T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) あやねクラス
ワークショップ・クラスが終わってから、考えていたのは「与えること」でした。
自己表現が「与えること」とは思いもしなかった。
ワークショップでは言葉の使い方やどんな言葉を使うかを教わるのかと思っていました。
でも、受けているときも、受けたあとも、問われていたのは自分がどうあるか、ということで、それはわたしが知らず知らずのうちに身につけていた考え方を気づかせ、違う考え方を教えてくれるものでした。
今まで何度も自分で自分を満たす、と言われていたけど、自分が満たされていなければ、人に与えることはできない。
そういうことなのか、と思いました。
そして、わたしは真剣に自分で自分を満たすことを考え始めました。
これまでわたしがやっていたのは、相手から奪うコミュニケーションでした。
自分がほしいものを相手から得る。相手に「イエス」と言わせるためのコミュニケーションでした。
相手の返事をわたしが望むようにコントロールしなければならない。
相手がどうでるか、緊張していて、疲れるものでした。
ワークショップでのコミュニケーションはぜんぜん緊張しないものでした。
自分のままでいられた。
「与える」自己表現はこんなに豊かなんだ、と思っています。
そして、今まで、自分が否定されること、傷つけられることを恐れて、こんなに緊張していたんだ、とあたらめて気が付きました。
それには自分が満たされていないとできない。
わたしは決断することが苦手です。
自分が決断すると、自分でその責任をとらなければいけない。
だから、決断することが怖かった。
なので、自分が決めなければならないときに、迷いと恐れを感じながら、なるべく断定的にならないような半分腰がひけたような言い方になっていました。
失敗しても、「ごめんなさい」で許される。
心から「ごめんなさい」を言えば、それでよいんだ、ということを、わたしは知らなかった。
失敗を許されない世界にいたんだ、ということが、わかりました。
わたしは、こんなに疲れる世界にいたんだ。
これじゃあ、人と一緒にいるのは疲れるし、面倒だと思うよね。
もっていないものではなく、もうあるものを見る、というのも、
何度も聞いたし、わかってるつもりだった。
でも、わたしはいつもいつも、ないものを見ていたんだ。
そして、あるものをまったく見ずに、ないことをずっと責めていた。
そうではない見方がある。
言葉の上だけではなく、自分が本当にまず「ある」ものに目を向けること。
今までとは違う自分のあり方がある。
この1週間。頭の中ではぐるぐると新しい考え方が回っています。
今まで知っていたことは何だったんだろう。
体験して、感じて、はじめて「ああ、こういうことなんだ」とわかることが
とてもとてもたくさんありました。
今までほとんど毎日人と話しているのに。
全く違うやり方があったんだ。
わたしはこっちの方がいいです。
こっちのやり方のほうがいい。
違うやり方がある。ずっといいやり方がある。
ということを知ることができて、本当によかったです。
A. N. さん(30代/千葉県よりご参加) あやねクラス
優月さん、「あやねクラス」の皆さま、その後いかがお過ごしですか?
