S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) みずがめクラス
<大切なわたしへ>
Web. WORKSHOP をどれくらい続けてきただろう。
対面式ワークショップに何度参加しただろう。
その都度、PAY FORWARD を書いてきた。
その度ごとに、涙とともに気づきがあった。
このみずがめクラスに取り組んだ3か月で、わたしはじぶんを愛おしいと感じるようになった。
きっと、今までも心の奥底では感じていた。
だからこそ ONSA と出会い、今も WORKSHOP に取り組み続けている。
わたしのなかで
「もっとじぶんを愛おしんで!」
「もっとじぶんを愛おしみたい!」
そんな声が、か細くてもずっとずっと発せられていたし、わたしのなかに響いていたんだ。
3か月前のクラスがスタートした時点で、わたしはじぶんの課題に気づいていて、3か月後に「こうなりたい」という姿を書き綴っていた。
読み返して、じぶんでじぶんに感心した。
「わたしは、じぶんをよく見つめているし、どうなりたいかも知っているんだ」
みずがめクラスで、わたしはわたしが抱えている「罪悪感」とそれに伴う「じぶん責め」に向き合った。
いつでもどこでも四六時中、自分で自分を否定し続けていることや自分で自分を裁き続けていることが分かった。
今までも向き合ってきたし、すでに分かっていたことだった。
ただ…今までよりもっと深く、今までにはないレベルで向き合い、理解することができた。
「もったいない・無駄はダメ・意味のある・有効な・実りのある・損してはいけない」これら「~べき」が、わたしのなかに強くある。
だからこそ、じぶんのしたことやこれからしようとすることをこの「~べき」で検証する。
そうして、自分を責め、自分をコントロールしていく。
わたしが「失う・なくなる・減る」ことを、とても恐れているものがある。
それは「心(関心)・時間・エネルギー(身体)・お金・物質」。
わたしのもっているこれらを、ずっと他人に捧げてきた。
どうぞ、どうぞ…って。
ほんとうは、わたしがいちばん欲している。
わたしが欲しているから、同じように欲している他人に反応して提供する(差し出す)。
相手が喜び、承認されてうれしい。
いちばん欲しがっているのはじぶんだと自覚がなくて、他人にばかり捧げて。
求め続けているのはじぶんだと気づかないようにして、人に捧げて…これをずっとくり返してきた。
じぶんに捧げるのが怖かった。
幸せになるのも、楽しむのも怖かった。
幸せになる(楽しむ)と嫉妬され、一人ぼっちになると思い込んでいた。
ほんとうは、幸せになりたい、楽しみたい!
「心(関心)・時間・エネルギー(身体・お金・物質)」を、他の誰でもないじぶんに捧げたいし、じぶんに注ぐことを望んでいる。
このことをしっかり心にとめよう。
わたしに注ごう、わたしを満たしてやろう。
みずがめクラスで、わたしはじぶんのよさにも気づいていくことができた。
わたしは、人を喜ばせ、人を勇気づけ、人をつなぐ力がある。
燃え尽きるまで、自分が疲れきるまで、そうなるまでがんばり続ける、がんばることができるわたし。
じぶんを守るため、涙し、怒れる感情をもっていて、違和感を察知する身体をもっている。
じぶんが楽しい、うれしいと感じる心と身体をもっていて、じぶんを喜ばせたり、楽しませるのはなにかを知っていて、行動する力ももっている。
過去の辛かったことや失敗をもとに、同じ過ちを繰り返さないようにじぶんを守ってやれるようになってきた。
こんなふうに、じぶんを認められるようになってきた。
これからも、わたしの選択・決断・行動をわたしが称賛しよう、認めていこう。
3か月間、お疲れさま。
今までもありがとう。
そして、これからもどうぞよろしく。
<ともに歩んだ仲間のおふたりへ>
3か月間、みずがめクラスでともに歩むことができたことを感謝しています。
それぞれの生い立ち・経験・くらしのなかで、じぶんをふくめ、一人一人が懸命に生きていることを感じました。
わたしの人生も、おふたりの人生も、より輝かしく幸せなものとなりますように。
<優月さん& ONSA スタッフのみなさまへ>
いつもいつも、安心・安全に配慮し、温かく見守ってくださること、本当にありがたく思っています。
今後とも、心強い伴走と見守りを引き続きよろしくお願いいたします。
A. M. さん(30代/東京都よりご参加) みずがめクラス
みずがめクラスの皆さま、お疲れさまでした。
優月さん、スタッフの皆さま、12週間お世話になりました。
2014年11月10日から、年末年始をはさんで12週間を歩ききりました。
