2015.10月開催 「トラウマケア・セッション」かとらるクラス(Special PAY FORWARD)

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タイトルはじまり目印

Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) かとらるクラス



タイトル下の線


[1]
あなたの問題は、そもそも、どんな主訴でしたか?



自分を自分が受け入れていない感覚。
自己否定感。
私を受け入れてくれるかどうかの不安が、どの場面でも出てくること。
そして、私を受け入れてくれる誰かを無意識に探してしまうこと。



[2]
どんな環境、どんな過去を持っていますか? どんな痛みの体験が影響して、そのような主訴を持つようになったのでしょう。



小さい頃、母との信頼関係が築けていなかったのだと思います。
物心ついたときには、一人でぽつんと部屋に残されていたし、保育園に毎日泣きながら行っていても、どうしたのと聞くこともなく、抱きしめてくれることもなく、園の先生に預けると、私がどんなに泣き叫んでいても振り返ることなく母は去っていきました。
私が泣くことは、母にとっては迷惑で、その気持ちを受け止めてもらった記憶はありません。
また、母に頼みごとをしたり話しかけたりしても、断られたり聞き流されることが多く、温かく安心できる存在ではなく、次第に自分のことを話さなくなりました。

父は、女の人はそれほど学は要らないと考えていたようで、父の考える正しい人生の枠みたいなものがあったように思います。
小さい頃は期待もかけられていなかったのですが、期待をかけていた兄が父の言うことを聞かなくなってきたあたりから、私が父の枠を当てはめられるようになってきました。
私は父に認めてもらえることが嬉しくて、それが正しい人生なんだと思い込んで、父の言うように生きてきました。
でもそこに私の幸せはありませんでした。
何かが出来て初めて認められる感覚、父の枠の中に入っていることが家族の中で居場所がある感覚でした。

小さい頃から両親に、私のそのままを温かく受け入れてもらった感覚が持てなかったことが、現在の主訴に繋がっていると思います。



[3]
ONSA WORKSHOP および TAT セッションで、その過去(正確には、 過去に対する考えや意見、痛みの感覚やぐるぐる思考など)がどんな風に変わってゆきましたか?



過去にとらわれなくなっていると思います。
辛い過去は事実存在するけれど、それが今と繋がっていない感覚になっていると思います。

過去に引きずられてぐるぐるなっていたことが、今は前を向けている感じがします。



[4]
TAT セッションを受けるには、どんな前提条件が必要だと思いますか?

ここで言う条件とは、人的条件やお金といった条件ではありません。
たとえば、集中を切らさないで人の話を聞けること、自分の痛みのルーツが分かっていること。「裁かない」こと、自分にウソをつかないこと、時間に間に合うように来ること、ルールを守れること、協調性が養われていること……など、体験した人だから分かることがあると思います。
ONSA WORKSHOP と TAT セッションをご自身で体験してみて、TAT セッションにはどのような前提条件が必要だと思うか、受けてみて感じたことを、教えてください。



自分自身の回復について、ある程度の道筋が立てられる知識を得ていること。
ONSA WORKSHOP(対面式)や ONSA Web. WORKSHOP などで、自分の苦しい問題について、向き合って見つめることができるようになっていること。
 


[5]
もし自分が ONSA WORKSHOP で訓練をしないまま TAT セッションを 受けていたら、どんな風であったか、想像して教えてください。

実際は ONSA WORKSHOP で訓練を受けてから、TAT セッションにご参加くださいました。
でももし、そうではないとしたら……。たとえば人を裁いていたかもしれないとか、「今」に集中できなかったかもしれないとか、そもそも自分の問題が何であるか分からなかったかもしれないとか……どんな風であったと思われるでしょう。
率直に感じたことを教えてください。



TAT セッションを受けて、過去にとらわれすぎることなく前を向けるようになったとしても、進む方向がわかっていなければどうにもならないと感じます。
ONSA WORKSHOP での訓練がなければ、自分の問題に対処できなかったと思います。

また私にとっては、訓練なしに心を開くということは、絶対にできなかったと思います。



[6]
ONSA WORKSHOP は、TAT セッションを受けるにあたり、あなたにとってどんな風に役立ちましたか?
具体的に振り返ってみてください。



ONSA WORKSHOP が安全で安心して心を開くことのできる場所であるということがわかっていたこと。
信頼ができていたからこそ、心を開いてTATセッションに臨めたと思います。

また、いくつかの ONSA WORKSHOP を受けることで、心理学に基づいた知識をあらゆる方向から身につけることで、過去のパターンには戻らないということができると思います。
仮に過去のパターンにはまってしまっても、すぐに気づき立て直しができると思います。
 


[7]
TAT セッションを受けてみた後、1)と2)で書いた問題は、どのように変化しましたか? そしてその変化は、あなたにとって、どんな風に感じた出来事だったでしょう。
あなたの言葉で教えてください。




