2017.07月開催 「感情ワークショップ 」てんくうクラス

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R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) てんくうクラス



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私が今回気がついた最大のこと。
それは、私のおおよそ85%は、私じゃないもの(考え)でできている! ということでした。
ほとんどじゃないですか…(愕然)。
そのことに気がついて、しかしなぜか怒りはわかず、感じるのは、ただただ「悲しいなあ」ということばかりでした。悲しくて泣いたのって初めてじゃないかなあと思います。

実は自分が「悲しい」という感情、あまりよくわからなかったのです。
人が亡くなった時など、どう考えても悲しんでいいよね、という時以外は、どうも、「私ごときが悲しむなんて」と思っていたようなのです。

感情は、自然に湧くもの、人として感じて当然のもの。そのことがこの頃ようやく腑に落ちてきました。
なにせうまく生きるために、空気も人の気持ちも、ずっと読んできた私。他人の感情の共有は得意でも、自分の感情を自分で共有(わかる、受け止める、批判しない)することが一番難しいと感じました。

でもその85%の他人の考え(主に親、祖父母、受け継がれてきた家の考え)のなかには、私が人の間でうまく生きていけるように、トラブルなくやっていけるように教えてもらったことがたくさんあります。私じゃないものがこんなにたくさんあったということに気づいた今となっては、私の考えじゃないものを「取らない」こともできます。
意識をして、どんどん気づいて分類して、選んでいこうと思います。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) てんくうクラス



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「感情ワークショップ」お疲れ様でした。
ワークショップ・クラス当日は本当に疲れて帰りの新幹線ではぐっすりでしたね。
その割に、クレンジングリアクションが来なくて、むしろ普段以上に動けていたので不思議に思っていたら、昨晩から急に体調が悪くなったね。
なんだか、知らないうちに自分とつながることを拒否していた気がする。
感情を感じないように、忙しくしていたのかな…。
盛りだくさんすぎて、頭がぐちゃぐちゃで、後ろを向いてしまったって感じかな?

無意識の行動だったけど、こうして向き合ったから気づいた。
なんのかんの言っても、向き合う。それは、すごいことだと思うよ。


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今回、感情にもやはり「境界線」が関係してくるということを知りました。

今までは「自分の境界線」を守ることばかりを気にしていましたが、今回「他人の境界線」も侵犯してはいけないということを痛感しました。

それは、自分がしてきた感情表現(特に怒り)は、他人の境界線を侵犯して、その人を傷つけていたということに初めて気が付いたからです。
自分ではそれが「他人の境界線を侵犯している」とは思ってもいませんでした。

私は、自分が思っていることをつつみ隠さず伝えることが「良いこと」「誠実」だと思っていました。「そのほうが、わかりやすい。わかってもらえる。」と思っていました。
自分が我慢していた分、それに気づいてほしいと思って感情を伝えていました。パワーゲームやコントロールにもつながる伝え方をしていたのだと気づきました。
その方法は、今までの処世術で家族の影響も強く受けていたということもわかりました。

親しいと思う人ほど、自分では「良かれ」と思ってしていたその「伝え方」をしていたので、逆に傷つけていたということは本当にショックでした。
でも、今回そのことに気づけたことは大きかったと思います。


また、「言語メッセージ」と「非言語メッセージ」についても、ようやく理解した気がします。
今まで、何度もこの言葉は見たり聞いたりしていましたが、特に意識はしていませんでした。理解していると思っていたのかもしれません。

よくよく自分を観察してみると、私は「言語メッセージ」だけを見るようにしていました。
「非言語メッセージ」の何かを感じても、「気のせい」だと思っていました。「言われたことを信じたい」と思っていたのだと思います。
自分が傷つくことが怖かったのかもしれません。
これからは、しっかり向き合い、感じる練習をしていきたいと思いました。


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ワークの中でペアを組んで「言われて嫌な言葉」とそれに対して「『i-message』で思っていることを伝える」という練習をしました。
その練習で、最初に自分の気持ちを伝えるとき、なかなか始めのひと言が言い出せませんでした。
とても勇気がいりました。

