2015.10月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」しすてぃーなクラス

画像
タイトルはじまり目印

M. M. さん(20代/神奈川県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


(ワークショップ・クラスは)前半戦だけでとても疲れたので、帰るころはへろへろでした。
お母さんに対して気持ちを言ってみましたが、前半も後半も1回目は割とスラスラ言葉が出てくるのに、2回目になると「何を言ったらいいんだろう?」「感じてる気持ちって何?」と「頭」で考えてしまって上手くできなかったなぁと思います。

2回目になると急に冷静な自分が出てきて「何してるの?」とか「泣くようなことがある?」と傍観して言ってきました。
今思うと、これ、自分を裁いているなぁ。
自分の口をついて出てくる言葉に対して「本当はそんなこと思ってないでしょう?」とか「そんなこと言ってお母さんに嫌われたらどうするの?」とか、そんな言葉が聞こえてきて、ワークをしている自分が間違っているように感じさせられました。

自分で「いい子」と言うのに違和感を覚えて未だにしっくりこないのですが、どうやら「いい子型」の家族問題に巻き込まれている私は、以前に優月先生がブログに書いてくださったその記事の内容にばっちり当てはまっていて、感情の上に何重にも覆いが被さっている感覚が今回のワークを通してうっすらと実感できました。

今回は、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」への参加だったため、「前期日程」も予定をこじ開けて参加したいなぁと思いました。
たぶん、どちらも1回だけの参加では感情の覆いを取り払うことはできないと思うので、自分を癒しながらその日を待とうと思います。
一緒にワークをしてくださった方、クラスのみなさん、そして優月先生、どうもありがとうございました。




タイトルはじまり目印

C. H. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


「インナーチャイルド・ワークショップ」、前から気になってはいたけれど、何となく後回しにしていました。
「体験型のワークショップ」、頭でっかちの私には向いてなさそう。
でも他のワークショップに参加した時に優月さんに勧められたのをきっかけに、少しずつ、考えるようになって、ONSA Web. WORKSHOP「コース2/STEP.1(後期日程)」を受けた時に、はっきりと必要を感じて、申し込みました。

申し込んだ後も不安でいっぱい。
プレワークも全然進まないし。
やっぱりこんな向いてないことするんじゃなかった、と弱気になったりして。
その上、体調を崩して心身共に絶不調。
それがプレワークの最後に手紙を書いたとき、急にやる気が出て、いける気がしてきました。
我ながら単純。

そんな状態だったので、当日はいい感じに力が抜けていたようです。
もちろん緊張はしましたが、「うまくやらなきゃ」とか、いつもの「正解を探してしまう」心の癖は、あまり出なかった気がします。


文節区切りの線

なんといってもワークショップ・クラスで初めて泣くことが出来たのが、私的には大きいです。それは優月さんが、そばでずっと励ましてくれたこと、それと、パートナーになってくださったお二人の方のおかげだと思っています。
午前の方は先に泣いてくれたので、私も泣くことが出来ました。
午後の方は、何度もうなづきながら聞いてくれたので、「言っていいんだ」という気持ちになって、どんどん気持ちを言うことが出来ました。
この場を借りて、お二人にお礼を言わせてください。
ありがとうございました。

そのことで得られた気付きは、感情の表出が出来たことで、私の中にも豊かな感情がある、ということが分かったのが一つ。
もう一つは、その時に自分が言ったことが今まで考えたこともなかったことなので、私ってホントはこんなこと思ってたんだ、という驚きです。

そうはいってもすべがうまくいくということはあんまりないですよね。
インナーチャイルドに会うワークでは、途中寝てしまったみたいです。優月さんの声があまりにも心地よくて…。

幼児期のインナーチャイルドは木の上にいたのは覚えているけど、学童期の方はどこにいたのか…思い出せません。
寝てしまっても潜在意識が聞いていると言われたので、それでいいのかも。何より、起きた時の妙にだるくて疲れてて、それなのに不思議にリラックスして気持ちい感じ。
私のインナーチャイルドは、きっと会いに来てくれたのだと思います。


文節区切りの線

ワークショップ・クラスが終わって、現実に戻って、何も変わらない日常、何も変わらない自分。
あれはなんだったんだろう。
あの時自分が言ったことは本当に自分の本音だったのか。
もしかして、いつもの癖でその場に合わせて、「うまくやっていた」だけかもしれない。そんなふうに思っていた時に、「ひとりじゃないよスペース」でほかの人の投稿をよむと、…ワークショップ・クラス当日の感情がよみがえってきました。
 
ああ、あれは本物だったんだな。そう思いました。
そして、私が気付いても気付かなくても、意識している時もいない時も、私のインナーチャイルドは私のそばに、でなくて、私の中にいてくれるんだな、って。
こころがほっこりして、あったかくなりました。

そうなるとちょっぴり欲が出て、3歳以下の自分のインナーチャイルドにも会いたくなりました。
今までは絶対無理、って思ってたけど、そんな小さいころなんて全然覚えてないしって。でもその頃の自分に何が起こったのか、知りたくなってきちゃいました。

藤沢さんスタッフの皆さん、クラスの皆さん、お世話になりました。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


「じーっと待っててくれてありがとう。遅くなっちゃったよ。」
そんな気持ちでした。
頬を膨らませながら、でも安心した表情で小さな私が大人の私を迎えてくれた気がしました。

本当によく頑張ったね。でも、もう頑張らなくていいから。そんな言葉をこの先ずっと、ちいさな私にかけてあげたいです。
私は、まだまだ思春期で信頼の部分が弱い。そして私は、「代理妻」を演じてきたから、「父からの離別」が早急課題です。

また、今回気がついた母へ対する新たな怒り。
今までは理不尽過ぎる父への怒りで誤魔化されてきたけど、母も大変だったのかもなんて思ったりしたけど、だからって、子どもの私には関係なかったはず。
私と兄を全力で守りきれなかったどころか、「妻」の役割を私の肩にどさっと乗せた母。
もう、新たな混乱です。

親子じゃなかったらどんなに楽だったんだろう。父も、母も。
「いつか変わってくれたら…」って思いをずっと捨てることが出来なかった。
でももう、ちいさな私と一緒なら大丈夫そうです。

こけても、しくじっても、もう誰も笑わない。そう考えらとても温かい、ほっとした気持ちになる。
これからも、どうぞ宜しくね。と子どもの私と大人の私が手を繋いでいます。
ずっとね!

