H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) ちょうしゅうひクラス
S ちゃん(自分)へ
「春の大勉強 & 大準備会」「ちょうしゅうひクラス」への参加、おつかれさま!
まさか泣くとは思っていなかったし、あれほど重量があるとは思っていなくて、本当にしんどくて疲れたけど、S ちゃん、最後まで本当によく頑張りました!!
ワークショップ・クラスを終えたあとすぐは、頭のなかで沈殿し淀んでいた迷いや考え、想いなどがワッシャーと撹拌されて、川の水が泥で濁ったみたいに
「前が見えん! これからどうしたいか、余計に分からんくなった!!」
と頭を抱え込んでしまっていたね。
でも、時間が経つと濁りが落ち着いてきて、私自身も前が見えない動揺から落ち着いてきて、スノードームみたいにキラキラと降る雪の中から
「あ、これしたい。これしたほうが良さそう。」
とキラキラとした考えや希望をつかめるようになってきたね。
私のいつもの悪い、手強い考えクセで、「春の大勉強 & 大準備会」に参加すれば、進みたい方向ややりたいことがイッキに一発で明瞭になって、道が開けると思っていたみたい。
でも、進みたい方向や、やりたいことを知るには、時間もいるし、私が選んで決めて行動していくんだ、という「覚悟」も必要だと気づけてよかった。
私が私の人生の主人公なんだからね。
A. K. さん(40代以上/東京都よりご参加) ちょうしゅうひクラス
私は、これが間違いなく正しい、もしくは本物だ、というものを常に探し求めて生きてきたのかもしれない。
それが唯一安全に生きる道だと思っていたように思う。
本音を置き去りにして、ひたすら正しく、間違わないように取り組んでいたことに気付かされた。
ワークショップ・クラス中から脱水症状のような頭痛があり、終了後は胸がざわざわしていた。
私にとって本音で生きるということは、浮かび上がってきた愚痴や不満を口に出すということだった。
それを話せる人が「本音で語り合える親友」だ、と思ってきた。
けれど、そんな関係は結局疲れる。
愚痴を言う自分も好きになれず、最後には友人と距離を置いて一人になりたくなる。
これは、本音ではなく反応なのではないか。
そして、私が私の本音だと思って取ってきた態度は母にそっくりだ。
私が本音で生きていると思っていたことは、母の生き方をなぞっていただけだったのか…。
これって私がしたい生き方から遠ざかっているのでは? これは嫌だ! というクラス後の気付きがあった。
自分の足で歩んでゆくことはやっぱり甘くないと思った。
何だか、仕事で大失敗して先輩に相談したら、「自分で解決しなさい!」と突き放されてしまったような寄る辺なさを感じる。
私の「本音」って何だ?
まったくわからない。
ついついネットで「本音とは」と検索してしまう。
それくらい、今まで本音にふたをし続けてきたのかなと思う。
私が今まで本音だと思ってきたことは、母の言葉だった。
こんなに深く私の中に巣くっているとは!