でも、そのあとにチェアワークをすると冷静になり、今まで言えなかった気持ちを口にすることができました。
「今の自分」に戻るとこんなに冷静になるというのはいつも驚きます。
逆に、知らないうちに「過去の自分」に戻っているのも驚きます。
そういうことに気付いて、しっかりチェアワークもしていきたいと思いました。


また別のワークで藤沢さんの「『ありがとう』をしっかり受け止めて」という言葉はとても心に残りました。
「楽しかった。誘ってくれてありがとう。」の言葉に対して。
「いえいえ、そんなそんな…。」ではなくて。

では、なくて…と言われてもそれ以外の言葉って何? と、本気で思いました。
考えて「i-message」で伝えたとき、とても照れくさかったですが、ペアの方との空気がとてもあたたかく、おだやかなものになって、なんだか安心できました。
とても大事な練習をした気がしました。


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今回は、出来ていたと思っていたことが出来ていなかったり、いろいろな新しい気づきがありました。
そして、今の自分だから気づけたり、腑に落ちたり、向き合えたり出来たこともあったのかな…と思いました。

今回、クラスでご一緒したみなさん、お疲れさまでした。
ペアを組んでいただいたお二人も、ありがとうございました。
そして、藤沢さん、あたたかい場所をありがとうございました。




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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) てんくうクラス



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「言いたいことを言う」
それだけのことが私にとって高すぎるハードルだということが改めてわかりました。
誰も、聞いてはくれなかった子どもの頃。演技ばかりで辛かった。

改めて、感情を分析してみると
私は「言われっぱなし」が多いのかもしれない。相手がエスカレートする隙を与えてしまう。
悔しいのに、怖くて言い返せない場面は、正に幼い頃の再演です。
ホントに悔しい…。

自己主張、したい。誰かが代弁してくれるこども時代はとっくに終わってる。
そんな葛藤の日々を、最近は過ごしています。
自分の好きな仕事、見つけたい。
私、今必死です。
どんな時も、自分に集中できたらいいなって思う。


感情って、本当に大切ですね。この WORKSHOP は私にとって重要です。
今回も、ありがとうございました!




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Y. A. さん(20代/福岡県よりご参加) てんくうクラス



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「感情ワークショップ(てんくう)」に参加されたお仲間さん、お疲れ様でした。

私は対面式ワークショップは必ずワクワクを50%にして参加しています。
不安とか、つい過去の自分を責めてしまうとか、色々気をつけないといけないことを守れなかったらどうしょうとか。
そういうのを含めて会場へ向かいました。


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事前のプレワークでの進め方は、正直感情を知ることで、どうなってしまうのだろうと思っていましたが、実際は本当に大事なことでした。

健康な人生を歩めている人にとってはとても当たり前なことができていなかった。
どのワークでもそうですけれど、後天的な学習をするたびに衝撃を受けます。

一緒に対面式でワークを行った方が正直ちょっと心配にもなりました。
逆にいうと、私は私自身の傷を広げきれなかったです。明らかにしきれなかった。
過去の歩みを知るということは、本当に必要なことなのに。

健康な世界での歩み方を一時的に体験することが本対面式ワークショップでの目的でしたが、こうして振り返ると、本当に、全く、一時も私の家族内ではできなかったことだと思い知らされました。

もし健康的な世界へ入れたとしても、私は戸惑ってしまっていたでしょう。


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おおむね健康な世界で、生きていきたいと願った私は、これを乗り越えて、定着したいと思えました。

現実的に、私が感情で考えた結果が目の前にある。
それでも、少しずつ、感情を良き方向へ舵を切る。


未来の私自身へかける言葉は、勇気を出して、参加できて、本当に良かったね。
感情へ耳を傾けれれるように、そういう環境作りに取り組んでいこう。
今からできることを、していこう。
私は知っている。
どうしたいのかを、知っている。

藤沢優月さん、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。




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A. K. さん(20代/静岡県よりご参加) てんくうクラス



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「感情ワークショップ」は初めての参加で、新しい会場ながら、クラスの雰囲気が前回の対面式ワークショップ同様あたたかくて、緊張しつつも落ち着いて参加できました。