「しすてぃーなクラス」のみなさん、お元気ですか? 
この一週間、私は本当にあっという間でした。
毎日、色々なことがありますが一緒にワークした日のことを思い出しながらこれからも頑張っていこうって思ってます。
本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」のワークショップ・クラスを終えてみて、私のインナーチャイルドの傷は、まだまだ深いと感じました。
ワークショップ・クラス中に、傷ついてうずくまっている子どもが連想されて涙があふれました。
そして私は、誰かにあたたかく包み込んでもらうことを欲しているんだと感じました。

私は、今回こそは自分の気持ちをドカンと出せるかと思ったけれど、やっぱり抑えてしまいました。言いたいことはたくさんあるのに、なぜか言おうとすると、何を言いたかったのかすっかり頭から抜けてしまったり、違うことを考え始めたりしてしまうのです。
優月さんに声をかけていただきながらなんとか言えましたが、言いたいことを言えてスッキリというほどには至りませんでした。
私の怒りはこんなもんじゃない! とモヤモヤした気持ちが残りました。

私の中には、怒りに煮えたぎるもう一人の自分がいます。
もし、もう一人の自分に金属バットを持たせ、スイッチを入れたら、私を傷つけた全ての物、全ての空間をめちゃめちゃに壊しに行きそうです。
普段の生活でも、このもう一人の自分にスイッチが入るとまずいなと感じています。自分の大切なものたちを、それによって傷つけないようにとても気を付けています。
親に対して、別に復讐しようとは思いませんが、いつ噴き出すかわからない怒りを、思い切り発散したくなるときがあります。


文節区切りの線

やはり、私はワークショップ・クラスでペアを組むと、私の怒りで相手の方を傷つけてしまうのではないかとすごく不安になってしまいます。
私は私の激しい怒りで誰かを傷つけてしまうのがすごく怖いです。もちろん相手の方に変な人だと思われたくないという気持ちもあります。
私はそんな事を考えてしまって自分に集中しきれませんでした。

私は、自宅で一人で自分の気持ちを言う練習をしてみた方がいいかも知れないなと感じました。
今回で「インナーチャイルド・ワークショップ」も3周目になり、ワークのやり方も分かってきました。また、数年前の自分が何を言いたいかもわからない頃に比べれば、私が何を感じているか、何に怒っているか、どれほど傷ついているかが、ずいぶん分かってきました。
今ならできるかもしれないので、自主練、トライしてみます。

私は今まで父が、私にしたことに罪悪感を抱えていて、それを気に病んで自殺でもしたら後味が悪くて嫌だなと思っていたのですが、どうやらそんな心配はなさそうです。父は父で一人の生活を満喫していて、私にそんなことをしたことさえ覚えていないかもしれません。
だから、私も思い切って関係を切ってしまってもいいのだと思うようになりました。
直接怒りをぶつけには行きませんが、ワークの中では思いっきり怒りをぶつけられるようになりたいです。


ワークでペアを組んでくださったお二方、ありがとうございました。
優月さん、スタッフの皆さま、いつもありがとうございます。こうして自分と向き合える場所があって、私は幸せです。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/新潟県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


対面式クラスでは、普段の自分の処世術が本当によく出るんだなと思いました。

今回のクラスは大人数だったので一瞬緊張しましたが、前夜2時間半しか寝てなかったこともあり、終始ぼーっとしていました。
最後の瞑想はほとんど記憶がないので眠ってしまっていたと思います。
集中が切れてしまって、パートナーが話しやすいように「うん、うん」って上手に聞いてあげられなかったと反省しました。

6万円と1日分の休日とエネルギー使って、そんないい加減な態度で受講したの?!
だったらもうワークショップ受けさせないよ!
そんな自分を叱咤する声が頭に浮かびました。

ワークでは、目を見て感情を話すということができませんでした。
パートナーの方のお話を聞いているときは「ああ、私もそうだったなあ」と共感して何の抵抗もなく涙が出てきました。
昔からもらい泣きは得意です。

自分の時は何を話したいのか分からなくて、相手を待たせてはいけない、何か言わなきゃってプレッシャーで、3分が長く感じました。
「お父さん」「お母さん」と言ってみたものの、気まずくてすぐ目を逸らしてしまい、ただただ床を見つめて話すことしかできませんでした。
相手が理解しやすいように言おうとしてしまったり。
この場で泣きながら話をしている私はなんか演技じみている感じがしました。
両方の人格に自覚はあるものの、二重人格のような乖離を感じました。
周りの人は上手にできているのになあと周囲を気にして焦ったり。
とうとう最後まで自分の感情を出すことへのブレーキを外せなくて不完全燃焼な感じでした。

私にとって「人前で泣く」というのは弱い自分をさらす恥ずかしい行為です。
自分がむき出しになるのは怖い、心が壊れそう、人前で狂ったら取り返しがつかない。
泣いて声が震えたり、小さくなってしまうのが恥ずかしい。
それは小学生の時そう思わされる出来事があったからだと思います。


文節区切りの線

このワーク誰もいないところで一人でやりたいなあと思いました。
そうしたら思いっきりできるかもと思い、深夜入浴中にやってみました。
ただ泣くことはできても、なんで泣いているのか何を言いたいのか感じることができませんでした。
気づけば私の中のインナーチャイルドに「大丈夫、あなたは強くて優しい」と言い聞かせていました。

でも違うな、そんな言葉欲しいわけじゃない。たっぷり甘えさせて欲しいんだ。
しっかりしたいわけじゃないんだ。
それで泣いていたのかなあと後から思いました。

厳しすぎる(自分を罰する)。
100%を目指してる。
成果を求めてる。
「今この時間はやり過ごして、家帰って後でやろう」と思ってしまう。
外は発表の場であり、家は練習の場(醜態をさらせるのは家の中だけである)。

私の人格の未成熟な部分は、
「弱い面を隠さず、感情を分かち合う」
「悲しむべきことを悲しむ」
「背伸びをせず、ありのままの自分でいる」
というところだとより明らかになりました。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


このクラスは、私にとって2回目の、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」でした。

1回目は、ちょうど3年前。
その時の私は、ワークでまったく、自分の感情を出せませんでした。
優月さんに「説明するんじゃないんだよ」と言ってもらってもうまくできない。
何を言っていいかわからない。
他のペアの人の声が聞こえてきて、
「あぁ、私もあれぐらい感情だけになれたら」
なんて思ってしまうくらい、
私は、何もできませんでした。