私は母の言葉によって生きることから抜け出したいと強く思った。
このまま生きていくのはもうつらい。
で、これからどうしていこうか。
今、完全に行き詰まった気持ちがする。
今できることは、生活の基盤を整えることと、今まで ONSA WORKSHOP で習った基礎を復習して固めることかな。
またしても「正しくきちんと」やってしまいそうな予感がして不安だけれど、目をそらしていても解決しないし、とにかく続けることで見えてくるものもあるかもしれない。
とはいえ正直、怖いしできる気がしない……。ぐるぐる。苦しい。
私は何がしたいかがいまひとつ明確になっていないことが一番の問題かも。
このワークショップは、毎回厳しいなと思うけれど、参加できてよかった。
今、気付けてよかった。自分ひとりでは5年も10年も無自覚に過ぎていたことだろうと思うから。気付けても毎年同じことで悩んでいるような気もするけど…。
とはいえ、毎回重要なことを教わっているのだから、素直な気持ちで続けていきたい。
「ちょうしゅうひクラス」にご参加の皆さま、お疲れさまでした。
優月さん、今回もありがとうございました。
S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) ちょうしゅうひクラス
去年よりもさらに一歩核心へ、深く気付けた「春の大勉強 & 大準備会」。
プレワーク中は十分取り組めていないと自分を責める言葉が、頭にたくさん浮かびました。
そんな頭の中の声を書き出し、「十分取り組めていない」を振り返ってみました。
それが意味するところは、「全て」の「じかんのきろく」を「隅から隅まで読み直して」さらに「振り返り、気付きを得る」でした。
実際は、「じかんのきろく」を「1つずつ」「じっくり見直し」思ったことや気付きを「書き留める」…ただそれだけのことでした。
「十分取り組めなかった」ことはなく、できる範囲で十分取り組めていると捉え直しました。
人から見て量も質も完璧に…とか、だれからも文句言われないように…ではなく、この多忙な時期に時間をとって丁寧に見返すというやり方で、私は精一杯取り組んで当日を迎えました。
当日のワークからは、私はかなり相当歪んだレンズを有していること、このレンズがかなりの威力で無意識に活用されていること、その結果人や物事を歪んだレンズ越しに見ていることを自覚しました。
そして、相手の立場や相手の気持ちを第一に考えて行動するを優先してしまう癖が、自分のことをおざなりにしてしまう結果をもたらしていると実感しました。
相手が困るだろうとか困っているだろうと思い、あれもこれもと担ってしまっていた自分が見えてきました。
ワークショップ・クラス翌日に1年前のワークと今回のワークを見比べてみて、同じ分野が弱いと一目瞭然でした。
その事実に愕然とし、一時「ダメだ~~~~」と落ち込みかけました。
書き込んでいる文字を読み比べてみると、何ができていなくて何が必要なのかをより具体的に書いていると分かりました。
去年の気付きを手がかりに、自分なりに「こういうことをやっていく」と書けていることに救われた気持ちになりました。
1年前のアフターワークは、「とりあえずやった」感が文字からも文面からも見取れます。
この1週間は1年前よりも多忙にもかかわらず、毎日自分の時間を確保しアフターワークに取り組んでいます。
今日もこうして、振り返っています。
1年前と確実に変化はしていると感じられます。
大きな変化ではないけれど。
またここから1年後、どんなふうに変化しているのかな。
どんなふうに変化していくのかな。
今の感覚は、1年後には感じられないのかもしれない。
今ここで綴っている思いは、もう二度と味わえないのかもしれない。
そう思うと、今ここで感じていることは貴重なのかもしれない。
そうか、そういうことなんだ。
今とても貴重な時間を過ごしていると気付きました。
N. T. さん(30代/東京都よりご参加) ちょうしゅうひクラス
今回、2回目の「春の大勉強 & 大準備会」でした。
プレワーク中は、私去年とあまり変わってないなと思いながらも、不思議なことが起こった。
去年は自分の夢が単語やあやふやなイメージしか書けなかったのに、今はすごく具体的な夢がスラスラ書けている!
