M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) はるなみクラス
[1]
あなたの問題は、そもそも、どんな主訴でしたか?
ONSA に出会った頃は、家族で自営業をしていて、辞めたくても辞められない状態が10年以上続いていました。
ONSA にたどり着いたとき、
「何かがおかしい。でも、何がおかしいのかわからない。」
を読んだとき「ここだ。」と、藁をもすがる思いだったことを思い出します。
「もうなんのために生きているのかもわからない。」
「自分で決められない(大事なことほど特に)。」
「死ぬまでの時間をやり過ごしているだけ。」
「自分のためには生きられない。それに、今更どうやって生きればいいのかもわからない。」
「自分と向き合おうとしてもどうしたら向き合えるのかすらわからない。それに、向き合うことがこわい。」
と、感じていました。
そして、両親の作った透明の箱からは出られない。しかも、足首にはおもりが付いていて逃げられない(イメージ)とも感じていました。
それが、両親とからまってぐちゃぐちゃになって、ちょっとやそっとじゃ離れられない共依存の状態だと知ったのは ONSA で学び始めてからでした。
その後もワークショップに参加するうちに、自分が傷つかないために感情を凍らせていること。自分が自分にまでも鎧をつけて、心を開けずにいることがわかりました。
私は現実に対応するために、自分が自分にサインを再三送っていたのに、無視し続けて、自分の信用すら失くしていたことに気付きました。
こうして書いていると、知らないうちに自分と向き合えるようになっていたことに気付きます。
自分や現実と向き合うことは苦しいし、辛いけど、楽しくもあります。
ずっと、自分のことが知りたかったから。やっと、少しずつ自分を感じるようになってきたから。
そうして、色々なワークショップに参加をしながら、自分の中に根強くあるものに TAT セッションを通して向き合うことにしました。
プレワークで出たのは
- ・ありのままの自分でいて良いと思えない。そもそも、ありのままの自分がわからない。
- ・自分は出来が悪い。
- ・人の役に立たなければいけない。役に立たなければいる意味がない。
- ・自分の夢や希望は、あくまで夢や希望で、現実に叶うものではない。自分の好きなようには生きられない。
- ・自分が大切な存在とはどうしても思えない。
そして、実際に TAT セッションで口から出たのは
- ・堂々と自分を生きていいと思えない。どこか、息をひそめて縮こまっているような感じ。カウンセリングや ONSA での回復作業すら本当はどこか後ろめたく、いつかはまた両親との共依存の場所へ帰らなければいけないと思っていること
- ・兄の代わりはもう嫌だ、ということ
[2]
どんな環境、どんな過去を持っていますか? どんな痛みの体験が影響して、そのような主訴を持つようになったのでしょう。
私には2つ離れた兄がいます。
母にとって兄は1番で。私はついでというか、おまけというか…。
母と兄をいつも遠くから見ていたような気がします。
小さいながらに、なんとなく兄は優れていて(話し始めるのが早い、かわいいなど)みんなから大事にされていたのはわかりました。私は話すのは遅い、近所の人に下駄みたいな顔だと言われたと聞かされたりして、自分が劣っているから兄が優先されても、私が放っておかれても仕方がないと思っていたような気がします。
とにかく、邪魔にならないようにしていました。
その後、兄が病気になり入院したときは祖父母の家に預けられました。
兄が退院して両親の元に帰ることになったとき、私は帰るのをすごく嫌がったそうです。祖父母の家では比べられることもなく、気も使うこともなく、まだ叔母たちもいたたため楽しかったのだと思います。家に帰るのに全然嬉しくなくて、泣き疲れてボーっと夜の外の景色を車から見ていたのをなんとなく覚えています。
そして、逆に兄のスキー合宿に家族で一緒に行く日に私が水疱瘡になってしまったとき、母と兄は私を父に任せてそのスキー合宿に行ってしまいました。
子供ながらに申し訳ないと思う気持ちと、寂しいと思う気持ちがあったように思います。
そういうことでも、やはり兄が優先されたと感じていたと思います。
兄を優先されることで、「私は大事な存在ではない」と思うようになっていったのかもしれません。
その後も母は兄に教育熱心でした。
ですが、兄はそれに耐えられず、大学を機に家にはほとんど帰って来なくなりました。
兄は「この家のことは任せた」と言っていきました。
ずっと注目されていた兄がいなくなり、母の目は私に向き始めました。
それまでは「大人になったら早くこの家を出て好きに暮らすんだ」と思っていたのに、やはり両親がこちらを向いてくれると嬉しかったです。
でも、今考えればそれが共依存の始まりだったのだと思います。
両親の喜ぶ顔が見たくて、知らず知らず結果的に「自分を封印」していきました。
兄がいない分、兄が両親を悲しませた分を自分が頑張らねば、両親に失望されないようにしなければ、と思っていたように思います。
[3]
ONSA WORKSHOP および TAT セッションで、その過去(正確には、 過去に対する考えや意見、痛みの感覚やぐるぐる思考など)がどんな風に変わってゆきましたか?