そして3年後のこのクラス。
私は、クラス前日まで「自分の感情をうまく出せるだろうか」と心配でした。

でも、前日に「お金と自立のワークショップ」のクラスに参加したことも後押しになって、
私は、思い切って自分の気持ち、言いたかったことを全力で言えました。

「3分」「4回」という、限られたチャンス。
私は、短距離走のように全力で、走り抜けました。

もちろん最初は、うまく言えるかとためらいました。
でも、思い切って口火を切ったら、次から次へと気持ちがあふれてきた。


私は、父親のことが大嫌いでした。
母親のことも、嫌いでした。

まだ幼かった兄を殴った、祖父も嫌いでした。

ずっと言いたくて、言えなかったこと。

家族は大事にしないといけない。
家族の悪口を言うなんて、良くない。
親だって1人の人間なんだから、いろんな事情がある。
親は、許さないといけない。
きっとお父さんだって、寂しがってるんだから、許してあげないと…。

そんな、自分と誰かによって打ち立てられた、数々の制限。
私はその中で、本当に苦しかった。

父さんや母さんにされたことだけでも苦しかったのに、
さらに自分の気持ちをねじ曲げて、大人のふりをしなければいけない、
愛を持って家族を許せるようにならなくては…という二重苦、三重苦の中で、私は息ができなくなっていた。

私は、理解できない苦しみから逃れたくて、一生懸命努力してきた。
正しい(と言われている)考え、清い考えをかき集めて、必死でそれをやり続けた。
でもそれこそが、私の感覚を狂わせ、痛みを否認し、偽りの自分をつくるという、
ますます苦しい状況に、私を追いやっていた。


相手の気持ちなんか考えず、自分の気持ちだけになること。
自分の気持ちの味方になって、言いたい放題言ってやること。

私は…人生で初めて、これができた。


そうだ、最初からこうすればよかったんだ。
こうして、よかったんだ。

たとえ親でも、
私は「おかしい」と自分が思ったことを「おかしい」って認めて、声を上げてよかったんだ。


そうして怒りを出せるだけ出して、1回目のワークが終わって、
2回目のワークでは、また違う気持ちが出てきた。

なんで? なんでうちは普通の家じゃなかったの?
なんで父さんも母さんも、私を守ってくれないの?

答えなんてなくても、私はただ、そう言いたかったんだ。
どうせどうにもならないだろうとあきらめるんじゃなくて、
ただ、言いたかった。叫びたかった。

理不尽で納得いかない、ひどい仕打ちを、私は呑み込むことができなかった。
そしてそれで、よかったんだ。
いい子のふりも、大丈夫だよって強がることも、愛のあるふりして許すことも、
私はしなくてよかった。

私は、泣きたかったんだ。
こんなの絶対許せない、お前らはおかしいって、
一人の人間として、言いたかった、ずっと。

私は一人の人間で、心もちゃんと動いていて、
父や母の、都合のいい人形なんかじゃなかったんだから。

そして、
私は、もっと普通に甘えたかった。
普通に、父さんや母さんにくっついて、たくさんなでてほしかった。
父さんを怖いと思わず、くっつくことができたらよかった。

全部、普通の家ならごく当たり前に許されていたこと。
それが、私の家には、なにひとつ許されていなかった。
私はそれが、悔しくて悲しくて、さみしくてしょうがない。


どうして、他のみんなには許されていて、
私には与えてもらえなかったんだろう。

自分の力では、どうすることもできなかったこと。
でも、それでもやっぱり、悔しいもんは悔しい。
私だって、ほしかった。


3分は、あっという間。
でも、それでも…3分の中でも
「まだ言いたい…でもなんて言いたいのか、わからない。もっともっとつかみたい」
というもどかしさもあった。

それぐらい、たくさんの気持ちを私は感じていたんだ。
そしてそれを、ふとした折りにこぼさないように、爆発させないようにと。
私はいつも、どこでも、誰といても慎重にガードして、
いつも代わりの感情で、フタをしていた。


私は、苦しかった。
こんなものを、私の責任ではまったくないもの、親の未消化の感情のツケを、
30年以上も背負い続けて、本当に苦しかった。

この日、それを私は、自分の力で吐き出すことができた。
安全な場所、支えてくれた優月さんと、それぞれに全力で向き合ってくれたクラスのみんな、
全部があったから、それができた。

そして…この3年の歩み、
たくさんのクラスに参加して、Web. WORKSHOP(ウェブ・ワークショップ)でコツコツと自分との会話を続けてきたこと。
カウンセリングや自助グループにも参加したこと。
その中で、それでも自分の気持ちにつながれなくて、もどかしくて悔しかったこと。

その全部が、この日の勇気に結実したって思う。
本当に、よく頑張ってこれた、よく頑張った。
そのこと、私は誇りに思う。


同時に、3年も私はやり過ごしてしまった。
もっと早く、吐き出せていたら、もっと私の時間は変わっていた。
時間の重みを感じられるようになった今だからこそ、悔しさもある。

だからこそ、ここをバネにして、私はもっと飛びたい。
もう、親や過去に私と私の人生を縛られるのは、うんざり。

私は、傷を癒す。
そして私は、私の人生を生きる。
そう、私は何度でも決意する。


文節区切りの線

クラスから1週間後の今日。
私はモヤモヤする気持ちがわいてきたのを感じて、
それを安全な場所で吐き出した。

父親への罵詈雑言。
クラスのときより、より鋭い言葉が出た。

自分でも聞いたことのないような、ひっくい声(笑)。
あー、これが、ハラから出る声の一つかもな…。
私は今までどれだけ、私でない声、私でない言葉をしゃべってたんだろう。

でももう、それも手放してゆける。
もう、誰かから見て自分の感情を押し込めることはしない。


私は、私の気持ちや感覚を大事にする。
言いたい時に、安全な方法で、ちゃんと体から外に出してあげる。
そうやって、私は私の味方になる。私を守る。

瞑想では、大人の私の力強さを感じた。
前回は、インナーチャイルドの方に気持ちをとられ、
大人の私は、振り回されたり、自信がなかったりして、実体がなかった。

でも、今回は大人の私がしっかりといた。
私が、子どもの私をこの劣悪な環境から救い出すんだ、
そう思って、手を差し伸べることができた。
もう私は、過去にはのまれない。


