、お世話になりました。
安全な場所と時間をありがとうございました。




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N. T. さん(20代/東京都よりご参加) これっとクラス





今回のワークショップを受けるまで、私はぐるぐるの状態にいました。一人で絶望の気分でいて、課題にもなかなか取り組めない状態でした。そんな状態でも参加したのは、やっぱり根底でこのままじゃいけないって思っていたから。
そして、今回参加して本当によかったと思います。「私」を繋ぎ留められたと思う。


参加して、まず、打ちのめされました。
グサグサと痛いところをつかれました。でも、私はそれを受け止めないといけない。

自立は、絶対しないといけないこと。

私はどこかで「女性は自立しなくてもいい」って思ってたことに、参加しながら気づきました。それは父と母を見ていて、そしてそう教えられていたんだと思う。
自立ということから逃げたくなっていたのも正直な気持ち。
でも、それは私が自分で自分の人生をダメにしていることだとも気付きました。


今回は、知識を得ることはもちろんだけど、自分と本当にちゃんと向き合えているかということを突き付けられたワークショップだった。

お金の使い方も親のコピーになっている。お金のこと以外のこともコピーになってしまう。
私は自分が依存症で、病気の状態であることをもっと自覚しないといけない。
優月さんが「病んでる環境にいる状態で回復はありえない」と言っていて、ああそうかと思った。
病んだ環境にいる限り、子供の頃から刷り込まれた悪習慣が繰り返される。そんな中で回復しようと思っても、できっこない。
もっと家から離れないとと思った。

病んだ環境で親や兄弟を恨むことにエネルギーを使うんじゃなく、そのエネルギーを自分の為に使っていこう。

逃げたって問題は追いかけてくる。
立ち向かっていかないと何も変わらない。

これは私との戦いであり、「私の人生」なんだと思った。

今回参加して本当によかった。
優月さん、参加された皆さん、ありがとうございました。




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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) これっとクラス





原家族の振り返りをしてみようと書いていったら長くなってしまいました。何だか、Web. WORKSHOP(ウェブ・ワークショップ)の課題みたいになってしまいましたが、今の私の感じていること、考えていることを素直に書き留めてみたので、このままで投稿してみます。
よろしくお願いいたします。


私の両親は、お金を扱う仕事をしています。
それだからか、お金にはとてもシビアでした。

幼い頃私は、週に100円のお小遣いがもらえ、それを持って、駄菓子屋に好きなものを買いに行っていました。お小遣いの金額は、私の年齢が上がるにつれ、少しずつ金額が増えていったものの、いつでも最低限しか与えてもらえませんでした。
お年玉は自由に使っても良かったので、そのお金で1年間やりくりしていました。
それでもある時、そのお金で母にプレゼントを買ったら、「無駄遣いして!」と怒られたこともありました。

私が親から何かを買ってもらえるのは、誕生日とクリスマスだけでした。
それも、何がいい? と聞いてはもらえず、中身は本などが多かったです。
ある誕生日には、「これじゃないのがよかった」と言ったら、暗い部屋に閉じこめられ、反省するまで出してもらえませんでした。泣きながらケーキを食べていたら、「泣きながら食べたら消化が悪くなる! 泣くな!」と言われました。こんな意味不明で理不尽なことも日常茶飯事でした。

そんなお金環境だったので、私は、家の中に落ちている小銭を集めて、母に「もらってもいい?」と聞き、「いいよ」と言われればウキウキして貯金箱に入れていました。そんな私を見て母は、「まるで守銭奴だね」と言っていました。
洋服はいとこのお下がりが多く、私はそれには疑問を持たず、与えられたものを着ていました。お下がりだとかそうでないとかに関わらず、私は与えられたものは何でも、大切に大切にしていました。
母に買ってもらった筆箱は6年間使いました。物を大切にしていたというより、失うのが恐くて手放せなかっただけのような気もしています。


私の子どもの頃は、住んでいる土地柄か、お金持ちの同級生がまわりにたくさんいました。
私は誰とでも普通に遊んでいましたが、母は、お金持ちに対してあまり良いイメージがないみたいでした。私の友達のことを悪く言われるのは、私は嫌でしたが、私がお金持ちの子と金銭感覚が違うなと違和感を覚える時もありました。

それは、私がお小遣いでライトノベルを1冊ずつ買い足していたときのことです。私がその友達に本を貸してあげると、友達はその本が気に入ったようでした。しばらく経ってから友達の家に行くと、本棚には私の貸した本のシリーズがずらっと揃っているのを見せてくれました。
友達はもしかしたら私を喜ばせようとしたのかも知れませんが、私は何だかひどくがっかりしてしまい、その本に対する興味も失せてしまいました。1冊ずつ集める楽しみはないのか!と、怒りとやるせない気持ちを感じました。

そんな事があったからか、親の影響からか、私はお金持ちに対して嫌悪感を持つようになりました。
ちなみに、その友達は医大に進学し、今はお医者様です。私とは全くお育ちが違うわ…と遠くを見つめたくなります。
私がせこせことお小遣いやお給料を貯金しているのがバカみたいに感じてきます。
私と同じように、こんなちまちまお金を稼いでもしかたがないと、昼間の仕事を辞め、水商売の道を選んだ友人もいました。
それを思い出すと、お金っていったい何だろうと思ってしまいます。無いとこまるけど、そこまでして稼がなければ生きていけないとしたら、そうとう苦しいなと感じました。


私はお金持ちのことを、色眼鏡で見てしまうことが多いですが、私も、自分の持ち物や住んでいるところを話題にするときに、お金持ちと勘違いされないか、妬みの気持ちを持たれないかと気を使ってしまいます。
どちらも重心が自分に無いので苦しいです。

高校生になってからは、様々なバイトを経験して、何とか自由に使えるお金を増やそうとしていました。
がんばってかなりバイト代を稼ぎましたが、私は裁断机やミシン、布など、値の張る物を買ってしまうため、いつも手元にお金がありませんでした。ミシンは10万円くらいしましたが、何度か故障と修理を繰り返した後にまた10万円の別のミシンに買い換えました。
裁断机は実家に置いておいたら、妹に捨てられてしまいました。
他にも今になって探すと見つからない物が複数あります。

私の持ち物はほとんど、私が汗水たらして稼いだお金で買ったもので、今買い直すとかなりの金額になってしまいます。
私たち家族は本当に境界線があいまいだったのだなと思います。怒りと悲しみを感じます。


