A. I. さん(30代/愛知県よりご参加) つゆくさクラス
私にとって、この12週間の旅は、とても温かいものでした。
もちろん、厳しい時も何度もあったけれども、振り返ると、それが厳しかったのかどうかさえ、思い出せず、ただ、温かい旅の記憶として残ってます。初めから、ここへ来るようにできていたと思えるような。それくらい、私にとってこうなるべくしてなったというような時間でした。
もし、ここに参加していなかったら、私は多分、ずっと共依存から回復する道を、見つけられなかっただろうと思えるほどです。
私がこの旅の途中で気づいたこと、「そうなのか!」と理解できたことはたくさんあります。
中でも、「家族だから」仕方ない、と思っていた、実家の機能不全や共依存関係から発生するいろんな問題は「私の」問題ではなく「母の」問題であることがわかった時は衝撃でした。同時に、私の問題は「自分の人生を大切に、楽しく、自分のために生きていくこと」、そこに全力を傾けることだとも気づきました。
また、なぜ、父母があのような人生を歩んだのかは、私たち「子ども」のせいではなく、彼らがうまくいかない自分の人生を、どこかで軌道修正しなかったからだということにも気づきました。
修正するためには、うまくいかない原因である自分の抱える未消化の気持ちを見つめないといけない、だから、どの人も、「自分の」心に目を向け、自分の声を聞き、自分を大切にしないと、自分も、自分の大切なものまで壊してしまうことが、まざまざとわかりました。
そんな風に、前半を進んできて、そしてまた自分も父母と同じように、今ここで軌道修正しないとどうにもならないくらいに、共依存であることがわかりました。切ないし、辛かったけど、でも、それがわかってよかった、とも思いました。
私が私に宛てた出さない手紙を読むと、最後のところでなぜか何回も泣けてきます。
そして、後半で一番衝撃を受けたのが、「回復とはどういうことか」でした。
私は、こんなに今までたくさん勉強してきたから「もう治ってるはず!」という自負みたいなものがありました。変なプライドっていうか。
でも、ずっと続いていく、自分を癒し、味方になることの積み重ねだと理解した時、私は「共依存のない人生がほしかったのに、共依存ありきで、これから歩いていくんだ」と思い、悔しくて悔しくて、心底悔しかったです。共依存であることを受け入れることが、途方もなく腹立たしく、怒りもあり、そして悔しかったです。
それでも、そこを通り、久々に自助グループに行ってみたりして、私は自分がどれだけ自分が考える以上に深刻な状態なのかを感じました。自分のなかにある本当の気持ち、言えなかった小さいころからずっと思っていた気持ち、そういったものが、どれだけ私の中にあり、どれだけそれを切り捨ててきたかということを、実感しました。
そして今、最終週になって、私は「自分を癒す」ことに素直に向き合えるスタンスができました。そこに集中して力を注いでいきます。
切り捨ててきた自分の声に気づいて「そうだったんだね」と肯定するだけで、とても気持ちが軽くなること、温かい気持ちになることもわかるようになってきました。
そして、回復のためには種々のサポートをこれからもつかう重要性も感じました。
共依存は、「甘え」でも「家族のせい」にしてる弱さでもなく、本当に根の深い、大きな問題で、骨折したら病院へ行くように、心も共依存に巻き込まれて不適切な考え方に染まってしまっているなら、ケアを受けて回復していく必要性が十分にあるものだと、思うようになりました。
そして、人のすべての行動のもとは「こころ」だと思うようになりました。こころで思ったこと、願ったこと、満たされていない気持ちが叫んでいること、そういった「こころ」の状態が、すべて外側の出来事をつくっていくと思いました。
だから、この、優しくて、かわいくて、正直な、「こころ」という人に与えられた大切な宝物を、今までのようにただ「強くなれ!」とお尻を叩いたりせず、大事に、温かく守って、育てていきます。
まだまだ、根強く旦那さんとの間には共依存があり、私は抜けられずよく苦しみます。
しかし、こういったことに気づけることだけでも、12週間前にはなかったことだと思います。
これからも、毎日少しずつ、やめることなく、自分を癒し、温かく接していく人生にシフトしていきます。
優月さん
こんなすごいプログラムを惜しげもなく提供してくださって、本当に心から感謝します。
いつも、この金額、出せるかな、また家計で旦那さんとケンカになるなって思うのですが、この内容でこの金額は安い、と思えるくらい、充実していて、そして優月さんのありったけの思いやりと真摯な気持ちが詰まっていました。もし、このコースを選ばなかったら、私は本当に自分の身に起きてる「問題」がどういったものか、気づかなかったと思います。
大きな大きな、分岐点だったように思います。
