T. S. さん(30代/長野県よりご参加) ぴっころクラス
身体は、正直向き合いたくない部分だった。
自分の身体は好きではなかったし、身体の世話をするのをめんどくさいと感じてもいた。
プレワークをして、たくさんの感覚が浮かび上がってきた。
どれも今までは、なかったことにしていた。
まさに、無自覚から自覚的になる訓練。「0」を「1」にする。
その、「ある」感覚がこんなにあるんだってことが、まず驚きだった。
それがどんな思考パターンから生み出されているのか、そしてそれをどれほど長い時間続けてきたのか、まさに無自覚だった。
ワークショップ・クラス当日、身体の部分が発するサイン、それを知れば知るほど正確なように思えた。
幼い頃にあった症状も、今感じていることも、それなりの理由があって、出てきた感覚なのだ。
その身体の精密さにおどろいた。
大したものだ。
まさに、身体があるだけのことはある!
身体が常に感じていることが、異常信号で、「それが常にあるってことがまさに異常事態ですよね!」と藤沢さんにいわれ、「これは異常事態なんだ!」と気づく自分の鈍さ。
もう、鈍感すぎて笑えた。
そして、それほどに感度を落とさないと生きていけなかった自分。その異常な状況がどれほど長く続いていたか、どうやって生み出されていたのか、共依存、発達障害、被虐の説明を聞いて、ますます腑に落ちてきた。
胃がまた痛くなってきた。
一生懸命新しい考えを消化しようとしていて、いっぱいいっぱいの私。
お昼ご飯を食べながら、胃の説明をよんで、私の身体がんばってんな~って思えた。
そして、ミラーワーク。
私は正直怖かった。
メイクの時だって、まともに自分を見たことがない。
なにかいつも恥ずかしいという気持ちがある。
案の定、鏡の中の私は、怒っていた。自分に向き合わない私に。
自分をないがしろにする自分に。
でもその自分こそが、どんな時も自分のそばにいて、どんな状況でも私をみていてくれて、どんな私を知っても逃げ出さなかった唯一の人だと知って、泣いてしまった。
私はその私をどれほど置き去りにしてきただろう。
どれほど彼女を踏みにじってきただろう。
その怒りは当然のものだ。
自分を大切にしない私に怒っていた。彼女の境界線に何度も踏み込んでそれすら気づかない私に怒っていた。
とても強くて純粋だった。
彼女に語りかけた。
「ごめんね」と伝えた。「ありがとう」と伝えた。
少しづつ彼女の瞳が見られるようになった。
そこには悲しみがあった。
安堵があった。
この ONSA WORKSHOP(対面式)に出ないまま、自分の身体を知らなかったら、この自分を置き去りに進もうとしていたのか! と驚愕した。
過去の失敗の記憶ばかり詰まってる脳や、過去の負のストロークに慣れすぎた心を相手にしてきて、ここにこんなに頼れるヒトがいた!! っていう驚き。
その身体を知って、その頼もしさに安心感と嬉しさを覚えた。
これが自分をリスペクトすること、大切にする感覚かなと思った。
そして、ワークショップ・クラスで知った「快」の軸は今の私にとってとてもわかりやすかった。
やりたいことを考えると、いつの間にか「やらなければならないこと、周りから求められていること」にすり替わってしまう。
それは、自分が求めている達成であったり、他者から求められている正解だったりする。
でも、自分の心と身体の「快」に正直になると、自分のやることはとてもシンプルになる。
この感覚を知れたことはとても嬉しいことだった。
達成の軸は上に上に伸びていくが、どこまで伸びても終わりはない。
それはいつか渇望となり、負のストロークをも求めてしまうのだろう。
でも「快」の軸は放射状に球体となって広がっていって、小さくても大きくても喜びを産む。
その中で達成されたことがあれば、きっとそれがまた新しい喜びになるのだろう。
達成は目指すものではなく、起こるコトだった。
それは柔らかく世界が広がっていくことだと思えた。
そんな世界こそが、私がこれから生きていきたい世界なんだと思った。その世界の様子を垣間みれたことは私にとって貴重な体験だった。
私が私の心を大切にするように、私が私の身体を大切にすることは当然のこと。
「心をコントロールされない、しない、私が私を大切にする」ということは、身体をもそうするということ。
身体をなおざりにしていた私は、まだ心のどこかで誰かにお世話をしてもらおうと思っていたんじゃないかな。
でも私は私の全てに責任を持って生きたい。
身体を知って、少し大人になった気分。
当たり前の「今」に戻ってこれた。
この私と進もう。もっともっと知っていこう。
ワークショップ・クラスでご一緒した皆さん、藤沢さん、予想外の展開で、驚くことばかりのワークショップでした。
かけがえのない時間をありがとうございました。
M. I. さん(30代/福岡県よりご参加) ぴっころクラス
身体と時間のリズムが崩れる仕事に就いている今、毎日、不調。
これからどうしよう?