びっくりして、嬉しかった。
そしてどれも実現できそうだった。
優月さんが言ったように、これからも夢を書き続けてもっと具体的にしていこう。
私がもっているものを見直すワークでは、描き始めたときは、あまり書けていないと思った。
でも、今見返すと、私はスキルと関係なく、こんなに素敵なものをすでにもっているんだと思えた。
そう思ったら、自分が愛しくなった。
当日、正直知識を全て咀嚼できなかったし、理解も周りと比べて早くない。
そんな中でもわかったこと。
母に、なんらかの機能障害があるかもしれないこと。
「かも」をつけるのは、まだ私が受けとめてきれていないから。
母の認識能力が、自分と同じでないかもと優月さんに言われたときは、思わず否定したくなった。
でも、繰り返し回復の道に取り組んでいくにつれ、今までがそうだったように、それを受け入れていくんだろう。
私にとって、なんて辛くて、悲しい作業なんだろう。
でも、受け入れることで楽になると思うし、そうすることで前に進む気もしている。
「投影」の話は、私にとってすごく大事なものだった。
これがあるから、私は余計なエネルギーを使ったり、取り越し苦労をしていたんだと思う。
親はそこまで考えていないし、感じてもいないんだ。
歪んだレンズで、周りの人や自分をみたり、物事を考えたりしている。
歪んだレンズをはずした客観的な見方のワークは、正直難しかった。
それさえ歪んだレンスでみているのではという気持ちが強かった。
私は自分が思っている以上に母の影響を受けている。
この歪んだレンズをはずすために、自分の子供時代や親のことを掘っていくことはすごく必要だし、やっていこうと思った。
今後の方向性もみえてきた。
私はもっと私とつながりたい。
私は基礎をもっと固めつつ、それを発展させていきたい。
これまで積み重ねてきた私だからこそ、ここまできた。
今後の方向性がはっきりしてきたのも、夢が具体的になるのも、ここまで知識の理解ができるのも、今までの道のりがあったからこそ。
回復を始めたばかりの私では、多分理解できなかっただろうし、ふわふわしていたんじゃないかな。
私は、「今の私」がいい。
これからも、そう思えるように、私は回復していくし、変化していく。
自分ともっともっとつながりたいし、自分をもっと信じていたいし、愛したい。
そんな日々を一日一日かみしめて生きていきたい。
優月さん、ONSA のスタッフの皆様、そしてクラスの皆さん、今回もありがとうございました。
皆で幸せになっていきましょうね。
Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) ちょうしゅうひクラス
今回の「春の大勉強 & 大準備会」で、いろんなことを私は感じた。
とりわけ、私の中で大きく感じたことは
「私は、たくさんの私の時間を、無自覚に捨てていたんだ」
「私は、そもそも不毛で不健康な環境に、私を置いてしまっているんだ」
気づいて、私はショックでした。
でも、あぁ…本当にそうだ、そうだったな…としみじみ、私は感じました。
「投影」「ゆがんだレンズ」
これらによって私は、私にとって、本当には重要でない他人や、他人の問題にざぶざぶ、私の時間やエネルギーを使ってしまっていました。
このワークショップで知識を学ぶ前は、それでも、この私の生き方を「間違っていない(よいこと)」とすら、私は思っていました。
だって、問題は解決しないといけないし、それらを解決しないと、私はそこから抜け出せないし…。
でも、違ったんですね。
そもそもの、私の土台、私の発想、私の解釈、それが、ゆがんでいたんだ。
ゆがんでいたから、その上に立つ考えも、努力も、結果も全部、ねじれていました。
だから私は「頑張っても頑張っても、報われない」だったし、「頑張れば頑張るほど、ひどくなる」だったんだ…とひしひしと、私は感じました。
今回の「春の大勉強 & 大準備会」で私が学んだことは、私の足元や根底を覆すような、大きなものでした。
ワークショップ・クラスが終わってからは、あまりの刺激の大きさにぼーーっとして、何かを考えようにもちっともまとまらないという状態でした。
階段も、踏み外さないように慎重に…というくらい、ふわふわと不思議な感覚でした。
家に帰って、いつもどおりの日常に戻っても、「あそこで聞いたことって、なんだったんだろう…」と、私はぼんやりとしか、考えられませんでした。
教えてもらったことの意味や、仕組みは、アタマではなんとかわかっても、それを「実際に、私の日常で、どうつながるの?」という「?」が続いていました。
きっとそれは、それだけ大きなこと…。
わかったからといって、即できる!! ものではないくらい、大きくて、一生にわたるようなことを、教えてもらったからなんだと、私は思います。
最初は、どうしていいかわからず、私は落ち着かない気持ちでいました。でも少しずつ、『未来日記』やアフターワークに感想や感じたことを書いていって…。
そうだ、私は今回教えてもらったことを「武器」にしてゆけばいいんだ。
「私は今、投影してない?」
と自分に問いかけ、
「相手は、どういう人なんだろう」
と観察してみる。
それが「できるようになった」だけでも、大きな大きな収穫でした。
世の中には、私にはわからないこと、知らないことがたくさんあって、それが「見えない、言語化できない、けど、ある」ままに混じり合っている。
それゆえに私は苦しかったり、困ったり、自分を追いつめていました。
でもこうして、「春の大勉強 & 大準備会」で正しい知識を教えてもらう度に、つまづいていた「透明の石」に気づき、「そうだったんだ!!」とわかる。
わかれば、よけられる。
よけることができれば、私に新しい選択肢が生まれる。
ものすごい時短だと、しみじみ、私は感謝しています。
今回の学びを咀嚼してゆくには、まだまだ時間がかかりそうですが、でも、1年先にせず、今このときに学べて、本当によかったなと思います。
優月さん、今回もたくさんのことを教えてくださり、ありがとうございました。
いただいた知識も、シートも、たくさん活用します!