私は親とも人とも、違ってていい。
違う気持ちや考えをもっていいし、無理に同じになろうとしなくていい。

私は、誰かのためには生きない、
私のために、生きる。

このクラスに参加できて、本当によかったです。
優月さん、クラスの皆さん、本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


わたしが小さかった頃、どんなに大変な思いをしていたか、どんなに辛かったか、はじめてわかりました。

わたしは小さいころからずっとずっと自分の気持ちを閉じ込めてきた。
母が怖くて怖くて、怒られないように、機嫌を悪くしないように、ずっと気を使ってきた。そのためには自分の感情を閉じ込めるしかなかった。

何よりも母から自分を守ることに必死だった。
母の言葉やしつけという罰で自分がどれほど傷ついていたか、どれほど自分を責めていたか、それに気がつかないようにしていた。

わたしの気持ちなんか誰も聞いてくれない。
わたしのことなんか誰も気にかけてくれない。

いつもいつも悪いのはわたし。
わたしがだめ。

ダメなわたしを誰にも知られないように、必死で隠していた。

怒られて怖かった。
叩かれて痛かった。
口をきいてくれなくて辛かった。

でも全部わたしが悪いから。
誰にも何も言えず、失敗は知られないように、間違いはわからないように、一生懸命ダメじゃない自分であろうとしていた。
そうじゃなきゃ、誰も一緒にいてくれないと思ってた。


幼稚園に行って、学校に行くようになって、いろんな人がわたしの前にあらわれるようになって、大変さが増えただけだった。
人は怖い。わたしを裁いて、傷つけるだけ。
敵はどんどん増えるばかり。
わたしの味方なんて誰もいなかった。
わたしはいつもひとりでなんとか自分を守らなきゃならなかった。
それで精一杯だった。

母が怖いと学校で言うこともできず、学校がつらいと家で言うこともできず、わたしは全てをひとりでかかえていた。
安心できる場所なんてなく、自分のままでいいのだ、なんて考えたこともなかった。


あのころは生きていることがほんとうに辛かったんだ、と、やっとわかった。
自分らしいことなんて何一つできなかった。
そんなことは怖くて怖くて、とてもできなかった。

わたしはそんな辛いわたしをなかったことにした。
なかったことにして、心の底にフタをして、なんでもない顔をして、ずっと抱えていた。

わたしが悪いんじゃないんだと、
わたしはわたしのままでいいんだと、

やっとわたしはわたしに言ってあげられる。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


今週は、いつも以上に生活をぐちゃぐちゃにしてました。
ワークショップ・クラスで気付いたこと、薄々自覚してきたことに目を向けるのが怖くて堪らなくて、体がだるいのと気持ちがフワフワするのを言い訳に、時間もお金もエネルギーもめちゃくちゃに使っていました。
それだけ私にとって向き合うのが恐ろしいことなんだと思いました。


「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けるのは2回目です。
前回受けてみて、インナーチャイルドを癒すのは、本当に必要なことだと感じていました。ここが私の問題の根っこなんだと、わかっていました。それでも自分では後回しにしたり、怖くて向き合えず、ワークショップを受けるのを心待ちにしていました。

2回目のワークショップは1回目よりもずっとしっくりきました。
私がどんなに損なわれていたか、知識が実体験と照らし合わせることができたと思います。
認めたくはないけれど、私の両親には子どもを世話できるほど成熟していませんでした。
そしてやっぱり認めたくはないけれど、そんな中で育てられた私には罰則はあったけどしつけはなかった、とてもしんどくて辛くて感じない様にしなければ生きて行けない位傷ついていたみたいです。


文節区切りの線

ワークでは、なかなか言葉にすることができませんでした。
口の中で舌がべったりとくっついて、胸のあたりで空気が詰まって何も言えなくなってしまいました。悲しい気持ちや感じていたことが一瞬でしまわれて、何も出てこなくなりました。

なぜなら今までそうやってきたから。
そうしないと、生きて行けなかったから。
辛くてしんどくて隠したり感じないようにしないと、死んでしまう位辛かったから。そしてそんなことを言って良いなんて思えなかったから。

後半になって優月さんの言った「ここは安全な場所。何を言っても大丈夫」ということを自分で何度も心の中で繰り返してようやく思ってることを口にできました。
安全な場所という事を言ってもらって、観察して自分に言い聞かせて、やっと話せました。
それだけ私は緊張していました。
自分の感じることをコントロールして、セーブしていました。
正直な気持ちを言うことも感じることを禁止していました。
無意識に、息を吐くような当たり前な感覚でおこなっていました。

私が口にできたのは「どうしたらよかったの?」「なんで」「わかんないよ」「こわいよ」「ずるいよ」それの繰り返しでした。
私はいつも自分が正解できてるのかわからなくて不安でした。
母の父の先生の思ってる通りのことができているのか、ちゃんとやれているのかわからなかった。
正解、正しくなければいけない、怒られる、価値がないって思っていました。不安でたまらない、けど確認もできなくて怖かった。

小さな私はずーっとそんな思いを抱えていて、それは今もずーっと変わらない。
安全な所でしか口にできないくらい怖くて不安なことでした。


私はなんてしんどい思いをして生きているんだろう、本当にそう感じています。

なんで私はこんな不安を抱えて生きているんだろう。
どうして私は私にはどうしようもない他人のことで苦しんでるんだろう。
どうしてほんの子ども私がこんなに悲しくて不安な気持ちのままでいなければならなかったのだろう。
本当に本当に私は可哀想だったんだ。
しんどい思いをしてきたんだ、そう感じています。


受ける前は、ワークショップを受ければ、この憂鬱な気持ちや向き合えない恐怖が和らぐかと思っていました。けれど、受けてみて自分のしんどさを再認識し、より怖くなりました。
私のこの気持ちが晴れることはないのではないか、そう感じています。
逃げ出したくなりますか、もう少ししがみついていこうと思います。

優月さん、クラスの皆さん
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. T. さん(40代以上/岡山県より しすてぃーなクラス



タイトル下の線


2回目の「インナーチャイルド・ワークショップ」。
1週間前くらいから、正直「1回受けているから、実は必要なかったかも…」とか
「他の WORKSHOP に申し込んでおけばよかったかも…」という思いがありました。

それは、今から思えばインナーチャイルドを扱うことに抵抗があったのだと思います。
自分のインナーチャイルドに向き合うことが怖かったのだと思います。
ワークショップ・クラス前夜、今までにない落ち着きのなさに自分自身驚きました。
睡眠時間も短く、寝た気分ではありませんでした。