先日は大変お世話になりました。
以前は、私も相手に断られるのが怖かったです。
断られないように言い方や、タイミングなどに細心の注意を払って、それでも断られることばかりでした。
今は、どちらでもいいと思うのです。
何故なら、相手も自分も、同じ断る権利を持っているのですから。
ダメだったらまた、次の手を考えよう。
いつ頃からかそう思えるようになってから、近しい人や、私に(良い意味で)興味を持ってくれる人とのコミュニケーションが楽になりました。
諦めずコミュニケーションをとろうとすることで、面倒だと軽くあしらわれることもあります。言いたいことを簡潔に表現できなかった自分のスキルの低さを、辛く思うこともあります。
でも、他人と生きていくことを少しでも楽しもうとする気持ちは、とても大事だと思うのです。少数でも、一瞬一瞬を一緒に分かち合える人もいるのですから、諦めずにやっていきたいと思います。
ワークショップ・クラス中の、「OK牧場」の話は、とても納得がいきました。
「自分もOK、相手もOKでないと、健全なコミュニケーションは成り立たないのだ」というお話でした。
私も今はまだ、「健全」ではないと思うのですが、言い換えると、私に対して攻撃的になる人たちもまた、「健全」ではないのだと悟りました。
私はあくまでも巻き込まれていただけで、違和感を覚える自分が悪いとか、おかしいと思わなくてもいいのだと思うと、少し安心しました。
コミュニケーションの対象者を確認すること、それは今後の私の課題だと思いました。
重要な基本姿勢の中の、「関心を持つこと」「興味を持つこと」「与えること」は私も大事だと思います。
私は相手に失礼にならないかと思ってしまい、相手への関心・興味がうまく表現できない事が多いです。
「与えること」は、(私なりの解釈で)自己開示して、自分と相手の情報を交換することを恐れないことが、コミュニケーションでは大事だと感じていますので、勇気がいりますが、少しずつ身近なところから取り組んでいます。
「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」、今の私には、少し背伸びをした内容だと感じていますが、他者との関わり方や、「これから私はどうしたいのか」を深く考える時、少しでも早く取っておいたほうが良いワークショップでもある、と捉えています。
相談すべきところにはきちんと相談して、安全第一で進めていきますので、これからも宜しくお願い致します。
優月さん、ペアワークをしてくださった方を含む、「あやねクラス」の皆さま。
おかげさまでたくさんの気づきと刺激を戴き、得るものが多い1日でした。
実は、終了直後から、「クレンジングリアクション」がとても強く出て、不安定な数日間を過ごしていました。多分それだけ、私に必要なワークショップだったのではないかと考えています。
貴重なお時間を共有させて戴き、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら宜しくお願い致します。
皆さまにおかれましても、実り多き季節になりますように。
Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) あやねクラス
去年、この「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」が発表されたときには、全然ピンと来なくて、「私には必要ないかも?」なんて思っていましたが、参加された方の PAY FORWARD を読んで、「これは私も参加した方がいいかも」と思い、参加を決めました。
参加してみて、良かったと思います。
ワークショップの中で、「健康な世界」の空気に触れることができて、
「あぁ、健康な世界って、こんなに軽やかで楽しいんだ」と思いました。
あたたかくて、やさしい世界でした。
私が今まで思っていた自己主張とは全然違いました。
今までの私のコミュニケーションは、勝つか負けるかで、そのための駆け引きだったり、さぐり合いだったりで、うんざりするものでした。
私がやってたことはパワーゲームでした。
闘いそのものでした。
コミュニケーションって苦手、負担だなと感じていましたが、それは当然のことだったと思います。
「健康な世界」では、勝ち負けはないし、闘って、人格とか本質を攻撃したり、攻撃されたりすることもなくて、平和で、本当にラクでした。
純粋に楽しかったです。予定調和もなくていい。
私は私でいいんだって強く感じました。
逆に、「共依存の世界」は相当歪んでいて、本当に怖い世界なんだと改めて感じました。最初の「共依存の境界線」がどうなっているのかというレクチャーが本っ当に怖かったです。
あんな怖い世界に住んでるなんて。恐ろしい。
コミュニケーションする相手を選ぶことも大事だということも知りませんでした。
誰にでも前向き表現をしなくてもいいんだと思うとホッとしました。今までは、誰であろうとも仲良くしなければならないと思い込んでいた気がします。
それと、何より、自分の内側の問題だということが分かりました。
外側の言葉の選び方だとか、ハウツーが問題なのではなくて、まず自分の内側を整えること、自分を大切にすることがそもそもの土台なんだと思いました。