自分を縛っていたものが切れたような、遠い感じがします。
過去は過去で、今の自分とは関係ないというか。
過去と距離が出来たというか、ぐるぐるし始めたとしても「あ、これは過去の痛みだ。」と気づくことが出来るようになって、過去とぐるぐるに絡まるようなことは少なくなってきたように思います。
[4]
TAT セッションを受けるには、どんな前提条件が必要だと思いますか?
ここで言う条件とは、人的条件やお金といった条件ではありません。
たとえば、集中を切らさないで人の話を聞けること、自分の痛みのルーツが分かっていること。「裁かない」こと、自分にウソをつかないこと、時間に間に合うように来ること、ルールを守れること、協調性が養われていること……など、体験した人だから分かることがあると思います。
ONSA WORKSHOP と TAT セッションをご自身で体験してみて、TAT セッションにはどのような前提条件が必要だと思うか、受けてみて感じたことを、教えてください。
「4つの約束」を守れることが本当に大切だと最近思います。
ワークショップを続けていけばいくほど、この約束の意味と重みが増すような気がします。
自分では特に「心を開くこと」がとても難しかったです。
自分では心を開いているつもりでも、それは表面上でしかなかったことに気付いたり。
まずは、本当に「自分に心を開く」ことが出来るようになることが大事だと思いました。
あとは、「自分がふたをしていた部分」に目を向ける勇気、それを表に出す勇気。
[5]
もし自分が ONSA WORKSHOP で訓練をしないまま TAT セッションを受けていたら、どんな風であったか、想像して教えてください。
実際は ONSA WORKSHOP で訓練を受けてから、TAT セッションにご参加くださいました。
でももし、そうではないとしたら……。たとえば人を裁いていたかもしれないとか、「今」に集中できなかったかもしれないとか、そもそも自分の問題が何であるか分からなかったかもしれないとか……どんな風であったと思われるでしょう。
率直に感じたことを教えてください。
表面上の問題に終始していた気がします。
自分と向き合っていないのでどこか他人事というか。そしてまず、自分に集中できない気がします。
「とりあえず、なんだか軽くなった気がする。また、頑張ろう!」
と、結局は自分の本当の問題に気づくことも出来ず、また同じことを繰り返していた気がします。
[6]
ONSA WORKSHOP は、TAT セッションを受けるにあたり、あなたにとってどんな風に役立ちましたか?
具体的に振り返ってみてください。
TAT セッションを受けるにあたって自分が本当に本当に手放したかったものがわかったこと、それを実際に話すことが出来たり、プレワークなどでより深く自分を見つめることが出来たのは、それまでのワークショップでの歩みがあったからだと思います。
[7]
TAT セッションを受けてみた後、1)と2)で書いた問題は、どのように変化しましたか? そしてその変化は、あなたにとって、どんな風に感じた出来事だったでしょう。
あなたの言葉で教えてください。
どうしてそんな考えに囚われていたのだろう? と思います。
TAT セッションを受けてから初めて
「ありのままの自分でいいんだ。このままでいいんだ。」
と普通に思うことが出来ました。
衝撃でした。
「いやいや、そんなことはない。表面的にそんな気分になっているだけだ。どこかで『ありのままでいいわけがない』と思う自分がいるはずだ。」
と思い、自分の中を探ってみましたが、ひとかけらも見つかりませんでした。
そして、縮こまって生きなくてはいけない。カウンセリングや ONSA も後ろめたい気持ちで参加していたのに、そういう気持ちもなくなっていました。
のびのびとした気持ちというか。
「自分の人生を生きればいいんだ。大手を振って回復するぞ!!」
という気持ちになっていました。
なんだか、とても不思議な感じです。
そんなことを思う日が来るなんて想像もしていませんでした。とても楽になりました。軽いというか。
後ろ髪を引っ張られないような感じです。
[8]
これから ONSA WORKSHOP ならびに TAT セッションを受け、みずからのトラウマに向き合ってゆく方に、メッセージをお願いします。
自分に向き合った分だけ、自分と仲直りできる気がします。
それは、今までヨロヨロとでも回復の道を歩き続けることが出来たから感じることなのかもしれません。
私は本当に「感じる」ことを完全に放棄していました。
感じたら、目を開けたら、ふたを開けたら「自分は壊れてしまう」と思っていました。
でも、このまま自分の人生を生きることもなく、ただ両親のために生き、死ぬまでの時間をやり過ごす。本当にそれでいいのだろうか…。ここから出ることはもう出来ないのだろうか…?