決められないので、何かのヒントが得られるだろうか? と思って参加した。
身体に見える持病があるけれど、もう当たり前すぎて、放っておくのが常だった。
いつも出てくるのだもの、もういいや。
どうせ治らないのだし。いちいち同情されるし。
そんな風に身体を無視して生きてきた私は、身体に鈍感だった。
そして、倒れるまではいかないので、どれだけでも無視できた。
この ONSA WORKSHOP(対面式)に参加して、気づいたことはたくさんあるのだけれど、自分で気づいて一番「ぎくっ」としたのは、私、不快と感じながらも、ずーっと、その不快と共に居続けることを選んできたのだった。
無意識に、結果として。
環境が変わるのを待つ。
自分から、その不快に手を打たない。
ここまで! という自分の不快ラインに線引きできない(我慢できるから!)のでずーっと、もんもんしながらもいける。
不快にも「正しい」「正しくない」を求めて、不快を判断して葛藤…。
で、あるとき、「もう耐えられない!」といきなり去る。
私が無意識に繰り返すパターン。
そして、この仕事で失われているもの。
ワークショップと『未来日記』で見えてきた、私の世界。
そして、藤沢さんのことばで、心に残ったこと。
「今、ここにいることを、楽しくないかもしれないけど、練習する」
「最初は、努力いるよ」
! …練習!
練習なんだ! と驚いた。
参加した、のメダル集めにならないように、地道に取り組む。
「わたし、がんばるよ」
鏡に映る少女のわたしに、このことばを伝えたい。
あの時間を共に過ごした皆さん、ありがとうございました。
M. N. さん(30代/千葉県よりご参加) ぴっころクラス
藤沢さん、クラスの皆さま、ワークショップ・クラスお疲れ様でした。
ワークショップ・クラス後のこの一週間は、私は、なんだかとても涙もろいんです。
「こころはからだ」とは本当にそのとおりで、身体のサインをきっかけに、こころのセンサーの感度が急によくなったのか、自分の気づきに悲しくなって涙することのがまだ多いのですが、嬉しくて優しいあたたかな涙もあるにはあり。
「自分いじめからの卒業」と「悪口は真剣にやめた方がいい」というワークショップでの学びが私のお守りになってくれています。
「しあわせ」を探してがんばっているのは、見方を変えれば、私だけではなく、家族もなんですね。
それが見えるようになった分、私にとってはほろ苦くなってしまった側面もあるのですが、でも、家族の関係性を今までとは少し違う視点で見られるようになったことで、不思議と家族のみんなそれぞれの「しあわせ」になる力を信頼して、私は私を「しあわせ」にすることに集中していい、と思えるようになりました。
私の場合は、ちょっと自分から巻き込まれていった節があるのかもしれません。
本当にいったい今まで何に縛られていたのでしょう。
C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) ぴっころクラス
「身体が軽くなった!! 頭に血が通った!」
あ、でも、これが「普通のこと」なんだ…。
ワークショップ・クラスの帰り道、いつもとの感覚の違いに驚いた。
いつも、そうだ。
正しい知識を知るから、自分が間違えていたこと・苦しかったことに気付く。
自分のルーツを知り、健康な状態を知るから、自分と自分を取り巻く環境がいかに不健康だった・不健康であるかを知る。
身体がゆるんだから、いかにいつもがちがちだったかが分かる。
鏡みたいに映して比べるものがあるから、自分を知ることを出来る。
…自分の痛みと傷に触れることが出来る。
まるで、1つ1つのピースが、あるべき場所にはまっていくように。
前回「身体のワークショップ」に参加したのは2014年の夏、回復を始めた翌年だった。
あの時は、自分の中にも生の感情があり、過去の未解決な感情が残っていることに気付けた。
感情ではなく身体を扱うワークショップなのに、自分の激しい感情(過去の怒り)が出て来てすごく驚いたこと、今でもよく覚えている。
「いい子の自分」ではなく、「本音の自分」を垣間見た感じだった。
封印されていた過去が蘇ったから、なんだか「インナーチャイルド・ワークショップ」みたい…とも思ったっけ。
あれから4年、よく歩いて来たね。
前よりずっと、自分の心と身体に関心を持てるようになった。ケアもするようになった。
そのせいかな?