ワークショップ・クラス当日。
前半のクラスで優月さんの話や参加者の方の感想を聞きながら、わたしは自分のみぞおちのあたりが重いことに気付きました。
だんだんに重みが増える感じに、わたしの焦りも高まっていきました。
「どうしよう…なにこれ…どうしよう…」
重みを何とかしようと焦っている自分に気付きました。
「待って…このまま…とりあえずこのままでいよう…」
重みを感じながら、続けて話を聞きました。

ワークで2人組になり、口を開いて言葉を発していくと涙がこぼれました。
みぞおちの重みのあたりが苦しくて、ワークを重ねる度に涙が出ました。
前半が終わり、ぐったりでした。

休憩をはさみ、午後のクラス。
ワークでは、1回目のインナーチャイルドと同じような言葉を発していました。
言葉は同じようなものだったかもしれませんが、1回目よりもわたしのなかの深いところからわいたものだと感じました。
ワーク終盤で、わたしはみぞおちの重みの意味がなんとなく分かっていきました。
帰る頃には、「きっとそうだ」という思いになりました。
それは
ーーー 外側からの期待や要求や望み ーーー でした。


文節区切りの線

今ふり返ってみると、
前半のクラスで重みを感じた時の焦りは「重みの正体(意味)が分からなかった」からだと思います。
分からないから不安になるし、どうしたらいいか分からないから焦ったのだと思います。
今までなら、「誰かに教えてほしい」「誰かに何とかしてもらいたい」と外側に求めていました。
今回、自分で重みの意味に気づけたことが、わたしにとってとても貴重な体験でした。

そのまま感じること。
感情を抑えないこと。
感じたままで今にいること。
そうすれば、不安や焦りや心配の正体(意味)に自分自身で辿り着けることを体験しました。
わたしには、その力があると分かりました。


2回目の「インナーチャイルド・ワークショップ」に参加した、自分の選択と行動はわたし自身を救ってくれました。
「1回やったからもういい」
「はい、次!」
「どんどん新しいことを」
そんな自分のパターンも自覚しました。
くり返せば、深まると実感しました。

また、今までのわたしだと「とにかく言わなきゃ」「全部言わなきゃ」と詰め込んで言葉を発していたところがありました。
今回は、自分の内側に意識を向け、言いたくなったら口に出しました。
「言いきれなかったかも」「まだ、言いたかったかも…」と思う時がありましたが、
相手の方の話を聞いていると、まるでわたしの内側から言葉が発せられているかのようでした。
わたし自身の内側を代弁をしてもらっている感じがしました。

だから、聞きながら泣けました。
泣きました。
ペアを組んでくださったお二人に感謝します。

そして、あの場に集った参加者のみなさんがそれぞれに真剣に取り組む姿勢に勇気をもらいました。
参加者のみなさんにも感謝です。

優月さん、スタッフのみなさま、今回もお世話になりました。
みなさまの幸せを祈っています。

最後に、
わたし自身の幸せのために、わたしはこれからもコツコツやり続けていきます。




タイトルはじまり目印

M. K. さん(20代/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」のワークショップ・クラスが終わってようやく一週間が経とうとしているところなのに、私にはワークショップ・クラスが遠い昔のことのように感じられます。
確かにあったことなのに、そして大きな変化があったのに、ワーク中のことがあまりよく思い出すことができません。

というのも、これまで感じてた過去の痛みを、ワークショップの時点で思い当たることはすべて吐き出したら、ひとりでさびしかったこと、親に関心を注いでもらえなくて辛かったこと、両親が怒るのが怖かったことも、性的なことで家に変な空気が流れて嫌だったことも、全部涙と一緒に不思議なくらい流れていってしまいました。
前よりも今の自分に響いてない感じがします。
どうにもならない、なんだかわからない、重さがとれて、体が軽い感じが、ワークショップ・クラスが終わってから続いています。

その代わりよく見えてきたもの、それは自分の今の現実です。
私は気がすすまないけど、上司の言われるままに営業をすることに決めて、成果を出さなければいけない現実に押しつぶされそうです。
ちょっと気を抜いたら逃げてしまいそうです。

1年前もそのプレッシャーを感じていたけど、結局私は具体的な解決を見出さないままでした。
自分の見ていた現実は確かに現実なのに、過去のフィルターを通して見ていたと思います。
そうして、自分に合わないことを選んだら、自分が苦しくなるという理屈も私の中にはなかったのです。
断ったらどうなるだろうか? ここに安心していられるだろうか? しか頭にありませんでした。


本当に自分のつくった現実が重いけれど、毎日できることをだけを考えて、積み上げていくしかないと思い、それに取り組み始めています。
ようやく現実に手をつけられていることに、よかったという思いもほんのちょっぴりとだけあります。
今までは過去の痛みのなかに留まっていたから、今の現実に手を出していたようで全く手をつけられてなかったからです。原因に取り組むから解決するという理屈も、自分の痛みに覆い尽くされて自分の現実に当てはめることができていませんでした。
ここにきてようやく、今まで学んだスキルがやっと安心して使える気がしています。


こんなにも自分が傷ついていたこと、それが今に影響して、大人の対処ができないこと。
子供の頃の痛みが長引けば長引くほど、自分の人生を壊してしまうのだとやっとやっと、自分のこととして因果関係が見えました。


私はずっとさみしさを抱えてきたけれど、それは子供の頃から私が私であることに、関心を注がれなかったからなのだ、それでこんなにも傷ついていた、と親への思いを口にしてみて、言葉にならない悲しさがあふれてきたときにそう感じました。
だから関心を注がれなくなってしまうこともつらかったのだと思いました。
そして、だからこそ不健康な関係に陥るし、不健康な人にひっかかるのだともわかりました。

それから、父に対して「行かないで」とか「忘れないで」と言って泣いているうちに、ずっとこだわりのあった S さんが重なって、おいおい泣けてきて、ああここだったんだ…って気づけました。
父にされたことが S さんにも重なってた。
父に対しての傷を洗い流したら S さんへのこだわりも流れてしまった。
あんなに苦労していたのに。それが嘘みたいにどこかにいってしまった。
会いたければ会うし、会えなければそれだけだ。だから何? みたいな気持ちになった。