12週目のメッセージが、心底心に染みわたりました。優月さんの愛をたくさん感じました。決して忘れないでいます。ありがとうございました。
つゆくさクラスのみなさん
いつも朝の犬の散歩に行くときに、田の畔に咲いている青く輝く花を見て「ああ、これはわたしたちだ」って思っていました。
一人だと、クラスになりません。皆さんがいてくださって、初めて、私も「ともに」この旅をしてこられたんだと思います。人って大事ですね。私も、あなたも、一人ひとりがとても大事ですね。12週間、ともにいてくださって、本当にありがとうございました。
必ず、必ず、幸せになりましょうね!! 大好きです。ありがとう。
S. O. さん(40代以上/山形県よりご参加) つゆくさクラス
私には「機能不全家族」であったという過去があり、
「人とのつながりが希薄」反面「誰かとつながっていたい」という
他の人に自分をゆだねる「共依存」を持っていました。
あとは、両親や他の人、自分に対する「怒り」の渦。
とてもたくさんの暗く重たい気持ちを台車に詰め込みながら、
知らず、知らず引き続けてきました。
そして、台車に積んだ荷物を開くことが怖くて、荷物の存在を忘れたくて
とうとう、ここまで歩いてきてしまいました。
優月さんの言葉に
「共依存から回復するということは自分に優しくするということ」とありました。
「自分を大切にするなんて…」という罪悪感と
「こんな私が今更なにを…」という自分を卑下する気持ちが湧いてきました。
「今回の Web. WORKSHOP も挫折するんじゃないか。」
「もう40歳だし、いい歳だし、手遅れだ。」
「今のままでもなんとかやってきたんだから、このまま進めるんじゃないか?」
「もっと他に大変な境遇の人がいるんだから、私の辛さなんていい方だ。」
「私は一体、何がしたいんだ…。」
心のどこからか聞こえてくるいろいろな声が私を何度も何度も揺るがしました。
決して被害者であることを主張するのではないのだけれど
他の人たちから与えられた、怒り、悔しさ、悲しみ、苦しさ…
とても抱えられそうにもない辛い気持ちたち。
やっぱり辛かった過去や今の気持ちを紐解き、
その感情を一旦受け入れなければ前には進めない。
でも、私の場合、それらを自分のもの(・・)にするまでは
とてつもないエネルギーと時間がかかりました。
とにかく「怒り」が湧いてきて日常生活にも影響が出るほどでした。
だけど、これほどの怒りや悲しみを抱え傷ついた自分を
初めて労ってあげることができたのも、この Web. WORKSHOP です。
何回も遭難(挫折)しそうになってもしっかりしがみついてきました。
今回の WORKSHOP を途中で投げ出さなかった私のことを褒めてあげたいです。
(「謙虚は美徳」と祖母から教えられてきた私は褒められ方を知らない。
ましてや自分を褒めるだなんてめっそうない! という世界。)
自分を素直に褒めてあげられたのってこれが初めてかもしれません。涙が出ます…。
この WORKSHOP に参加してからは、とにかくひたすらノートしました。
心理学の本(優月さんのオススメ)を読んで、「これだ!」と思ったこと。
過去、現在、未来、いいことも、悪いことも、書いて、書いて書きまくりました。
ぐしゃぐしゃにしてしまったページもたくさんありました。
悔しくて、悔しくて破ってしまったページもあります。
でも、全てが私なんだと。
そう思えるようになるまでは本当にしんどかったです。
ノートから気づいた気持ちを拾っていって自分の本質に触れました。
認めたくないことがたくさんあって、正直、傷つきました。
これほどまでして WORKSHOP を続ける意味があるのかな、とも思いました。
私が今まで参加した ONSA WORKSHOP は数えきれないくらいです。
ただ、ただ「今」を何とかしたくて、
一瞬で自分を変える魔法があると信じて、
やみ雲の WOKRSHOP に参加していた私が本当に恥ずかしい…
過去の WORKSHOP の「じかんのきろく」もどこかよそよそしい感じがして
読んでいて「…。」となりました。
上っ面ばっかりで本気じゃない。自分に親身じゃない。
(その当時の自分を責めるつもりはありません。
そのときは気づいていなかったことだったから。)
それでも、これらの WORKSHOP に参加しなければ今はないと思います。
自分の心の奥底にあった怒りや痛み、苦しみに蓋をしたままだったな、と。
今回の Web. WORKSHOP の歩みも、はたから見ればとても弱々しくて
危なっかしいものだったかもしれません。
だけど、私は全力で立っていたし歩んできました。
前回はいろいろと理由をつけて後回しにしてしまった「家族問題/共依存」でしたが、
今回は胸を張って誇れる3か月になりました。
なにより「希望」が持てました。
(「じかんのきろく」をまとめていて涙が出てきました。勇気を出してよかったです。)
つゆくさクラスのみなさん、書き込み全て読ませていただきましたよ。