過去を見つめて認めて、手放すことが出来ているように思います。

全てではないが、TAT セッションの後は、過去のことは過去として処理できていると思います。
その上で、私の今を見ることができているように感じます。今やりたいこと、やるべきこと、私のためになることに焦点が定まっていると感じます。
私の本来の感覚が戻ってきたように思えます。

TAT セッションを受ける前に TAT の概要の説明を受けたのですが、私は大まかに理解できたぐらいで、すべてを完全に理解できたわけではないけれど、自分に起こった変化にはとても不思議な感覚です。
科学で証明されていることが私にも起こっているんだなという認識です。
でもその中には温かなものを感じるように思います。
 


[8]
これから ONSA WORKSHOP ならびに TAT セッションを受け、みずからのトラウマに向き合ってゆく方に、メッセージをお願いします。



私は自分の問題に向き合うことは、とても恐怖で勇気がいりました。
覚悟を決めて問題と向き合い、見つめてはドッと落ち込み、落ち込んでは問題から目をそらし、でもやっぱり問題は目の前にあって向き合うしかなくって、また覚悟を決めて問題と向き合うという繰り返しでした。
それでも、最初のころに比べるとだいぶ前に進む筋力はついてきたと感じています。

自分と向き合っていく姿勢を忘れていなければ、時には休むことも、辛いときは目をそらしてもいいと私は思います。
自分のペースを大事にしていくことが回復には大切だと感じました。



[9]
最後に、ここまで歩いてきた自分自身に、メッセージをお願いします。



今までたくさん回復の道を歩いてきてくれた私、本当にありがとう。
上を向いたり下を向いたりしながらも少しずつ前に進んできてくれたから、こうやって TAT セッションを受けて一区切りができたんだよね。

抱えていたものを手放すことができて、流れていった感覚が確かにあって、すごく不思議だけど、私は今、前を向けている。
私の人生、これから変わってゆこうと思える。
これから私の幸せに向かって、私の行動を変えてゆこう。
そうやって、また自分の問題に向き合っていこう。本当にそう自然に思えるようになっているね。

一歩一歩積み重ねてきたことが、こうやってつながっているんだね。

私、TAT を思い切って受けてくれて、ありがとう。
そして、TAT を受けることができて、本当によかったね。
これからも一緒に一歩一歩を進んでいこうね。
私にもきっとできるから。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/東京都よりご参加) かとらるクラス



タイトル下の線


[1]
あなたの問題は、そもそも、どんな主訴でしたか?



私は、激しい怒りの感情、本来は両親に向けるべき怒りを夫に向けてしまっていた。
夫から「拒否された!」と少しでも感じると、強烈な悲しみと怒りの感情が爆発してしまい、夫に暴力を振るってしまうこともあった。
私は自分が凶悪な事件でも起こしてしまうのではないかと恐ろしかった。せっかく築き上げてきた家庭なのに、私の衝動的な怒りで破壊してしまうのではないかという不安があった。
実は、TAT を受ける前に夫と喧嘩し、売り言葉に買い言葉の夫の一言に私が切れて、夫に激しい怒りをぶつけてしまった。そのときは「もうだめだ。私は全てを失うんだ…」と涙が出た。

また、以前から男性に対する嫌悪感や恐怖感が強いことや、女性らしく振る舞うことに対して嫌悪感があること、女性らしい格好をしているところに父とばったり会ってしまって、嫌らしい目で見られることを想像すると自由に振る舞えないと自分を抑えてしまっていました。
また、幼い頃から浮気を繰り返してきた父を見てきて、男性は絶対最後には裏切るという信念に取り付かれていました。
父のせいで、私の行動が制限されている、母は私を助けてくれなかった、私を見捨てたという思いを、夫に全て投影していた。
夫に甘えて、私の希望ばかりを伝え、感謝はしないということを長年していた。



[2]
どんな環境、どんな過去を持っていますか? どんな痛みの体験が影響して、そのような主訴を持つようになったのでしょう。




幼い頃から両親は仲が悪く、喧嘩が耐えなかった。父は食事時に怒りを爆発させることが多かった。また食事のマナーにも厳しく、正座をして背筋を伸ばし、テーブルに肘をついてはいけない、ご飯粒は一粒も残さずに食べる、箸はきれいに持つこと、ひとくち食べて口の中が空になってから次のひとくちを食べなさい、など私にとって食事の時間は緊張を強いられるものだった。
それに加えて時々父はちゃぶ台をひっくり返し母を殴ることもあった。父が怒りを露わにしたときの状態が、私が怒りを爆発させる様子にそっくりで、嫌だと思いながらも暴力に引き寄せられていることに気が付き、自分を責めた。