前は言葉にならない思いがごちゃごちゃたくさんあったけど、それがなくなった。消えてしまった。
父と S さんは似てないから大丈夫って思ってたから、こんなにも他人と自分の関係のありかたを過去の父と私の関係にかぶせて見ていたなんて、全然気づけてなかったです。


私は私のインナーチャイルドが言ってくれたことが好きです。
手紙で書いてくれたので特に好きなのは、

がまんするのはいやだ。
おかしいことはおかしいって言いたい。
おねえちゃんはほんとうはすてきだよ。
わたしもすてき。いっしょにいていい?
信じられるのはわたしたちだけだよ。

というところ。
ほんとうにそうだね、信じるのは私たちの感じていることだねって心強く思えます。


瞑想ではもうたくさんいろんなことしてくれたよと言っていたことが意外でした。
そうなんだ! そうかもなと思いました。楽しいことはけっこうしてるね。
そしていろんな人に会いたいと言っていました。
もうちょっと待ってね、疲れちゃったし、準備がいるから、と思っています。

ようやくスタート地点に立った感じがします。
だけど、今までの歩みがあったからこその今だと思う。
ここからが大変だけど、ようやく確かに現実を変えることに力を注げるんだとも思えます。
私は誰よりも自分の正直さと勇気を信じているから、それらをもって進めばきっと大丈夫。そう思える自分がいます。




タイトルはじまり目印

R. K. さん(30代/静岡県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


「インナーチャイルド・ワークショップ」は初めての参加でしたが、「まだまだ私の殻は厚いらしい」ということを実感したというのが一番の感想です。
叫んだり、泣いたりするだけの膿みが私の中にたまっていて、それを出すことを恐れているのか、はたまた始めから膿みなどないから出ないのか…。前者であることはほぼはっきりしているのですが、正直まだ靄がかかっているような状態です。
なんだかすっきりしない…。
感じること、感じたことを表現することが私は本当に苦手なんだとよーく分かりました。

でも、出せない自分を、裁かない。
今の私の状態を、受け入れて、認めようと思います。

人づきあいでの不具合とかオールオアナッシング思考とか、これは時が経てばそのうちなんとかなる事柄では決してなく、立派な「症状」なんですよね。
長年のもやもやの原因が分かってきただけでも、本当によかった。
自分の「なんだかおかしい」という感覚を押し殺さなくてよかった…。

ワークショップ・クラス後、「○○ちゃん」と自分の名前を呼ぶと、切ないような、悲しいような気持ちになります。
きっと寂しかったんだよな、私…。だけどまだ、寂しい思いなんて、みんな少なからずしてるんじゃない? そのくらいで家族問題なんて言えるの? って声が内側から聞こえてくるのも事実です。
世間的には結婚適齢期と言われているような年齢で、今から回復作業を始めたら、回復し終えた時私はいくつになってるんだろう…という不安も正直、あります。
完璧なマニュアルなどない、人生という常に本番の時間の中で、私これからどうやって進んだらいいの? …たまにすごく怖くなります。
不安をあげ始めたらきりがありません。

でも今できることをやっていくしかない。
自分と向き合って心の声をきくこと、回復の手助けとなる本を読むこと、チェアワーク、自分の症状に合った自助グループを探して出向いてみること etc …。

まだまだ道は長いけれど、私は私を決して見捨てない!! 
しなやかでいきいきした毎日を送りたいから、そのために私は私と手をつなぐことを諦めずに進んで行きたいです。

ワーク中一緒にペアを組んでくれた方にもこの場を借りてお礼させていただきます。
「もっと(感情を)出していいよ!」って言ってくれて、本当にありがとうございました。
ご自分も大変な状況の中いただいたエール、とても嬉しかったです。

そして優月さん、今回も全力のワークをありがとうございました。
対面式ワークショップは3回めの私ですが、「心を開く」ってむずかしいなあ…ってつくづく思います。
またお目にかかる機会がありましたらその時は、今より少しでも良い方向に変化できていたらと思います。




タイトルはじまり目印

H. M. さん(30代/広島県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


本当に「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加して良かったです。とっても優しくてほんわかした気持ちになりました。
瞑想の時の優月さんの声が、本当に心地よくて、優しくて、私を丸ごと包み込むようで幸せな気持ちになりました。
「私、今まで本当によくやってきたなぁ。」
「私、小さいのに頑張ってきたなぁ」
と今までの自分を心から感謝する気持ちが湧いてきました。

今まで私は、過去のことを考えると、まるでそのことが、今まさに起こっている様で苦痛を感じることが多かったのですが、今回は現実と過去がしっかり分かれて客観的に感じることが出来ました。
大人の自分が、ちゃんと子どもの自分と会うことが出来ました。

私はまだ、両親に対して本気の怒りが沸いてきません。それは、本当に小さい頃、私が私の人生を「どうぞ」と両親に捧げたからです。
無理やり奪われたのではなく、自分で差し出したと感じているからです。
私が、自分を幸せにしよう、と決意する時に心の奥底で感じる罪悪感はここからくるものだと思います。親を見捨てたような、裏切ったような気持ちになるのです。

実際、結婚が決まって実家から遠く離れると分かった時、父は、「自分だけ幸せになれればそれでいいのか。親のことはどうするんだ」と本気で怒りました。私は、「もう自分の人生を生きたい」と思う気持ちと同じくらい申し訳ない気持ちを感じました。
それから数年後に娘が産まれて、それからすぐに病気がわかり、6歳になった今も寝たきりなのですが、病気がわかった時は、「私が自分だけの幸せを願ったからだ」と思いました。
これこそ「魔術的な思い込み」なのですが、私が自分の幸せを考えると良くないことが起こるのではないかという恐れがどこかにあります。


「私の人生は、親のものなのだ」そう長く強く信じてきたため、その思いを断ち切ることが難しいです。
私が両親を幸せにしなくては。
私が両親の面倒を見なくては。
そんなプレッシャーを強く感じて生きてきました。
私は、ただ単に認められたかった。愛されたかった。それだけなのです。

母は、私が不満を吐けるほど強い人ではありませんでした。本当に弱く、子どもでした。
「Hちゃんがそんなことしたら、お母さんが笑われちゃう」
「お母さんが働いてるからHちゃんが道を外したって言われちゃう。」
母はよくそうやって言っていました。
私は、母の顔色を見て物事の善悪を察していました。