参考になることや、励ましになること、本当にいろいろなものを受け取りました。
ありがとうございました。
また、WORKSHOP でご一緒できたら幸いです。
そして私たちみんなを温かく見守ってくださった
優月さん、ONSA スタッフのみなさん
本当に感謝しています。
私の歩みはまだまだ続きます。
みなさんの歩みが(私の歩みも)すばらしい時間となりますよう
心からお祈りしています。
I. O. さん(30代/北海道よりご参加) つゆくさクラス
はー、まずは、私、みなさん、おつかれさまでした。
期間中はさほど思わなかったけれど、みなさんも同じ、それぞれの心の波風の中を抜けてきたんだなあ、と思うと感慨もひとしおです。
長いんだか短いんだかわからない3ヶ月。
でも、ノートを見たらみっちり2冊半も書いていました。
「会社を辞めたくなって、辞めてしまって、だらだら過ごしてます」って言葉とはうらはらに、ノート2冊半です、わたしのこの三ヶ月は。
この三ヶ月にくよくよし、思い、悩み、考え、書き出してきたことたち。
がんばったなあ。
会社の「人」にとらわれ、会社を辞めてしまったことにとらわれ、ハローワークにとらわれ、母親の言葉にとらわれ、自分の中がいつもぐるぐるしていました。最初の方のノートは読んでて痛々しく、辛いくらい。
何もないわけじゃ全くなかった。
今まで、こういうことどうしていたんだろう?ってくらい、現実の事件はさほどないはずなのに心の中には波風がたくさん。
今まで、こういうことは放ったらかしだったんだろう。
いろんな物が私の中に投げ込まれたけれど、本人はそれに対して、何もしてこなかったんじゃないだろうか。
立つはずの波風を無いことにして、そのためには「私」を悪く言っていたのか。
すべて「私」がうまくできないから仕方ない、それより前向きに、とらえようだから!って言えば、丸く収まるものね。
よくもまあ、ノート何冊分か知らないけど、放っておけたものだ。
振り返ると、少しずつ、ものの見方、捉え方が変わって来たと感じる。
例えばハローワークに行った時、仕事のことを考えたときのもやもやした気持ち。いままでだったら、ハローワークから手当が貰えるうちに就職しないと! って行動していたんだろう。
でも、今の自分はそのもやもやはどういうこと? って感じるようになった。
ハローワークという外部のものさしにあてて行動した方が、(実は)楽なんだろうと思った。
ハローワークやら、会社やら、親やら、そういうものの考えに沿って行動するほうが、「自分とは?」ってやっているより楽だし、周りからもすぐ評価されるから。
今まで会社を辞めなかったのも、会社を辞めてそれからどうするの? を考えるよりも、「効率よい仕事」「売り上げアップに貢献するために」「後輩に抜かされないように」とか考えていた方が楽だし、世間的に評価される、と思っていたから。
で、私自身の「ノート○冊分の思い」は、ずーっとただの擬態語にしただけで、言葉にしてやることはなかった。
感じることを、ないことにしていたんだなあ。
だから、課題提出はつらかった。書くことない! 思い当たらない! っていつも思ってたし。
それでも、いろんなことを書いた。もやもやを、言葉にしてやったね。
アラノンにも出かけたし、断酒会も覗いた。
アラノンは、自分より年上の方のお話に思うところがあることが多く、いろんな時間帯のグループに行くようにしてよかった。今まで問題視しておらず、置いてきぼりにしていた父の「アルコール依存症」について、振り返るきっかけになった気がする。
父の問題というよりも、その病気が、否認の病であり、完治はないということ。
これは、共依存にもおけることなんではないか。
気づかずに、まだ大丈夫、って思っていたり、どうすれば完治するのか、とか思っているところ。
なんとなく、このことに気づいたから、この次どうしようか? ってことにも答えが出せた。
呑気に「お金がないからワークショップは休憩ー」ってことでもないんだな。
同時に、会社を辞めてしまったことは本当はどうだったんだろ? って不安にも思っていたけれど、遅かれ早かれ、どういうタイミングかはわからないが、こういう風に考える時間が必要だったってこと。
パーフェクトかというと、計画的じゃなかったけれど、もっともっと、不当なタイミングで座礁してしまうこともありうるからね。
そしてアルコール依存症者の周りの人間による、当事者の扱い方が不当になってしまうこと。
気づかずにいたけれど私の家がいつもこういう状況を常としていたことに気づいた。
だから、わたしも母も、こういう風に相手を扱うこと、扱われることに不信感を抱いていないんだよ。
共依存については、まだ闇の中にあるようで、
私の感覚は「共依存」と呼ばれる色々なものに当てはまるようだけど、じゃあ、何をどうしたらいいのやらまだわからない。それに、前職での嫌な思い出も、共依存のどの辺りが呼応して起こったことなのか?