そして、たくさんのお仲間さんにも、ありがとうございました。
再会できて、嬉しかったです。
みなさんと一緒だったから、ええーー!!?? という驚きも、ショックも受けとめることができました。
ひとりでは、無理だったと思います。
お仲間さんの存在に、感謝しています。
最後に、よくがんばった、わたし!!!!
ありがとうございました!
C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) ちょうしゅうひクラス
私へ
今回も、本当にお疲れさま。
今回も、「今の私」が見えたね。
悔しいけれど、それが今の等身大の私。
でも、「等身大の私」から出発するから、現実的な行動につながる。
自分の進みたい方向とカウンセリングで勧められる方向が違う。
「自分の感じること・ニーズ」を優先したい。
けれど、本当にそれで大丈夫だろうか?
時間とエネルギーだけ使って、間違った方向に行ってしまわない?
不安。
「今の自分」を知りたい。
今、自分の為に出来ることは何だろう?
私には何が必要なんだろう?
とにかく、もっと現場の空気につながっていたい。
分かってはいるものの、現実の時間は引っ張られるものが多い。
私の中にも、重々承知なのに「油断」という敵がいる。
私は世間知らずなところがある。
少しでも、現実的な知識・智恵を吸収したい。
そんな真剣で切実な思いで参加したワークショップだったね。
ワークの振り返りを通して、自分の心の軌跡と成長を感じた。
私は、ずっと前から「今の自分」だったように感じているけれど、そうではなかった。
本当に、ミリ単位どころかミクロン単位の歩みを積み重ねたからこその「今の自分」。
そのことがよく分かった。
そう、私も「やれば、出来る」んだよね。決して「出来ない人」という訳ではなく。
「出来ない」って、子供の頃言われたことがそのまま自己像になっているんだよね。
本当、今までやってこられたその能力を、自分のために使わなくちゃ。
当日は、いくぶん肩に力が入ったまま会場へ行ったけれど、優月さんと仲間の顔を見てほっとした。
日頃聞けない話を沢山聞き、質問もして。
仲間の質問や語ることに耳を傾け、気付きをもらった。
ワークショップ以外では他愛ない話もして、笑って、沢山笑顔をもらって。
不安が安心に変わった。今の自分の進む方向が定まった。
何というか、私にとって「生きた時間」だった。
それにしても、「今の私」=「がっつり共依存」だった。
「相手ありきで自分の行動を決める」って、まさにそうだ。
重心が逆転している。
自分の成長を感じた後だっただけに、ショックだった。
(でも、私には必要な言葉でした。はっきり言っていただけて良かったです。ありがとうございました。)
成長を感じられたり、色々なことが少しずつ改善したり。
それは、いい。
そして、「私が、どうしたいか?」「私は、どうするのか?」なのだ。
「相手がどうか?」ではない。
まさに、そこ。
私は、そこで引っかかっている。
自分でも分かっているつもりだった。
頭では分かっている。
ただ、心と身体がついていっていない。フリーズしている。
だから、もう少し自分の土台と傷に向き合った方がいいと感じる。
(私は、「出来ない」→「こわい」→「やらない」になってないか?)