私の母の口癖は、「働かざる物食うべからず」でした。
私は小さい頃からお手伝いをしつけられ、だんだんと私の担当する家事は増えてゆきました。
食事の前にテーブルを拭くこと、配膳、夕食の食器を洗って、それを拭いてしまうこと、布団の上げ下ろし、自分の洗濯物は自分で洗うことなど…。
それを時給にしたら、かなり稼いでいたのではないかと思います。でもお小遣いは少なかったです。
母は、食べさせてもらっているだけありがたいと思いなさいと言っていました。母の育った家庭環境からすれば、母も「働かざる者食うべからず」だったのだと思います。

私は、手伝いの中で、唯一、洗濯だけは自分でやると決めてやっていたので、今でも洗濯だけは好きです。
他の家事は、やらされていた感が強くて、今でもあまり好きではないし、やっていても楽しくありません。できればやりたくないと思ってしまいます。正直、家事が嫌いです。


新卒で職に就いて、自分で使えるお金が増えました。
私はバイトを始めたころ、キャッチセールスに引っかかってしまったことがあったのですが、ここで、こりずにまたキャッチセールスに引っかかってしまいました。
私は、しばらくして一人暮らしを始めました。私がしたいと思っていたのではなく、私と父との折り合いが悪いので、母が「早く家を見つけて出て行きなさい」と言ったからでした。
一人暮らしをしてからは、給料の半分以上が家賃で消えていきました。母が「夕食は食べに来てもいいよ」と言ったので、夕方になると実家へ寄って夕食を食べていました。夕食を食べに行くときは父となるべく会話しないように、そそくさと食べて帰りました。そんな私を父も母も不満に思っていて、「お父さんに挨拶をしなさい!」とよくイライラをぶつけられていました。

私の一人暮らしは、ボーナスまで使い切ってカツカツだったけれど、楽しかったです。少ないお金の中から、歌舞伎やバレエを観に行ったり、習い事をしたりするのも楽しかった。何より、食器を洗え、風呂に入れと口うるさく言われなくてすむのが安心しました。


数年後に夫となる人と付き合い始め、そのまた数年後に一緒に住もうと言われました。私はこの自由を手放したくなかったから、すごく渋っていたのだけれど、根負けして一緒に住むことにしました。結婚してほしいとも言われたのだけれど、今すぐは嫌だからもう少し待ってと言って4年も同棲生活をしてしまいました。今思うと、夫はよく待ってくれたものだなと思います。
夫と一緒に住むようになってからやっと貯金ができるようになりました。なので、私には結婚前の貯金というものがありません。
実家暮らしの友達の貯蓄額を聞いて悔し涙を流していました。
そして、貯蓄が増えてきたころ、積立投資を始め、損を回収できずに売ってしまうという失敗をしてしまいました。私には、まとまったお金があると、何かしたくなってしまう性質があるようです。


結婚してからは、私がいつ会社を辞めてもいいように、私のお給料は全て貯蓄に回し、夫の稼ぎだけでやっていけるような仕組みを作りました。それがあったから、今住んでいるマンションの頭金も払えて、とても快適に過ごしています。
ただ、実家と父の家から歩いて15分位の距離に買ってしまったのは失敗だったかなとも思っています。家を買うのはもう少し回復が進んでからにすれば良かったな、少し早まってしまったかなという思いもあります。
今から家を転居することはできないし、現実的で無いと感じています。
もう子どもは小学生で、こんなことで転校させるわけにもいかないし、夫も納得しないだろうし、買い換えるとなったら、また大きなお金を失ってしまいます。加えて、私は地元以外の場所を知らないので、他に移るのはすごく不安なのです。
けれど、家を買ったのが失敗だった! もうだめだ! と結論付けてしまうのは0か100か思考だと思うので、今できることをしていきたいと思います。


ワークショップ・クラスが終わってから私がしたことは、父のメールアドレスを受信拒否に設定したことです。
今まで、頻度はそう多くはなかったけれど、子どもの誕生日や小学校入学などの際に、父からメールが来ていました。私はその度に吐き気がしていて、気分が復活するのにかなりの時間がかかっていました。
小学校入学のお祝いのお金をもらったとき、メールが送られてきて、私はそれを見て「いまさら普通のおじいちゃんぶるんじゃねえ! 気持ち悪いんだよ!」と、身体中にむしずが走るようでした。
父からお金をもらうことも、飼い慣らされるような気がして嫌でした。
今は父とはほとんど会うことはありませんが、妹が実家に戻ってくる時などに、父が来る夕食会があったりするので、それに参加しないなど、できることはあるような気がしています。
そして、母からも更に距離を取っていこうと思います。

これを書いているときに、母が「牛肉を注文しすぎたから、おすそ分けに行くよ」と言って家までやってきました。
玄関先でそれを渡してもらって終わりかと思ったら、家の中まで入ってきて、頼んでもいないのに「あんたのうちのこれが気になってたんだ」と、持参したスポンジで流しを掃除し始めました。それがなかなか大がかりで、なかなか終わりそうにありませんでした。
もうそろそろ夕食の支度をはじめたいな、早く帰らないかなと私はイライラし始めてしまいました。しばらくたって、このまま黙っていたらあと1時間は居そうだと思ったので、「ありがとう、もう大丈夫だよ。そろそろ夕食も作りたいんで、もう台所あけてもらっていいかな」と母に言いました。母は、「わかった」といいながらもなんとなく不機嫌そうに帰っていきました。母が30分くらい家にいただけなのに、私は気分がドーンと落ち込んで、泣きそうになりました。

そして、夕食を食べ終わり、お風呂でひとりになったとき、無性に泣けてきました。
この気持ちは、まだONSAとつながる前の感覚に近いと感じました。この日の昼間はひとりで平和にペイフォワードを書いていたのに、母の登場によって一気に4年半前に引き戻されました。
母はまだ私にとって、こんなに影響力があるんだと、ショックでした。

母が家を訪れるまでは、実家と距離が近くてもなんとかやっていけると思っていましたが、そう甘くはない気もしてきました。
かと言って、今すぐに何とかはできないので、様子を見ながらやっていくしかないですね。
こういうことがあると、本当に落ち込みます。
何で私はまたこんなことに巻き込まれなければならないの! と怒りと悲しみが湧いてきます。
もう父とも母とも関係の無いところに行ってしまいたいです。


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親とお金の関係

父は、趣味でアルトサックスを吹いていて、始めは20万円の物を使っていたのが、次に40万円のものに買い換えていました。そのほかに、家にはギターが2本、エレクトーンが1台ありました。
私は、ピアノを習っている友達がうらやましくて、私も習ってみたいと言ったけれど、音楽の習い事は、お金がかかるからか、させてもらえませんでした。ピアノを置く場所も無いくらい家が狭かったのもあるとは思いますが。また、楽器を父が教えてくれるということもありませんでした。なので、私は楽器全般が苦手です。音符も読めません。歌うのは少し得意でした。