小学3年生で、今の実家があるところに引っ越しをしてからは、私が母の代わりに暴力を受け始めた。
父はなにかと難癖をつけては私を攻撃する機会を狙っていた。リビングテーブルの周りを追いかけ回されたり、髪の毛をつかまれて振り回されたり、屋外に閉め出されたり、理不尽な扱いをずいぶん受けた。
そうして暴力を振るいながらも、私が風呂に入っているときに洗面所に長居をしたり、偶然を装って着替え中に脱衣所に入ってこようとしたり、寝ているときにキスをしたりした。

私は、夜中にキスをされたことは母に言えて、父だけ寝室が別になった。なぐさめの言葉は特に無かった。しばらくして父は「さようなら」といって家を出て行き、私に罪悪感を持たせた。父は浮気相手のところで数ヶ月を過ごし、また戻ってきた。そして、また父におびえる日々が戻ってきた。
暴力に関して母は、私を助けることはせず、「お父さんに逆らうあんたが悪い」と私を責めた。
今思い出すと、父の怒りは不当で、私が何をしていても結局は父を怒らせたのだろうと思う。
私は完全に母の代理をつとめさせられた。性的なことも、母の代わりに暴力を受けることも。
それを全て私のせいだと責められることは、私の存在を否定されることだった。私が「死にたい、生きていても意味がない」と思ってしまうのは当然だった。

加えて、私が父と大喧嘩をした際に、私が父に「変態!」と怒鳴ったら、母が飛んできて私を平手打ちにした。私がそれにも負けずに叫んでいたら、何度も何度もたたかれた。
私はここでも罪悪感を持たされた。
母は、私が暴力を受けているときに私を助けるどころか、自分に火の粉がかからないように私を差し出した。そして全て私のせいにした。

父は、私が就職して家を出て、妹も就職が決まって働き始めると、父親の役目は終わったとばかりに、「一人暮らしをする」といってマンションを購入し、出て行った。
数年は、実家に夕食をしに寄っていたが、今は妹が里帰りする年2回と郵便物を取りにくるときにしか実家には立ち寄らないようだ。
こんなことがあったのに、母はまだ父が戻ってくるのを待っているし、離婚はしないと言っている。
私には「お父さんと仲良くしなさい」と言う。別居している父を、妹が里帰りするときに呼んでいる。そこに私も同席することが当たり前だと思っている。
私は、断ることもできずに今まで参加していたけれど、これはあまりにも私に対して配慮を欠いているのではないかと怒りを覚えるようになってきた。
母は私の心を大切にしていない。ただ父をつなぎ止めるために私を利用したのだと気付いた。



[3]
ONSA WORKSHOP および TAT セッションで、その過去(正確には、 過去に対する考えや意見、痛みの感覚やぐるぐる思考など)がどんな風に変わってゆきましたか?



TAT セッションを受けて、性虐待の本を以前より抵抗無く読めるようになった。
そこで数冊読んでみた結果、私の育った家族は機能していなかったということが理解できた。父とのことも、ずっと、もしかしたら私が悪いのかも知れないと思ってきたけれど、問題は両親が夫婦として機能していなかったからだとわかった。

私は長年、罪の意識を背負っていたことに気付き、もうそれは両親にお返ししようと思えた。
私はずっと母に嫌われたくなくて、母の機嫌を損ねたくなくて、また、母からの愛情を期待して、母の言うことに従ってきた。けれど、あの人たちが私に与えられるものは、あれで精一杯だったのだと気付いた。
それに気付いたら、私はもうあの人たちから手を離そうと思えた。
悲しいけれど、私があの人たちから受け取れるものは、もう何もない。欲しい欲しいとしがみついても、もう何も出てこないのだと悟った。
それよりも、私が大切にしたいのは今の家族、夫と息子なんだとはっきり分かった。
父とはもう関係がほぼ無いけれど、母との関係をどうしていくかはこれからじっくり考えていきたいと思う。



[4]
TAT セッションを受けるには、どんな前提条件が必要だと思いますか?

ここで言う条件とは、人的条件やお金といった条件ではありません。
たとえば、集中を切らさないで人の話を聞けること、自分の痛みのルーツが分かっていること。「裁かない」こと、自分にウソをつかないこと、時間に間に合うように来ること、ルールを守れること、協調性が養われていること……など、体験した人だから分かることがあると思います。
ONSA WORKSHOP と TAT セッションをご自身で体験してみて、TAT セッションにはどのような前提条件が必要だと思うか、受けてみて感じたことを、教えてください。



私は、自分の問題がある程度わかっていたことがよかったのかなと思う。私の問題は根深い、だからこのTATセッションを受けたことをスタートにして、より深く自分と関わっていこうと思えたことがよかったと思う。
 