今の日常生活の中のふとしたシーンで過去がよみがえっている時が多く、そんな時、身体にサインが出ていることに、敏感に気付けるようになった。
今回もやってみて思うのは、私の身体と感情は、今も過去につながっているということ。
私の身体反応の中には、確実に「未解決の過去」がいる。
私は、もう本当に長いこと不安症に悩まされてきたよね。
発症したのは小学校1年か2年の頃だから、私が苦しさを自覚した頃と一致している。
もうその状態が当たり前になっていたし、私に取っては「恥ずかしいこと」「人から隠さなければいけないこと」だった。
だから、前回は不安症が「身体のサイン」だと気付けなかった。
そもそも身体症状という発想がなかったし、別の問題だと思っていて、完全に切り離して考えていた。
そして、自分を知っていく過程で「もしかしたら、身体症状?」と気付いてからも、中々向き合えなかったし、誰にも言えなかった。
ずっと、苦しかったね。
それが、少しずつ勇気を出して不安症のことを調べたり、自分に向き合うようになって。
まず「調査票」に書けるようになって、Web. WORKSHOP に書けるようになって、カウンセリングでも話せるようになって、秘密じゃなくした。
今ここでも、向き合って書いている。
書いてしまえばささやかなことにも感じるけれど、それでも、このステップは一足飛びにはいかなかった。
そのことが、今ならよく分かる。
これだけとっても、私は勇気があったし、成長してきたよね。
誇りに思うよ。
不安症は、恥ずかしいことじゃなくて、子供の私の「声にならない悲鳴」だった。
言えないから、言っても聞いてもらえないから、言葉のかわりに身体が私の苦しみを表現していた。
私は、つらい現実を見ないようにする為に・まぎらわせるために、解離させていた。
私は、今の大人の現実の中で、「出来ない時」「分からない時」「人と気まずい時」「責められるような空気を感じた時」、何か巨大なぐしゃぐしゃともつれたような訳の分からないものの存在を感じ、「わーっとなる感じ」「カーッとなって頭が白くなる感じ」がする。
そして、その「巨大で不快なもの」を、子供のようにおびえて怖がっている。
恐れと不安と怒りと不満と焦りがないまぜになって、混乱している。
プレワークの記録を取っている時、そのサインが自分で思っていたよりもすごく多く出ていて、驚いた。
そのうち、その「感じ」は、発症した頃感じていた「感じ」と同じだと気付いた。
今振り返ると、そのぐちゃぐちゃして「こわい」ものの中身は、小学校に入ってからの、子供だった私には解決出来なかった問題達と、ストレスのかたまりだったのだと思う。
私は、本当に残念だけど、親からの関心はなく、ある意味放置されていた。
小学校に入る前に出来るようになっていなければならないことを、多分知らなかったし、練習出来なかったし、出来なかった。
物事を順序だててすること、学習の土台になる知識(学校に入る前に準備しておかなければならないこと、予備学習が必要なことが、あったと思う)、身体を動かすこと、勉強の仕方、生活を整えること、人の中でうまくやっていくこと。
全く知らなくて、出来なかったと思う。
そして、教えてもらえていないから・練習出来なかったからという理由で出来なくても、何のフォローももらえなかった(逆に、母と姉から「なんで出来ないの」と責められた)。
そのまま小学校に入って、集団生活になじめず、「出来ないことだらけ」「違和感・不安だらけ」で、家族から感情の共有もなく、家庭がどんどん安心出来ない場所になっていって。
子供だった私には、どれほど負担で、ストレスで、怖くて厳しいことだっただろう…。
当時は、なぜ自分がそんなに不快で不安なのかさえ、分からなかったのだから。
毎日、訳の分からない不快なものに、ただがまんするしかなかっただろう。
「もう、嫌だ」
「感じたくない」
そう思っても、無理はなかった。
私は、当たり前にただの子供だったのだから、自分の力では対処出来なかった。
そんな大きいものの前には、ただ、無力だった。
そして、これは不安症になるきっかけで、その土台はそれ以前からあったと感じる。
「インナーチャイルド・ワークショップ」を受けた今、別の目で見られるようになった。
習った知識と自分の状態を記憶にある母と照らし合わせてみると、私は、母との愛着の絆が築かれなかったか、不安定な絆しか結べなかったのだと思う。
乳児期から不安が強く、「こわい」と感じていた。
そして、絆で結ばれた母親を安全基地として探索を始めるという歩行期以降、けがや事故が多かった。
(しっかり見守っていれば防げたものだったのではないかと、今は思う。子供は危ないことをしてしまうものなのに。ほんと、子供を育てることに無関心だったよね…。)
子供だった私に取っては、そんなけがや事故は「なぜだか分からないけれど、私は、訳が分からないうちに、突然、痛い経験や怖い思いをする」ということになってはいなかっただろうか?