年末年始は仕事もプライベートも嵐のようで、それに巻き込まれながらも常にここに戻ってきて、今私に起きていることを確認しながら日々を送ることができました。
よくがんばったね、私。って思います。
12週間を終えてみて、私が「コース3」に行けるまでには、まだまだ時間がかかりそうだと感じました。
「コース3」には、自分を自然に褒められるようになってからいきたいと感じました。
「コース2/STEP.2」をもう一周し終えると9月。その頃私はどんなふうに変わっているのかな。
私に生きていることが楽しいとか嬉しいとか思える日はいつ来るのだろうか。
今は楽しいことなんてほとんど無くて、日々はただ過ぎ去っていくように感じます。
今の私の生きづらさには過去の影響があって、今の今まで共依存な人生を生きてきてしまった私がいます。
長いこと自分を生きていなかったから、自由にしていいよと言われてもどうしたらいいかわからないのだと思います。
でも今は、私が私の人生を生きてこなかったことが現在の私の生きづらさに現れているのだということが分かっただけでも良かったのかも知れません。
生きる苦しさはなかなか減らないけれど、浮き沈みのあるのが人生だと思って、そんな自分も受け入れられるようになりたいです。
人生はすべてプロセスで、きっとどのコースにいるときでも、どのような人生を選ぶかは自分次第なのかもしれません。だから、自分の頭でしっかり考えられるようになりたいです。
今の私にはどれもできていないので、「~られるようになりたいです。」です。
私はこれまで、自助グループなどで自分の言葉で語ることが恐くてなかなかできなかったので、今後はカウンセリングも併用しながら、参加してみることも必要かなと感じています。
2年前は Web. WORKSHOP 内でも私の本音は恐くて語れなかったから、Web. WORKSHOP で本音が語れるようになった点は少し進歩したのかもしれないなと思います。
そして、私は、性虐待について書かれた本をまだまともに読めません。
回復のプロセスにおいて、どこからアプローチするのか、ここを掘り下げることがよいことなのか、そっとしておいた方がよいのかわからないのですが、まだその部分を直視するには抵抗があるのだと言うことは意識していたいと思います。
苦しいけれど、ひとつひとつ絡まりをほどいていけば、見えてくるものもあるのかな。もっとショックな気付きがあるかも知れないけれど。
今できることは、先を急がず、今の苦しさも含めてじっくり味わうことくらいですが、苦しくても、もっともっと深く私を知りたいです。
あきらめずに粘り強く、へこたれながらも取り組んでいきます。
N. O. さん(東京都よりご参加) みずがめクラス
歩みを振り返って、意外と冷静な自分を見ることができてほっとしたね。
意識しないと出来てないとこばかり見て、落ち込んでしまうから。
読み返してみて、課題に取り組んでいた時よりも今のほうが、生々しい感覚を感じることができた。
共依存、そして、障害を持った人たちの事を自分に関係があることだと感じることができたね。
役割とかの苦しさ、生きるためのシンプルなスキルに触れることができたのは、自分にこのコースを受けることを許してあげたからだね。
時間が経つごとに、回復の道を進めるごとに、色々なことを深みを持ってみることができるようになってきたね。
来年はきっと、もっと色々なことが見えるようになってきているんだろうなあ。
コツコツ自分をサポートすることを、許可し続けよう。
失敗から学ぶことを許してあげよう。
日々のトライアンドエラーを繰り返そう。
どんな自分だって、愛して支えてあげよう。
かっこ悪い自分に最高のサポートをあげよう。
失敗だらけの自分を、ダサい自分を、どんなときも支えて愛してあげる、そんなことをやってあげよう。
即戦力になれない自分を否定しないで、愛情込めて育ててあげよう。
次は、「コース1」を申込んだね。
ある意味勇気がいるよね。課題に真剣に取り組むには時間がかかるし、メンタル的にも成長が要求される内容だしね。
それでも、立ち向かうことに迷いはないもんね!
なんだろうね、痛みの恐怖で進まずにはいられないよね。
ある意味ギフトだよね。
出来てないことの直面化の連続、痛みが伴うのに、それで、人生が楽になるんだものね、不思議だね。
「コース1」が終わるころには、不安から解放されていたいね。
時間習慣が整ったら、安心だよね。安心したいね、穏やかな日常が一番だよね。
玉手箱が恐ろしすぎる。
今を楽しみたいよ。
現実がリアルに感じられるようになったね!
だから、よけい怖い時もあるけど。リアルは楽しい。
人との関わりが最近嬉しい。
それを認めて、褒めながら進んでいこう。