心のどこかで諦めきれず…、でもどうしていいかもわからない…。
そんな時に本当に偶然『夢かな手帳』に出会い、ONSA にたどり着きました。
ONSA に会ったときは、本当に藁をもすがる気持ちでした。
「自分で自分がわからない」
「自分がない」
「他人重心でしかない」
ぺらぺらの半透明のような自分でした。
でも、ワークショップで学び、導かれながら、ここまで歩いてきました。
今思えば必死だったり、必死なつもりだったり。辛くて投げ出したり、戻ったり。
知識を得るごとに、ショックで泣いたり。逆に理由があったことで安心したり。
自分では今まで、ちっとも進んでいないと思っていました。
でも、振り返ってみると道がありました。進んでいたことに気付きました。
そして、ぺらぺらの半透明ではなく、透き通っていなくてちょっと厚みがあって、ちょっと押されてもボヨーンと戻って来れるしなやかさがある自分になっていました。
私は、「その事実(家族問題、共依存)」に気付いてからも、それを認め、「表に出す。光のもとにさらす。」ということがなかなかできませんでした。
しようと思ってもできませんでした。
ワークショップで時間をかけてできるようになりました。
そこから進みだした気がします。
うまく書けませんが、本当に「ひとりじゃないよ」です。
少なくともここには仲間がいます。
はじめは私は「ひとりじゃないよ」って書いてあるけど、「ひとりだよ…。」と思っていました。
でも、ワークショップを進めるうちに本当に「ひとりじゃないよ」の意味も理解でき実感しています。
とにかく、「しがみつく」ことで気づくことがあります。
自分と仲直りをすることはとても時間がかかると思います。
私もまだまだ道の途中です。これからも歩いていく間に、止まったり、戻ったり、引き戻されたりすると思います。
でも、歩くことをやめなければ(それが1ミリでも)知らないうちに違う景色になっています。
だから、やめないでください。辛かったら、しゃがんで休んだり。「もう、無理だっっつーのー!!」と叫んだり。落ち着いたら、また自分のペースで立ち上がればいいので。
苦しい思いをした分、している分、自分を大事にすることをあきらめないでください。
[9]
最後に、ここまで歩いてきた自分自身に、メッセージをお願いします。
まずは、本当にお疲れ様でした。
いつも驚きますが、意外とガッツがありますね。
でも、そのガッツのおかげでここまでたどり着くことができました。
ありがとう。
今回の TAT セッションは本当に受けて良かったね。
悔いが全くないくらい、出し切れたと思う。
自分でも驚いたのは「兄」の話をしたこと。我慢してたんだね。頑張ってたもんね。
やっぱり、腹立つよね。
それを TAT セッションに出せたこと。すごいと思う。
プレワークのときは出なかったのに、TAT セッションで出たとき本当にびっくりした。
「両親」だけでなく「兄」も絡まっていたこと、心のどこかで知ってたんだね。
「ここでこれ出さなきゃ後悔する!」ってサインをきちんとキャッチできたことすごいと思う。
自分の中で「たいしたことない」と思っていることで、でも、頭の中から消えないことっていうのは、本当は自分の中ではとても大きな問題なんだって、最近わかってきた。
そこを見逃さないように、これからゆっくり掘っていこうね。
そして、TAT セッション後「ありのままの自分でいい」「回復は後ろめたくない」「縮こまってビクビク生きなくていい」って、本当に思えたね。不思議だね。
自分の1番手放したかったものを、きちんとわかるようになってきたのは、このワークショップを続けてきたからだね。
あとは、自分が納得できるまで何度でも取り組むことができること。すごく安心するね。
私は多分、こういうことがしたかったんだと思う。いつも、駆け足で表面ばかり整えてたから。
自分のペースで。時に見失う時もあるけど、これからも一緒に歩いて行こうね。
R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) はるなみクラス
[1]
あなたの問題は、そもそも、どんな主訴でしたか?