私は私でいい。
「私」のままこの世界を生きていける。
その感触を少し掴めました。
「あやねクラス」の皆さま、優月さん、ONSA スタッフの皆さま、ありがとうございました。
A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) あやねクラス
「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」のワークショップ・クラスから1週間経った今、あの日のクラスのことが、とってもとっても遠い過去、もしくは、幻のように感じます。
クラスでご一緒した「お仲間さん」お疲れさまでした。
わたしの心にはしっかりと新しく学んだことが生き始めています。
わたしが「健康」になれる種はしっかりと、わたしの中に蒔かれている気がしています。
わたしは、あの日、はっきりと自分の家族が「不健康」なコミュニケーションをとっていることがわかりました。
それはとても明らかに感じました。今まで見ていた家族の光景が、全く違う光景に見えたのです。
もう前の受け止め方には戻れません。
わたしは、知ってしまいました。
クラスで学んだいろいろな知識がそのような視点にさせてくれたと思います。
中でも、優月さんが演じてくれた「ダブルバインディング」。
一発で「おーーー! そうゆうことか!」とわかりました。
これが、わたしの中の様々な手つかずの未解決なスイッチに「オン!」をしてくれた気がします。
「あの人も、この人も、今感じたこの感覚で話していた!」(キッラーン)と思いました。わたしの母親に至っては、常に「ダブルバインディング」だったんじゃないかというほど、心と言葉が合致してない気がしました。
気遣いながら相手とコミュニケーションをとるのが当たり前だったわたし。
その感覚が当たり前すぎて、わたし自身も心とイコールではない言葉を発していることに気づいていませんでした。
そして、相手のどの状態が、そうなのかも見えていませんでした。
クラスで実際ペアを組んでワークをしたことで、「健康」と「不健康」の違いを体験することができた気がします。その経験によって、前向きにやり取りをしていたと思っていた、友達とのコミュニケーションが実は「不健康」だったということに気づきました。
私たちが使っていた「言葉」は前向きでしたが、わたしの心と、相手の心は、お互いの探り合いでした。
そして、あまり問題なくコミュニケーションが取れていると思っていた、姉とも「不健康」なコミュニケーションだったということがわかりました。
わたしは、いつも姉と合うと身体が強張り、疲れていることには気づいていました。喉に力が入り、首回りが緊張しているのです。
でも、何が問題かわかりませんでしたし、ケンカもしないし、姉が怒ることもないし、お互い他愛のない話をして笑い合う…なんの変哲もない会話。原因がイマイチ不透明でした。
確かに、姉が、「共依存」や、「AC」なんじゃないかなと思っていました。
だから、やり取りがうまくいかない。
でも、それと現実の状況ががうまく繋がっていませんでした。今回新たに得た視点で、それが繋がった気がします。
これまで、いろいろな ONSA WORKSHOP(対面式)に参加させていただき、Web. WORKSHOP にも参加することで、いろいろな切り口から自分の家族が「どれだけ不健康か」ということは分かっていたつもりでしたが、自分のこれからのライフスキルを学ぶこの「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」のクラスで、まさか、自分の家族の「不健康さ」をまざまざと感じるとは思いませんでした。
本当に、リアリティのある感触で、自分の家族の「不健康な実態」を感じた気がします。
そして、「アサーティブな表現」の実践はといえば…。
ワークショップ・クラスからの一週間を報告しますと、
失敗してます。
大いに失敗してます。
早速、ワークショップ・クラスの次の日に気持ちよく転びました!
もちろんですよね(笑)。
成功もしているとは思います。
というか、成功もあります。
ここは謙遜せず、自分を認めます。
「よっしゃ、うまくいった!」
あります。
自分が、たくさんトライしてくれているから「成功」が生まれているんだと思います。
めげずにトライしてくれてありがとう、わたし。
失敗が怖いわたし。
特に、人とのやり取りに関しては傷つくのが怖くて「完璧」を求めます。
「人と交流をして、失敗して傷つくなんて絶対嫌!」
わたしは、コントロールする気持ちが強くなり、鎧を重ね着してました。
そんなわたしが、現実の世界での人とのやり取りを「アサーティブな表現の練習の場」と考えられるほど余裕が出たのです。
大成長です。
こんな変化をする勇気を持てたのは、クラスで「健康な世界」を見させてもらったからだと思います。
体験までさせてもらえました。
クラス直後のわたしは、
「あー! わたしも「健康な世界」に住みたい!!」
「もー! 絶対この「不健康な世界」を脱出する!」
「絶対の絶対に! 「健康」になる!!」
と、心で大叫びしました。
この気持ちが、わたしを動かしてくれていると思います。
過去の繰り返しの行動はやめて、いま、新しいわたしが行動します。