母は、自分が弱くあれば、娘である私が自分の思い通りに生きてくれるという思いが少なからず(無意識にかもしれませんが)あったのだろうと思います。
それは、母なりのコントロールでした。
私は小さいのに、理不尽な思いを誰にも理解してもらえず孤独を抱えて生きてきました。
親でさえ(親だからこそ)弱音を吐けませんでした。
不完全な姿を見せて親をガッカリさせたくなかったからです。

親と同じ感情・意見を持てたらどんなに楽だろう。
親を喜ばせるだけの能力があったらどんなにいいだろう。
私はいつも至らない自分を責めてきました。
「私は私のままでいい」なんて私には別世界のことでした。


でも、もう、自分の人生を自分の手元に戻していい、だって私のものなんだから。
「どうぞ」って言った自分を責めなくていい。
そうしなければ生きていけなかったその状態が異常なのだから。
「魔術的な思い込み」からも解放されよう。だって娘は私の元に産まれてきてくれただけで、私は幸せなのだから。
私はもっと自分を癒して幸せになります。
 
優月さん、ご一緒してくださった皆さん、本当に有難うございました。




タイトルはじまり目印

R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


初めての「インナーチャイルド・ワークショップ」参加でした。予想以上に気持ちも言葉も涙も出て、とても充実した時間でした。
以下、自分の中の大人とこどもに話しかけるつもりで、気がついたことを書いてみます。

ワークショップ会場で優月さんがやってくれたように、これからはすればいいんだ。
ゆっくりでいいよーとか、なんにもしっかりしなくていいよー、とか、今のあなたが感じているきもちがすっごく大事なんだよとか、全部出していいよ、とか。
それをこどものわたしに、大人の私が言ってあげればいいんだ。
そして、新たなルールで「しつけ」(=教えと学び)し直してあげればいいんだ。
新しいルールは明るくて心地いいよ。
感情は感じていいし、泣いてもいいし、失敗してもいい、あなたの気持ちはすごく大事なんだって。
大人の私として、ちゃんと言ってあげよう。

どっと泣けてきたのは、優月さんが来てくれて「出していいよ」って言ってくれたから。
今まで、出しちゃダメだったんだ。表現したらダメだったんだね。不安とか不満とか悲しいとか怖いとか、これはイヤとかこっちがいいとか。とにかく出させてもらえなくて、出したらイヤな目で見られるか、叱られるか、ともかく嫌な感じにさせられてたんだね。
この長い年月、ずっとだもんね。そしたら胸もノドも首も、こんなに苦しくなって当然だよね。

出しちゃいけないって間違った命令だったんだよ。
そもそもの命令が間違ってたんだ。ほんとうは、周りの大人がこどものわたしに出させてあげなきゃいけなかったんだ、大人としてね。
それをしなかったのは周りの大人が適切じゃなかったんだ。こどものわたしが、気持ちを表現することは、自然で当然で必要なことだよ。

すぐには出せないかもしれないよね。まだ怖いよね。
出そうとすると、無様とかみっともないとか、しちゃいけないことをしてるみたいな感じがするよね。
数十年分の重さだから当然だよ。ゆっくりでいいから、練習してこう。
すぐできなくてもあせんなくていい。失敗してもいいんだから。失敗は学べるチャンスで、いいことなんだもん。

とりあえず、あなたの好きなことをしてみるよ。
好きな服を買って、着てみるね。自分で靴を作ったりもしてみよう。ワークショップやカウンセリングにも行こうね。たくさん出してラクになりたいよね。どんどん出していこう!

あなたは、ほんとうに長い間、我慢づよくがんばってきてくれた。それだけで十分えらいよ。ちゃんとしんどいって教えてくれたしね。
これから、ちゃんとしなきゃいけないときは、大人の私がするからね。
眠かったらいつでも寝ていいしゆっくり休んでいいよ。リラックスして、楽しく遊んでいいんだ。
あとは私がするからね。大丈夫、まかせて。


文節区切りの線

この文章を書いたのはワークショップ・クラスの翌日ですが、今も印刷して持ち歩いています。
まさか「全部出していいよ」の一言にこんなに背中を押されるとは…。ここ数ヶ月首が硬くてバリバリで、息を深く吸うのも一苦労なのですが、こんなにいっぱいいっぱいだったかと思うと身体がかわいそうになりました。

そして今回もうひとつ気がついたことは、「ああ、こどものわたしは虐待されていたんだ」と、ようやく納得できたということです。
殴る・蹴る・無視するなどのわかりやすいものだけではなく、「大人が自分の利益のためにこどもを利用すること」が虐待だとするなら、たしかに私は虐待されていました。
親が、世間から、あるいは家族・親族からの良い評価を得るために、こどもの私は利用され、親が望む「以外」の気持ちや、表現や、行動が封じられていました。そのことで私は、自分が思っていた以上に深く傷ついていましたし、今も影響を受けています。

それが、今回のワークショップ参加でやっとほんとうに腑に落ちました。
「自分の傷の深さを見誤らない」という優月さんの言葉を思い出します。
人と比べてどうこうではない、私の大切さ(深刻さ)を発見できました。

これからも、日常の現実世界にもどって、「大したことないんじゃない?」「深く考えすぎじゃない?」「もう大丈夫じゃない?」というアタマの声に流されないように、ノートに向かい、ワークショップやカウンセリングに参加します。

優月さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
ワークショップ・クラスのあの場のように、現実世界が優しくあればいいのに、と毎回思います。
いつかそうなるように、まず私から、無理せず開いていこうと思います。変化は日々感じています。
またお会いできるのを楽しみにしています。




タイトルはじまり目印

K. O. さん(30代/神奈川県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」ははじめての受講でした。ONSA の「インナーチャイルド・ワークショップ」には前期日程をはじめて受講したときに私の問題のコアをみることができてから、絶大の信頼を寄せています。

あの場の空気がそうさせてくれるのか、いつもそのときの最大限進めると感じています。
終わった後、私の中にはもっともっと出したいものがあるという確信も感じたのでまたいつか再受講したいと思っています。

今回、私は友人になりたいと思っている男性に対して、すごくびくびくしていて、わざとぶっきらぼうに無愛想な態度をとっているということに気がつきました。

仲良くなりたい、もっと話したい、という気持ちをぶつけて、もし突き放されたら立ち直れない。その恐怖からあえて、あなたにそんなに関心がないですよー、という態度をとったりしていました。本当に面倒くさいことにエネルギーを使っていたなと思います。