人と向き合った時、自分に何か悪いところ、変なところがあるような気がして、それをなんとか隠そう、とりつくろおうとしてしまうこと。さらに、何かいけないことが自分にあるのに、私はそれに気がつかないかもしれないという緊張感がある。
そのため、人の目を見て話すことや、リラックスして会話をすることができず、いつもどこか緊張している。結果的にとても疲れる。
[2]
どんな環境、どんな過去を持っていますか? どんな痛みの体験が影響して、そのような主訴を持つようになったのでしょう。
小学校の3~4年生のころ、友達から仲間はずれにされた経験があること。
自分で悪いことをした覚えがなくても、突然無視が始まるので、驚き、悲しく思い、腹も立つし、ショックも感じた。かといって大人に話すのはかっこわるいことだし、失敗をすることはとてもみっともないことだと教えられて育ったので、仲間はずれ=失敗=落伍者のイメージがあって、大人に相談もできなかった。
悲しい・さみしい・悩んでいるという感情も隠した。
[3]
ONSA WORKSHOP および TAT セッションで、その過去(正確には、 過去に対する考えや意見、痛みの感覚やぐるぐる思考など)がどんな風に変わってゆきましたか?
過去は、過去。昔起きたこと、と単純に思えるようになってきた。
事実はそのままであるけれども、そのことと、現在の私の何かが太いパイプでつながっているような感覚がなくなった。
[4]
TAT セッションを受けるには、どんな前提条件が必要だと思いますか?
ここで言う条件とは、人的条件やお金といった条件ではありません。
たとえば、集中を切らさないで人の話を聞けること、自分の痛みのルーツが分かっていること。「裁かない」こと、自分にウソをつかないこと、時間に間に合うように来ること、ルールを守れること、協調性が養われていること……など、体験した人だから分かることがあると思います。
ONSA WORKSHOP と TAT セッションをご自身で体験してみて、TAT セッションにはどのような前提条件が必要だと思うか、受けてみて感じたことを、教えてください。
自分のもやもやの根っこが、ある程度判明していること。
なんとなくでも、イメージができること。TAT セッションの場で、心を開けること(閉じないでいること)。
硬くならずに、「ほわーん」としていられること。
[5]
もし自分が ONSA WORKSHOP で訓練をしないまま TAT セッションを受けていたら、どんな風であったか、想像して教えてください。
実際は ONSA WORKSHOP で訓練を受けてから、TAT セッションにご参加くださいました。
でももし、そうではないとしたら……。たとえば人を裁いていたかもしれないとか、「今」に集中できなかったかもしれないとか、そもそも自分の問題が何であるか分からなかったかもしれないとか……どんな風であったと思われるでしょう。
率直に感じたことを教えてください。
それでも効果はあったと思いますが、テーマがより具体的になっていた方が、TAT セッションの場でイメージがしやすいと思います。
自分の頭で意識できていないことまでまとめて取り扱えるのが TAT セッションの魅力だと思いますが、例えばお掃除屋さんをお願いするにも、あらかじめ部屋の中を整理しておいてからの方がぐっと効率的、な感じでしょうか。
今回はとくにプレワークの段階で、だいぶ自分のこんがらがりが解けまして、
「あ、こういう育てられ方、教えられ方をされたから、今私はこういうことに対してもやもやを感じるんだ。だからこれ苦手なんだ。」ということが、いくつか整理できて、TAT セッション前にすでにだいぶスッキリしたのでした。たとえば、失敗を怖れるとか、大声で騒げないとか、やりたい放題やる子どもに対してイラつくとか…。
今まで単にもやもやしていた、その前に自分がもやもやしていることに気がついていなかった時と比べて、問題を明るいところに出して、お盆に乗っけてちゃんと見てみることができたのは、これまでのワークショップの経験のおかげだと思います。
[6]
ONSA WORKSHOP は、TAT セッションを受けるにあたり、あなたにとってどんな風に役立ちましたか?