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感情に対する認識は、ワークショップ・クラスの前と後では、かなり変わったなと思います。
私にとって、感情とは、振り回される厄介なもの、それなのに必要な時には出てこない困ったものという風に捉えていました。

でも、どうやら健康な人にとっては、違うということ。
それを今回知ることができて本当に良かったと思います。


そして、クラス当日のワークで、嫌な言葉に対して「感じたくない!」と心が閉じようとしている動きに気付きました。
今まで、嫌なことに対してはけっこう、「大丈夫」「これぐらい何ともない」と無理にやってきてしまっていたけれど、もしかしたら、私は感情を感じることに対して、怖さとか不安があったのでは? と感じた。

ネガティブな感情に関して、こんな風に思ってはダメだ! と思ったり、こう感じるはずだと無理に感情を合わせようとしたりしていること。
特にネガティブな感情は、認めることが怖かった。
そういう風に思う自分はダメなんだという風に受け止めてしまっていたなと思う。

それから、私の出やすい感情の癖にも気付いた。
振り返ると、思ったよりたくさんの気付きがありました。


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今まで、感情に関しては、うまくつながれている感じがしない、全然わかっている感じがしないと焦りばかりが募っていたけれど、プレワークをヨロヨロながらもして、対面式ワークショップ・クラスの当日を迎えて、思ったより自分が色々感じていたことにも気付けて良かった。
他の人の感情は気にしても、自分の感情にはあまり注意を払ってこなかったと思う。

どんな感情でも、自分に OK を出せるようになりたい、ということを今回強く思いました。

優月さん、ワークショップを一緒に受けたみなさま、そしてペアを組んでくださった方、ありがとうございました。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) てんくうクラス



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ワークショップ・クラス当日から、早くも1週間。
みなさん、いかがお過ごしでしたか?

私は激流の1週間を、何とか乗り切ったという感じです。
いつも感じることのですが、当日のことがずっと前のことのように感じています。


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私は、「感情ワークショップ」は3回目の参加でした。
参加を決める前は大分迷ったし、正直3回目だから新たに気づくことはあるかな?? と思っているところもありましたが、全然そんなことはありませんでした。
毎回違ったことを知り(学ぶベースは変わりませんが)・気付き・感じています。
(そう教えていただけることに、感謝しています。)

今回は、特に「健康な人たち」と「共依存・機能不全の人たち」との違いが印象に残りました。
ああ、やはり MAX の感情をそのままぶつけるのが日常なのは、異常なのだと。

それなのに、ぶつけた後何事もなかったかのように接してこられることが、どれだけストレスだったか。
いまだに家族に対して感じる感情の重さに納得したし、そんなネガティブな感情も「感じていい」と感じました。


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(ここからは、あくまでも過去の個人的な自分の体験・思いを記録する意味で書かせていただきます。決して、今それで苦しんでいる方たちのことを言いたい訳ではないのですが、もし読んでご不快になられたらごめんなさい。)

しばらく前から薄々感じていたのですが、私の母(と、もしかしたら父も)は法的な範囲ではなかったようだけれど、軽度の発達障害があったかもしれない。
(本人たちは、今生きていても絶対認めなかっただろうし、周りに言っても信じてはもらえないでしょう。発達障害の件は置いても、周りは誰も普通の家族と信じて疑っていないし、今も「いいお母さんだったね」と言われる位。逆に言った私の感覚が疑われるでしょう。本当に辛いところだけど。)

感情の共有が難しかったかもしれない。
「感情を確認してもらう」のは、限りなく難しかったかもしれない。
健康な生き方を教わるのが、より困難だったかもしれない。
それに対する苛立ちで、姉は余計に私に感情をぶつけてきたのかもしれない。

そんな中、私は本当に生き延びるだけでも精一杯だった。
身体症状(広場恐怖症)が出る位、きつい状態だった。

「あまりにつらくて耐えられないから、感情が乖離した」ってことが、よく分かりました。

本当に、どうあがいても「知らない」「分からない」「出来ない」ことは仕方なかった。
それでも、あきらめずに生きて来たこと。
苦しんできた過去の自分、その延長にいる今の自分も、心から抱きしめたい。