父は、良いものが好きでした。そして、他人からの評価の高い物に価値を見いだしていたように思います。アマゾンなら☆5つのような。
アルトサックスもそうですが、テレビやオーディオは SONY、球団は巨人、新聞は朝日…のような万人に受け入れられやすくて、安心感のあるブランドものが好きだったように思います。

父は、高い物は買うけれど、自分の必要な物だけを厳選して買うという感じでした。
それでも、妹が吹奏楽部に入るからと、何十万もするクラリネットを買ってしまったこともありました。
そのクラリネットは有名なメーカーのものだったらしいのですが、妹は、吹奏楽部に1年もいなかったので、ものすごく無駄な買い物だなと思いました。妹曰く「唇が痛いので、私にクラリネットは向いていない。練習が大変すぎて疲れる」ということでした。
私も楽器はできないので、誰にも活用されることなく、今も実家の押入のどこかに眠っていると思います。妹はそういうことを平気で悪びれずにやります。高校時代は剣道部に入って、道着と道具一式を買ってもらったのに、「竹刀でたたかれると痛い」と、それも辞めてしまいました。
私は高校までラケット1本しか買ってもらわなかったのに、この格差は何なんだ! と当時は怒っていました。

父はテニスも趣味で、私が軟式テニス部に入るときはラケットを買ってくれました。
私はそれを長いこと使いました。
父は、自分の興味のあることや、長く使えそうな物にはお金を出すのかなと思います。

あるとき、父は、高そうな電子辞書を買ってきたこともありました。けれど、少し使って、そのあと使っているところを見ていません。あれはどこへ行ったのだろうか…。
ワープロも買っていましたが、あまり使っているのを見たことが無く、私が絵を描いたりして遊んでいました。

父は持ち物がものすごく少なかったです。仕事に着ていくスーツと小物を入れる引き出し、タンス2段分くらいの衣類しかありませんでした。
もしかしたら、ここは自分の居場所じゃない、オレはいつでも出ていけると思っていたのかなと想像してしまいます。

浮気をして長期間家を留守にしたこともあったので、そういったことをするために結構なお金がかかっているはずです。

そしてとうとう、父は家を出て自分の為にマンションの部屋を買いました。
退職金でローンの残りを全て支払ったようですが、老後のお金はどうするんだろうと思ってしまいます。
父は地方公務員で、60歳で一度退職し、再雇用でまた働いています。70歳を過ぎてもやる気さえあれば働き口があるようなので、気持ち的には余裕なのでしょうか。母も同じ職種なので、仕事を失わない限り生きていけると思っているのかも知れません。

それから、父はお酒をたくさん飲んでいたし、何かというとスナックに行っていたので、酒代もばかにならなかったはずです。
スナックの雰囲気やアルコールの、「フワッ」と気分を上げてくれるものが父には必要不可欠だったようです。

父は年に何度も奈良へ一人で旅行をしていました。どうやら、奈良学文化講座というのに参加していたようです。


母は、浪費家でした。雑誌などをたくさん買ってくるものの整理が苦手で捨てられないので、それが椅子やテーブルの上に積みあがり、下手にさわると雪崩を起こすこともありました。
物を持たない父とは対照的で、父が部屋が散らかっていることにイライラして爆発するのは、いつものことでした。

母の買い物は場当たり的で、いいなと思うとつい買ってしまうようです。
母は、私が一人暮らしをしたくらいの頃から、スタイリストについてもらって洋服を買いに行っていました。私も一緒について行ったことがあるのですが、スタイリストの先生が「これ似合うわよ」と言った物は、「じゃあ、買います」とポンポン買ってしまっていて、お金の使いすぎじゃないかと、見ていて不安になりました。また、その先生には謝礼と交通費と先生のお昼ご飯代を支払っていて、私は一緒にお昼ご飯を食べながらもモヤモヤ~っとした嫌な気分に包まれていました。
母は、今でもそれを続けているようです。
その先生は、センスはそこそこいいとは思うのですが、今は仕事が減って、母は「私が養っているみたい」とグチをこぼしていました。

私も就職したての頃は、母と一緒にその先生に洋服を見立ててもらっていて、1シーズンに10万円以上洋服代に当てていたこともありました。
私は、数回それをやったあと、「お金が続かないので、次からはもう行かないことにする」と、一緒に行くのは止めました。
私はそれまで、母と買い物に行って、母にお伺いを立ててから購入を決めていました。
母は、私が自分で服を買ってくると、必ず批判をしました。
私はそれが嫌だったけれど、自分はどれが欲しいのかもわかりませんでした。母の言うことは絶対で、逆らうと恐ろしいことが起こると信じていました。
今はだいぶ母とは距離が離れ、母はもう私の服装には何も口出ししません。

また以前、母とネイルサロンに一緒に行っていた時期もあったのですが、行く度に母がお昼ご飯をごちそうしてくれて、ありがたかったけど、私はそんな母との時間が楽しく感じられませんでした。そんなことを思う自分を責め、そう思わせる母にせつなさを感じました。なぜか苦しかったです。
今は誘われても母と買い物には行きません。

母は、私が小学生の頃宝塚にはまり、友達と誘い合って通い詰めていました。それが今でも続いています。
私も母の影響で一時期かなりハマりましたが、今はもう観ていません。
また、母は占いにも凝っていて、占いの先生をカウンセラーのように頼っていました。父が浮気相手のところに住んでいて不在だった頃からそれは始まりました。今でも細々と続いているようです。母は、「行くたびに料金が上がる」と文句を言っていました。

母の使ったお金は膨大だったようで、貯金の半分ほどを使ってしまったようでした。父が母に「預けていた」と思っていたお金を、母は「父がくれた」と思っていて、それを湯水のごとく使い込んでしまい、父と大喧嘩になったようです。

それから母は、私が小さい頃から、食材には気を使っていて、無農薬野菜の宅配を頼んでいました。
母は、私が専門学校生で妹が高校生の頃がいちばんお金のやりくりが大変だったと言っていました。
そんな頃も高い食材を買うことは止めませんでした。良い食事をしていれば、この家の問題が全て良くなる、食べ物が悪いと人は精神を病むと本気で思っているようなところがあります。