具体的に振り返ってみてください。
今こうである自分(何かをうまくできない自分、緊張してしまう自分)を、やっぱり私が何か劣っているから・悪いから・うまくないから、と責めないでいられるために、今までのワークショップがとても役にたってくれていると思います。
今うまくできないことイコール自分が悪い証拠では「ない」とわかると、無駄に落ち込んだり、悲しくならずに済みます。できないことには理由があって、その訳がわかってくると、物事を単純に受け止められます。
例えば、私が失敗を怖れるのは、失敗はみっともないことで、恥ずかしいことであると小さいころに教わったからであり、子どもが大人のそういった考えをそのまま呑んでしまうのも自然です。
それがわかれば「ああそうか、そりゃそうだよね。」と納得できます。
ここまで判明しない以前は、「どうして私は失敗を怖がってあれもこれもできないんだろう、なんかかっこわるい。びくびくしてチャレンジしないで、なんかみっともない。」と自分を責めることもありました。
それと、自分の問題(何度もでてくる、うまくいかないこと)が整理されてくると、TAT セッションの場でイメージがしやすかったです。
[7]
TAT セッションを受けてみた後、1)と2)で書いた問題は、どのように変化しましたか? そしてその変化は、あなたにとって、どんな風に感じた出来事だったでしょう。
あなたの言葉で教えてください。
いじめられたこと、仲間はずれになったこと。
プレワークでは、文字でこう書くのも抵抗がありました。
「ずーん」と重くて、嫌な感じ。いじめられた私が何か悪かったんだろう、恥ずかしい、みっともない経験だ、と思っていたからだと思います。
そして、何が悪かったかわからないから、今でも全方向に対して「何か嫌われるようなことをしていないか」と警戒してびくびくしていました。だれも知っている人がいない電車の中でも、肩身の狭い思いをしていました。
心も体も疲れます。
今は、そのことを、単に過去の経験の一つだと思えます。
そういう過去があったことも受け入れられます。
悲しかったし、嫌な思いをした。
しかもそのことを人から隠さなくちゃいけなくて、大変だった、つらかった、とは思いますが、「そういう過去があった。」(以上終わり)、という感じです。
TAT セッションを受ける前との差は、その経験が太いパイプで今の私につながっているという感覚がなくなったことです。
電車に乗っていて無駄に緊張することも減りました。ゼロになったかというと、まだ少し体に何かは残っていそうですが、大幅に減りました。職場にいても、前より体が軽いです。とくにノドのつまりがたくさん減りました(ノドを絞めるクセがあり、今回それも手放しました)。
ほんとうは、元から単なる過去の経験であって、手放してよかったものなのだけれども、なぜか自分で握りしめていたもの、大事に大事に、今の私につながらせていたもの、そういうものを本来の場所(過去)にちゃんと置いて来られた、そんな感じです。
世界が一気にバラ色になることは私はなかったですが、静かに地味に、要らない衣を脱ぎ捨てたような変化を感じます。
[8]
これから ONSA WORKSHOP ならびに TAT セッションを受け、みずからのトラウマに向き合ってゆく方に、メッセージをお願いします。
ともかくここまで、自分をひっぱってなんとかやってこられたことを、よくやったとほめてください。
手かせ、足かせ、ヨロイを着て、しかもそれに気がつかないで、毎日うまくやっている風にするのは、とても骨が折れます。疲れて当然です。
私は、自分が疲れてしまうこと、隠してしまうこと、心から楽しめないこと、これら自体を、自分が何かおかしいことが理由だ、とうしろめたく思っていました。自分が「×」だから、「○」になれないんだろう、他の人みたいに、と。
でもほんとは自分は「○」で、でも「×」「×」「×」(のように見えるもの)が背中に乗っかっていたんですね。
乗っかっているのは、いつかどこかで乗っけられたから、そしてそれを今でも私が乗せているからなので、それに気がついたら「あ、下ろせばいいんだ」と思いました。
自分自身が「×」じゃなかったと気がつけるのは、気持ちがいいし、楽になります。
[9]
最後に、ここまで歩いてきた自分自身に、メッセージをお願いします。
おつかれさまです。大変でしたね。
私ははたから見たら恵まれた環境で育ってきたので(経済的に困窮していない、田舎から早めに出られた、お勉強ができた、とか)、なおさら「大変だ」と騒ぐことができず、自分がどこかおかしいから大変に感じるのかと思ってましたよね。
だんだんそうじゃないことがわかってきて、でもそこに至るまで大変でしたね。
よくがんばりました。
自分を見捨てず、自分をダメにする習慣にも逃げず、良くなる方向を向いて歩いてきたこと。完璧じゃなくても全然いいです。
もちろん、まだ背中に乗っているものがたくさん。一気になんてムリだから、ちょっとずつ下ろしていこう。前みたいに、「×」な自分が「○」になれるように、じゃなくて、「○」の自分に余計な「×」を見つけて手放す。完璧じゃなくていいので、それを気楽にやっていけたらいいですね。
藤沢さん、そしてご一緒したみなさん、ありがとうございました。
TAT セッションを思い出すと、「泣いたなー」と思います。泣けて、ノドで押しとどめずにお話しできたこと、これが今回最大の「自分、やったな」と思える成果だったかもしれません。暖かく、安全な場を作っていただき、感謝します。
これからも地味に静かにやり続けていきます。またお会いできるのを楽しみにしています。
K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) はるなみクラス
[1]
あなたの問題は、そもそも、どんな主訴でしたか?