相互依存になる、破滅しない人生を歩むためには、どうしたらいいのか?
わたしはどうしたら、自分らしい「仕事」が何かわかるのか? そうして、その仕事を通じて出会う波風にうまく対処して行けるのか?
今の時点じゃ、さっぱりわからん!
さっぱりわからないから、もっと形をくっきりさせていきたい。
本当、こういう時間を持てたのは、ラッキーなんだと思う。
次の三ヶ月も、きっと気が重くなるんだろうけど、自分のために続けて知っていきたい。
いったいこれは、何なのか。
わたしの幸せとは、どういうことなのか。
癒すって言葉は本当にぴったりです。むち打つのではなく、癒す、回復する。
自分を癒すことが回復に、ひいては好きな仕事につながった、という言葉を信じて。
C. K. さん(30代/神奈川県よりご参加) つゆくさクラス
つゆくさクラスのみなさん、こんにちは。
一緒に歩いてくださって、ありがとうございました。
今回のワークは、当初の予想以上に大変な課題が続き、
私は、最後の1カ月はドロップアウトしてしまいました。
でも、参加した分の「じかんのきろく」を纏めようと思い、最終週にクラスに戻りました。
その時に、まるで何事もなかったかのように、すっとコミュニケーション・ルームに戻れたのは、
それまでの約2カ月の間、一緒に参加していたメンバーの皆さんのおかげです。
1回離れると、戻るのがなかなか気分的に難しくなってしまうのですが、
(ワークもどんどん置いていかれてしまいますし)
戻ってよかった。挨拶できてよかった。
お陰で最後までできなくても、今の私なりに今回のワークショップを終わらせられた。
そんな風に思えました。
ドロップアウトする前のワークもずっときつくて、なんとか提出していた。
藤沢さんのメッセージで、正確には忘れてしまったけど、
表面的にだけきれいにまとまってる、いい子の課題提出をしないように、
みたいなことが書かれていた時、ちょっとドキっ。
「いい子」をしてる余裕はなかったけど、課題はあまり掘り下げられていない気がして。
結局、苦手なスケジュール帳のワークが出て来たところで躓いてしまい、
その後どんどん遅れて付いていけなくなってしまいました。
スケジュール帳は前回の「コース1」の時も苦手だと思っていたのですが、
今回は時に、前の週のワークを元にして次のワークを積み重ねていく、というものだったので、
前の課題ができていないと、次の課題もまともにできない…。
「コース1」も、なんとか完走はしたものの、ちゃんとできてなかったと思うところも多かったので、
今回途中で付いていけなくなったのも仕方ないかと思います。
前に藤沢さんがどこかでいっていたように、
今回参加できたところまでが、今の私が到達できる限界値だったのだと思います。
でも、離れてても暫くしたら「戻らなきゃ」って思うようになったのは、
1つには、WS 最初の方で藤沢さんが書いていた「共依存の凝固現象の恐ろしさ」
を忘れられなかったからでもあります。
最後の週に藤沢さんが書いていたように、
ワークから、ワークショップから離れてると、日々に流されて「もう大丈夫かも」って思ったりする。
実際私は、WS から離れてる間、共依存のことを半ば忘れていました。
というか、示された「行きつく先」が怖い分、忘れたかったのでしょう。
でも、その実、裏で病は進行中…。
見ないことは、存在しないことにはならない。
だから戻らなきゃって思いました。
でも、最後に、完走できなかったものの、WS に戻った私、えらい~って
自分で、自分をほめてあげようと思います。
そして、そうそう。
よし、何とか戻った。PAY FORWARD も書こうって思った時、
ふっと目の裏に浮かんだのは、3歳ぐらい(?)の女の子。
転んで泣いちゃったけど、また立ちあがって歩き始めようとする。
そこに、すっと大人のお姉さんが現れて、その子に手を差し伸べて、手をつないで歩いていく…。
そんな姿がほんの数秒の間に見えました。
あれは、私と私のインナーチャイルドなのでしょうか?
私は、次はまず、対面式の WS に参加して、
それから改めてまた、Web. WORKSHOP に取り組もうと思います。
その際には、「コース0/STEP.1」からスタートし直すのもいいかと思っています。
つゆくさクラスの仲間の皆様が、今後素敵な人生に向かっていきますように。
クラスは修了しますが、そう願っています。
藤沢さん、ONSA スタッフの皆様、ありがとうございました。