人気者であるあの人が、私になんてかまってくれるわけがない…。
自己否定がここでも顔を出していました。

子供は、大好きな人には大好きって気持ちを全面に出して接していて、それはとっても無邪気でかわいい。
私もそんな風に本当は素直に愛情表現をしたいんだと気がつきました。

そのルーツは、父親に素直に愛情表現して突き放されたり、私に関心がないことをつきつけられることが怖くて父親の望む優秀でいい子でいるという方法で関心を引こうとしていた小さい私とつながっていました。

本当は私は、「お父さんのことが大好き!!」って言って抱きつきたかったんだ。
でもそれが怖くて怖くてできなかったんだなあ。

そして、母親に関しては、周りのご近所の女性に対していつも気をつかって、機嫌をとっていて、びくびくしていて、それでいて影で文句を言っている母のことが、無力で弱くてみじめで情けなくて、とっても嫌いだった。そして、そのことを母に直接、「そんなお母さんがきらい!!」って言いたかったんだと気がつきました。

でも、怖かった。
嫌いって母親に言って、唯一の味方である母親にその後助けてもらえなくなることが怖かった。見放されて一人きりになってしまうのがこわかった。だから、言えなかった。
そして、そんな嫌いな母親と今同じようになっている自分のことが、とてもつらくて、苦しく感じました。


また、健康な発達過程にいる子供は、自分のことをヒーロー、ヒロインだと信じているという話も、ああ、そのことを過去の私は諦めていたんだな、と改めて確認しました。

最近、少しずつ自分を愛せるようになってきて、やっぱりこれでいいんだ、私は自分の中のスターになっていいんだ! と、勇気をもらいました。

難しい道のりかもしれませんが、自分は自分の人生という舞台のスターでいられるようにやっていきたいと思います。

優月さん、人数が多い中目を配ってサポートしていただいてとてもありがたかったです。
サポートのおかげで、「怖い」という大きくて重たい気持ちが底から出てきました。

参加者のみなさん、ペアになっていただいたお二人もありがとうございました。
長い道のりですが、今の頑張りが将来実を結ぶと信じて歩き続けていきましょうね。
また、お会いするのを楽しみにしています。




タイトルはじまり目印

N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


ワークショップ・クラスにご参加されたみなさん、優月さん、ありがとうございました。

ちっちゃい私は、父と母に見放された感じがして、寂しくてただ認めて欲しかったと訴えていました。
構って欲しかった、ただ抱きしめて欲しかったと思っていたようです。
母に認められるためならば、色んなことを一生懸命頑張ったけど、もう無理だよーってちっちゃい私は訴えていました。
頑張りとかもう嫌みたいです。


前半のワークショップ・クラスで体力も奪われ、お昼はちっちゃいおにぎりを少し食べただけで、満足しました。
公園でぼーっとしながら、でもこれからは真剣に自分と向き合うぞと、共依存をしっかり治すぞという決意を胸にしていました。

後半のクラスに行きたくないなぁ、このまま帰りたいと思うくらい体力は消耗していました。

後半のワークで、私は母にそばにいて欲しかったこと、1人で頑張って寂しかったことをまだ訴えていました。

そして、祖父と父の喧嘩から、祖母と母が止めるというおきまりのパターンに、怒りを覚えていたようです。
子供の私にはどうすることも出来なかったし、子供のような大人が私の家族だから、私がしっかりしなきゃと頑張っていたんだと気がつけました。

めっちゃ疲れて、顔を上に上げる体力も気力もなかったけど、心の中でずっと自分が訴えてきた事の一つなんだろうなと私が私を理解してくれて、妙に清々しい気持ちでいっぱいです。


文節区切りの線

いつもの私ならば、ここで投げ出す事はおきまりのパターンなので、それはやめて、じっくりしっかり私と向き合う事を大切にします。

それから、「もう遅い」という葛藤と少しサヨナラ出来ました。
晩年の過ごし方が幸福を決めるという優月さんの言葉と、みなさんのいくつになってもその時その年齢で、その方が置かれた立場でベストを尽くす姿勢に、徹底的に自分と向きやってやるー! 幸せになってやるー! という、他人任せな不安定な幸せではなく、私が私を幸せにする習慣を、今、ここから始めようと思います。

「お金と自立のワークショップ」「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」「インナーチャイルド・ワークショップ」と3つのワークショップに参加しました。

まだまだ私は共依存の回復に本気ではなかったこと、健康な人から見たこの世界の見え方、誰かいい人が現れたら結婚しようという危うい考え方、そんな自分の腹を据えするぞと決めること共依存を抜け出した新しい世界も垣間見れて本当に良かったです。
希望が持てました。

明日からは、じっくり腰を据えて共依存とコツコツ向き合う生活かと思うと途方に暮れますが、本当に私が望んでいるのはやっぱりそこなので、しっかり取り組みたいと思います。

みなさんの存在は本当に心強いです。ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. T. さん(30代/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス



タイトル下の線


対面のワークショップに参加を何回かする中で、エネルギーをどれほど使うかにも慣れてきたと思って痛けれど、やはり参加するとぐったりとし、疲れました。

全身を駆け巡る衝撃は、2年前のワークショップの時に感じてから、ほとんどないけれど、事の重大さは、ボディブローのようにじわーっとくる。
「私、本当に、傷ついて育ってきたんだ…。傷の深さは、自分が思っているほど甘くない」って。

前回の「インナーチャイルド・ワークショップ」で、自分のことを欠陥品だと思っていたということに、気づかされたが、今回は「こわかった」「助けて欲しかった」「気づいて欲しかった」「何も言えなかった」「ただ話を聞いてほしかった」「自分の気持ちは抑えるしかなかった」ということを繰り返し、ワークの中で言っていた。あと、「さみしい」「お母さんはずるい」…とも。
私は自分の気持ちを大切にされることなく、育ってきてしまったんだと、改めて感じました。

それが、もらたす今への影響。私と母親との関係、それから私と子供との関係…。
本当に深いです。
その根深さに改めて気づかされ、かなり凹んだ気持ちになりました。
世代間連鎖も、そんなに甘くないと。
そして、これが、今の私の現実なんだということも。

気持ちは重いものがありますが、ここからやっていくしか変わらないということも、当たり前ではあるけれど、自分を大切にしながらやっていきたいと思います。

パートナーを組んで下さったお二人の力を借りて、自分の気持ちにも向き合うことができました。
本当にありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。