それって、大人に取ってだって、充分怖いことだよね?
不安感が強くなっても、そして、母と離れられず境界線が築かれなかったのも、無理ない気がする。
そんな土台の上に、小学校へ上がってからのストレスが重なり、発症した。
それを放置され続けていたのも、切り離して見ないふりをして、「これさえなければ」と思っていたのも、なんて残酷なことだったろう。
私は私に、ずっと訴えていたのにね。
「恥ずかしい」なんて思ってて、本当にごめんね。
こんな私を、「分かってくれたらいいよ」って許してくれて、いつも優しくいてくれて、ありがとう。
私は子供の頃の記憶があまりないけれど、身体が私の歴史を覚えていた。
全てのことはつながっている。
その中で、私は、今出来るだけのことをした。
本当にお疲れさま。
本当に、ありがとう。
私は、まだまだ知らないこと・出来ないことだらけ。
(「快・快適と達成の欲は違う」「達成の欲はデザートで、心地いい快は基本の食事」なんて、知らなかった!? というか、私は達成の欲が強かったのか! と、衝撃だった…大人になった今、自分から学びに行かないと、こんなこと誰も教えてくれない。)
ルーツを知ったからといって、不安症は治るか分からない。
(調べても「完治しない」と書いてある。)
それでも、「訳が分からず、ただ苦しい」よりずっといい。
また1つ、私が私を知れたのだから。私を心から分かってあげられるのは、私だけなんだから。
私は、今目の前の「ぐちゃぐちゃ」と向き合い続けたい。
大人の私が、子供の私の SOS を受け止めたい。
私の境界線の中から要らない人を出して、私自身を大切に生きられるようになりたい。
解決出来ないこともあるかもしれないけれど、向き合い続けることで「私」との信頼関係を取り戻したい。
私を、心から安心させてあげたい。
…過去の私を知れたから、私に取っては、なんだか今回も「インナーチャイルド・ワークショップ」みたいだったね。
「インナーチャイルド・ワークショップ」と続けて参加したからこその気付きもあったよね。
きっと、この2つを選んだのは、今の私に取って良いことだったね。
私の「やりたい」という気持ちを大切にして、私に取って良いものを選んでくれて、本当にありがとう。
最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆さん、ご一緒した皆さん、今回も本当にありがとうございました。
A. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) ぴっころクラス
私が回復するには、まだまだ時間がかかりそうだ。
今回 ONSA WORKSHOP(対面式)に参加して、その思いがまた強くなった。
ワークショップ・クラス中は「ダメだ……ダメだ……できない、やりたくない!」の声が頭を駆け巡っていた。
ミラーワークはとにかくやりたくなかった。
ワークショップ・クラスでならできるかなと思ったけれど、やっぱり無理だった。
私は、分かったふり、いい子なふり、できているふり、どれもしたくなかった。
皮肉屋と言われようと、そのせいで回復が遅れようと、自分の心に反することは嫌だった。
こんな性格のせいで、小さいころから親や周囲の人に批判されてきたけれど。
素直になったほうがうまくいくことも多いと知っているけれど。
今は物わかり良く、素直になんてなりたくない。
素直になって相手を喜ばせれば、表面的にはめでたしめでたしになるのかもしれない。
けれど、そのあと私の胸にはいつもモヤっとしたものが残る。
これが自分責めにつながることも分かってきたから。
もう、嫌われてもいい。
今はこれが私の素直な気持ちだ。
たぶん、私の気が済めば、この気持ちがスーッと消える日も来るだろうと思う。
だから、気が済むまでやる。
その上で、今の私にできそうなことは、「今、ここ」にできるだけいるようにすること。
ここが鍵になりそうだと感じているので、意識してやっていこうと思う。
ありがとうございました。
S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) ぴっころクラス
ワークショップ・クラス当日は、事情により欠席しました。
(*「平成30年7月豪雨」の影響を、心よりお見舞い申し上げます/編集注)
プレワークに取り組み、気付いたことをここに記します。
「身体の地図」をつけたことで、私の身体には日々の出来事やどんな過ごし方をしたかが反映されていると分かりました。
普段使っていない部分を使ったり、感情が揺さぶられる出来事があったりすると、身体に何らかの変化がありました。
身体は正直だと思いました。
同時に、不調には理由があるとも思いました。
身体が不調を訴えている、サインを送っていると思いました。
私の場合、ガマンして抑えることで不快な症状が生じていました。