母が高そうな美顔器と化粧品を買ったこともありました。それが母の肌には合わなかったようで、顔が真っ赤に腫れ上がっていきました。母はそれを、「毒素がでているだけだから、もう少ししたら直るはず!」と言っていました。


母は、私に「お金が無い!」と言っていたけれど、上に書いたような無駄を無くせば、かなり余裕のある生活ができたのではないかと思います。
私を大学に行かせるくらいのお金も作れたのではないだろうか。
私の両親は、子どもの将来より自分たちの目先の欲求の方が重要だったんだなと思う。
そのお金は両親が稼いだものだから、両親のものだけど、何かくやしい。

両親は、自分の趣味や好きなことにはお金を出すけれど、自分に興味の無いことには出し渋る傾向がありました。
特に、お金の援助、現金を渡すということにすごく抵抗を感じていたように思います。
結婚式でも、「あんたの保険を解約したからそのお金を渡すね」といって、そのお金をもらいました。周りの友達の話を聞いていると悲しくなるような少額でした…。
その保険で、以前母は、保険のセールスマンの勧めにしたがって預け換えをして損を出してしまったことがあったようです。両親がそのことでケンカをしていたときに、もれ聞きました。

今の実家のマンションを買うのを決めたのも母で、50数平米のマンションで、子ども部屋になりそうな部屋が4畳半一部屋しかなく、将来手狭になることは想像すれば分かるはずなのに、「あの場所が気に入ったから」と、購入を決めてしまうところなど、将来を思い描けない人なのかなと思う。


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私は、両親を見ていて、夫婦円満がいちばんの節約になるということを感じました。浮気や別居、憂さ晴らしの買い物など、夫婦仲が悪いとお金がかかるんだなと思っています。


私と両親のお金遣いの似ているところは、

  • – 私は何かを買うなら本物で良いものが欲しくなってしまう。良い物を使うのは長持ちするものを選ぶことでもあるけれど、良い物を使うことで、生活の質が上がったような気分を味わえるからというのもあると思う。
    また、ネットで安い物を探して買うよりは、信頼できる店で定価で買う方が価値を感じる傾向がある。父、母にも同じ傾向があった。
  • – 私は、良い精神は良い食事から! と、急にマクロビオティックを始めようとするなど、極端な行動にでてしまい、材料を揃えたり道具を揃えたりして、予算がオーバーしがちになる。けれど、あれこれ揃えても結局面倒でやめてしまう。
    マクロビオティックの通信講座に申し込んでから早6年、一度も教材を開いていない…。母もこういうところがあったな。
  • – 私は贅沢をしているつもりがないのに、少し高い食材やお菓子を買ったり、外食をしたりしてお金が出ていってしまうことが多い。良いものを食べることで自分の価値を上げたいと思ってしまう。
    食べているもので人を判断したり、決めつけたりするのは母と似ている。母はよく、「あんた、そんなもん食べてるから病気になるんだよ」「子どもにはもっといいものを食べさせないと!」と私に言っていた。私が月の食費がなかなか減らせないのは、このあたりのことも関係していそうだと思う。
  • – 私には、価格の高い物は良いものだという意識がある。
    つい、家電は最新の上位機種にばかり目が行く。それがいくら高かろうと、たとえ使わない機能ばかりであろうと、下位の安くて性能の劣る機種では満足できないと感じてしまう。更に、中古はよほどのことが無い限り、選ばない。
    これは父の影響を受けていると思う。
  • – 私は、自分に肯定的なストロークを与える習慣が無いので、物で紛らわせようとすることが多い。
    父は、アルコールやスナック通い、浮気。母は洋服や宝塚、雑誌など。私は、ハウツー本や雑誌を買うこと、舞台を観るのにお金をかけすぎることがやめられなかった。
  • – 私は、学ぶことにお金をかける。けれど、通信講座は投げ出しがち。
    家には母が投げ捨てた通信講座の残骸がゴロゴロあった。私も、通信講座は終えられた試しがない。でも、懲りずに何度も挑戦しては、結構まとまったお金が出ていってしまう。
  • – 私は、自分を変えてくれる何かを探し求めている。
    母は美顔器、洋服。父は電子辞書やワープロ、アルトサックス。私はエステと化粧品、数々の通信講座など。手っ取り早く物を得ることで自分の価値を上げようとする。
  • – 私は、舞台やジャズコンサートなど、エンターテインメントにお金をかけていた。素敵な踊りや衣装やセットを見ていると、自分の人生が彩られたように、一瞬気分が持ち上がる。そういうものが好きだった。今はもう、たくさん観過ぎてお腹一杯だし、それを観に行く時間も惜しい。
    私の舞台好きは、小学6年生の頃、母に宝塚に連れて行ってもらったことを発端としている。キラキラした舞台を観ていると、生活の嫌なことを忘れられ、数日ハイな気分でいられた。
  • – 私は、よく考えずにひらめきで投資などに手を出して損をしてしまう。相手の口車に乗ってお金を取られる。株式投資やキャッチセールスにかなりまとまったお金を投じてしまった過去がある。母は保険、父も何か知らないけれど、何かやっていた。
  • – 私は、人との触れ合いにお金をかけすぎる。友達と定期的に行く食事会や整体や鍼灸、合わないと気付いているカウンセラーとの面談などにお金をかけてしまう。
    母はスタイリストの先生との買い物、占い、友達と行く舞台など。父はスナック通いと浮気。
    母は、スタイリストの先生や占いの先生の文句を言いながらも離れられていない。
    私も整体師さんや、以前通っていたカウンセラーさんなど、一度関係を持つと離れられないような気がしてしまう時がある。ずるずる通い続けてその分のお金を失ってしまう。
    父の浮気相手って、いったい何人だったのだろうと思います。一人の人とずっと付き合っていたのか、今も付き合っているのか、実は一緒に住んでいたりして…あー嫌だ。私には関係のない世界へ行ってほしい。
  • – 私は、生活が毎月予算内に収まっていないのに、毎月寄付をしていた。
    昨年、よく考えた末、寄付をやめた。自分の生活も回っていない今は、するべき時ではないかもと思った。私が昔読んだお金の本に、「あなたがまだ若くて、月の収入が少なかったとしても、年に1パーセントは寄付をしよう。それは回りまわって自分にかえってくる。」というのを本で読んで、素直に実践していた。寄付をやめると電話した時に、「7年間ありがとうございました。」と言われ、7年も続けていたのか! と驚いた。
    母は、よくユニセフなどに寄付をしていて、その影響もあると思う。
    私は、寄付はしたほうけれど、やっぱり、月の貯金を切り崩してまでするものではないと、今の時点では思うようになっている。