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「そうされるあなたが悪い」は、姉に言語・非言語で言われていた言葉でした。
(今回は、姉への感情に向き合いたいと思って参加しました。)

チェアワークする前は、心身縮こまって「子供」に帰って反応していましたが、した後はだんだん今の大人の自分で、自分の意見を言えるようになりました。

最初はしどろもどろだったけれど、回を重ねるうちに「私は、そう言われて傷ついた」「私は、そう言われるのは違うと思う、心外だ、イヤだ」と。
(「こういうことを言うのは「よっぽどの機会」で、健全な人との間ではほとんど使う機会はない」って聞いた時点で、「あー、やはり不健全…」とがっくりきました。「健康な人は、感情 MAX でぶつけてくる人とは付き合わない」って、本当そうだわ…と感じました。)

決して声高ではなくつぶやき位の言葉だったけれど、おだやかに言えたこと。
「練習すれば、私にも出来る」って手ごたえ。
今までの対面式ワークショップでは言えた実感がなかなか持てなかったので、実際に自分の心と口から出たことが素直に嬉しい。


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それから、もう1つとても印象に残ったのは、「相手の感情をミラーリングすることで、ラポール(共感)が生まれる」ということ。
「健康な人は『楽しいから』人とこうやってつながるし、これが出来ないと孤独になる」ということ。

ああ、私はこれが分かっていなかったから、人間関係が不安定だったのかもしれない。
(言葉にしてもらって初めて、自分が育った家族に欠けていたもの・自分が学べなかったことがはっきり理解できた気がします。)

一緒にいて楽しい人と、そうでない人がいること。
自分がうまく関係を築けていた時と、そうでない時。
謎がとけた気がします。


私が関係をうまく築けたのは同じ趣味や関心を持った人たちだったから、逆に「なんとなくぎくしゃくする相手とは、同じ趣味や関心を持っていないから、同じ趣味や関心を持っていない人とはうまくやれない」みたいな思い込みがありました。
けど、違ったんですね。

たしかに、同じ趣味や関心を持った人とは、共通点があるから共感しやすい。
けれど、それだけじゃなかった。

私は、共通点を持たない人にはことさらに、何か特別なことをして(役に立ったり・気の利いたことを言ったりして)認められようとしてきたかもしれない。
無理をしてきたのかもしれない。

けれど、そういうことじゃなかった。

特別なことしなくていいんだなぁ…。
そして、これからの関係を築いていく突破口も「自分の好きなこと」じゃないだろうか…?
何だか、分かって安心感が生まれました。

実際にワークでミラーリングの会話をやってみて、「こういう会話なら、楽しい、安心、信じられる」と感じられました。
(楽しくて嬉しくて、半ばワークを忘れるほどでした。)

「実感」って、実際に自分が体験するからこそ感じられることなんですよね。


私に取って、感情は「ぶつけられるもの」というイメージでしたが、ワークショップが終わった後は「感情はやさしく交換しあうもの」に変わりました。
この大切な変化の種を、変わらずに私を取り巻く環境の中で、日々色々ある中で、大切に守りたい。
そして、花開かせたい。


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ワークショップの内容に直接関係ありませんが、私はここ1年位でやっと「ここにいていい」って感覚が持てるようになりました。
今まで家にいても、学校や会社にいてもそう感じられることはなく、いつもどこか「自分の場所はどこか別の場所にある」と感じていた私に取っては、大きなことだと思っています。

又、ワークショップ中「今にいること・心を開くこと」もそうかもしれません。
それから、今回最後まで集中出来たことも「もう出来たこと」のひとつです。

回復を始めたものの、なかなか手ごたえが持てずに苦しんでいらっしゃる方もおられるかもしれませんが、真剣に時間をかけることは無駄じゃないってお伝えしたいです。


今回また健康な状態・知識を知って、体感して。
ピースがまた1つ1つはめこまれ、モザイク画が出来上がってくるような、だんだん全体像が見えてくるような感じがします。
視界がクリアになったような感じがします。