私は他人の期待に応えたり、仕事で成果を上げたりしなくても、ただ私でいるだけで存在していてよいのだと確信が持てませんでした。
そして、私が私の存在に自信を持って安心していられることができるように、親にして貰えなかったことを赦せず、親に似た外見、振る舞いをする人、こどもに対して一番良いことをしてあげていない人に嫌悪感を持っていて、時に態度に出てしまうことで、人を相手にする職業上、まずいなぁと思っていました。
また、私が女性であることは厄介なことだと思っていました。
私自身には身だしなみを整える程度だと思っていることなのに、外見を整えたりすると「男の気を引こうとしている」という風に母や女性に曲解されて忌々しそうに言われたり、男性からは望まない誘いや行為をされることがあり、自分が女性であることは、女性には歓迎されないし、男性からはセクシャルな対象としてだけ見られてしまう。
女性であることも私の一部として、リラックスして受け入れ、楽しむことができたら良いのに、と思っていました。
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どんな環境、どんな過去を持っていますか? どんな痛みの体験が影響して、そのような主訴を持つようになったのでしょう。
私は、私自身のことを本気で考えた行動を両親にして貰ったと思ったことが有りませんでした。
「こどもだから仕方がないじゃない」って、こどもがいない私でも思うような失敗も許されず、なぜそんなことをしたのか、こどもなりに有ったはずの理由も聞いて貰えず、結果だけを見て嘲笑されたり、茶化されたり、叱られたりしていました。
時に私が自分の意見を言っても、否定、嘲笑、一般論や親の考えで上書きさせようとしたり、忙しいからと取り合って貰えなかったりするばかりで、私は「私が感じたこと、私自身を受け入れては貰えない」「私以外の人(特に母)の役に立つこと、気に入ること以外をするのは歓迎されない」と、ずっと言語的・非言語的に刷り込まれてきました。
女性であることについても、幼稚園の頃、帰り道で知らない人に工場の倉庫のようなところに連れ込まれて下着の中を覗きこまれたり、食事の好き嫌いがあるために帯下で下着が汚れるんだと父から食事の席で言われたり、中学生の頃、知らない中年男性に車で連れまわされたり、高校生の頃、自動車学校の教官に体を触られたり。
母が買ってくれた服が気に入った態度を取らないと不機嫌になられたり、思春期に身だしなみを整えて外見を良くしようとしたり、肥っていることを気にして食事制限や運動をしようとしていると、「そんなことより勉強しろ」と言われたり、茶化されたり、笑われたり。反面、近所の同級生に対してはおしゃれが上手だとか、可愛いだとか褒めているし。夫も、私の体調が悪い時でも、セックスすることを求めてきて、拒否するとあからさまに不機嫌になっていました。
私の感情、思考、存在は無視されたり、軽んじられたりされ続けて、私は私がなぜ生まれてきたのか、生き続けなくてはいけないのかが分からくなっていました。
そんな私にした両親は絶対に許せないし、その両親に似た外見、振る舞いの人、自分の弱さや準備不足などに言い訳をしてこどもに一番良いことをしていない大人を見ると、怒りがこみ上げ、時に感情をぶつけたり、態度に出てしまうことが有りました。
女性であることを楽しんでいるような女性はうらやましく、そうでない自分であることが悔しかったし、男性については、私の感情を無視して、性的な興味だけを持っているようだと感じると、殺意に近い嫌悪を感じていました。
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ONSA WORKSHOP および TAT セッションで、その過去(正確には、 過去に対する考えや意見、痛みの感覚やぐるぐる思考など)がどんな風に変わってゆきましたか?
もういい、って思いました。
いまだに私がなぜ生まれてきたのか、なぜ生きているのかはわかりません。でも、せっかく今、生きているのだし、この命をどう楽しむかは私の自由。余計なことに煩わされている時間がもったいない。
親のことは、もう死ぬまで変わらないのだろうし、今更昔のことを言ってもわからないだろうし、今更謝られても、例えぶん殴ったとしても一瞬気が晴れるかもしれないだけ。
親に似た人も、自分の弱さや愚かさの責任をこどもに転嫁し、言い訳を重ねて、こどもの将来をめちゃくちゃにする大人もいなくなりはしないだろうし、私に性的な興味だけを持つ人もまだこの先もいるかもしれません。
でも、そんな変わらないことに煩わされるより、私が私に集中して、傷ついたインナーチャイルドを癒し、変えられない現実からは賢く適当な距離を取って付合うかきっぱり捨てるかして、私ができる範囲での誠実さで生きればいいって思います。
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TAT セッションを受けるには、どんな前提条件が必要だと思いますか?