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ワークショップ中は、原家族とのお金の関係について、あまりピンと来ない部分があったけれど、こうして書き出してみると生き写しだ! と思いました。私はいつでもこういったことに引っ張られる可能性があるということなだと気が付きました。心当たりがありすぎて恐いです。
こんなことに囚われて、お金も時間も失ってしまうなんて悔しすぎる。そして、実際たくさん失ってしまったことも実感しています。すごくもったいないお金と時間の使い方をしてきてしまいました。今回、気付いたことを意識して、これからの時間を過ごしてみようと思います。


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私がこのワークショップに参加したのは、いつも月の予算を2~3万円オーバーしてしまうのをなんとかしたかったのと、これから再就職する際の自立の方法について知りたかったからでした。でも、まずは基礎のこと、基礎となる心構えと意識改革が必要なのだなと思いました。
お金の記録は付けていてとても楽しかったです。私には、ワークシートのシンプルな形式が合っていたようです。私はどうしてもパソコンを開くとネットサーフィンを始めてしまうので、これからも手書きで記録を取り続けていこうと思います。


お金の記録を付けてみて、私は大きく無駄遣いはしていないけれど、ちょこちょこ買ってしまう甘いスイーツやパン、ご褒美のケーキなどにお金を遣ってしまっていることに気が付きました。私は私の寂しい心を紛らわすためにそれらを利用していました。

最近思うのは、お菓子は食べても食べても満足感が無いものだなということと、食べたあとに胃もたれなど嫌な気分が残るなということ、私はそんなにお菓子やスイーツを欲していないのではないか、ということでした。
それより私が欲しいのは、肯定的なストロークだったようです。
私は今まで、それを他人から得ようとして失敗し続けてきたので、これからは自分で自分を認めていこうと決めました。
この数日間、「大丈夫。私は良くやっているよ」と自分にいたわりの気持ちを持つようになりました。そしてお店でお菓子を手に取りそうになったら少し立ち止まって考え、コンビニにはなるべく近寄らないようにしながら過ごしています。

これから、少しずつでもお金が予算内に収まるように修正していけたらいいなと思います。
そして、予算内よりさらに少し支出を減らして、満足の遅延口座に入金できたらいいなと思います。ワークショップ中に申告したDO/HAVEの額を減らしても、まだ我が家の月の予算からは赤字なので…。
これは毎日記録を取り続けて、地道に軌道修正していくしかないですね。

私は今まで、自分の為に満足の遅延をするというよりは、将来の不安から仕方なく買いたいものを我慢するという感じだったので、苦しみばかりで楽しくありませんでした。
今、お金と自立についての心構えが変わって、この考え方なら楽しみながらやっていけそうだなと思っています。
私のお金漏れ対策も、今10個くらい考えました。これは、つねにメモを持って見返していきたいと思います。


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この秋、「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」と「お金と自立のワークショップ」に参加してみて、私には社会で生きていくためのスキルは普通にあると感じました。今まで、私は何もかもダメで、何もまともにできないと感じていたので、これは大きな発見でした。そして、私が生きにくいのは、共依存症だからだなのだ! と、あらためて気が付かされました。

今回、お金を通して私の考え方や行動のパターンを見てみることで、私と依存症との関係がくっきりわかりました。私がまた懲りずにやってしまっていることにも気付けました。

このワークショップに参加して、「私は、もう病気なんだ」と良い意味で腹をくくれました。
私の足場はすごく不安定だし、私は、自分が油断ならないと感じます。このまま放っておけば、いつか破滅を引き起こすのではないかと警戒もしています。

なので、今の私に必要なのは、自分に集中すること、自分重心でいること。
私はこれを何としてでも身につけなければならないと感じました。
そのために、自分で自分に肯定的なストロークを与えること、自分に温かな気持ちで接すること、それらを通して、信頼を満たしていくことが必要だと感じました。
そして、いちばん重要なのは、他人に自分を満たしてもらおうとする気持ちから脱することです。

今まで私は、私が私を満たすなんて無理! だと思っていました。だから、足りない分を他人から奪ってでも得てやる! もらえないなら引きこもる、と無意識に行動してしまっていました。
私は、それをもうやめたいです。
他人から何かを満たしてもらいたいという誘惑から、意識的に離れます。またやってると気付いたら、気付いた自分を褒めて冷静になって、私は自分で自分を満たすんだった! と思い出していきます。
そして、誰かに寄りかからずひとりで立っていられる自立した人になりたいです。

もう使ってしまったお金や時間は戻ってこないけれど、私がこれからの将来に、大きくお金を失わないためにも、今参加できてよかったです。


当日優月さんに言いそびれてしまったので、ここでお礼を言いたいです。
「今日、ここに来られて良かったです。ありがとうございました。」
クラスをご一緒した方々、
「皆さんと一緒にワークができてよかったです。ありがとう。」
スタッフの皆さま、
「いつもお世話になっております。安全を保っていただいて、ありがとうございます。これからもお願いいたします!」

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。




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A. Y. さん(30代/東京都よりご参加) これっとクラス





「お金と自立のワークショップ」は私にとって、「目が覚める」ワークショップでした。

クラス当日、本題に入ってほんの数行目の優月さん言葉で、「ブワッ!」と目が覚め、そのあとも、いくつかの目が覚める言葉が、私の中心にダイレクトに飛び込んできました。
それは、パンチを食らったり、体を揺さぶられて嫌々起こされるというよりは、私が持っている力で起こさせてくれたという感じで、自らの力で自然と目が覚める、という感じでした。

ワークショップ・クラス前後の私の『未来日記』は、自分のその変化をすごく分かりやすく表していて、ワークショップ・クラス前は、「誰がこうした、あの人がこういった、ぐるぐる」、「もしあれがこうなったら、ふわふわ、ふにゃふにゃ」といった内容で埋まっていたのですが、ワークショップ・クラス後の私の『未来日記』は「(ビシッ!)生きる!」と自分の中心が律された様子の内容に変わりました。

例にとれば、ワークショップ・クラス翌日の私の『未来日記』の一行目は、「決意する」です。とても、わかりやすいです(笑)。
気持ちと連動したこの言葉の変化はとても大きな変化だと思います。
自分一人では容易にできないと思いました。