最後になってしまいましたが、藤沢さん、仲間のみなさん、本当にありがとうございました。
一言ではとても言い表せません。
適切な表現が見つからなくて、もどかしいです。

今回、「感情ワークショップ」にして本当によかった。
終わってみると、そう感じる。
選んだ自分に、そう感じられる・そう出来るよう学べる姿勢を持った自分に、また信頼感を持てた気がします。
そんな自分にも、心からありがとう。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) てんくうクラス



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自分のハラの中にある感情を、言うこと。
それが、私が今回のクラスで体験させてもらった、いちばん大きなことでした。

優月さんを相手に、私は思っていたこと、思うことをひたすらしゃべりました。
うまくできない悔しさ、全然納得がいってないこと、よくわからんという戸惑い、なにより、ずっとずっとためこんできた、たくさんの怒り。

私は、ずっと自分にウソをついていて、その自分で人とうわべだけつきあって、本当は、何も楽しくなんてなかったし、つまらなかった。
ばかみたいって人や世間のことをばかにしてたし、でもその気持ちをおくびにも出さずに、大げさにすごいと言ったり褒めたり。

ほんとは、なにひとつ私のきもちなんてなかった。
あったのは「こういう時にはこう言おう」とか「人のいいところをとにかく見よう、ほめよう」といった、どこから持ち出したのか、もう覚えてもいない「マニュアル」「ハウツー」。

でもそれも、対面式ワークショップで「自分に本気で正直になりたい」と願う私にとっては違和感の嵐。
心の中で「うそばっか」「うそつけ」の声が鳴り止まない。
でもそれは、私への批判以上に「ちゃんと聞いて(これ以上自分にウソをつくのはやめて)」という私への SOS。


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私は、もう限界でした。
どんなにうわべで波風立てずに人と居られても、なにも残らなかったし、むなしいばかり。
人との距離感は近づかないし、ウソついてるから、誰とも心が通ってない気がする。
自分の気持ちを出せない日々は、私を殺し続ける、演技しかないつくりものの人生。

もうこんなのは、本気でイヤだ。
もう無理。
このまま続けていってもむなしいだけ。
かといって、じゃあどうしたらいいのか、それがわからなくて、私はとまっていました。

今回のクラスで、私は、そんな本音を正直に言う、そして聞いてもらうという体験ができました。
…思えば、私、そんな経験なかったんだな…。
家の中でも、友だちとの間でも、人との間でも。


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どこにいても私は、私の感情は「他人のため」にあって
他人の気持ちやニーズ、状況に合わせて「ねじ曲げて」ばかりだった。
そんな状態で、うれしいとか悲しいとか、感じられるわけなかったよね。

でも子どもの頃の私には、私の素直な感情は受け入れられず、それよりも、父や母の感情の方が、優先された。
子どもの私は、ひとりでは生きていけません。
だから私は、自分の心や感情をねじ曲げてでも、生き抜かないといけなかった。

1ミリとて望んでもいないのに、そんな境遇に生まれてしまったこと、
「それはちがうよ」と健康な世界を教えてくれる人がいなかったこと、
どんなに悔やんでも、悔やみきれません。
でも、ようやくこうして、自分に起こっている不健康な仕組みや、周りの他人によって都合良く思い込まされた生き方に、気づくことができました。


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ここからが、ようやく私のスタートです。

ワークショップ・クラスで自分の本音を口にしてからの1週間。
私は『未来日記』で、せっせと思い浮かぶことを、ただただ書き続けました。

最初は怒り。
子どもの頃から私がハラに溜め込んだ怒りは、相当のものでした。
それは、私が他人にどれだけ境界線を侵犯されたかを示し、それに本当は、どれだけ不満と不快、不自然さ、息苦しさを感じていたのか、それを包み隠さず教えてくれました。

そしてもう、この不快さを、私は合理化しなくてもいい。
「他人にも事情があったのです」「それを理解し、許してあげましょう」…。
そんなの、もうどうでもいいって、私は思った。