じゃないと変わらないことが、ようやくわかりました。
当たり前のことだけど、過去の繰り返しがこれからの未来を変えられないことが、わたしには分かりませんでした。
わたしを「健康な世界」へ連れてってくれるのは、この世の中でたった一人、「私」しかいない。
だから、わたしはいま、変わります。
近道はない。
「いま」の積み重ねのみ。
よし。
C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) あやねクラス
ワークショップ・クラス当日から、あっという間に1週間が経ちました。
すっかり現実の時間に戻ったせいか、すごく前のことだったようにも感じています。
今回のクラスも、いい意味で想像していたのと違っていました。
「出来なくても、自分を責めない。理解する。」とおっしゃって下さいましたが、私は「出来なくて、ショック!」とか「何で出来ないの!?」と思うより、「出来なくて、仕方なかったんだな(納得・ある意味あきらめ)」と感じる方が大きかったです。
ワークショップ・クラス中と今週は、心の奥にある静かな痛みを感じながら過ごしました。
私は、今回のクラスでは「自分が自己主張する」方法を学んだり練習するのかと思っていましたが、「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」はもっと深いものでした。
私の今の理解では、「境界線」をちゃんと持った健全な人同士が、お互い100%を求めず譲り合いながら健全に関わっていくやり方で、「相互依存」の世界そのものだと思います。
(「境界線ワークショップ」を受けるのが前提条件だったのも、納得です。決してふざけてる訳じゃないですが、当日やったワークは、「相互依存」の世界をチラ見したような感じで楽しかったです。この「楽しさ」を味わうだけでも、参加する価値はあると思います。素直に「こうなれたらいい」と思えるし、先の希望が見えることが自分のエネルギーになるんじゃないかと思っています。)
振り返ってみて、私にとって衝撃的だったこと・強く印象に残っていることは…
・「共依存」と「相互依存」の世界感の違い
・「アサーティブ」=自分から与えること(能動)、あふれているから出来ること
・結論は決まっていない(予定調和ではない)。今、この場で決めて行く。
・孤独な自我、ナルシシズムからの脱却
・自分が分かっていないと、「NO」は言えるが、「YES」は言えない
です。
「健康な人同士の関わり方は、横並び。同じ目的があるから、一緒にやっていく。道が変わったら、手を放す。(反対に、共依存の関わりは、つかみあい。お互いを自分の思う通りにコントロールしようとする。)」
私は、人との関わり方で違和感を感じたり、「冷たいな」と感じることがあるけれど、相手が冷たいんじゃなくて「健全」なだけ。相手と私の世界感が、そもそも違うだけ。
すごく痛いし、違いを感じることで今さらながらさびしくなりましたが、日頃「健康な人」との間に感じる「言葉に出来ないもやもや」がしっかり形になって腑に落ちたので、よかったです。
「健康な人は、まだないもの・やってもらっていないものではなく、もうあるもの・やってもらったことに注目する習慣がある」
私は、正直言うと、まだまだ前者です。
「おかげさまで」のワーク(もうやってもらったことに注目して、コミュニケーションする)の時、言うのも言われるのも心がすごく楽で自由な感じがしました。
これがデフォルトになったら、もっと生きやすくなるな…と感じます。
「健康な人は、心の内側が満たされてあふれているから、いいことをしたくなる。自分から人に関心や励ましを与えて、人と関わっていける」
これも、痛かった。
「相互依存」の人と私。私がこれまでやってきたこと。本当に違っていたんだと実感しました。
私は、自分の内側に「あふれて」「人に与えられるもの」が育っていないのに、必死で「あるふり」をして、形だけ「相互依存」のまねをして、人に与え「うまくいっている人」のふりをしてきました。
そうして、「なんだか、つかれる」「自分ばっかり与えている気がする」「持っていかれるばかりの気がする」になっていました。
自分から人の間に出て行きたいと思えなくて、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。
私は、「相互依存」の人といるのが好きでした(今も、好きですが)。
今振り返ってみると、単に好きというのもあるけれど、「そういう人といると、自分まで「相互依存」の人になれたような気がするから」もあったと思います。
だから、そういう人を探して近づき、自分でも気が付かないうちに、相手が離れて行かないようにコントロールをしていたのかもしれません。
このやり方は、本当に間違っていました。
人を頼って左右されるのではなく、まず自分が上辺でなく心の中から変わっていくことが、何より大切だと感じています。
「結論は決まっていない(予定調和ではない)。今、この場で決めて行く。」
正直「え~っ!?」って感じでした。
私は、大抵「自分の結論」を持っていて、そこへ持っていくことが「自己主張」だと思っているところがありました。
カウンセリングの時さえも、自分の持っている結論へ持って行こうとがんばっているかも…?