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今回、私の中で魔法の言葉になった言葉があります。

「それは、私を豊かにする活動?」

この言葉、私にとってとても効く言葉になっています。
心の中で自分に問いかけると、「パッ」と気持ちを切り替えて自分に集中できます。

今までも「自分に集中」と心がけていましたが、なかなかうまくできなくて、難しさを感じていました。
今思うと、それは、他人を優先することを、どうにもこうにも止められなかったからだと思います。
他人の重心に乗りきっていて、そこから離れることに難しさを覚えていた気がします。

けど、この言葉にすると、目的は一緒だけど、重心が自分始まりだと感じます。
始まりが自分だからか、とても切り替えやすいです。
とても潔く「バサッ」と切り離せます。
やっぱり自分が一番大事です。

仕事場で、「あの人が…」と考え始めたら、この魔法の言葉を自分に問いかけ、自分に戻り、「数分間の取り戻し」を積み重ねています。
「数分の収入」です。
一日の終わりの気持ちが前よりも「自分重心」で終わっていて、「一日を生きた! よし!」と、自分と確かめ合う気持ちになりました。


自分にとってこのコースは少し早いテーマなのかな? と思っていましたが、分からない、ピンとこないながらも参加して良かったです。
いつ始めても、一番始めは大体そんなとこからなんだと思います。
それに、今の私にとって必要なこともちゃんとそこにはあって、私は今の自分に必要な分を持ち帰ればいいんだと思いました。
気負わず、飛び込んだ自分の勇気に、満点です。

今回1年分くらいの宿題をもらったと思うので、それを元に来年秋までの時間を丁寧に過ごしたいと思います。
どれも私の「命」に関わること。
そしてその私の命を守るのは私です。

一つ一つ消化し、コツコツ進んでいきたいと思います。
小さな達成の積み重ねです。




タイトルはじまり目印

A. I. さん(40代以上/愛知県よりご参加) これっとクラス





「お金と自立のワークショップ」に参加して本当によかったと思う。
いくつもの大切なギフトを得ることができた。
自立もお金も、ワークショップ・クラスが終わる時には怖いものではなくなり、感想にもあったけど、私にとってもそれは好きなもの、味方のものになった。

最初に「私たちの親は、私たちが自立できるように、自分で生きていけるように育てなかった」と聞いてハッとした。
それは本当に心の中に入ってきて、ああそういうことだったのかと腑に落ちた。そうだ、思い返したら、両親ともそういう風に私を育てなかった、むしろ、彼らの気分の面倒を見てくれるのに都合のいい子に育てられた、とはっきり分かった。
それがわかっただけで何かすごく納得して次に進めた。

そして、自立とお金はつながっていることが明確に理解できた。
私は、「私はこういうことがしたいから、こういう仕事についてこれだけのお金を貯めて、いつ頃に実現させたい」と考えて人生を送っていない。その生き方はよくわかるし手が届きそうな気もするけど、今実際の現実の私は、そこから遠く離れていることも実感した。

そういうのがないから、そういう生き方をしていないから、私の時間の使い方も、仕事の仕方も、お金の使い方も、主にだんなさん、そして他人の目を意識していることが、ワークから、目に見えてありありと分かった。
本当にお金と時間と自立はすべてきれいにつながっていた。

いまの私の習慣は、原家族から受け継いだものだということを、今回初めて認識できたが、どうしていままでこれがわからなかったんだろう。
私のお金の使い方で一番大きな問題は、貯金による満足の遅延をして、自分の生活に安心感をもたらすこと、また現実的に何かあったときのためのお金をいくらか用意しておいて、現実の自分の生活を守るということへの、習慣も発想も意識もないことだった。

これが、両親から受け継いだものだって、なぜ認識できずに来たんだろう、そして、それが全くの不健康な生き方であることも、どうして今までわからなかったんだろう。
それが「病気」ということなんだろう。
もっと考えていくと、その「生活に安心感をもたらすことができない」両親の生き方の根底には、「どうせ自分たちに幸せな未来なんかない」という感情があった。だから、彼らはいつも、自分のためになることはせず、自分たちが苦しい状況にとどまり、不幸に居続けた。
そのさらに根底には、「いつか誰かが助けてくれる」という考えが確かにあった。母なんかもっと明確にそれを言葉にしていた。

これはまさに
共依存!!!
何回もクラスのなかで藤沢さんの言葉にあったことだ、
「いつか誰かがなんとかしてくれる」
これを受け継ぎ、疑いもしない私も、まさに共依存だ。

自分のモヤモヤや、何かおかしいという違和感があっても、具体的に対処するのが遅く、まるで他人の人生のような気がする。
くるしいけど、いつか別のところで私の人生が展開する、もしくは「もういいや…」。

そういう、幸福な自分の人生への諦めというか、放棄、それもしっかり両親をなぞっていることに気づいた。

洗い出したらきりがないくらいだ。
だから、私はこうしたい、だからそのために…と考えたときにすぐさま出てくる「でもどうせ未来なんかない・私は生きてくのに疲れちゃった」という感情に、負けてはいけないとおもう。

とても苦しいけど、それはそもそも、健康な感情ではないんだ。
それを越えてそれでも私の幸せな人生のために今ここでできること探し、やり始めることに、お金、時間の使い方が付いてきて、それが自立…自分で自分の人生を守り、進めていくことが始まって行くんだと、いま、ワークから数日たっておもっている。


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話が前後するけど、私は、自分の状態に危機感をあまり抱けていないこと、当事者意識が低いことも改めて知り、本当にその時はガッカリして言葉もなく、ひたすら猛烈な頭痛に耐えながらクラスにしがみついていた。目標が出てこなくて、一番重要で至急の目標であるはずの、だんなさんから離れる、さえ出てこなくて、あのときはみんなの目標を聞きながら泣きそうだった。

どんなにひどいストレスや精神的暴力に晒されても、まだそこから逃げれない、どこか自分のことではない気がする。
それを乗り越えられず繰り返して、どんどん疲れてエネルギーもなくなりかけてる、それを自覚したことも、大きなギフトだった。

そして、私は満足の遅延ができず、買い散らかすわけではないが、我慢して貯金することができない。
それは子どもの頃得られなかった、欲しいものを買えない不自由とか、不当な我慢を強いられることへの復讐心でいっぱいだったからだったが、今貯金をすることで当時得られなかった生活の安心を自分に与えられるということを藤沢さんが言った時に、ほんとうにほろほろと涙がでた。

ああそうか、私は生活に安心感をとても求めていたんだと、本当に初めて思った。
初めて、初めて思った。
そしてもう我慢せず買うことや復讐はいらなくなった。


それから、私は、私自身がほぼ9割方原家族のコピーをしていることが分かった。
これは、本当に重大なことだった。
生活に安心感をもたらす行動ができないのは、きれいそっくり私の両親の生き方だった。

それで両親は幸せですか? と聞かれて、即座に首を振った。
自覚がないけど、このままいくと私も同じ運命だ、あたり前だ、同じことをしているのだから。
苦しい、苦しい、どうやったらもっとそれに自覚的になれる? 現実的な危機感をもてる?