自分は、不快な状況でも NO を言わず、NO と言わず耐える・頑張る・忍耐することでその先の「よかった」「がんばった」という評価を得ようとしていると感じました。
たくさんの不快なサインの中で、快のサインについて今回記入できていたことが私のなかでの新たな気付きでもありました。
五感で味わう、今この瞬間を味わうことに集中できていたとき、私にとって至福の時間を過ごしていました。
これが、「今ここ」の「心地よい快」なのだと分かりました。
プレワークで得た気付きをもとに、今後も自分の身体に意識を向けていきたいと思っています。
N. T. さん(30代/東京都よりご参加) ぴっころクラス
あれから1週間しか経っていないなんて信じられないほど色々なことがありました。
だからこそ、1日1日が大切なんだなと思う。
今回のワークショップは初参加でした。
他のワークショップは2回受けているのもあるのに、なんとなく受けていなかったものでした。
でも、受けてみて、これもこれからを生きていくのに大切なものの一つだなと痛感しました。
身体と心の関係を学んで、身体の症状がありすぎて笑うしかなかった。
プレワークでは気づかなかったサインもあって、それを当日に教わることができてよかった。
身体はずっと私にサインを出してたんだな。
私が育った環境がいかに安全でなくて、緊張に満ちてて、危険で、子供が育つ環境ではなかったか、身体はちゃんと感じて、知っていた。
そして、これまでずっと
「もうこんな生き方やめよう」
「このままじゃいけないよ」
って必死で教えてくれてたんだ。
そう思うと、自分の身体が愛おしくなった。
ミラーワークは私の中になかったもの。
だから、すごくぎこちなくなってしまった。
でも、最初見た私の顔が泣きそうだったのは、それだけ自分を責めていたからだと思う。
人の怒りも怖いけど、何より自分で自分への怒りにもびくびくしてたのかなと思った。
自分に「ごめんね」「ありがとう」を言い続けたら自然とだんだん笑顔になって、笑顔がとまらなくなって、胸がじわーっとあたたかくなった。
不思議な感覚だった。
理屈じゃない、感覚だった。
それこそ、私だけの感覚。
これからも、なるべくミラーワークを続けようと思う。
チェアワークを当日まで毎日やっていたけれど、やっぱり日頃やっているのと違うなと感じた。
確かに雑音がなくなる。
これが日常でもできるようになりたい。
これも毎日続けよう。
参加する前より、自分とつながっていると思う。「自分とつながること」を、身体で、心で、教わった。
まだ触り程度だし、続けなかったら、その感覚を忘れて、なかったことになってしまうから続けようと思う。
まず、自分が自分を信頼しなくちゃ。
こんなに色んなことを教えてくれる自分を。
そして、どんな時も逃げずに一緒にいてくれた自分を、もっともっともっと大切にしようと思った。
優月さん、ONSA のスタッフの皆様、「ぴっころクラス」の皆さん、ありがとうございました。
T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) ぴっころクラス
1週間たって、すこしざわざわしていた感じが落ち着いてきたかな、と思います。
相変わらず、体は緊張していて、わたしも緊張しながら生きていますが…ゆるめることのできる時間、場所を探そうと思ったり、今までのなかで、ここはそうかな、と探ったり。
いつもいつも背中や肩、首やおなか、どこかに力をいれている自分。いつも緊張して生きてました。
もう、それが当たり前になっていて、そういうものだと思っていた。
そして、それはどんどん強化されていたんだと思います。
ミラーワークでごめんね、と言ったときは、涙が出ました。
わたしは今までほんとうにわたしのことを認めてなかった。
これまで自分を認めてほしくて、必死にやってきて、でも、わたし自身がわたしのことをぜんぜん認めてなかったんだ、と知りました。それががすごく悲しかった。
わたしを認めてくれる誰かがずっとほしかった。
認めてほしくて、今までいろんなことを必死になってやってきた。
そんな自分を、わたしが一番認めてなかった。
ごめんね、というのは、わたし自身に存在を認めてもらえなかった自分へのごめんね、でした。
この言葉で、これまでの、ずっと認められてこなかった長い長い時間を思って、必死に認めてもらおうとしていた自分を思って、わたしはとても悲しくなります。
わたしはわたしの存在を認めてもらおうと思って、失敗しないよういつも緊張して生きていた。
今でもそう。
無意識のうちに心をブロックし、体を固くしています。
少しずつ、安全な場所を見つけ、安全に生きられるようになりたい。
今回は「感情ワークショップ」も受けたのですが、感情と、体のつながりがわかってよかったです。
「快」を大切にする、というのも、わかりやすくて、とてもいい指標をもらったな、と思います。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。