今回のテーマの「投影」は、難しかった。
1回では咀嚼出来ないと感じた。
ワークショップ・クラスが終わった後になって、何となく出て来た。
「男性=情けない(愛すべき人という意味ではなく、頼りにならないという意味で)=助けてあげなければいけない人」
…非言語で、母が父のことをこう言っていた…。
「寡黙な男性の方が、価値がある、仕事が出来る」
…本当にそうだろうか? 父が非言語で「分かって欲しい」と言っていたのを思い出す。
寡黙というより、コミュニケーションが成立していなかったよ。
でも、過去の私はこういう人たちに目がいっていた。
なぜか、縁があった。
…って、自ら縁を作ってたのか。
ああ、「冬の大勉強 & 大準備会」と話がつながっている気がする。
冬の時出た人間関係の基本姿勢の話で、今回は「なぜ、基本姿勢がそうなるのか?」に深く突っ込んだ気がする。
身に付いてしまったもののゴミぶりに、ため息が出る。
気付いていなものも、どれだけあるだろう?
でも、だからこそ忘れちゃいけない。
何度も確認しよう。
「あの環境に生まれたことが、どういうことだったのか? どういうことなのか?」
「そのことが、今どのような影響を与えているのか?」
「今目の前の相手は、どんな人か?」
私は、自分に問い続けないといけない。
もっと書きたかったこともあった気もするけれど、これが今回の精いっぱい。
アフターワークでも、又向き合おうね。
いつもありがとう。
最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、仲間の皆さん、今回も本当にありがとうございました。
Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) ちょうしゅうひクラス
「春の大勉強 & 大準備会」に参加してよかった。
最近の私の心は、もうパンパンだった。
いつ破裂してもおかしくないなと思っていた。
苦しかった。苦しくて苦しくてたまらなかった。
私の現実で、今の状況を話したり、アドバイスをもらったりする事は、ほぼ出来なくて。
当日、皆さんと対面して、声に出して「苦しい」と言えた。
この苦しみを吐き出せたことで、フッと息が出来るようになった気がした。
助言をもらって、あー、私のやっている事はずれてなかったんだな。
よかったとホッとした。
パンパンだった心の空気が、ゆっくりと抜けていく様だった。
私は、まだまだやる事もある。
それは、ノルマではなくて、確実に現実に還って来るもの。
ほんとに苦しいけれど、現実は苦しいけれど。
頑張っても頑張っても、私の中になにも残らなかった。
その生き方しか知らなかった。
今は違う。こうしてちゃんと少しずつ残っているよ。確認出来てよかった。
参加してよかった、ほんとに。
ほら、ちゃんと私の中に答えはあったじゃない。
1人じゃないよ。
いつもそこに救われる。
「春の大勉強 & 大準備会」、2回目だからこそ、ワークが生かせるようになっていた。
去年との自分と比べたり、あーこういう事だったのねと理解が深まったり。
やっぱ参加してよかった。私、ありがとう。
さぁ、また歩いていこう。今、ここでこの場所で歩いていこう。
生きていこう。
私の人生は、私が創っていく。
この手でこの足で。
身体があってこそ。
ちゃんと食べて寝て、そこも大切にしていこう。
未来は、どんな風にも作っていける。
そうしていい。そうしていいんだよ。
妥協でもない私にとって1番の未来を作っていこう!