ここで言う条件とは、人的条件やお金といった条件ではありません。
たとえば、集中を切らさないで人の話を聞けること、自分の痛みのルーツが分かっていること。「裁かない」こと、自分にウソをつかないこと、時間に間に合うように来ること、ルールを守れること、協調性が養われていること……など、体験した人だから分かることがあると思います。
ONSA WORKSHOP と TAT セッションをご自身で体験してみて、TAT セッションにはどのような前提条件が必要だと思うか、受けてみて感じたことを、教えてください。
上にあげてある全部と、自分の痛みに本気で立ち向かう決意と勇気、対面式の他の TAT セッションを受けて、現実世界を乗り切る力をつけていることや、プレワーク、アフターワークなどの課題に取り組むための時間と根気、自分の感情を言葉にする能力だと思います。
[5]
もし自分が ONSA WORKSHOP で訓練をしないまま TAT セッションを受けていたら、どんな風であったか、想像して教えてください。
実際は ONSA WORKSHOP で訓練を受けてから、TAT セッションにご参加くださいました。
でももし、そうではないとしたら……。たとえば人を裁いていたかもしれないとか、「今」に集中できなかったかもしれないとか、そもそも自分の問題が何であるか分からなかったかもしれないとか……どんな風であったと思われるでしょう。
率直に感じたことを教えてください。
「TAT セッションさえ受ければ、私の問題はすべて霧散する!」なんてこどもの魔法の考えをしていて、現実的な対処方法を知らずにいたら、「この TAT セッションでたちどころに現実世界が良くなるはずなのに! ならない私はやっぱり駄目なんだ。」と、元に戻るか、もっとひどい自己否定に落ちてしまっていたかもしれません。
[6]
ONSA WORKSHOP は、TAT セッションを受けるにあたり、あなたにとってどんな風に役立ちましたか?
具体的に振り返ってみてください。
現実世界の中で、現実的に自分を護って生きるためのスキルを身につけるために役に立ったと思います。
今までに WORKSHOP で課題に取り組むための時間を捻出することができるようになり、何度も何度も自分と対話し、感情を言葉で表現することができるようになり、他の人や、WORKSHOP の場を信頼できるようにもなり、自分が変わりたい、という気持ちを肯定し、嫌なことから目をそむけず、現実的な対処法を学び、練習し、実践でやってみて、誰かの承認を求めるのではなく、自分で自分を誉め、更に進む力が身についていたんだな、と思います。
[7]
TAT セッションを受けてみた後、1)と2)で書いた問題は、どのように変化しましたか? そしてその変化は、あなたにとって、どんな風に感じた出来事だったでしょう。
あなたの言葉で教えてください。
「他人の期待に応えたり、仕事で成果を上げたりしなくても、ただ私でいるだけで存在していてよいのだと確信が持てませんでした。そして、私が私の存在に自信を持って安心していられることができるように、親にして貰えなかったことを赦せず、親に似た外見、振る舞いをする人、こどもに対して一番良いことをしてあげていない人に嫌悪感を持っていて、時に態度に出てしまうことについて。」
→ 「ただ私でいるだけで、何もしなくても、存在していてよいのだ」という確信を持つことに対するこだわりが無くなりました。私がこの世にいる意味は相変わらず解らないけど、それでも生きているし、折角生きているんだから、この時間を楽しんじゃおう、と思えるようになりました。親に対する怨念は無くなってはいないけど、自分に集中していた方が楽しいし、傷ついた私を回復させるには、私のことを一番わかっている私が味方でいて、心理学的に効果のある方法でケアしていくのが多分一番効果的って思うようになりました。
そして私が苦手なタイプの人は絶対にいなくはならないけど、そんな人とは適当な距離で関わるか、出来るなら関係を断ってしまえばいいのだと、シンプルに思えるようになりました。これらは頭では理解できていたことだったけれど、よくわからない、気持ちの底がヒリヒリするような感覚にとらわれて、私が変化することを阻んでいたように感じます。今はそのヒリヒリする感覚は覚えているけど、もう痛みは感じなくて、現実的な対処をすれば良いのだ、と、ごみが落ちていたら拾って捨てる、くらいの意識になっています。
憑き物が落ちた、というか。
なんでこんなに変わっちゃったんでしょう。