私にとって「いやなもの」は「いや」。
それでいいし、それしかないんだなって、思います。

私はもはや、私の気持ちに正直であるしかない。
他人の都合や状況、顔色なんて、優先し続けても、私の人生は進まない。


そして、怒りの後には悲しみもわいてきたし、
自分を肯定する、したい! という強さも湧いてきた。

日々浮かんでくる感情、それはいろんな私を見せてくれた。
自分を粗末に扱って、利用してくる人に対する怒り。
自分に起きたことを、ただただ悲しみたい、ようやく、ただ悲しむ、私のためだけに…、そんな時が来たんだなぁという思い。
自分の強さや良さ、培ってきたものを尊重したい、という強い気持ち。


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私は、たくさんの感情を感じながら、でもそこに共通してにじんでいたのは「私は、わかってほしい」という切実な願いでした。

私は、わかってほしい。
この苦しさを、もどかしさを、くやしさを、いらだちを。
悲しくてやりきれない気持ちもわかってほしいし、つらすぎてわけのわからない境遇も、わかってほしい。

誰と話してもつまんないって思って、くさくさしてた気持ちもわかってほしかったし、同時に、いつまでもひとりぼっちで、孤独で、さみしいよっていう気持ちもわかってほしかった。

私は、わたしに見つけてほしかったんだ。
そのわたしをみつけれらなきゃ、救い出すことも、できなかったよね。
だから、ようやくここにこれて、本当によかった。

私が私を知っていくには、たまっている感情を上の方からせっせと出していく必要があった。
せっせと出し続けたら、ハラの奥の方にいる私が見えた。
そうやって、私は私を知っていけばいいんだ。


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私の感情は、私のもの。
私だけの、大切なもの。

それは私を安全に守ってくれるし、危険にはサインを出してくれる。
それを丁寧にキャッチして、私や人生を守るために使えばいい。

私の感情は、他人のためにねじ曲げるものじゃない。
私はこういう人間なんだよ(こういうものが好きで、こういうものはきらいんだよ)。
そういうことをたくさん教えてくれる。

そしてそれを私は正直に人に伝えて、
「私はこういう人間なんです」
「ここまでが、今の私の限界です」
「ここが、私の境界線です」
そうやって伝えて、私という存在をわかってもらう。


文節区切りの線

私が私に感情をゆるしてなかったら、私の人生は土台からおかしくなってしまう。
私にとって、怒りとか悲しみとか嫉妬、憎しみは「あってはならないもの」だった。
それは私に居場所をなくすきっかけを生んでしまうし、「お前はダメな子」と思われたら生きていけなくなる。
だから私は、それらの感情を感じてはいけないと思い込んで、いい感情にねじ曲げようとしてきた。

でももう、他人はいいんだ。
他人に認められないと、生きていてはいけない(ここにいてはいけない)なんて、そんなこと、ないよ。
私は、他人に認められなくても、他人とは違う感情を持っていても、それでもここにいていい。

そうやって、人とは違う私を、それでも OK と受けとめて、正直に、そこから始める。


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もう、自分ばかりを曲げてうわべを合わせるのはやめよう。
私は私の正直な気持ちから始めて、それを伝えたり、理解してもらったり、
歩みよったり…そういうところに、努力を注ごう。

もう、否認や合理化にエネルギーを注ぐのをやめて、目の前の現実や日常で、私の気持ちを大切にするにはどうしたらいいのか、そっちの方を考えて、工夫する。
そういう生き方に切り替えていこう。

波風、立ってもいいんだよ。
だって私と他人は、みんなちがうんだもの。
合わないことや受け入れられないこと、くい違うことは、あって当たり前。


文節区切りの線

これまで私は、「自分を曲げる」ことでなんとか対処してきた。
でももうそれ、私はやめる。
私は私を尊重しながら、人生を安全に進んでいく。
その方法を模索する方を、私は大事にしたい。
もう、自分をこれ以上殺さないで。

私は私の感情から、私の人生をつくっていこう。

今回の対面式ワークショップは、私にとって大きなターニングポイントになるクラスでした。
優月さん、クラスメイトの皆さん、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。