それか、全く逆で、決めることを全て相手に預けてしまったり…。
私は、人との関係も、「今ここ」のコミュニケーションも、「相手と作り上げる」という意識が薄かったかもしれません。
「最初から結論はない。今ここで、相手と決める。」
「自分の意見もあるけれど100%通すのではなく、相手と尊重し合ってお互い80%位にしても、結果は120%になる」
(違っていたらすみません)
ワークショップ中に聞いた言葉の一つ一つが、鮮烈でした。
「孤独な自我、ナルシシズムから脱却する。自分だけ(自己中心=子供)の世界から出る。」
これが今回一番痛い言葉でしたが、自分の得体の知れない孤独感の原因の一つをつかんだと感じました。
私は、自分にも人にもまだ厳しいと思います。
頭では自分も人も100%になれないことも、100%自分に合う人もいないと分かっているけれど、心の深いところでは自分にも人にも100%を求めて、でもそんなものはなくて、自分1人の世界にいる自分が見えた気がします。
(正直、そんな自分がひどく幼稚でわがままに思えて、ちょっと落ち込みました。)
そういえば、私のプレワークは、言わずに自分の中だけで完結していることが結構ありました。「自分で消化出来ている」としたらそれはそれでいいけれど、独りよがりになっている可能性もあると感じました。
「自分が分かっていないと、『NO』は言えるが、『YES』は言えない」
プレワークの時から、薄々感じていました。私は、まだ自分がどうしたいのか分かっていません。
「NOと言うだけでは、肯定的な人生を作れない」
「NOと言い続けて、孤独になる」(これは聞いたことだったか、自信ありません。違っていたらすみません)
聞いた瞬間、ドキッとしました。
今までの私の人生はこうだったので、まるで見透かされたように感じました。
振り返ってみると、私は、「イヤだ」と感じることは沢山あってNOは言ってきましたが、肯定的なYESで決めてきたことって思い出せません。
私は、自分が「何がいい」か分からなかったし、「7~8割OKだったら、OK」を知らなかったから、NOと言い続けてきた気がします。
今の自分の状態は、NOとだけ言い続けた結果なのだと感じました。
私が「人生を作り上げられなかった」って感じるのは、カウンセリングで「自分で決めている」と言われても腑に落ちなかったのは、こういうことだったんですね。ズバリ、核心でした。
それにしても、コミュニケーションって深いですね。まさか、自分のこれまでの人生を振り返ることになるとは思ってもみませんでした。
「間違っていた」「違う」ばかり気付いたワークショップでしたが、参加出来て本当に良かったです。
「違う」と分かったから、やってよかった。
失敗は、恥ずかしいことじゃない。
そもそも全く知らなかったことだし、心の世界(次元)が違ったのだから、今出来なくても仕方ない。
今の自分に無理なことに挑んでいたと分かって、良かった。
自分の周りに方法論をくっつけて、コントロールしようとしていたことが間違いだった。
「出来ない」「違う」って分かること・受入れることは、優しいことでもありますね。
自分を責めずにいられるし、違う新しいやり方に向かうことが出来るから。
ところで、私は今回初めてワーク(ロールプレイ)を、憂うつじゃなくて楽しいと感じました(決してふざけてる訳じゃないのですが)。
ほめるのも、誘うのも、謝った後そこから関係を作るのも、ほめてから「NO」を言うワークさえ楽しかった(楽しく安心だと、「私」って意識しなくても、自然に自分のことも言える気がしました)。
と同時に、「うえていた」とも感じました。
私は、本当はずっとこんなコミュニケーションをしたかったのかもしれない。
正確に言うと、私は日常で全くこういうコミュニケーションをしてこなかった訳じゃないと思います。
ただ、きっと、利用されないように身構えていたり、「自分なんて」って思って、心を閉じながら形だけしていることが多かったのだと思います。
楽しかったのは、心を開いていたからなのかもしれない。
いつも心を開いていられるようになれたら、幸せだろうなと思いました。