私は、回復を「する」ということは、自分が原家族をコピーしていることを知り、それが不健康だと自覚し、そして、それを手放して健康なスキルを実際に身につけることを、習慣化するまで「やる」ことだと、思った。
長く回復に取り組んできたけど、やっと「共依存」がなんなのか、回復を「する」ことはどういうことなのかが分かった。

まだクラスが終わり数日しかたっていないが、具体的に教えてもらったことを実行している。
これがほんとうに私を救ってくれるのか、いまの私には古い習慣の方が慣れているからまだ実感ができない。

でも、でも、続ける。
続けてみて初めてわかるはずだ、やらなかった時と比べて。

そしてそれが自分の人生を自分で守り歩いていることだって。
まだ習慣にもできてないうちからなにも決めつけれはしない。
絶対に「ああ、私、両親とは違う生き方をして、違う人生を歩んでる。地に足がついてる。この生き方の方が気持ちがいい。あれはなんて悪い夢のなかにいたんだろう!」と思える日がくるまで、習ってきた健康な具体的なスキルを続ける。


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なんか、レポートみたいになったけど、私が1日ほんとにお葬式みたいな暗い顔と頭痛で、でも精一杯しがみついて得てきたことを、絶対に忘れたくないから、読み返してもはっきりわかるように書き残しておくね。

いっぱい私のことを知ろう。
そして、健康な方法を、習慣になるまでやろう、やり続けるよ、かならず。

これが悪い夢だって思うから、こんなので一生終わりたくないから。
私にも、地に足をつけて私のために生きることができるから。

そしてね、私には未来なんてない、って骨の髄までしみ込んでしまった両親の悲しい生き方に気づいたのだから、私はそれを手放してゆこう。
気づけた勇気を讃え、感謝するよ。

それは、両親の生き方だった、そして「私の生き方ではない」。

私は両親のコピーでも、両親のおもちゃでもないのだから、私は私が心地よく幸せな考え方を選んでいいし、選ばなくてはいけないよね。
私は、両親とは別の命を持った1人の人間だから。
私は、私なのだから。
もう、彼らに気を使わなくていいんだよ。彼らと違うことをしても何も罪悪感を感じることはない。

それさえもきっと両親の悪習慣の受け継ぎ。
自分を押し殺して親戚を養い続けて破産してしまった両親の受け継ぎ。

私は、そこから学ぼう。
同じ苦しみを味合わないように。


クラスでご一緒させていただいた皆さんありがとうございました。
お名前を覚える余裕も、話しかける余裕も全くなく、私、笑顔さえなかった気がしますが、つないだ手が温かだったことはこころに深く残りました。
ほんとに温かだったです。
ありがとうございました。




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Y. O. さん(30代/和歌山県よりご参加) これっとクラス





藤沢さん、これっとクラスに、参加された皆さん、先日はありがとうございました。

当日は、本当に次々と、今まで目を向けられなかったり、曖昧にしてきた事を、目の当たりにして、途中で、手が震える感じがしたり、動機がしてきたりして、精神的にも、身体の面でも、一杯一杯になりました。
それ程、今まで向き合うことが、怖かったことなのだろうと思います。

特に後半のワークの、BE と DO/HAVE の違いが自分の中ではっきりしなかったりして、その為か、私は、時間とお金をあまり、他の人へは使っていないのかも…等と思っていたのですが、終盤に差し掛かった頃、自分の中での BE のつもりの物は、BE ではなく、やはり、人からどう見られたいのか、ということに繋がっているのだということを感じてきました。

私は最近、スキンケアに興味があって、そこに、お金をかけていたのですが、自分が、興味があって、ワクワクするものは、私が心から欲しくて、嬉しいのだから、自分の為に、良いお金の使い方をしてきている、等と思っていたのですが、少し違っていたのかも…と思えてきました。

それまでは、私は、自分の好きなもの、自分の感覚がいいと思うもの、ワクワクするものさえ、よくわからなかったので、最近少しずつ、自分の好きなものが、わかるようになって、嬉しくなっていたのですが、そのお金の使い方は、人から良く見られたいということの、気持ちの表れなのかもしれないな、とも感じました。

また、そういった買い物の仕方で、自分の気分を良くさせることに、お金を遣って、自分を現実から、マヒさせていたのかもしれない、とも感じました。自分を自立から遠ざけているという事なのではないかと思います。

自分の好きなもの、ワクワクするものを感じて、大切にすることは続けていきたいことですが、それが現実逃避になっていないか、自分の本当の目標や、望みの為になるのか、優先順位を、落ち着いて、その度、考えられるようにしていきたいと思います。
方向を間違えてしまいそうになっていました。

藤沢さんの、お話の中にあった、回復とは、具体的に、外側も変化することだという話は、私の思っていた回復のイメージとは、違っていて、驚きでした。
私は、都合よく、依存した部分を残しながら、自分の人生を良くできるし、回復できる、と考えていたのかも知れません。
多分そうなのだと思います。

次々と出てくる、私にとっての、新しい発想や、知識に、頭がついていかず、クラスの皆さんの発言を元に、こんがらがった考えを、ほどいていくと、少しずつ、わかってくることもありました。


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コミュニケーションルームでも書かせて頂いたことですが、自分の価値をお金で証明しようとしない、と言うことについて、私は、人は持ち物や、見た目ではわからないもの、と家族から道徳的に教えられて、そういう考えは持ってはいけないと思っていて、考えの表には現れづらいのですが、やっぱり、外側の事に注目してしまう、自分がいるのがわかります。

多分、私に、そう教えたはずの家族も同じで、口では、価値は、外側のことではわからない、と言うけれど、権威や肩書、目に見えるもので、判断している部分が大きいと思います。私の家族の中では、本当は思っていることを、そう思うべきではない、という考えで、覆い隠されていることが多くて、私の心は、まだまだ複雑に、問題を見えづらくしているのだな、と思いました。

まだ、理解できていないことも沢山あると思いますが、今回、お金と自立について、向き合えたことに、自分を褒めたいです。そして、自立すると決意することについて、また、心がそこから離れて、ぐらついてしまうのではないか、と不安にもなりますが、私は、私の為になることを、選んでいきたいし、自分の人生に積み重ねられることを、してきたいと思っている、この思いを本当に大切にして、これからのことを変えていきたいと思います。