[5]
もし自分が ONSA WORKSHOP で訓練をしないまま TAT セッションを 受けていたら、どんな風であったか、想像して教えてください。

実際は ONSA WORKSHOP で訓練を受けてから、TAT セッションにご参加くださいました。
でももし、そうではないとしたら……。たとえば人を裁いていたかもしれないとか、「今」に集中できなかったかもしれないとか、そもそも自分の問題が何であるか分からなかったかもしれないとか……どんな風であったと思われるでしょう。
率直に感じたことを教えてください。



私が ONSA WORKSHOP で訓練をせず、自分の抱えているものにも気付かなかったら、「こんなものなのかな、全然実感できないけど…でもきっと、何かがよくなったはず!」と簡単に考えたかも知れない。
たぶん、この先回復に向けて取り組むということはしなかったと思う。

TAT セッション+ ONSA WORKSHOP で訓練が私にはとても合っていたと思う。
もし、TAT セッションを受けたあと ONSA WORKSHOP で訓練を続けていなかったら、私にとっては逆効果になっていたのではないかと思う。



[6]
ONSA WORKSHOP は、TAT セッションを受けるにあたり、あなたにとってどんな風に役立ちましたか?
具体的に振り返ってみてください。



TAT セッションはゴールではないということが理解できていたことはよかったと思う。
自分の問題に気付けていたことで、その先も訓練を続けていくことができた。

TAT セッションを受けたことで「直った」と思って辞めていたら、ここまでの気付きも得られなかっただろうと思う。
TAT セッションを受けることで、より自分の問題と向き合うことができた、それが私にとって一番の収穫だと思う。
 


[7]
TAT セッションを受けてみた後、1)と2)で書いた問題は、どのように変化しましたか? そしてその変化は、あなたにとって、どんな風に感じた出来事だったでしょう。
あなたの言葉で教えてください。



私は性虐待の方面からも私の育った環境を理解することができ、長年の謎が解けた。
私の原家族は恐ろしいほど機能していなかった。だからあのようなことが起こったのだと納得できた。
気休めでなく、私が悪いわけではなかったことも分かった。

私は今まで得られなかったものを両親から得ようとしてしがみついてきたけれど、無いものはどれだけゆすっても出てこないと肯定的にあきらめがついた。
嫌だ嫌だと言いながら、私はがっしりと原家族と手をつないでいたことにも気が付いた。
父とは会いたくなければ会わなくてもいいのだと思えるようになった。

私が今、手をつなぎたいのは、今の家族、夫と息子だと強く思った。
息子には心の不安定な母で迷惑をかけてしまった。私が素直になれないことで夫を傷つけてしまったかもしれない。
今、少しずつ夫に素直に接することができるようになってきたけれど、私にとっては人とのちょうどよい距離がわからずに、くっつきすぎたり離れすぎたりしてしまう。
私は、自分重心を失わずに人と付き合う術を、これから学んでいく必要があるのだと思う。
私の共依存で、私の大切な家族を壊したくないと心から思った。
 


[8]
これから ONSA WORKSHOP ならびに TAT セッションを受け、みずからのトラウマに向き合ってゆく方に、メッセージをお願いします。



どうか、あきらめないで。自分のことは知れば知るほど楽しいですよ。
向き合い始めは、苦しいことの方が多いけれど、TAT セッションで少し荷物を降ろして、また回復に向けて取り組んでいきませんか。
また ONSA WORKSHOP でご一緒できるのを楽しみにしています!



[9]
最後に、ここまで歩いてきた自分自身に、メッセージをお願いします。



私へ
ここまであきらめずに歩いてきたね。
自分の問題が何か分からなかった頃から数年をかけて、少しずつ家族問題や依存症の仕組みを理解してきたね。そして、自分が何を抱えているかが分かってきて、今やっと、入り口に立てたような気がするね。

私は依存症だった。
私の問題は根深くて手強く、付け焼き刃ではどうもできないことが分かってきた。
意志だけでは回復できない。
やるぞ! と決意した次の瞬間にコケているのが現実。
だから時間がかかる。だからこそ、あきらめずに向き合い続けて行こうね。

このペイフォワードを書き始めてから体調が悪いね。くしゃみ鼻水と微熱の症状が出てきた。
ワークに向き合っていて体調を崩すのは久しぶりだね。それだけ私にとって苦しいところを通り抜けようとしているのかもしれないね。
秋に参加した ONSA WORKSHOP の数々を経て、私の中身はがらっと変わってしまったかのよう。こういうのを変容というのかも知れないね。

あきらめなくてよかった。
私はもっと私と向き合っていきたい。

修行者だとか求道者だとかマゾだとか頭がおかしいとか、何と言われてもかまわない。
私にとって向き合いにくいことと向き合うほど、自分の中に新たな視点が生まれると実感しているから。

これからも、目をそらして無かったことにしてしまいたい気持ちや、そこからくる体調不良や気分の落ち込みなどいろいろあると思うけれど、ただあるがままを見つめ続けて行こうね。