私は「自分の人生を何とかしたい」思いから「回復」を続けていますが、心のどこかに常に「人生を変えるなんてもう無理だ」「もう、選びようがない」という思いがあります。でも、今回コミュニケーションと人生のつながり(?)を考えたことで、「どんな人とどんなコミュニケーションをしてどんな関係を作るか考え決めることは、自分の生き方・人生を選び変えるってことにはならないだろうか?」と感じました。
少し、光が見えた気がします。
とはいえ、課題も見えました。
私は、もっと自分の傷を知って理解して癒した方がいいし、自分がどうしたいのか、もっと掘った方がいい。
「境界線」も補強した方がいいかもしれない。
これからも、一歩ずつ進んでいきたいと思います。
最後になってしまいましたが、藤沢さん、ご一緒した皆さん、本当にありがとうございました。
皆さまの雰囲気のおかげで、私は、今までで一番心を開いてリラックスしていられたし、沢山気付くことが出来ました。
今後とも、宜しくお願いします。
P. S.
お昼休みに外を歩いた時、きれいな青い蝶が飛んでいるのを見ました(以前あった、ワークショップのチケットに印刷されていたような蝶でした)。
たしか、蝶は鹿と同じで「変化(変容でしたっけ?)」の象徴なんですよね?
蝶が私たちの変化を見守ってくれているように感じられて、嬉しかったです。
M. T. さん(40代以上/東京都よりご参加) あやねクラス
「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」のワークショップを終えて、今回は涙を流すこともなかったけれど、終わったと同時に頭が疲れているのを感じました。
多少、日常でもやっているかもなんて軽く思いながらだったけど、身体がものすごく疲れたということは慣れないことをやっていたということだったんだと思った。
言われていることは言葉としては伝わってくるものの、ただただ茫然としていた。
前もって考えていた「アサーティブ」とはまるで次元というか、前提が違いすぎてた。
自分を満たしていて、そこからあふれ出てくるものだったなんて…。
思いもよらなかったし、世界が違いすぎる…。
私は、自分を満たしてあげられていないことはこれまでのワークショップを通して気づかされ(「ビーカーの絵」は、初めて知ったとき本当に衝撃で、自分の状況はまさにこれだ! と思い知ったのを思い出します。)、いまだ、自分を満たしてあげられていないなと思っていた中での、この前提条件だったので、まだまだ文句ばかり言っている自分にはハードルの高さを感じました。
とはいえ、練習で「健康な世界」でのやり取りを体験してみると、心地よく、「健康な世界」に引っ越ししたいと強く思いました。
ビジネス上でも「健康な世界」ではふつうだなんて…。
驚きでした。
あと、自分が表面上は肯定的な言葉を言うこともあるけれど、それが本当の意味で「アサーティブ」として行われていたかは怪しいものがある…ということにも気づかされました。
上っ面をさらさらっとやっていたのかもしれないと。
方法論として、良いことをいってから、修正点などを伝えましょうとは知っていてそれをやったこともあるけれど、前提に立っていない状態でやっていたのだから、その後にすごくエネルギーを使ったというか消耗したような感覚になったのも、今ならわかる気がします。
そして、自分がいかに病んだ世界に住んでいるのかを改めて感じました。
文句の切り口からみても、自分も文句を言っているけれど、私の周りの環境(家庭、職場など)も文句が当たり前にあふれていて、文句を聞かない日はないなと思いました。
そんな毎日は悲しい。
これまで知らなかった「健康な世界」を垣間見ることで、自分の置かれている状況をまた知るきっかけになったと思います。
「焦らず、でも急いで…」
これからもひとつずつやっていきたいと思っています。
優月さん、ご一緒したみなさん、
ありがとうございました。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。