T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) ちょうしゅうひクラス
おつかれさまでした。
今回の「春の大勉強 & 大準備会」も濃くて、学ぶことがたくさんあったワークショップだった。
新しい知識とともに、さらに自分を深く知る。
咀嚼し、自分のこととして消化するのには、まだ時間がいるけれど、私は今回も新しい気づきをたくさん得ることができた。
一年前にも「春の大勉強 & 大準備会」には参加していたからわかった、私の傾向。
その傾向は、受け止めるには痛いけれど、ただ私が本当に乗り越えていく必要があるものだと思った。
苦手かも…と思うけど、土台の部分だしここは避けて通れないなと、一年越しながら実感した。
そして、この土台の基礎の部分が、これまで何度も言われているように、いろいろなところにつながっていて、自分が感じる困りごとの根っこになっていると、よりくっきり鮮明に浮き彫りになった。
回復には時間がかかる、本当にそう思う。
5年過ぎても、核の部分と向き合うのは、まだ怖さを感じる。
ただ、
「1年前に戻りたいですか?」
という優月さんからの質問には、即、戻りたくないと思った。
毎日の暮らしの中では、本当に私の中で起きている変化は小さくて気づけなかったりするけれど、1年という時間の長さをもって振り返ると、私は1年前とは違うと感じる。
それは、毎日、そのときやれることを精一杯やってきたことの裏返しでもあると思えたし、その手応えを1年という時間で感じることができた。
だからこそ、日々の暮らしの中での時間を、私はどう使うのか…、私の要の課題と同向き合い、どう行動していくのか…。
一筋縄ではいかないと思うけれど、でも、今はそのプロセスも試行錯誤しながら、楽しめるんじゃないかと思える強さを感じる。
ここまで歩んでこられた私を誇りに思う。
ひとりじゃない、仲間や優月さんの力をかりてここまでこれた自分に、仲間と優月さんに感謝です。
そして、これからもひたむきに歩き続けていきたい。
A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) ちょうしゅうひクラス
「春の大勉強 & 大準備会」、お疲れ様でした。
私は計画を立てることが苦手でスケジューリングも「灯台の時間」も、なあなあになっていました。
この機会に今年の課題を見つけ計画を立てて頑張るぞ! と思ってい参加したのですが…それ以上のたくさんの知識とシェアをして、お腹いっぱいになりました。
しかも最初に思ってた「課題を見つける」というのが、スケジューリング等の基本がまだ上手く出来ないとバッチリ自分で把握しているという状態。
言われなかったら自覚出来なかったです。
いろんな知識が入ってきて頭も心も飽和してる感じです。
上手く消化できない事もあって、言ってることはわかるけどしっくり落ちずもやっとしたりしてます。
そのうちわかるようになるのか、要観察だとも思っています。
ありがとうございました。
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) ちょうしゅうひクラス
今まで私が、どうしてこうなんだろう…といつも思ってきたこと。
どうしてこうなるんだろう。
どうしてこんなこと言われるんだろう。
こんなこと言われるなんて、私がやっぱり悪いんだ。
そうやってグルグルになっていくこと。
それには「投影」という理由があって、そこにとらわれていることには何の意味もなくて、そこから自由になることができる。
それが私にとって、目からうろこで、とても大きな収穫。
私、答えの見つからないことを延々と考えていたと、つくづく思う。
私が今まで感じていたこと、もやもやしていたことが、すっきり整理されていく気がした。
そして、私が本来エネルギーを使う先は何なのか、視界が開けていく感じがした。
今年、私に必要なものは何だろうと考えた時。
たくさんありすぎて、途方に暮れてしまう。
それも、きっと私の心がどうしたらいいか知っているはずだから。
もう少し考えて、ひとつひとつを決めていこう。
人生は選択の積み重ね。
また一つ大きな知識を得て、先に進む方向を模索する。
学んだことで、日々自分にとってより良いものを選んでいける。
そうして、自分の選択をますます信じられるようになっていく。
あれから1週間でも、また少し強くなった自分を感じてる。
今回も参加できて、学ぶことができて、本当に良かった。
そしてまた、一歩ずつ着実に歩いていこう。
これからもよろしくね、私。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。