まずは、アフターワークに取り組みたいと思います。
藤沢さんの、我慢は美徳ではない、と言う言葉が心に残っています。自分の為にならない我慢や、自分を大切にできなくする我慢を手放していけるようになりたいです。




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N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) これっとクラス





優月さん、ワークショップ・クラスに参加されたみなさんお疲れ様でした。
ありがとうございました。

お金の事とこんなに真剣に向き合ったことはなかったと思いますが、ワークショップの課題を自分なりにやったと感じるまでこなす事は今回もできませんでした。
が、今回のワークショップで、共依存とお金と時間がこんなにもガッツリ絡み合ってる事に、恐ろしくなりました。


知識として、自立をする事が必須と分かりました。
何度も何度も聞いた共依存から脱することの大切さ。
わかったふりは私の得意分野。
なんで真剣になれないんだろう。
人生をどうして甘く見てしまうんだろう。
病気だからなんですね。

病気を治してからじゃないと、新しい事を始めてもうまくいかないだろう。この感覚は本物な気がします。
片手間で出来る問題じゃないから、しっかりと向き合いたいと思います。
過去にも戻れないし、未来にも行けない。


私が悪い訳ではなく、私の悪い癖です。
見たくなかったけど、しっかりと向き合わなければならない事に、今回も気付かされました。

なんとなくこのまま回復をすれば、うまくいきそう。中途半端で、結局ズルズル長引いてしまってるんだなぁと思います。


こうした方がいいと言われると、なぜかそれとは違うオリジナルな方法を試したくなる癖があります。
私はみんなとは違うのよって、なぜか思ってしまいます。
本当に向き合わなければならない事は、どこか外側にあるのではなく、いつでも私自身の中にあって、それを癒さない限り進んだと思っても逆戻りしてしまって同じところをぐるぐるしていることにようやく気がついた気がします。

本当には自分の家族のことと向き合いたくなかったのが、今回も露わになって、あ~~って叫びたくなりました。

でもいつも今ここから、前向きに進むより方法はないんですね。


回復を優先させる事、共依存を治すことに全力で向き合ってみます。
病気と言われるとすごくピンと来ます。
いくら私は大丈夫と言っても、結局は病気のもと=共依存に向き合わなければ、それはまた時間をロスすることになるからですね。

重いテーマに向き合った自分に本当にお疲れ様と褒めてあげたいなと思います。




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K. M. さん(30代/長野県よりご参加) これっとクラス





ここ数年、ずっと悩みの種となっていたお金について、そして自立について、じっくり向き合う場を用意してくださり、ありがとうございました。

気持ちの面でどうにかしないといけないことも多い私ですが、同じくらい物理的な改善も必要としているので、待ってました! というテーマでした。

その反面、とても混乱していて向き合いづらいテーマでもあったので、聞いていても心がうっとなって固まってしまったり、頭がこれ以上考えることを拒否したりしようとするので、「今、ここ」に集中することが大変でした。
だから、グループワークで良かったです。

私が言葉にならずに困っている部分を他の方が言葉にしてくださったり、似たような状況や参考になる状況をシェアしてくださったことで、よろよろながらも学びを深めることができました。
参加者の皆さん、ありがとうございました。


私も、本当によく粘ったね。
偉かったよ。
今回、とても気分や体調が落ちている時期でしたが、がんばって会場まで行けた自分を褒めます。
行って良かったです。

ショックを受けたことがたくさんあり、じゃあどんなことを意識してこれからやっていったらいいかのヒントもたくさん見つかったので、実りの多い時間になりました。

後は、私がそれらを実行に移せるかどうかだと思います。
そこが一番の難関です。


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ショックを受けたことの1つでもあるのですが、私は相変わらず、不安だらけで自分で決められない人でした。
自分のニーズが分からず、自分の決断に自信が持てません。
そして、それらは共依存から来るのだと、改めて突きつけられました。

そのことが、お金の使い方にも大きく影響していました。
時間の使い方にも、大きく影響していました。

分かったのだから、次にやることは「変えていく」ことなのですが…。

ワークショップ・クラスを終え、現実に帰れば、やはりぐらぐらしてしまいます。
欲しい物は大抵自分の本質とは関係の無いものですし、今はまだ我慢ができているけど、満足の遅延からは程遠い精神状態です。
自分の安心のためにお金を取っておくことが出来ていません。

一朝一夕に変わることは難しそうだけど、諦めずに粘るしかないなと思っています。
本当にそれは必要? 私を豊かにする? としつこく問いかけて、正直な気持ちに従おうと思います。

と同時に、やっぱり心のケアも続けていかなければいけないな、と痛感しました。カウンセリングやクリニックの予約を入れて、そちらも少しずつ進めていこうと動いています。


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苦しい日々ですが、ワークショップ以降意識できていることもいくつかあります。

ひとつ目は、「自分の時給を薄めない」ということです。
残業をしないようにがんばっています。
その分、仕事中は意識を集中させようとしています。

ふたつ目は、「記録をちゃんとつける」ことです。
エクセルで、とりあえずの家計簿もどきを作ってみました。
やってみて改善していく必要がありますが、今まで市販の家計簿が面倒くさくて困っていたので、「自分に合ったやり方を自分で工夫する」というのは、目から鱗でした。
そんなことにも自分で気づけなかったのか…と正直思ってしまったのですが、
気づけて良かったよね? 実践していこうね、と思い直して、さっそく始めています。


あとは、一番の目標を早く自分の身につけたいなと思っているところです。
今回、私が自分で選んだ一番の目標は「自分を投げ出さず、怖いものに立ち向かう勇気を持つ」でした。

まだ、出来ているとは言い難いです。
相変わらず、「もう嫌だ!」と投げ出したくなることもあるし、怖くて動き出せなくなることもしょっちゅうです。

だからこそ、このアフターワーク期間を大事にします。

ひとりじゃないよスペースにこまめに顔を出し、何度も自分の目標を思い出すようにします。
皆さんそれぞれの試行錯誤を見ながら、自分のことを自分で面倒みるんだ、と思い出します。
負けそうになっても、負けても戻ってくるを繰り返して、アフターワークが終わる頃の自分が、少しでも自分に優しくなっているであろうことを信じて、しがみつき続けたいと思います。

見えてくれば見えてくるほどしんどい状況ですが、先を行く優月さんのように、「人生を楽しむ」が目標に出来る日を目指して、何とか歩き続けたいです。

この度は本当に、お世話になりました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。