「また、私が女性であることは厄介なことだと思っていました。
私自身には身だしなみを整える程度だと思っていることなのに、外見を整えたりすると「男の気を引こうとしている」という風に母や女性に曲解されて忌々しそうに言われたり、男性からは望まない誘いや行為をされることがあり、自分が女性であることは、女性には歓迎されないし、男性からはセクシャルな対象としてだけ見られてしまう。
女性であることも私の一部として、リラックスして受け入れ、楽しむことができたら良いのに、と思っていました。」
→ このことについては。
「男の気を引こうとしている」という風に曲解する人は、私にとっての整容の範囲でもそう思う人なのね、迎合するのは不毛だし止める、と思うようになりました。それが職場の人ならば、仕事さえ邪魔されなければ構わないのだし。そして、私が望まない誘いや行為は許さないんだからね、とも。
今までは私が望まないことでも、無視されるよりはまし、とどこかで思っていて、ある程度は譲歩すべき? と思ったこともありましたが、それに応じた後の気分のひどさを考えれば、応じない方がどんなに楽か知れません。それで嫌われるならそれで結構、むしろ望むところ! くらいの気持ちです。今の私には私が心地よいことが一番大切だと思えるようになったので、他人の意見や思惑は私に害がなければ放置すればいい。外見や内面について、私がなりたいと思う私と今の私とのギャップがあるなら、出来ることから埋めていこうと、これもシンプルに思えるようになりました。
この変化は、今までは私も私をバッシングするひとりだったのが、私の味方になったような感覚です。過去の面倒なこと達はあったけれど、それは必ずしも私が悪い訳ではなく、私が関与できることではないことを押し付けられていたのだと理解できました。
[8]
これから ONSA WORKSHOP ならびに TAT セッションを受け、みずからのトラウマに向き合ってゆく方に、メッセージをお願いします。
いろいろな痛みを抱えながら頑張っておられる方へ。
その努力と勇気は本当に貴いものだと思います。
でも、決して独りで頑張りすぎないでください。
苦しい時に手伝って貰うことは恥ずかしいことでもありませんし、ずるでもありません。
マラソンをするときに、より良いランニングシューズを選び、余計な荷物は下し、コース取りを間違わないように見守って貰ったり、声援して貰ったり、給水を受けたり、負傷したら手当をして貰うようなものです。
現実を変えていくのに WORKSHOP はとても役に立ちます。日々のトレーニングやコースの見守りをして貰っているようなものでしょうか。
TAT セッションは現実を変える時、足をもつれさせる過去の呪縛という荷物を下ろし、傷ついた心の痛みを取るのにとても役に立つと感じています。でも魔法ではないので、その道のりを自分の足で歩き、問題と向かい、解決していく必要はあります。
解決しつくしたら失敗のない世界が待っていて、道が尽きるわけではありませんが、楽になると確信しています。
必要のない荷物はさっさとおろし、終わった痛みからはもうそろそろ自由になりましょうよ。
歩くべき道はまだまだ長いのですから。
[9]
最後に、ここまで歩いてきた自分自身に、メッセージをお願いします。
「何もしなくても存在していいという確信が持てない」ということに、私は何年悩まされたのだろう。
生まれた意味も、生きている意味も解らなくて、本当に苦しかったね。私がしたことは歓迎されなかったし、迷惑をかけるしかできないのであれば、いない方が世の中は平和でよいことなのではないかと何度も思って、実際、何度かいなくなろうとしたね。
結局成功しなかったから、更に悶々と悩んだけれど、それももう懐かしいくらい昔のことに感じる。
「ただ私でいるだけで、何もしなくても、存在していてよいのだ」という確信は相変わらずないけれど、その確信を持つことに対するこだわりはなくなっちゃった。
なんだか拍子抜けするくらい。
その確信がなくても生きてるし、生きてるから経験できる楽しいこともあるし、失敗もするけど、リカバーすることもできる。
多分それでいいんだろうと思う。
何十年も考えたけどわからないことは、もう哲学者の人にお任せしちゃって、私は私でいられる時間を楽しもう。女性であることについても、手術したりしてまで変わりたいとは思わないし、普段特別意識していることでもない。この身体を使ってやってみたいこともたくさんあるから、それを楽しもう。
やっと自分と仲直りできた気持ち。
おかえり、私。
これからを一緒に楽しもうね。